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2020/01/12

古舘寛治版マクベスが見たい

愚鈍な夫婦が国を誤らせる

ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」をまったく知らない日本の人のために、わかりやすく意訳したあらすじをひとくさり。

昔むかしのスコットランドにマクベスという武将がいました。小心なのにずる賢く、無能なくせに権威主義に凝り固まった愚鈍なマクベスは、汚い手口で王座を得るや、自らの悪事を隠ぺいするために次から次へと嘘とごまかしを重ねます。
その女房がまた旦那に輪をかけた善悪の判断能力に欠ける魯鈍な女。善悪の意味が理解できないもんで、「良い悪事ですから前に進めて下さい」等々、世迷言にことかかず、自称私人のくせに、無自覚な愚かさで夫やその部下をそそのかします。
馬鹿夫妻をたきつける3人の魔女というのが出てくるんですが、こいつらはあやふやで実体のない存在です。例えるなら、宗教団体・思想団体・経済団体みたいなものでしょうか。マクベス利権にまみれた権力のお友達であります。
周囲や部下は暴政におののき言われるがまま。ましてや諫言などするはずもなく、そんたくがはびこる政府にあって、調子に乗ってやりたい放題のマクベスは、広大なバーナムの森が我が陣へ動きかかってこない限り権力は安泰だと魔女に吹き込まれ、森が動くはずがない、文字通り森羅万象がオレの物だと、いよいよ妄言を吹きまくるのでしたが……。

トリエンナーレから「宮本から君へ」へ

あいちトリエンナーレへの助成金不交付を決めた文化庁所管の法人が、映画「宮本から君へ」への助成金内定も取り消しました。麻薬取締法違反の有罪判決を受けた出演者がいたことから、「国が薬物使用を容認するようなメッセージを発信しかねない」というのがその理由でした。
メチャクチャです。およそ民主主義を標榜する文化文明国家の所業ではありません。トリエンナーレの一件を特例と見せたくない政府、もしくはだれかによる、悪事を糊塗せんがためにするマクベス的悪事の上塗りですね。
この作品、見る価値が十分にある力作でした。作中にいくつもいくつもクライマックスを投げ込む商業主義にまみれたハリウッド的進行を拒否して、カタルシスの解放を観客の我慢ギリギリまで引っ張る勇気と、特殊効果などのギミックを排した正攻法で俳優の芝居をあまねく拾いにいくカメラワークが、作家性と商業性を両立させています。ドラッグ推進映画なんて、とんでもない嘘。助成金カットはマクベスの暴政そのものです。
この作品に出演している俳優の古舘寛治さんは、一連のおかしな行政に異を唱える数少ないメジャー役者として、このところメディアに取り上げられることが少なくありませんね。言葉を扱う表現者として、バーナムの森を動かそうと世間へ訴え続けています。
文化行政における統制は、表現の弾圧・萎縮や言葉狩りに直結します。古舘さん所属の劇団青年団は、長らく日本演劇の主流であった文語調を見直し、自然な対話の流れを重視する口語体による劇の上演を打ち出しています。表現に関わる環境に敏感になるのは当然です(文語調を否定しているのではない)。
いわゆる芸能界では一流扱いされている俳優たちが、家電量販店巡りや食レポバラエティに出演して、「全然いい商品」とか「どんどん食べれますね」などの壊れた日本語を茶の間にまき散らす、魔女の息がかかったテレビジョンの惨状から見ても、表現の自由を墨守せんと声を張り上げる俳優・古舘寛治は極々少数派であり、だからこそニュースバリューがあるといったところでしょうか。反骨の明治女沢村貞子とタイプは違えど、その硬骨が存在感をダブらせていた女優・木内みどりもそうでした。そんなとこかな。ありゃりゃ、やっぱり少数派だわ。

海音寺潮五郎とバカウヨ

今読んでも面白い「茶道太閤記」(文春文庫)
表現の自由が侵されていくと、同業者がそんたくして仲間を攻撃する、あまつさえ権力に仲間を売るといった事例が発生します。今日は、大人気作家だった海音寺潮五郎が戦前にこうむった連載小説打ち切り事件から、表現者による表現者のための表現の自由の主張の大切さを考えます。
1938年、すでに直木賞を受賞していた海音寺は、東京日日新聞(現・毎日新聞)に「茶道太閤記」を連載します。武の巨人・豊臣秀吉と雅の達人・千利休が対峙する、当時としては斬新なストーリーに、秀吉の文禄・慶長の役と日本軍の大陸侵略戦争を重ね合わせていた世間は、作家へ非難を集中させます。
海音寺自身が戦後、往時を振り返った1962年3月17日付朝日新聞への寄稿「わが小説」より引用します。
「わが小説」というのは自分の代表作について語れという意味だと思うが、代表作は世間がきめてくれるものであるようだ。しかし、ぼくにはそんな作品がない。つまり、それほど評判になった作品がないのである。
「人間にははからざるのほまれがあり、はからざるのそしりのあるものだ」
という中国古代の賢哲のことばがあるが、ぼくの作品はいつもそのようだ。世間の評判にならなかったとはいっても、少しはなったものもあるが、それらはおおかたがぼくには望外な気がした。また、「十分とまでは行かなくても、出来るだけのことはした。今のおれの力ではこれ以上は書けない」と考えたものの大方が無視に近くあしらわれた。ぼくにはいつも不運感がある。もっとも、そのために、ぼくは相当強靱(きょうじん)な根性に鍛えられた。作家には拍手かっさいの中にいないと、気力が萎縮(いしゅく)して、力の十分にのびないように見える人が少なくないが、ぼくにはそれはない。無視黙殺の中でも、書かねばならんと信ずることは必ず書くことが出来る。
親は不運な子ほど可愛いという。作家の自分の作品における場合もそうだ。ぼくが最初に中央の大新聞に書いた小説は、昭和13年に毎日新聞(当時東京毎日は東京日日といった)に半歳(ママ)にわたって連載した「茶道太閤記」であった。ぼくは利休を芸術界の英雄とし、太閤を俗界の英雄とし、その対立抗争をテーマにしたのだが、世間はこれを受入れてくれなかった(ママ)。事変(引用者注・日中戦争)がはじまって間のないころで、日本中が好戦熱と狂的な愛国熱に沸き立っていたころであったので、国民的英雄である秀吉を一茶坊主にすぎない利休と対立の関係におき、しかも理由に同情的であるとは何ごとだという議論があって、ある大衆作家のグループなど、その機関雑誌で連日にわたって攻撃した。今日となっては、笑うべき俗論であることは明らかだが、当時は侮りがたい力があって、社でもこまったらしい。こうなると、ぼくはへんに闘志を燃やしてしもう。利休に太閤の外征計画を諫言(かんげん)させたりなどしたので、いよいよいけない。今にして思えば若気の至りである。
この作品は、ぼくの数え年38の時のもので、まことに未熟なものではあるが、不運な作品であっただけに、ぼくには可愛い。戦後いろいろな人によって利休が書かれ、それれにすぐれた作品になっているが、それらはすべてぼくのとったテーマから出ていない。ぼくが書くまで、利休は一茶道坊主だったのだ。利休を芸術界の大英雄とし、秀吉と対決させて考えることは、だれも考えつかなかったのだ。つまらないことながら、この意味でも、ぼくには可愛いのである。(引用おしまい)
「反日作家」の「売国小説」を、腐った文壇がこぞってたたきまくって、せっかくの連載をつぶしました。戦争協力姿勢で部数を伸ばしてきた新聞社も対応に苦慮したことでしょう。
これは全体主義国家だった大日本帝国の遠い昔のお話ではありません。国家主義的トンデモ本の出版倫理をとがめた小説家を出版社の社長がどう喝した事件はつい最近でしたし、政権批判(政治的発言とは違う)をしたタレントはテレビから干されるといった話も、マコトシヤカにささやかれています。表現者には生きづらい戦前の世が再来しているのですか。

本物は干されない

古舘寛治さんは干されているのでしょうか? 先日、主演ドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」(テレビ東京系)の第1回が放送されました。売れっ子脚本家、人気演出家との古舘コラボ。多分に演劇的で、実験的でもありながら大衆娯楽性もしっかり備えていて、非常に面白く仕上がっていました。最近の茶の間に限って言えばドラマやCMでの妙に膨らませた芝居を見せられるのがしんどかった共演者もとても良い。本来の滝藤賢一は、あんなにガバガバじゃないからね。番宣の短いセリフをカンペ棒読みするのは、プロとしていただけないけどさ。
人物に対するカメラが動きすぎて集中力を削がれるきらいが時々ありますが、それは視聴者の好みの範囲。撮影にも作り手の主張があると言うことです。アラサー・アラフォーシングルが流行ればOLもの、女医が人気となれば天才外科医が各局で乱造される安直さに、視聴者がその未来をあきらめかけていたテレビドラマへ、新たに投げかけられた希望の光ではないかとまで言ってしまおう。次回以降が本当に楽しみですよ。
ちゃんとした仕事をする人間は干されません。表現者を自任する者みんなでバーナムの森を動かしませんか。新宿御苑の桜の樹林がざわついている昨今、表現の自由守護へバーナムの森をも動かさんとしている古舘寛治版マクベスに出演するオールスター劇の壮観が見たい。

わが軍は準備万端、
あとは出発するのみだ。マクベスは
熟しきった果実、ひと振りで落ちよう。天よ、
神の鞭たる我らに力を。元気を出せ。
朝が来なければ、いつまでも夜だ。(「新訳 マクベス」(河合祥一郎訳、角川文庫)より)

2019/09/28

杉田水脈・文科相所管のトリエンナーレ・ディストピアを妄想する

竹宮惠子「風と木の詩」の生産性は?

「風と木の詩」第3巻(eBookJapan Plus)より
竹宮惠子さんの「風と木の詩」は、1970年代半ばに商業作品として少年の同性愛を取り上げた、日本が世界に誇る大傑作漫画の一つです。
しかし、もしも「杉田水脈文部科学大臣」なんて悪夢が現実のものとなったら、その扱いがどうなるものやら、と妄想してみましょう。
お役所から「『風と木の詩』には生産性がない」と決めつけられてコミック書店が迫害を受ける。頭のおかしな評論家がしゃしゃり出てきて、「『風と木の詩』を認めるなら痴漢の触る権利も保障しろ」などとわめき散らす。
作品を読んだこともない杉田推しの暴発ネトウヨどもが「(登場人物の)セルジュとジルベールはコミンテルンだ!」等のデタラメを脅迫電話やメSNSで拡散、竹宮さんに関わりのある教育機関へ電凸をかける。従軍慰安婦報道を担当した元朝日新聞記者の勤務する学校が、陰湿なウヨ電の集中攻撃と脅迫を受けた事件があったでしょ。
大学法人には、文科省が補助金交付の打ち切りをちらつかせて圧力を加える。
「作中人物に使用される“敵性語”と同一であるセルジュ・ゲンズブール、ジルベール・ベコーらの歌舞音曲は、日本国内での販売並びに放送禁止に処する。以上、文部科学省令である」なんてね。
以上、すべて根拠のない妄想です。でも、文化統制の暴走とは、えてしてこんなものじゃないでしょうか。

内務省の漫画統制

「杉田水脈文科相」。ありっこないですか? いやいや、今現在の文科相はアタマの中身がほぼ杉田レベルの萩生田光一氏。このところの日本の常識では、いつ杉田大臣に交代してもおかしくありません。その萩生田大臣は、表現の不自由展の少女像がネトウヨ案件になった「あいちトリエンナーレ」への補助金交付をやめるという憲法21条(検閲の禁止)違反をやらかしました。
芸術展を中止しなければ会場にガソリンやサリンをまくと、愛知県を脅迫した事件の加害者側に国が寄り添い、被害者である展覧会開催者を痛めつけるものです。国民の自由な表現活動の萎縮を狙った、えげつない判断です。まるで戦前のようですね。
当時の大日本帝国では、あらゆる文化活動が検閲を受けました。今の文化庁の役割を担っていたのは、内務省警保局です。内務省は、特別高等警察(特高)を使って国民の思想統制にまい進した全体主義の走狗でした。敗戦後すぐに解体され、大方の国民が快哉を叫んだ、非人間的セクションでした。検閲統制の眼は、こどもたちが大好きな漫画にも及びます。
1939年、「のらくろ」の田河水泡、「フクちゃん」の横山隆一らが日本児童漫画家協会なる団体を結成しました。これは内務省が検閲を一本化するためにつくらせたもので、検閲を担当する警保局図書課の係官が、同年4月11日付の東京朝日新聞「児童マンガの昨今」で、検閲の基準を美辞麗句にまぶして説明しています。同記事より引用します。文中ゴチック体は紙面に使用されているそのままの箇所で、引用者が手を加えたものではありません。
子供のための漫画は明朗で、健康で、教育的であってほしいのです。当局が俗悪なる漫画本など発売を禁止する等、厳重な取締を行って来てから、子供の漫画もやうやくよくなって来ました。
動物の世界を人間化したものでも健康ならよろしい。支那事変や、軍事物など軍当局とも協力して取締って居ますが、皇軍の威信を傷つけるやうなものもなくなりました。
ただ支那人をひどくけなしつけるものが多いのはいけません。彩色もあくどいものがすくなくなりました。
お母さんは子供によい漫画の本を与へるやう選択すべきですが、それだからといって全部の漫画の本をみるのも大変でせう。そこで当局でお母さん代りに検閲を厳重に行って居るわけです。漫画は新しい芸術なので、長い目で見てよきものを育てゝゆきたいと思ひます。赤本、十銭本が浄化されて来たので高級な本、高い雑誌の売行に影響すると心配する向(むき)もありますが、子供に安い、良い本を与へることは幸福です。漫画家が自ら児童に対して社会教育の指導階級をもって任ずるやうに向上して、その人が総親和的なる大同団結を示したことは賛成です。次に子供の読物から振仮名(ふりがな)をとったことに就いていろんな批評はきゝますが、その後の成績は極めて良好で、雑誌の売行にいさゝかも影響しないと報国に接し、又、教育家からも賛成を得て居ますので、この方針ですゝみさらに、読物の内容、漫画、挿絵に対しても一層良心的に向上する様に導きたいと思ひますがそれには結局家庭のお母さんたちの協力が必要で、いたづらに宣伝や広告にまどはず愛する子供によき本や雑誌を与へるやう選択して頂きたいのです。(引用おしまい)
作品のテーマ、表現、描写から彩色に至るまで当局が検閲するから、母親は安心して思考停止して、統制下の帝国検閲漫画をこどもに買い与えろと国家が言っているわけです。
ずいぶんとふざけた話ですけど、これが帝政日本国の常識。納得できない、従わない臣民は非国民とされました。今回の文科省(文化庁は外局)の補助金不交付は、こんなディストピアを再現するための助走でしょう。若いみんなも、作家が自由に描いたテーマの漫画を、自分の自由な選択で読みたいよね。補助金不交付は絶対に撤回させねばなりません。

行き着く先は小林多喜二

表現の自由が侵害される時は、作品や公開の機会だけが侵されるのではありません。作者本人の生命にも危険が及びます。最近の選挙では、往来の自民党候補・議員にヤジを飛ばすと、あちこちで警官に排除されるそうです。実力組織が国民の表現の自由を阻害できる時代なんです。次のステップは、きっと検束・逮捕。どの美術家、ミュージシャン、漫画家が逮捕・拘禁の栄誉に輝くのでしょうか。下手すりゃ拷問付きで戦後の小林多喜二の称号を冠する羽目に陥るかもね。歴史に名が残るぞ。
貧しい労働者の目を通して資本主義のあり方を告発した「蟹工船」で知られるプロレタリア作家小林は1933年2月、特高警察に逮捕され拷問死します。全身に打撲傷、首には細引で締めた跡が残り、外見からも内臓破裂が推測できたという遺体が家族に返されましたが、国家の小林へのむごい仕打ちは死後も続きました。
通夜、告別式にも警察官が動員され、外部との接触を遮断。弔問客16〜17人を片っ端から検束して、故人との面会を許さず、悲しみにくれる家族に恥をかかせ、さらに深い絶望の淵に追い落としました。
同年2月24日付の読売新聞夕刊「弔問客は全部検束 小林氏淋しく荼毘に」から引用します。読みやすくするため引用者が句読点を追加した箇所があります。
不審の死を遂げたプロ作家小林多喜二の遺骸は22日夜杉並区馬橋3ノ375の自宅で実母せき(61)、実弟三吾君及び友人江口渙氏の3人きりで同志から贈られたさゝさやかな花輪に飾られ淋しい通夜を行ひ23日を迎へたが、訃を聞き北海道から駆け付た(ママ)同人の姉夫婦佐藤藤吉、きえ氏(引用者注・多喜二の姉・ちまのことだと思われる)らは変りはてた弟の姿にしばし面もあげ得なかった。例によって杉並署からは20数名の制私服警官が出張、真向ひの空家に屯して前記の5名以外は絶対に近づけず弔問者は片ッ端し(ママ)から検束する厳戒ぶりであった。午後1時、近親達は心ばかりの告別式を行ひ堀之内火葬場で警官がギッチリ囲むうちに淋しく荼毘にふした。(引用おしまい)
小林多喜二の葬儀妨害は、表現統制世界の終着駅の一つでした。あいちトリエンナーレが今、21世紀の小林多喜二として葬られようとしています。
漫画世界では、萌え、BLといった権力の意に沿わない、理解できないものはクールジャパンとかいう、役人主導で決まったよくわからない名誉枠から選別除外されていくのでしょう。不二の傑作「風と木の詩」も、杉田水脈的、自民党的にお気に召さないのは言うまでもありません。名作だから国が発禁にする前に若いみんなも買って読もう。いや、そもそも発禁にさせちゃいけないんですよ。トリエンナーレ問題の本筋は、物事の優劣を権力の都合で決めて、「劣」にされた方はどんどん弾圧しても構わないとする論法はけしからんという話です。
“杉田文相所管”の芸術祭を想像してみましょう。作家たちがどんなに悲惨な目に遭うものか。展覧会を見に行った客も検束されるかもね。
表現者、国民ともに、今が表現の自由を守るための正念場を迎えています。

2019/09/08

TBSが進める言論の不自由

オウム事件を忘れたか

TBSテレビが自社制作のドキュメンタリーバラエティ「消えた天才」で、映像の恣意的加工を行ったと発表、以後の放送は休止するんだそうです。スポーツのプレイ場面を早回しすることで、紹介対象人物の身体能力を過大に見せる手法が番組内で常態化していたとのことです。TBSは過去にやらかしたオウム真理教サブリミナル事件なんて、すっかり忘却してしまったのでしょうね。
これは、同局がアニメ番組や報道番組内でオウムの教団代表の画像を一瞬はさみ込む手法を乱発した問題で、視聴者をミスリードする危険等の問題がじゃっ起され、各界から非難ごうごう、電波行政を管轄する郵政省からも厳重注意を受けました。教団による坂本堤弁護士一家殺害事件を助長したとされるビデオ問題と合わせ、ワイドショー制作を長期間やめるなど、放送局の信用を著しく毀損する一因となった、平成放送史に残る大事件です。元号が令和に変わったことだし、そんな黒歴史、もうどうでもいいってか?
7日放送のTBS「炎の体育会TV」なる番組中、競泳自由形の日本記録保持者と小学生を競わせる企画で解説者が「小学生はひじを曲げて水をかいているが、アスリートは腕を伸ばしているのが記録の差につながった」ような指摘をしていましたけど、全国の指導者、親御さんが右へならえして子供たちの泳法を変更する実害が出ないか心配です。成長過程なりの泳ぎ方もあるでしょうし、選手の個性を考慮したコーチングもあるでしょうに。「天才」「体育会」と、東京オリンピックを控えて、スポーツバラエティは調子に乗っています。幸か不幸か、テレビの無謬性(むびゅうせい)を信じている視聴者はいまだたくさん存在しますからね。倫理観の欠如が新たなトラブルを生まなきゃいいのですが。

映像加工のワナ

めざましい映像編集技術の進歩には目を見張ります。Avid、Adobeといった会社からリリースされているコンピューターソフトのおかげで、プロの映像作家のみならずアマチュアの高水準なネット投稿映像作品が量産されています。
例えばPremiereってソフトで動画いじって、Premiereと連携させたPhotoshopで文字入れる作業はチョー簡単。おかげで茶の間には、NHK・民放関係なく、無駄なテロップにまみれた汚いゴミ映像がだらだらだらだら送られてきます。赤の他人が作ったネットからの拝借犬猫動画にまで、勝手にテロップや効果音入れてテレビ放送。倫理・道徳感に加えて、著作権意識もプロのプライドもありゃしない。
映像の加工といえば、近年やたらめったら流行しているのが、古い歴史的ニュース映像のカラー化です。先んじて始めた欧米を追いかけるがごとく日本も、特にNHKが率先して進めている模様。
最近よく聞くAI技術で、モノクロ画面に適切な色を着けるというヤツで、静止画(写真)においても、首都大学東京などの学術機関が進めているようです(毎日新聞の参照記事)。
米中ロなどが開発を進めるAI兵器が、人間の意思の介在なく殺人を行った時、人命を奪う責任の所在が不明であると同様、映像加工にも歴史に介入する責任がだれにあるのか、ガイドラインや道徳的規制はあるのか考えなければいけませんね。
研究と実用との間には強固な倫理の壁が必要です。国の政府や情報機関、特定の思想に凝り固まった団体などによって、技術的には容易に史料が思う方向に改ざんされ得る時代を迎え、今回のTBSのような感覚で映像の管理・公開がなされれば、すべての映像資料の信用性は地に落ちます。

権力は介入する

モノクロ映像の“カラー化先進国”アメリカ合衆国では、30年以上前から白黒映画に着色、ビデオ販売する商売が一般化していました。御多分にもれずコンピューターの「AI技術による正確な再現」を錦の御旗としたソフト販売会社に怒ったミュージカルのスーパースターやアカデミー賞受賞監督ら銀幕の守護者たちが、連邦議会で熱弁を振るいました。
1987年5月13日付の毎日新聞夕刊「白黒映画のカラー化 米上院で“白黒論争”」から引用します。
【ワシントン12日=小泉特派員】白黒映画をカラー化するのは是か非か--を問う米上院の法務委員会・「テクノロジーと法律」小委員会の公聴会が12日開かれ、往年の名女優ジンジャー・ロジャースさんや映画監督兼俳優のウディ・アレン氏らが「勝手なカラー化は許せない」と次々に反対を唱えた。アカデミー賞授賞式にも出席しないほどふだんマスコミ嫌いの人気監督アレン氏が証言するとあって、狭い委員会室は報道陣や傍聴人で超満員の熱気となった。
白黒映画のカラー化は最新のコンピューター技術を使って、往年の白黒映画に色彩を着けてしまうもので昨年から急に企業化され始めた。ほとんどビデオ作品として売られているが、映画監督や俳優たちから「原作をぶち壊すもの」と強い抗議が起きていた。
アレン氏は、映画の中そのままの少々カン高い早口で、「カラー化はモラルの問題。我々の欲望社会の人工的シンボルだ」と熱弁をふるい、ロジャースさんも自分の出演作品のカラー化は「頭にペンキを塗られたように不愉快」と避難した。そのほか、ミロス・フォアマン、シドニー・ポラック氏など第一線の監督たちが次々と反対を唱えた。
これに対し、カラー化ビデオを製作するロブ・ワード氏らは、「非難は誤解だ。カラー化は原作を損なっていない。視聴者は簡単にだまされるものではない」などと反論した。
民主党大統領候補リチャード・ゲッパート下院議員もこの問題に関心を示し、「勝手にカラー化が出来ないよう著作権法を拡大する検討をしたい」と語った。(引用おしまい)
売れさえすればモラルは関係ないと言わんばかりの資本主義信望者に、妥協なき表現者の誇りがぶつけられた米議会のエポックでした。
売れさえすれば何をしてもいい? この理屈は週刊ポストの嫌韓特集と同じですね。視聴率が上げるために2割増しの早回し映像を放送するTBSも同じ穴に暮らすムジナか。
インパクトを求めた末の虚偽映像で視聴率獲得に猛進して行き過ぎたその先には何が待っているのでしょう。
権力による規制・締め付けです。引用した記事の最後に出てくる民主党のゲッパート(Richard Gephardt)議員は、貿易赤字対象国である日本叩きを主張してきた保護貿易主義者で、敵をつくって騒ぐタイプのポピュリストでした。映画のカラー化問題でも規制を打ち出しての人気取りを企んだようです。言論・表現の自由は、こうした資本的動機の暴走によっても奪われていきます。
平成の世でサブリミナル映像加工をやらかして行政の介入を招いたTBSテレビは、令和元年早々にも政府からお目玉と規制をもらって萎縮していくのでしょうか。「韓国人女性を暴行しろ」と示唆したコメンテーター、韓国人女性に暴言を吐くタレントが闊歩する系列局制作のワイドショーを流しておいて、だんまりを決め込むTBS。昨年発覚した、警察癒着番組での映像を鹿児島県警が没収した問題で視聴者に何もことわれなかった一件も、企業ガバナンスの薬にならなかったようです。
TBSテレビにおかれましては、くれぐれも規制強化でよその放送局、並びに一般日本国民を、自滅の言論規制・統制に巻き込まないでいただきたいと、くれぐれもお願い申し上げます。

2019/08/08

NHKとナチスの手口

ハイル、ジャパン!

愛知県の芸術祭企画展「表現の不自由展・その後」が、理不尽な放火の脅迫によって中止に追い込まれた事件を受け、まっさきに頭に浮かんだのは1933年にドイツで行われた焚書でした。
ナチス政権の価値判断によって反ドイツ的であるとされた書物が書店や図書館から集められ、公衆の集まる広場で焼かれました。官房長官や大都市の市長ら公権力が反日的だと弾劾した芸術作品が、文化そのものを焼失させるテロの脅しで公開にとどめを刺された弾圧には、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の子分どもによるベルリンでの所業に等しい気持ちの悪さを覚えます。
それじゃ次は何が起きるんだ、ってことですけど、ドイツに照らし合わせると、ヨゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)啓蒙宣伝大臣が行った帝国(国家)放送協会(RRG)の国営化とラジオ受信機の普及国策がもたらした宣伝・洗脳教育の極東版じゃないか。つまりメディアの弾圧・支配です。菅義偉官房長官が民業圧迫まがいの誘導でスマホの料金を下げにかかったことは記憶に新しいですね。戦前ドイツのラジオは現代日本のスマホ。事実上、報道部門の国営化に成功しているNHKのネット課金を強引に閣議決定したことからも、国威発揚イベントである東京五輪をきっかけに本格的に推し進めてくると推測します。
1936年のベルリン五輪を舞台にレニ・リーフェンシュタール監督がゲルマン民族の優秀性を打ち出した映画を作ったように、日本スゴイのプロパガンダムービーがスマホ配信されるかもしれません。「三丁目の夕日」みたいなノスタルジーの皮をかぶっているかもよ。くわばらくわばら。
戦後のニュルンベルク裁判で、ヒトラーの側近だったアルベルト・シュペーア(Albert Speer)は以下のように語っています。
「ラジオ・拡声機等の機材の力で、8千万人の国民は自らの思考能力を奪われた。(ヒトラー)1人の意向へ国民が服従させられるようになった」(米イェール大学の資料を参照、https://avalon.law.yale.edu/imt/08-31-46.asp)
NHKのテレビのみならずネット放送の視聴には、今後とも注意が必要だと思います。

帝国の犬HK

うがち過ぎ? 妄想? いやいや、RRGがナチスの所有物だった同時期、NHKにもまた古手メディアの新聞同様、国家の宣伝機関に成り下がった歴史があります。
黒歴史は繰り返す。繰り返さないためには、より多くの目で監視、注意喚起を続けねばなりません。今日は、戦時中の放送協会が軍国主義の犬だった事実を見ていくことで、今この瞬間もイヌ化が進む放送局と日本の放送文化、何より民主主義のさらなる劣化を防ぐ助けになれば、と願うものです。
1941年、放送協会は大東亜共栄圏構想、五族協和の理念、その他もろもろの大日本帝国の聖戦の正当性を世界に訴えるため、大胆な組織改編を行います。国際部を局に昇格させ、宣伝放送を打ちまくる体制を整えました。同年6月1日付の読売新聞「電波宣伝戦へ一役 放送協会が国際部を局に」より引用します。
澎湃(ほうはい)たるラジオ新体制の呼声に応えて“日本放送報国会”を結成、戦時下ラジオ事業の画期的刷新に乗出した(ママ)放送協会では小森会長以下首脳部で火華(ひばな)する世界宣伝戦に対応する強力機構改革を協議してゐたが、その第一着手として国際部の局昇格が近く実現をみる。
国際部の昇格は従来も海外放送の重要性に鑑み懸案になってゐたもので、デマ爆撃の尖兵として諸外国の電波が運ぶ執拗な“敵性”放逐に乗出す(ママ)とゝもに正しき日本の姿を電波に託して海外へ送らうといふわけで情報局との打合せ(ママ)をまって本格化を急ぐことゝなった。(引用おしまい)
皇国の興廃このプロパガンダにあり。逓信省エリートから会長職に就いた小森七郎以下、全局を挙げての日本スゴイ放送を全世界にとどろかすため、各員一層奮励努力せよ。
放送協会は、ありとあらゆるツテを頼り、外国語が話せる日本人、日系人、外国人捕虜らを総動員して、宣伝戦の最前線で奮戦しました。
1942年10月31日付の朝日新聞への佐藤泰一郎・国際局第2部長の寄稿「思想戦の武器 わが対外電波戦について(1)」から引用します。句読点の脱落があり読みづらい箇所に引用者の判断で句読点を挿入しています。国名についても、現代人にわかりやすくするため、補足説明を加えています。
(前略)現在我が海外放送は、欧州向、中南米、北米東部向、北米西部向、独逸伊太利(ドイツ・イタリア)向、豪州支那(オーストラリア・中国)向、比島東印度向(フィリピン・現在のインドネシア)、泰・仏印・ビルマ(タイ・現在のベトナムやカンボジアなど周辺・ミャンマー)向、印度西南アジア(インドとインド以西地域)向となっているが、これ等の方向に使用されてゐる言葉は、日本語、ドイツ語、イタリー語、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、支那標準語(北京語)、広東語、福建語、タイ語、ビルマ語、マレー語、ヒンヅー語(ヒンドゥー語)、印度土語(方言)、タガログ語、アラビヤ語、トルコ語、イラン語(ペルシャ語)等の多数により世界主要国語を網羅したといっても過言ではない。
なほ、これ等の言葉によるニュース、通信講演、演芸、音楽等の番組が同時刻に、異った(ママ)方向に送出される関係上、番組の延時間は毎日25時間を超え、短波送信機の運転延時間は実に52時間。人も機械も前線将兵と同様に不眠不休の活躍を続けてゐる。
現在この海外放送のマイクロフォンの前には、早朝から深夜まで多数の外国人が入れ代り立ち代り(ママ)帝国の崇高なる大東亜共栄の理念を故国に向けて叫び続けてゐるのであるが、彼等の眉宇には大東亜に平和が到来するまでは決して電波による説伏を止めないといふ気概を読みとることが出来るのである。
我が海外放送は、従来在外同胞の慰安と日本文化紹介に重点をおいて開始されたのであるが、支那事変、大東亜戦争の勃発とともに、かやうな消極的使命を棄てて、戦争目的遂行のために作戦、外交の両面と緊密な関係を保持しつつ活発な思想戦を展開してゐるのである。(引用おしまい)

スマホが推進する皇民化

国内には「勝った、勝った、また勝った」の大本営発表を垂れ流し、海外へはありとあらゆる言語を駆使して、大日本の素晴らしい文化文明を伝えんと日夜、口角泡を飛ばして国民の財産である電波を濫用していた我らがNHK。1943年8月7日付の組織改編では、国際局を2部から米州・欧州・亜州、編成、業務の5部組織に拡大しています。帝国との共倒れの道を暴走していったわけです。
敗戦74年の夏を迎えたNHK。「ニュースウオッチ9」は、徴用工問題ひとつとっても「韓国市民には冷静な人もいるんだから、文在寅大統領は冷静になって事態に向き合え」と韓国政府に非を押しつける論調で、日本国民に訴えかけます(7月18日放送)。
冷静になって事態に向き合う必要があるのはスタジオだ。本当にいいのか、そんなに一方的で? プロデューサーも、ディレクターも、キャスターも、みんな歴史に名が残るんだぜ。韓国人スタッフとともに働いているソウル支局も、それでいいんですか?
問題は国営放送NHKにとどまりません。民放でも、内閣府がつくってこどもに体験させる横田めぐみさんの拉致再現バーチャルリアリティなる、おぞましいニュースを、何の批判精神もなく垂れ流していました。VRを体験したこどもたちは北朝鮮を恐れ、憎むことでしょう。「鬼畜米英に捕まれば男は惨殺、女はレイプ」と吹き込んで、沖縄の民衆を自決に追い込んだ皇民化教育が重なります。
8千万ドイツ国民の思考力を奪ったラジオは、家庭や学校、職場でユダヤ人や外国政府への憎悪をあおるものでした。明日の日本では、通勤・通学の駅のホームであっても、大容量回線のスマホがBluetoothイヤホンを通してひっきりなしに、朝鮮半島の人たちや中国人を恐れ、嫌悪するような皇民化教育をほどこすことになるやもしれません。
マスコミって、こんなんで本当にいいのか? こんなので?

2017/07/24

前川喜平問題における読売新聞の「挙証責任」

前川・前次官を24時間テレビで走らせろ

24、25日の衆参予算委員会に前川喜平・前文部科学省事務次官が参考人として招致されます。
 以前の記者会見では、腰の引けた大手メディアに、加計学園の理事長を(取材で)つかまえろ、なんてハッパをかけるところなんかシビレちゃいました。記者連は後に引けませんね。理事長に突撃だ。副官房長官に食らいつけ。今治まで行って地元の中小土建の社長に飲ませ食わせて面白い話を取ってこい。
 出会い系バー通いの件だって、本人の弁の通りであれば、それは非難されるべきものではなく、むしろ賞賛に値するでしょう。こどもの貧困、女性の困窮を、風俗店で働く当事者からリサーチする。霞が関のトップにはなかなかできるこっちゃありません。
英国の作家ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」を思い出しました。ごうつくな守銭奴が、貧困の現場を現認して人生観を変える名作です。人の営みは美しいものばかりではないよ。赤貧の娼窟も、日雇いの仕事にあぶれたおっさんがさまようドヤ街も、PTSDもLGBT差別も出てこない、わたせせいぞうの漫画みたいな一億総クリーン・総ハッピーな社会など実在しません。
日本テレビは前川さんを24時間テレビのマラソンランナーに起用すればよろしい。こんな美談を備えた感動物件、10年に1度とないぞ。毎年毎年、目の不自由な人をキリマンジャロに登らせたり、車椅子の若者を泳がせたりして、障がい者を食い物にイイ話撒き散らして散々飯食って感動を提供してきたじゃないか。加計問題が来月まで尾を引くようなら、国会前をゴールにして「サライ」を大合唱、そのまま証言に送り出せ。

読売とNHKの新聞協会賞候補

以上に述べたような中身は詮索されるべき国民の関心事ではありません。前川さんが聖人君子だろうが極悪非道であろうが、本来はどっちでもいいんですよ。要は、言っていることが正しいのかウソっぱちか。
ところが、読売新聞が前川さんの出会い系バー通いを「公共の関心事で公益にかなう」と報道、人格問題をこしらえたから話がややこしくなっちゃいました。世間では、この報道が「政権および経営のトップレベルのご意向」なのか、読売の存在意義についても心配しているわけです。先日の閉会中審査でも前川さん自身が「この国の国家権力とメディアの関係は非常に問題がある」と指摘しています。国会の場ですよ。
読売新聞には、そうではない、公共の福祉に基づいた報道である旨を、読者と国民に示す、流行りの言葉でいえば挙証責任があるのですから、続報ならびに編集の信念を改めて紙面で訴えてもらいたいものです。
この「特ダネ」が絶対の物であれば、新聞協会賞の候補に自薦してるんじゃないかと、同協会のウェブサイトをのぞいてみました。
違った。読売新聞社の新聞協会賞ニュース部門候補は「『憲法改正2020年施行 9条に自衛隊明記 安倍首相インタビュー』のスクープ」だそうです。安倍さんが熟読しろと言って、自民党の石破茂議員が「熟読したけど全然わからない」と延べた、難解なヤツですね。なんじゃ、そりゃ。
 ちなみにNHKは、「『安倍首相 真珠湾 慰霊訪問へ』のスクープ 報道局政治部副部長兼解説委員 岩田明子」。こっちはプロパガンダの構図がわかりやす過ぎて大爆笑。現場の放送記者たちが不憫でなりません。

美しい新聞・読売を取り戻す

メディアの役割とは何でしょう? 読売新聞就職希望者向けに書かれた書籍「ジャーナリストという仕事」(同東京本社教育支援部編・中央公論新社)によれば、「真実を追求し、不正と戦う」「物事を正確にできるだけ多くの人に伝える」「国の将来を憂い、あるべき姿を提言していく」とあります。
2008年に出されたこの本、今となってはツッコミどころ満載のトンデモ本扱いですが、実践はともかく、主張しているポイントは間違っていないでしょう。 今日は、その素晴らしい読売新聞が、不正を正し、物事を正確に伝え、国の将来のあるべき姿を提言した素晴らしい記事を紹介します。
 1975年、四国電力の山口恒則社長は、経済専門誌「国際経済」のインタビューにこたえました。この中で「我が国の原発の建設は相対的に早過ぎた」「安全審査にも問題がある」と話したそうです。山口は通産省から四電へ天下った元官僚でした。官民の原発行政・ビジネス双方の表裏を知り尽くしたエリートによる、「原発は危ない」発言。大事件です。 科学技術庁は激怒、佐々木義武長官、生田豊朗原子力局長らが山口を呼びつけてどう喝します。この問題が衆院科学技術特別委員会で取り上げられました。同年6月26日付の読売新聞「『原発批判取り消せ』 科技庁、電力社長しかる」より引用します。
(前略)生田局長は「あの記事を見て怒りを覚えた。四国電力には原発を建設する資格がないと思った」と答え「ただちに山口社長を呼んで真偽をただし、しかりつけた」と語った。 湯山(勇・社会党衆院議員)氏はこの答弁に、「政府の欠点を正しく批判したのにしかるとは筋違いだ」と再答弁を求めた。しかし、生田局長は「山口社長の釈明を一応は了解した。私だけがわかっても活字になったものを読んだ多くの人の理解は得られないのでマスコミを通じて取り消すよう求めた」と強気で、同局長は、これは、原発の監督官庁とそれを受ける立場の電力会社という公的な関係での発言訂正要求であり、この要求が入れられなければ行政上の措置を取ることを明らかにした。また佐々木同庁長官も「山口社長は通産省から四国電力に出た官僚出身で、よく知っているので呼んだうえ、“山口君の失言だ”ときつくしかった」と答えた。(引用おしまい)
 政治家と役人のむき出しの思い上がりが表れた一件です。自分たちのやること、思うことは絶対に正しい、下々は従え、異論は認めない、と国会で宣言しているわけです。「四国電力には原発を建設する資格がない」との、自分が神であるかのごとき一言には身がすくみます。フクシマは起こるべくして起きたのですね。 そんな権力の横暴を正すのがメディアのお仕事。この傲慢を読売は徹底的にコケにします。同27日付の「編集手帳」から引用します。
(前略)この社長さん、経済専門誌でインタビューに答え、わが国の原子力発電所の建設は相対的に早過ぎた、安全審査にも問題があると話したという。まことにもっともな発言で、一点の非の打ちどころもないように思えるが、どういうわけか、科学技術庁という役所のえらい人たちはこの記事を読んで「怒りを覚えた」のだそうだ。 まあ、人間だれしも人に触れられたくないところがあるもので、そこをつつかれると毛を逆立てて、怒り出す。役所も似たところがあって、幹部連中、腹の底では原発はどうも早過ぎた、安全審査にもっと力を入れればよかったと、くやんでいるのに違いない。怒ったのはそこをつかれたせいだろう。 だから、ただ怒るだけならそれは自由だが、この局長氏、社長を呼んでしかりつけ、取り消さなければ行政上の措置をとるといきまいた。はてさて、四国電力というのは、確か純粋に民間の会社だったと記憶しているが、思い違いであったか。一体いつから科学技術庁にアゴで使われる下部機関に、改組されてしまったのか。 それとも、言論の自由が保証(ママ)されているはずのわが国で、みんなが知らないうちに科学技術庁設置法が改正され、所管事務に「原子力行政に関する批判をしかりつけ、取り消させること」といった条項が、追加されたのだろうか。余計な口をきくなと言わんばかり、まるでそのへんの全体主義国家を思わせる、言論の圧伏だ。 原発に都合が悪いことは、口が裂けても言えない仕組みなら、電力会社の結構ずくめの話を住民が疑ってかかるのも当然だ。「むつ」(注・放射線漏れを起こした原子力船)がきらわれ、原発反対運動が起きるのも無理はなかろう。ほかならぬ原子力行政自身が、原子力開発の足を引っ張っていることがおわかりか。(引用おしまい) 
40年以上前の記事でありながら、現在にも通じる立派なものです。福島第一原発事故問題のここまでの迷走はもちろん、先日の原子力機構の被爆事故で露呈したように、現在も原子力行政のひずみは、福島のデブリのごとくダラダラと表出しています。
メディアは同時代史ともいうべき、“歴史”を日々刻むべきもので、その報道は史料として時の風雪に耐えねばなりません。1975年の読売新聞の原子力行政批判は、その典型例だと思います。読売は 前川問題の挙証責任を果たした上で、不正と戦い国民のための国の将来を提言する新聞社の姿に立ち返ってもらいたいものです。

2017/05/04

おかしなおかしな改憲論議

「情緒」で憲法を語る総理大臣

3日の憲法記念日に、神道政治連盟の改憲推進大会に安倍晋三首相がビデオメッセージを送ったニュースが流れてましたけど、何だったの、アレ? 自衛隊の存在を9条に明文化するってヤツです。
国のあり方を決める基本の法律が憲法。行政組織の根拠をいちいち書き込む法規範・根本法なんて聞いたことがありません。感情で法律を左右しちゃいけませんよ。
憲法25条に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とありますが、保健所をわざわざ条文に加える必要はないし、30条で納税の義務が定められているからといって税務署を憲法に書き入れますか? 自衛隊員の皆さんの日々のご苦労は理解しますが、国民のために懸命に働いているのは保健所も税務署員も同じでしょ。自衛隊への国民の信頼は9割を超えているから憲法に名称を入れる理屈なら、同じく支持率9割を超えているであろう保健所も入れなくちゃいけない。職業差別はよろしくありません。
情緒で法律をいじられたらかないません。特に改憲ともなれば、改定によって日本をいかなる国としたいのか、その「理念」を語ってもらわないとさ。総理大臣が床屋清談まがいの情緒のみで国の将来決めたら、国際社会からも幼稚な人に見られちゃいますからね。
野党もダメなんだよね。「立憲主義に反する」と言うだけじゃ批判の論拠が有権者に伝わらないでしょ。立憲主義とはどういうもので、安倍さんの言葉のどこが、憲法の考える国のあり方のどこに抵触するのか、かみ砕いて具体的に発信しないと、何も伝わりませんよ。

「権力をおそれない権利」

現行憲法は、参政権や男女同権を含む基本的人権を我が国に初めてもたらしました。4月30日の「NHKスペシャル 憲法70年“平和国家”はこうして生まれた」の調査報道でも改めてわかりましたが、平和を希求する日本人たちが、連合軍総司令部と一緒に練り上げたものです。
70年前、初めて国民に付与される「公民権」を広く知らしめるため、GHQは記者会見を開き、その立法の理念を広報しました。
1947年5月1日付の読売新聞「歴史的新憲法の実施」から引用します。
(前略)公民の自由、すなわち民権とは個々人が法律に基く(ママ)正規の手続きによる以外他のいかなる干渉も受けることなしに行為と自己のもつ財産の享受を確保する権利であってこれはまた個々人が一切の公務にたいし自由にそしてなんらの差別もなしに平等の基礎に立って参加する権利でもある。また自己の良心の命ずるところに従って考え、話す権利であり、一切の人間が自分の信ずることを支持しさらに自己の信念にたいしては自分で責を負うという権利である。男女を問わずあらゆる人が白昼公然と外を歩き、いかなる人にも制度にも屈せず、どういう権力や圧力をもおそれない権利なのである。同時に個々人が自分の判断に基いて社会にたいする自分の責任をとりそれを遂行する権利である。
信念を持った自由な社会の人ならば他の人々が何をいおうと決しておそれない。彼は他人が彼に損害を加える事の出来ないことを知っているし、彼が悪いと考えたことを強制的に承認させられたりしないことも知っている。また彼は不公正な法律を非難しその廃止を要求する自由を持ち彼が人民の利益に反すると考える官吏のあらゆる行動に公然としかも精力的に反対する自由を持つとともにこれらの法律を変更し、このような官吏を罷免するために公民権を行使する自由のあることを知っている。
(中略)今日本国家における政府の地位と責任はきわめて重要である。責任ある日本の民主政治を目指して政府が平和的かつ漸進的(ぜんしんてき)な進歩を確保すべく努力していることは十分認められている、一部日本官吏の間にみられる伝統的な制度へ復帰の傾向、すなわち国民の意見にはお構いなしに国民にとって良いとか正当だと思われることに基いて決定が行われるというような傾向、それは統治よりはむしろ支配にすぎないのであるが、かゝる傾向は徹底的に廃棄されねばならぬ。いかに地位が高くとも官吏には、正当な市民的経路および過程を通じて形づくられ、表明された個々の日本国民の欲望、要求、決心などを無視したり、反対するような法的ないし道徳的権利はないはずである。
政府の官吏は国民に対する責任を引受け(ママ)これを果さねば(ママ)ならぬ。選ばれて公務上の指導者となったものは、昔からの標語や古ぼけた封建的習慣伝統をしりぞけねばならぬし、また暴力で脅かしたり公平な利益を與えない(あたえない)といって圧迫したりして人々が公然と公務に参加するのをさまたげることに対しては公然と抗争非難せねばならぬ。これこそ民主主義の精神である。
日本国民は各自が自由な生活を営む権利と自分たちの官吏を選んで国民の決定と判断に従うことを要求する権利を持っている。新憲法のもとでは、各市民は自由な社会の構成分子であり、この社会の力はその成員の非利己的、自発的な協力から発するものである。(引用おしまい)
国民が公僕の上位に位置する、民主国家日本国家のあり方をわかりやすく説明したものです。理念を理解すると、私たちは良い憲法のもとに暮らしているのだなあ、と改めて感じます。この理念あって私たちは民主主義国家で生活できるのですが、「男女を問わずあらゆる人が白昼公然と外を歩き、いかなる人にも制度にも屈せず、どういう権力や圧力をもおそれない権利」があるはずなのに、共謀罪法案が国会に出てくるってのはどういうことなんだ? ありゃ違憲じゃないのか?

文句を言う権利が自由を守る

憲法記念日を前に、各メディアが改憲の是非を問うアンケート調査をやりました。でも、あの結果は国民の意識を本当に反映しているんですかね。中国の外洋進出、北朝鮮の核実験やミサイルの問題があって、改憲事案の一般的なイメージは9条に限定されがちに見えます。「人権の保障」を意識して答えた人はどのくらいいたんでしょうね。憲法によって保障された民権を知らず、行使の主張をしなかったら、「官吏の統治」は戦前みたいに「支配」へたちまち逆行しちゃわないでしょうか。
軍国主義に長年へつらってきた当時の日本人の間に民主主義が定着するかどうか、GHQも相当な不安を抱えていたようで、憲法施行直後に再び記者会見を開き、国民に注意喚起を行っています。
1947年5月18日付の読売新聞「“責任ある自由” 新憲法と個人の発見」より引用します。
(前略)現在では日本の政治面の支配的要素としての個人の重要性が次第に日本人の中に芽生えて来ている。何百年に亘る(わたる)ものの考え方や慣習が一朝一夕で衣更えできるものではない。また個人の自由とは無制限の自由を意味するものではなくむしろ負うべき義務と責任をわきまえた近代社会の責任ある構成員が享受し得る自由である。
それは各個人をして単に人間としてのみならず人間社会の責任ある構成員としてもまた自らを完う(まっとう)せしめる自由のことである。この“責任ある”という言葉は意義が重大である。
法律も官吏もこの責任を強制することはできないが公民各自が責任の遂行を怠ったならば必ずや自由は失われ、権利は否定される結果となるであろう。(引用おしまい)
“責任ある自由”とは、自由である権利を常に主張せねばならない、ってことですね。黙ってないで、官吏に文句を垂れろと。さもなくば共謀罪がやってきて、必ずや自由は失われ、権利は否定される結果となるんですよ。

2017/04/23

丸山真男から見るNHK、井上ひさしから読む朝日新聞

「政府のための報道」なのに

NHK「ニュースウォッチ9」で放送した日中両国の国旗の配置がけしからんと、自民党の副大臣らが激怒、放送局を攻撃しております。
政権与党のためにニュースを取捨選択。内閣支持率が上がるよう、さらには憲法改正を望む人がたくさんいるよう見せるために世論調査の設問の文言をひねり回し、サンプルの分母も小さくして、これ以上ないほど努めてきたのに、この仕打ちです。かわいそうな公共放送。
犬に例えるなら、尻尾を振るだけ振り倒し、寝転んで腹部をさらして恭順の意を示してきたというのに、その無防備な腹を主人に蹴りまくられた状態ですね。問題にされた自衛隊機の対中スクランブル頻発の報道だって、もとはと言えば外敵の危機をあおる永田町向けのサービス。防空識別圏の多くが重複する国同士であれば、そうそう珍しいことではないでしょう。
自民党議員の思い上がった態度は論外とはいえ、放送局にまったく非がないのか、と問われれば、疑問符が付きます。民主主義国家にあって、放送局に付与された報道する権利を放棄してしまったツケではないですか。
丸山真男に「『である』ことと『する』こと」という有名な一文があります。憲法12条の「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」を挙げ、主権者である国民が、自由と権利をたゆまず主張せねばならぬ大切さを私たちに求めています。
(前略)つまり、この憲法の規定を若干読みかえしてみますと、「国民は今や主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ、空疎な説教でもありません。それこそナポレオン3世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程が指し示している歴史的教訓にほかならないのです。(同文より引用おしまい)
丸山が指摘した憲法の規定をNHK的に若干読みかえしてみましょう。「放送局は今や報道者となった、しかし報道者であることに安住して、その監視する権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや報道者でなくなっているといった事態が起こっているぞ。」という現実になっているわけなのです、これは大げさな威嚇でもなければ、空疎な説教でもありません。それこそ天皇の統帥権侵犯クーデターとも言える満州事変以来、集団的自衛権の憲法蹂躙に至るまで、最近80余年の腰抜けた道程が指し示している放送的教訓にほかなりません。

戦前の検閲基準

戦前の内閣情報局による冊子「大東亜戦争放送しるべ」で定められた当時の検閲基準をNHK編集の書籍「日本放送史」に見ることができます。
現在国民にとって放送適当なりや否や(国民に知らせるべきでないニュースは伝えてはならない。政府与党に不利益な国会中継などは放送しない)
日本的・枢軸的観点にありや否や(日本放送協会が伝えるニュースは日本政府与党的観点に立脚すると同時に、同盟国である米国にとって不利であってはならない。客観的観点にある報道はシリア・北朝鮮等の謀略宣伝がニュースの仮面をかぶっている場合が多く、排撃さるべきものである)
政府に協力的なりや否や(国民世論決定の上に多大な力を持つニュースは、あくまで政府に協力的、推進的でなければならぬ。内閣支持率・憲法改正にかかわる世論調査の設問、サンプル数の決定等においても配慮欠くべからず)
敵に逆用されるおそれなきや否や(我に不利な報道はもちろん、敵の好んで逆用するような報道は避けねばならぬ。首相夫人付官僚の予算裏情報FAX、総合テレビでの原発事故詳報、共謀罪構成要件の具体例などがこれにあたる)

情報局なんてとっくになくなっているのに、何をどこに義理立てしてるんでしょうか?
現在、近未来の国民生活を左右する大事といえば共謀罪の国会審議です。実際に犯罪に手を染める「正犯」でないと罰せられない、憲法で保障された主権者の権利が、行政の判断で処罰されるという、現行の法体系を根本から変える大問題。テレビからはたまに担当大臣、副大臣、官僚の言うことが違う旨が流れてきますが、法案の全容が伝わってこないから、国民は何がなんだか理解できない。共謀罪が成立したらテレビ局なんか最初に手足を縛られそうなんですけど。

朝日新聞の「伝言ゲーム」

共謀罪の論議は、新聞でもほとんど盛り上がっていません。法律に対する独自の想像力が読者に届いていません。
図書館で1958年秋の縮刷版を開いてみました。岸信介内閣による警察官職務執行法改正問題が日本中を席巻した時です。同法案は、警察官の権限を拡大し、令状なしでの身体検査、保護名目の留置ができるようにするというものでした。国民的反対運動が巻き起こり、つぶれた法案ですが、戦前を知る社員も多かった毎日・朝日などの新聞が行った論点の整理、理論立てられた反対のキャンペーンからは、命がけの思いが伝わってきて、約60年後に縮刷版に目を通す読者の胸をなお熱くするものです。今の新聞は何やっとんじゃ、って話になるんですが、活字メディアの方も放送局同様の萎縮かいな。そのうち何かの事件で調査報道チームを作ったら共謀罪で引っ張られるぞ。
そうした疑念を抱かせる妙な記事を、昨年の朝日新聞で見かけました。気になる記事をスクラップするのは、皆さんよくやるでしょうけど、何か理解できない気持ち悪さから切り抜いたものです。2016年1月27日付の同紙「ポーランド 守るべき民主化の精神」から引用します。
(前略)ポーランドでいま、司法と報道の操作を狙う政府の介入が目立つ。昨秋に発足した保守強硬派のシドゥウオ政権による露骨な法改正や人事である。
(中略)新政権は憲法裁判所の制度を変え、違憲判断を出しにくくした。司法の監視機能を骨抜きにするためだといわれる。
テレビとラジオの公共放送の人事を政府が握るように法律も変え、政権寄りの人物をトップに据えた。政府に批判的な記者は次々と解雇された。
国内では抗議デモが起きているが、政権は意に介そうとしない。独断でさまざまな制度の変更を進める構えだ。
(中略)しかし、議論や説得を省き、効率よく統治しようとする乱暴な政治は、安定した社会をもたらさない。民主主義とは本来、面倒で煩雑なものであり、その手続きがあってこそ、政府と市民の間の信頼が生まれる。(引用おしまい)
ポーランドの政体批判。しかし記事が出た当時の我が国では、内閣法制局長官人事が集団的自衛権容認が容易になる配慮でなされていました。公共放送の会長はといえば、「政府が右と言うものを左とは言えない」と公言する人物で、学生たちが結成したSEALDsのデモ活動も盛んにニュースになっていました。つまり、この社説は東欧の国をダシに、日本政府批判をしているようにしか読めないのです。あてこすりしかできない新聞なんて要らないよ。ポーランド人にも失礼だしね。

情報の寄る辺はいずこに

井上ひさしは言論弾圧に敏感な作家でした。有名企業の社史を集めて戦争を読み解く「社史に見る太平洋戦争」(新潮社)なんて本を出した人です。井上の嗅覚に、朝日のポーランド社説のナゾを読み解くカギがありました。1988年7月9日付の同紙夕刊「窓」より引用します。
(前略)小説を書くために、あの太平洋戦争末期の昭和20年ころの朝日新聞をていねいに読んでみて、「びっくりするような発見をした」と井上さんはいう。
「1面とかは、陸海軍の発表など勇ましいことばかりだが、意外なところにすごいことが書いてあるんです」
(中略)「ある記事は、東京の大会社の月曜日の出勤率を調べ、通常の半分の人が欠勤してることを知らせている。日曜日はみんな買い出しに行ったりして疲れていること、出勤できない状態なのが、わかるように書いてあるんです」
「あの厳しい言論統制の時代に、その記者は隠されたメッセージを懸命に送っていたんですね」
(中略)信頼される新聞をつくること、二度と「隠された伝言」の時代にしないことの大切さを、改めて思わずにはいられない。(引用おしまい)
私たちは今、再び伝言ゲームを読まされているんですか? 新しい戦前を迎えて、「隠された伝言」が朝夕に配達されているのでしょうか?
丸山が言及した憲法12条にある、国民に保障された自由と権利を保持するための不断の努力への情報の寄る辺を、どこに求めるべきなのか。不安な時代になりましたね。

2016/04/22

高市早苗総務相に求められる国際発信力

国際連合人権理事会ごときが、大日本帝国に対する“報道の自由”調査とは笑止。リットン調査団以来の迷惑な外圧だ。国連など脱退してしまえ。
日本ほどマスコミを大事にしている国家は他に例を見ぬぞよ。世界に冠たる記者クラブ制度を見よ。行政が何事においてもプリントして説明、詳細なる発表に努めておる。取材などせずとも、役所が提供する情報サービスのみによって、広範なニュースを国民に届けることができるではないか。国体に都合の悪い特ダネなど書く必要はない。第一、特ダネには超過勤務が付き物ではないか。社会の木鐸(ぼくたく)たる報道機関が、社員に労働基準法違反を犯させるわけにはいくまい。
それゆえ2016年の帝国では、“スッパ抜き”などという、過去の悪弊撲滅に成功しておる。かつて「特ダネ記者」「トップ屋」と名乗った悪人どもは駆逐された。記者クラブさえあれば、秘密保護法などこしらえるまでもなかったわ。
政府は報道機関に十分な説明を尽くしておる。多忙を極める総理大臣はじめ政権幹部が、数多くの“ジャーナリスト”たちに時間を割いて会食を重ねているではないか。新聞・テレビの社長連も大喜びで尻尾を振っておる。我が国が誇る美しい和の精神世界を解さぬ、欧米の合理主義に毒されたリットン調査団もどきの讒言(ざんげん)に耳を貸す必要があろうか。閣僚がテレビの電波を止めると言ったところで、電波のトップが面と向かって文句を垂れた話など聞いたこともないのう。
国論の統一に志を同じゅうする近隣国家と手を携え、国際社会の圧力に抗するのだ。日中朝3国停波協定を締結せよ。国連など脱退してしまえ。
松岡洋右を呼べ。国連で脱退の旨演説せしめよ。大日本帝国は、まさに人権の十字架に縛られたキリストであると、あの名演説を再現するのだ。
何ぃ、松岡は死んだ? それなら代わりの適任者を出せ。そうだ、高市なんとかいう総務大臣が良い。あれはブレないからな。公共の電波を国が流すの止めるのと、なかなか口にできるものではないわ。国際的常識や人権の普遍的価値など逐一気にしていたら、国家の大事は成せぬ。国連で停波演説だ!

報道の状況調査に来日したデビッド・ケイ・カリフォルニア大アーバイン校教授の熱心な面会要請を、高市早苗総務相が拒絶しました。国会の会期中を理由に断ったそうです。大臣って忙しいんですね。例大祭真っ盛りの靖国神社参拝には国会に関係なく行けるのに。実に残念です。
2月の衆議院予算委員会で二度にわたり言及した「停波の実行」。後日、発言を撤回する必要のない旨も改めて答弁していますから、言い間違い、うっかり発言の類ではありません。政治家としての信念なんです。何を置いてもケイ氏と面会して、自由主義国家における“暴走メディア規制”の必要性を国際社会に訴えるべきでした。
いったん国連を納得させられたら、権威に弱い国民なんてちょろいもんです。夏の参院選、または衆参ダブル選の争点を「停波」に据えて闘いましょう。マスコミ規制公約の前では、ただでさえだらしない野党共闘など赤子の手をひねるようにたたきつぶせましょうや。
高市大臣に限らず、日本の政治家の海外への政策発信力が極端に弱いのはなぜでしょう。最近で思い出すのは、「アベノミクスを買え」とかいう首相の寝言ぐらい。その寝言だって、近ごろはすっかりメッキがはげてだれも相手にしなくなりました。以前記事にした敗戦コンプレックスが、いまだに政治家の呪縛となっているのでしょうか。海外メディアに厚い記者クラブの門戸を閉じ続けているのも、外国人へのコンプレックスに起因しているのかもしれません。
日本以外の自由主義国家の閣僚には、外国人記者との交流を積極的に図る人たちがいます。例えば英国。
1970年代のイギリスは、競争の妨げとなる階級制度、自動車製造など重要産業の国有化、勤労意欲の低下等から、英国病と呼ばれる深刻な経済停滞に侵されていました。持ち前のブラックユーモアとともに政権批判を繰り広げる国内メディアはもちろん、ロンドン駐在の海外の新聞社も経済への無策に攻撃の手を緩めませんでした。ジェイムズ・キャラハン内閣の外務大臣デビッド・オーエンは、外国メディアに自ら“公正な報道”を訴えました。
1979年2月16日付の毎日新聞「アンテナ 英国の悪口もうやめて」(黒岩特派員)から引用します。
「英国の悪口を言うのはもういい加減にしてくれ」ーーこのほど行われたロンドン在住外国人記者団との昼食会でオーエン外相がたまりかねたように訴えた。この1カ月、英国紙ばかりか、外国紙かが英国のこととなるとストの話のオンパレードなのにネを上げたらしい。「それより英国のいいところを見てくれ」と、自国の宣伝を仕事とする英外相は英国のイメージ低下防止に必死。オーエン外相をいらだたせたのは「英国の憂うつ、英国の暗い運命」についてばかりマスコミが書きすぎた点にある。
もっとも、同外相は外国人記者団に訴えるに当たって、反省の態度も示した。「大英帝国時代わが国の産業が植民地におんぶしていたことは自明である。その代価を支払わざるをえなかった。製造業の国として産業革命を起こしたわが国が、戦後、製造業に投資し、製品を売らねばならず、それ以外に再生の足がかりがないことはわかっていた。だが、経済問題の根は深く、難しい」ーー。
この自己批判の後の口調は一転、「だが、だれも英国から逃げ出そうとしないし、英国へ来たがっている、それを忘れないでほしい。英国にもいいところがある。それをジャーナリストは見落としている」という。「フリートストリート(新聞街)にだけいるのでなく、地方に出て国をよく見てほしい」ーー。現場をよく見てほしいとの呼びかけは英国の新聞にだけ頼りがちな外国特派員にやや耳の痛い話だ。
英国のいい点の例として同外相は指摘する。「74年ー5年のインフレが27%だったのを76年から20%、15%に、そしていまや8%にまで下げた。3年間でこれほどインフレ率を下げた国がどこにあるだろうか。国民は生活水準を下げてまでそれに耐えたのだ」。しかしそれだからこそ国民は政府に反発していまストをしているのだが……。
(中略)暗さを目の前にして「暗さより明るさを見よ」とオーエン外相の訴え、果たしてきき目があるかどうかーー。(引用おしまい)
コメディドラマの1シーンのような哄笑を呼ぶオーエンの一策。とはいえ、海外の報道陣に大英帝国の美点を伝えるよう、肉声をもって訴えたイギリス人の試みは、国連の調査員相手にだんまりを決め込む日本人より、よほど政治家の責任感を感じさせられるノーブレス・オブリージュ(社会的責任を果たす道徳観)の実践ではありませんか。
公共の電波を止めるノーブレス・オブリージュとは何か。ケイ教授はじめ世界に向かって発信する姿勢が、高市さんに求められます。

2015/10/25

顔のないアベ新聞たち

ドイツ映画「顔のないヒトラーたち」を鑑賞しました。戦後13年の西独で、アウシュビッツでの殺人に加担した罪人たちをあぶり出し、裁判に持ち込むまでの若き地方検事らの姿を描いた、実話を元にした作品です。
1958年当時のドイツでは、ユダヤ人強制収容所の存在が一般に知られておらず、仮にその名を知っていても、それが保護拘禁施設だと誤解している人もいたようです。
主人公たちは、執拗な妨害と捜査への非協力に遭遇します。何しろ、ある程度の年齢に達した市民はスネに傷持つ輩ばかり。それらをはね返して裁判までこぎつけるのですが、ハンサムな検事も、コンビを組む新聞記者ら周囲の応援団も、正義感に燃える月光仮面や仮面ライダーではありません。重い過去と、それを引きずる現在を背負い、もがき続ける、心の弱い一個人ばかり。社会や組織に依存して生きざるを得ない人間たち、弱い個人に何ができるのか、とのテーマを観客につきつけた秀作でした。
今の日本で、メディアに所属する個人が思考停止して権勢に流されるままとなれば、それは媒体の安倍チャンネル化、アベ新聞化であると言えます。例えば朝日新聞。
22日付の夕刊1面トップに、文化の日の名称を明治の日に変更しようとする運動を報じる記事がデカデカと掲載されました。ほんの一部の戦前回帰派によるチマチマした欲望にすぎない狂信的な妄動を、天下の大事であるかのごとく報道する必要があるのでしょうか。
こんな駄ボラを大きなムーブメントだと、読者に誤解させる要素を含んだ報道ではないのか。反対意見も載せたから両論併記だってか? それで不偏不党だってんなら、憲法9条改訂運動だって1面で堂々と掲載すればよろしい。反論くっつけりゃいいんでしょ。
朝日は23日付朝刊でも怪しい記事を載せていました。「参考人学者の意見指摘を問題視 自民、船田氏を更迭へ」から引用します。
(前略)憲法改正推進本部は党総裁直属の機関。野党時代の2012年、「国防軍」などを盛り込んだ保守色の強い憲法改正草案をまとめた。(太字は引用者による。引用おしまい)
手元の広辞苑によれば、「保守主義」とは「現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会組織を固守する主義」とあります。戦後70年、我が国は現行憲法の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(9条2項)を堅持してきました。これを守るのが現状維持たる「保守」であるはず。草案は「反動色の強い」と書かれるべきですが、朝日が「保守色」と言い換えたことで、その過激性が弱まっています。読者をミスリードしようと画策しているんですか。それとも、これだってバランスに気をつかったフヘンフトーの一例なのでしょうか。
毎日新聞はどうでしょう。違憲の疑いが極めて濃いと言われる安保法案が参議院で強行採決された翌日の9月20日付の社説「安保転換を問う…法成立後の日本」から引用します。
(前略)新法制の成立で私たちが失ったものもあるが、希望も見えた。
多くの人が安全保障や日本の国のあり方を切実な問題として考えるようになったことだ。
憲法学者、法曹界、労働組合、市民団体だけでなく、これまで政治への関心が低いと見られていた若者や母親ら普通の市民が、ネットなどを使って個人の意思で声を上げ(ママ)、デモや集会に参加した。これらの行動は決して無駄に終わることはない。(引用おしまい)
何を言ってやんだ、って感じです。SEALDsの学生ら市民を持ち上げているのですが、法案の是非を問うべき大事な時期に、戦後70年談話なんてアホみたいな言語浪費の文言に日々延々拘泥して紙面をつぶしといて、いざ成立したらマスコミュニケーションがミニコミュニケーションに希望を託すって何だよ。マスコミとして法案に対し、何をしようとして何ができなかったのか表明していただきたい。
両紙とも、消極的参加の名のもとにアベ新聞となったとのそしりをまぬがれますまい。愛国心はならず者たちの最後の避難所だと言った人がいますが、朝日と毎日は、不偏不党を臆病者たちの避難所にしているのでしょうか。
臆病者は読売新聞に学びましょう。1950年代後期の読売「編集手帳」は、編集綱領を声高に叫んだり読者の反応に逆ギレしたりと、時に感情的となる筆圧が実に刺激的な読み物です。縮刷版を図書館のデスクで読んでいて、つい辺りをはばからず、ぷっと吹き出すこともある、その熱がすごい。木で鼻をくくったようなチューリツロンなんかより、よほどためになります。1958年10月1日付の同欄から引用します。
(前略)おんなじ事の繰り返しはニュースにはならぬという。いや、それはニュースであるにちがいないのだが、鈍くなった老記者の感覚は、もはやそのことに“新鮮なおどろき”や“おう盛な好奇心”を感じなくなっている。
これではいけない。わたくしたちはつねに起伏する事象に対して“新鮮なおどろき”を感じなければならぬはずだ。金門、馬祖の砲声(注・この年、中国人民解放軍が台湾・金門島への侵攻をめざし島を砲撃した)にもはや大しておどろかなくなったなどという慣性は、わけても危険である。これは「戦争」か「平和」かのわかれ道ではないか。こういうことに平然としていてはいけない。
「平和を守れ」という叫び声も、いまの日本ではもはや左翼用語のひとつとなってしまった。左翼小児病ならざる「不偏不党」「厳正中立」の良識病にとりつかれている大人(おとな)たちは「平和を守れ」などとこどもっぽいことはいわなくなっている。
(中略)いまはマス・コミの黄金時代だそうだが、その新聞やラジオが、日本を二分するような大問題が起っても(ママ)つねに「不偏不党」で、ただ事実を並列して読者や聴取者に提供してその判断に任せるだけでおのれの意見はいつもうしろの方にかくしている。これは一種のひきょうだ。
マス・コミの魔力だなどといわれるが、わたくしたち新聞記者までがその神通力をもっているようにうぬぼれるのはよくない。マス・コミのあり方は国民に批判され、ときに袋だたきにあっても、おのれの所信を勇敢に発表すべきであろう。(引用おしまい)
「不偏不党」の化けの皮をはがした見事な一文だと、うなりました。いまこの時、「平和を守れ」と叫ぶことに何の恥ずかしさがあろうか。良識病がまん延して個人の姿が記事から読めなくなっている顔のないアベ新聞たちと、てらいなく往来でその声を挙げる学生や主婦ら闘う個人個人のどちらの方がマトモなのでしょうね。
平和を守れ! 平和を守れ! 平和を守れ! いいじゃん、これ。

2015/10/16

“安倍チャンネル”の不偏不党

NHKの新しい愛称として「安倍チャンネル」ってのが流行っているんですか。籾井勝人会長が定例記者会見で、「不偏不党と、我々は念仏のように唱えている。以後、安倍チャンネルという言葉は使わないでいただきたい」と、わざわざことわったと報道されたくらいですから、かなり浸透しているのでしょう。流行語大賞を狙えるかも。
念仏にもいろいろあって、信仰心が伴わないものを世間では「空念仏」と呼びます。安倍教のエバンジェリストであらせられる岩田明子解説委員のご尊顔を茶の間で拝する機会が増えるにつれ、念仏の中身が気になって仕方がありません。
メディアの独立性確保は知る側、すなわち我々国民の大事です。8代目の協会会長だった野村秀雄の伝記本「野村秀雄」(野村秀雄伝記刊行会刊)に、興味深い記述がありました。以下に引用します。
岸内閣の安保騒ぎのときだった。10人ばかりの自民党議員がNHKに来て、野村会長と会見した。議員たちは、「NHKは左だ。放送番組、放送内容が左偏向だ」と、しきりに非を鳴らした。その勢いはなかなか猛烈なもので、その場の空気は険しかった。
静かに、黙ってきいていた野村は、突如、声を大きくして、
「君らがなっていない」
と一喝した。そして語をついで、
「君らは、もっと政治を勉強し給え。NHKのことはおれに委せたがいい」
というなり立ち上り(ママ)座を去った。傍らにいた理事の前田義徳(現会長)は、この場の処理に窮したが、「お引き取り下さい」と、議員達に帰ってもらった。(引用おしまい)
報道の自由、憲法が保障する国民の知る権利が守られた好例です。同書によると、野村就任は田中角栄郵政相の主導で、当初人選を知らされていなかった経営委員会とひと悶着あったようですが、それが永田町人事とはいえ、いざその座に就けば放送局の使命を果たすのが会長職の務め。NHKの岸チャンネル化を防いだのは野村の功績です。
自民党の体質は変わっていないんですねえ。自分たちに都合のいい放送内容ばかりを求め、公共放送を国営だと勘違いしている。「マスコミを懲らしめる」などと放言する頭の悪い議員が現れて、国会の質の低下が叫ばれていますが、それが今に始まったことではないのがわかります。
次に1989年の竹下登内閣でのNHKへの干渉を取り上げます。消費税法が施行された直後の4月4日、片岡清一郵政大臣が放送局にかみつきました。同日付の朝日新聞夕刊「消費税 NHK報道批判」より引用します。
片岡郵政相は4日朝の閣議後の記者会見で、日本放送協会(NHK)の消費税の報道について「増税部分だけを伝え、減税部分をあまり報道していない。遺憾だ」などと不満を表明した。閣議で田沢(吉郎)防衛庁長官がNHKの消費税報道を批判、片岡郵政相がこれに同調したもので、郵政相は報道に批判が出たことをNHKに非公式に伝えることを表明した。(引用おしまい)
今度は「竹下チャンネルになれ」と、電波行政を管轄する郵政省のトップがエラソーに熱を吹きました。当時の新聞記事によればこの少し前、衛星放送への投資額がふくらんだNHK予算の国会承認はかなり難儀したようです。政府自民党には、「おれたちが予算を通してやったのに、弓引くとは何事か」とのおごりがあったのかもしれません。では、NHKはお上に引け目を感じて御用放送に成り下がったのでしょうか。同6日付の読売新聞「『消費税報道は一面的』との郵政相・防衛長官発言にNHK会長代行が反論」から引用します。
4日の閣議で田沢防衛庁長官、片岡郵政相が「NHKや民放の消費税報道は一面的だ」と批判したことに対し、島桂次・会長代行は5日、「私は、報道局が公正を期して報道していると信じている。批判には耳を傾ける必要があるが、公共放送機関としてそれに影響されるようなことがあってはならない」と語った。(引用おしまい)
会長ではなく「代行」が態度を表明しています。直前までの会長は池田芳蔵。三井物産からNHKにやってきた、籾井会長の先輩です。記者会見で意味不明の言葉を口走ったり、国会答弁で突然英語をしゃべり出したりする人で、健康問題から辞任したばかり。毀誉褒貶相半ばする有名人だった島桂次ですが、会長不在の混乱下にあって、報道の自由墨守を宣言した姿勢は評価されていいでしょう。
この問題では日放労(NHK労組)が経営側とタッグを組んでいます。同5日付の朝日新聞「NHK・日放労 閣僚発言に反発強める 『言論の自由に介入』」から引用します。
(前略)日放労は、NHKに対し「番組内容について、権力の干渉や介入があってはならない。経営は、いかなる場合にも不偏不党の精神にもとづき、き然とした態度をとるべきだ」と申し入れた。(引用おしまい)
このころの「不偏不党」の意味合いは、籾井会長の語るそれとはだいぶ違うようです。当時と現在とでは、放送用語の解釈が変わっているのでしょうか。
とまれ、この労使共闘は片岡を発言撤回に追い込みました。同7日付の朝日新聞夕刊「『発言、軽率だった』 郵政相 NHKへの不満撤回」から引用します。
片岡郵政相は7日朝、閣議後の記者会見で、日本放送協会(NHK)の消費税報道に不満を述べたことについて、「発言は軽率であった。反省しており、NHKと私との職務関係から公式にも非公式にも言うべきではないと思っている」と述べた。非公式にNHKに不満を伝えるとした4日の発言を撤回したもの。(引用おしまい)
国民の知る権利が、知らせたくない権力に勝ちました。でも、この程度で自民党が反省するはずがありません。その後の党総務会の様子を伝えた同14日付の朝日新聞夕刊「消費税報道 批判が続出 『政府がゴツンと』」から引用します。
14日の自民党総務会で、副会長の世耕政隆氏(元自治相)が、NHKの消費税報道を取り上げ、「NHKは消費税の批判ばかりしていて、所得税減税など政府がPRしたいことを伝えてくれない。NHKに対して、政府がゴツンとゲンコツをくれてやるぐらいでないと困る」と政府の対応を促す発言をし、出席者からも同調する声が相次いだ。(引用おしまい)
最近も「マスコミを懲らしめる」「沖縄の新聞をつぶせ」といった言辞が飛び交った“勉強会”がありました。デジャブですか。ホント、自民党ってブレません。
今回はNHKの事例を取り上げましたが、同じ危険は民放テレビ・ラジオ・新聞などすべてのメディアにあてはまります。いや、もうすでにおかしくなっているのかな。
安倍チャンネル、安倍新聞、安倍雑誌ばかりの国は北朝鮮と同じ。放送受信料や新聞購読費を支払う、情報を買う側の人間として、自腹を切ってゴミをつかまされるのはまっぴらゴメンです。

2015/08/08

「花燃ゆ」打ち切り論の危険性

筒井康隆さんの小説に「最後の喫煙者」という短編があります。世界中の禁煙運動がエスカレート、やがて非喫煙者たちによるスモーカー殺人や家の放火に発展し、ついには主人公「おれ」が地球上最後の喫煙者になるというドタバタです。
不振の大河ドラマ「花燃ゆ」は現在、まさに「おれ」の立場にあります。駄作である事実が衆人承知となり、ネットニュースで打ち切り説が流れたあたりから、「これは駄作だから叩いてもいいんだ」とのムードが充満。感想掲示板などには、「打ち切った方がいい」、もしくはストレートに「打ち切れ」といった言説があふれます。まるで「売国奴」「非国民」と言わんばかりの雰囲気。
おじさんは、打ち切り論に与しません。「打ち切れ」というのは、作品へ「死ね」とののしるに同じではないですか。情がなさ過ぎる。「死ね」と言い放った作品を論評するのは、良いところを見つけようとする視点皆無のただのイジリ、いや、いじめではありませんか。おじさんもこれまでの感想で、脚本や演出の非常識な場面場面にクズ、アホ、バカみたい等々の言葉を使ってきましたが、全否定はよろしくありません。意に沿わぬ者に対し攻撃して排除する態度は、民主主義に反します。その一線は守りたいものです。フランスの作家ヴォルテール風に言うならば、「私は『花燃ゆ』には反対だ。しかし、それを放送する権利は擁護する」。
確かに本作の雑な脚本考証は、もっての外です。貧乏杉家に幾槽もの風呂があって塾生が入浴するシーンはじめ、ホームドラマ部分は、どうやら福本義亮著「吉田松陰の母」(誠文堂新光社刊)や、斎藤鹿三郎著「吉田松陰正史」(第一公論社刊)あたりの逸話から多くを得ていると推察されます。福本は吉田松陰の同郷で無条件に松陰を尊敬していた人です。斎藤は日露戦争後に「東郷平八郎の母」なんて伝記本を出したり、広島高等女学校校長として頼杏坪(詩人。文人頼山陽の叔父)の顕彰会に出席したりしていた記録がある、どうやら修身教育系の人物。それゆえ、事実関係がいかにもうさんくさい上、両書とも松陰の神格化がピークに達していた1940年代前半の出版。エピソードを無批判に持ってくるのは、いかにも無神経ではあります。
でも、それをおいても、「打ち切れ(死ね)」はない。世の中は多くの凡人愚人と一部の優秀な人間で構成されています。傑作よりも凡作駄作の方がはびこるのは理の当然。作品統制の言論は、北朝鮮や中国と同様の文化政策につながりかねません。
今日は、その文化統制を行なっていたころの日本のお話を紹介します。1937年9月3日付の東京朝日新聞「安物の軍事映画を排撃 内務省が業者に注意を与ふ」から引用します。
内務省では過般の映画業者との懇談会において興行道徳について批判を加へ、殊(こと)に流行の軍事映画については左の如き警告的希望を与へた。
(1)昭和7年の第一次上海事変のニュース映画を今回の事変(注・日中戦争)映画の如く装うてゐるインチキものは不可(2)劇映画の航空描写で洋画のある部分をコッピィ(コピー)して繋ぎ合せ(ママ)、明(あきらか)に日本の飛行機らしく誤魔化してゐるものは排撃する(3)事変ニュース上映に際して第何報と明示しないために同一のものを縷々(るる)見せられるといふ非難あり、必ず第何報といふ事を入場者に明示されたし
その他数項あり、又軍事劇映画も取扱ひ方(ママ)如何によっては思想的に面白からぬ結果を招く事あり。応召者の家庭悲劇などを誇張して取扱ふ事にも慎重を期すべしとの事であった。要するに際物的の功利主義で国家観念を忘却した安物軍事映画をこの際一掃する方針のやうである。(引用おしまい)
「際物的の功利主義で国家観念を忘却した安物軍事映画をこの際一掃する」。表現の自由をじゅうりんするイヤな言葉ですね。こうした「排撃」は、ほとんどの場合、官製の指導のみによって作られ得るのではありません。多くは民意がそれに同意した時に発動されるもの。「花燃ゆ」に対しても、面白半分のネットニュースの尻馬に乗らぬ自制心があってしかるべきではないでしょうか。
「最後の喫煙者」の終幕、自殺を試みる「おれ」は、それすら許されぬ状況に絶望します。自身の生殺与奪権すら奪われた人間の惨めさよ。いかな駄作といえ、「花燃ゆ」にそれを負わせることなく、排撃する権利はだれにもありません。自分がそのドツボにはまらぬよう言い聞かせながら、明日の視聴、そして生温かい温かい感想の執筆に臨む所存です。

2015/07/24

制服向上委員会とニール・ヤング

制服向上委員会というアイドルグループの存在を、最近まで知りませんでした。脱原発や反自民党の歌を売り物にしているんですって。別にいいんじゃないですか。しょせん商業音楽は、「いかなる手法であれ、いかに金儲けするか」が本質です。反権力をアピールして、他との差別化を図るのも立派な商法だと思います。
爆笑問題が、ラジオ番組で彼女たちに噛み付いたのはスジが悪いですね。今や安倍晋三首相の友人として有名な漫才コンビが、大手レーベルに所属していないインディーズ(自主制作)歌手を攻撃するのは弱い者いじめじゃないですか。権力側の人間が、異論を唱える相手を排するのは、自民党の勉強会に近い精神構造の言論弾圧ではありませんか。
ほぼ同時期にアメリカでは、共和党の大統領候補ドナルド・トランプが、カナダ人歌手ニール・ヤングの「Rockin' in the Free World」を無断でキャンペーンソングに使用したとして、ヤング側から抗議を受けたとのニュースがありました。
ブッシュ・シニア政権時代の弱者切り捨て政策を風刺した強烈な歌詞を持つ、この一般市民のためのデモクラシーアンセムを、よりにもよって不動産ボンボンの富豪が、新自由主義万歳メッセージに曲解させようとしたんですから、ヤングの怒りのほどもわかろうというものです。
彼のニューアルバムは、遺伝子組み換えで有名な巨大食品企業モンサントやスターバックス・コーヒーを告発する「ザ・モンサント・イヤーズ(The Monsanto Years)」。大手レーベルから世界中で発売されます。
日本で政権批判をする歌はインディーズでの販売で、米国で大企業にケンカを売るアルバムがメジャー発売されるのはどうしてでしょう。
我が国には、本来なら民主主義国家に存在してはいけないはずの歌詞の検閲機関があります。レコード製作基準倫理委員会(レコ倫)といいます。 1952年、好景気に浮かれ始めた世相に背を押されるように、露骨な性表現を売り物にした「タマラン節」などのいわゆる「エロ歌謡」ブームが起きます。 文化放送が社内に放送倫理規定を作り、規制に乗り出すと、レコード業界団体もおっとり刀で自主規制に舵を切りました。1952年11月7日付の朝日新聞「実際は2月新譜から それまで倫理規定どうさばく」から引用します。
文化放送がエロ歌謡曲を締め出したあとを追っかけて、レコード文化協会が「レコード製作基準」を発表した。「国家及び社会公共安寧秩序を乱したり、良い習慣を破壊し、悪い慣習を助長して国民の健全な生活を害するようなことがらは取り扱わない」など、まことに結構な主旨。
文化放送の「娯楽番組取締規則」の実例をあげているのに比べると、ちょいと抽象的すぎる。原案は相当に具体的だったといわれているが、流行歌はレコード会社のドル箱だから、倫理規定などでしばって売れなくなったら大変、と経営者側から強硬な意見も出て、結局自じょう自縛に陥らぬ程度でお茶をにごしたらしい。(引用おしまい)
「国家及び社会公共安寧秩序を乱したり、良い習慣を破壊し、悪い慣習を助長して国民の健全な生活を害するようなことがらは取り扱わない」。どうとでも取れますね。政府与党、国会議員の汚職、宗教などの権威、性の問題……。全て表現してはいけない項目になり得ます。
自主規制に名を借りたこの検閲組織は、大衆音楽の表現の自由を妨げる元凶として今も機能しています。今日はその一例として、1980年11月の「光州シティー事件」を取り上げます。
この年の5月、韓国で民主化運動の活動家らを軍が弾圧、大勢の死傷者が出ました。「光州事件」です。在日韓国人2世の歌手白竜さんが、事件をモチーフにした曲をレコード化するとの記事が朝日新聞に載った直後、レコ倫から発売中止の圧力がかかりました。同月12日付の朝日新聞「『光州シティー』LP化消えそう」から引用します。
(前略)ロック歌手・白竜=本名・田貞一さん(28)の、初めてのLPになるはずだったアルバム「シンパラム」が、発売されずに葬り去られようとしている。収録されていた8曲のうちの1曲「光州シティー(光州City)」(別称「バーニング・ストリート」)に対し、レコード業界の自主規制機関「レコード製作基準管理委員会」(通称レコ倫)がクレームをつけ、これを受けた発売会社のポリドールが発売を自粛してしまったためだ。白竜は、理由が納得できない、として10日開かれたレコ倫の定例会議に説明を求める質問状を出したが、レコ倫側は「レコード会社にアドバイスする機関であって作者に説明する筋合いはない」と“門前払い”。白竜は、あくまで納得できる説明を求め、規制の壁に挑む。
このアルバムは、キティ・レコードが原盤を製作、ポリドールが販売する契約で8月26日、ポリドールのスタジオでライブ録音された。10月28日発売の予定で製作が進められていたのだが、10月になって、まずポリドール側からクレームがついた。「『光州シティー』は好ましくない」という電話が白竜側に入ったのは、なぜか、このページで白竜の歌を取り上げた翌日の10月2日。
10月9日に開かれたレコ倫の定例会議では、内容が政治的で生々しい、などの理由で発売を好ましくない、とする意見が大勢を占め、ポリドール側はこの会議の場で発売自粛を表明した。白竜の所属プロダクションにポリドールから届いた文書によると「素材内容が極めて政治色が強く、特に現在日本国内外に於いて日韓関係諸般に微妙な問題を有する実状から弊社として、これを敢えてレコード化することは好ましくないと判断……レコード管理委員会に於いても、韓国の極めて最近の事件として余りにも生々しく国内外に不測の影響を及ぼす虞れ(おそれ)が有り発売は好ましくないとの意見多数のため」と、発売自粛の理由を説明している。(引用おしまい)
こんな組織があるからには、日本の大衆音楽に表現の自由などカケラも存在しないとの事実がわかりますね。今年初めの紅白サザンオールスターズ騒動が、お手盛りのマッチポンプであった証左でもあります。
白竜さんに対するレコ倫側の説明が、ふるっています。引き続き同記事より引用します。
レコ倫の幹事でもあるレコード協会事務局長・亀井寿三郎氏は、10日、白竜との話し合いの中で、「表現の自由を守るために、自主規制がある」と強調した。確かに、自主規制の結果、レコード会社が国家権力による規制や、政治的圧力を受けることはなくなるだろう。しかし、消費者に、規制の実態は隠され、規制の内容は厳しくなり、レコードの内容は当たらずさわらずの「安全な」内容のものになって行く。「こういう目に見えない不当な力に対して戦うことがボクの歌だ」と、白竜は言う。(引用おしまい)
お上が手を下さずとも、業界が勝手にルールを決めて萎縮・自粛すれば、そこに表現・言論の自由が呼吸する場所はありません。戦前の新聞も、各々で自分の手足を縛り上げ、戦争推進に大いに貢献しました。
レコード業界の自主規制をかつて取り上げた朝日新聞をはじめとするメディアは今、性懲りもなく萎縮の縄で自らを縛ろうとしているように見えます。マイナー系制服アイドル美少女たちが、大新聞の大の大人を尻目に表現の自由を謳歌している日本の光景を、ニール・ヤングが見たらどんな歌にするでしょうか。

2015/07/18

安倍晋三とニクソン、東京新聞とNYタイムス

東京新聞は普通の新聞です。大手では唯一の普通の新聞かもしれない。衆院本会議を通過した戦争法案(安保法案)を、「違憲だ」と正面から断じているのは、当方見る限り東京のみです。普通ではなく、まっとうと呼んだ方がいいかもしれません。それほどに「普通の新聞」がなくなりました。
東京新聞は、非常識な建設費問題で国立競技場計画が白紙となった件を伝える7月18日の朝刊でも、功労者の建築家・槇文彦さんをきちんとフォローしていました。競技場のデザインは、国民を重税苦から救った英雄であり、コスト意識のあるアーキテクト槇文彦に任せられるべきだと思うのですが、いかがですかねえ。
一強他弱は政界にとどまらず言論の世界でもそう。朝日新聞なんか、だらしないねえ。「立ち止まって考える」「民意」などの言葉遊びばかりで、ホントに読者が納得すると思ってんのか。違憲法案が衆院特別委を通過した翌日7月16日付の社説では、「これまでの安倍政権の歩みを振り返ってみよう」。何を眠たいこと言うてんねん。事が済んでから、ああだったこうだったと有料の床屋清談を読まされる身にもなっていただきたい。憲法問題からしっかり論じなさい、違憲なんだから。
「立ち止まって考える」「重く受け止めるべし」なんて言葉は、つい自分でも安易に使っちゃうんですが、対案なく言いっぱなしの時に朝日が使う常套句なんだと気がつきました。文章がアサヒ臭くならないよう、今後は控えるべく努めます。「今後の成り行きを見守りたい」というのもやめよう。NHKの解説委員が空っぽの怪説を締める際に乱発されます。
今日は、ベトナム戦争真っ最中のころの米国と、戦争法制絶賛推進中の日本を重ねてみます。リチャード・ニクソン大統領は、反戦世論を圧殺すべく乗り出します。スピロ・アグニュー副大統領は特定メディアを名指しで攻撃。大統領はAP、UPI、ニューヨークタイムス、ワシントンポストなど、政府に批判的な相手を除外して記者会見を開くなど、自民党の勉強会のごとき「メディアを懲らしめる」の挙に出ました。
45年前のアメリカ民主主義から、いろいろとお勉強させてもらいましょう。1970年7月8日付の朝日新聞夕刊「今日の問題」より引用します。
(前略)どんなに新聞が批判記事をのせても、少しも個人的にふくむところがなかった大統領は、トルーマンただひとりだそうだ。アイゼンハワーはろくに新聞を読まなかった。ケネディは直接、電話で記者に文句をつけ、ジョンソンは有力記者たちからあいそをつかされた。
ニクソン大統領はことあるごとに、ベトナム派兵の責任は自分にないことを強調したがっているようだ。が、1954年、アイゼンハワー政権の副大統領時代、ディエンビエンフーで苦戦中のフランス軍を救うため、米軍の派遣を提唱したのはニクソンその人だった。また彼は、1965年10月、ジョンソン大統領のベトナム政策を弁護して、ニューヨーク・タイムスにこう投書している。
「ベトコンが勝てば、アジアばかりか米国の言論の自由が、最後には破壊されることになろう。ベトナム戦争に負ければ、自由な言論の権利は、世界中から消えうせるだろう」
だが皮肉なことに、トンキン湾事件(注・米国がベトナム戦争に介入するための自作自演事件)をねつぞうして北ベトナム爆撃をあえて行い、議会をごまかして大統領に自由な行動を許す「決議」をさせたり、和平交渉のために北爆停止を主張した言論人をあたかも裏切者のように避難したのはジョンソン政府であった。
そしてニクソン大統領は、インドシナに長く傷あとを残すカンボジア侵攻作戦を行なった(ママ)。その当時ニューヨーク・タイムス紙は、これに反対する市民や学生のデモを大々的に報じるとともに、同社編集局長が記者に与えた“訓示”を読者に提供した。
「われわれは“あるがままに報道する”ということが、実は“わしのいうとおりを書け”とか、“わしの気にいるような記事をのせろ”といった約束や強要を意味する時代に住んでいる。だからこそ、タイムスの第一の基本的な綱領は、ニュース欄に客観性を保つことが非常に重要だとしているのであるーー」(引用おしまい)
リベラルだと思われがちなケネディが記者をどう喝するような弾圧体質で、我が国に原爆を落としたトルーマンがもっとも言論の自由の本質を理解していたのが興味深いですね。「議会をごまかして大統領に自由な行動を許す『決議』をさせる」ニクソン政権下の米国と、憲法違反の法案が国会で強行採決される現代日本の酷似性は注目に値します。
ニクソンは言いました。「ベトナム戦争に負ければ、言論の自由は、世界中から消えうせるだろう」。ベトナムでの敗北がアメリカの言論の死につながる論拠は? 南シナ海危機が日本の安全を脅かすから自衛隊を海外に出すべし等の虚論と共通する、うさんくささがあります。
大々的な反政府デモが行われている状況も同じです。「トンキン湾事件」は現在の日本ではまだ起きていませんが、自衛隊の海外出兵が可能になれば、それもわかりません。イラク戦争での幻の大量破壊兵器、盧溝橋事件など、戦争の理由づけとは案外簡単なものなのです。
ニューヨークタイムス編集局長の意識を共有している「ジャーナリスト」が何人いるものか。大事なことなので、もう一度その言を紹介しておきます。
「われわれは“あるがままに報道する”ということが、実は“わしのいうとおりを書け”とか、“わしの気にいるような記事をのせろ”といった約束や強要を意味する時代に住んでいる。だからこそ、タイムスの第一の基本的な綱領は、ニュース欄に客観性を保つことが非常に重要だとしているのであるーー」
“わしのいうとおりを書き、わしの気にいるような記事をのせている”ような新聞ばかりが目立つから、東京新聞のここまでの普通の姿勢に拍手を送りたくなるのです。

2015/05/16

五・一五事件と2人の女性(2)

五・一五事件で、首相官邸へ押しかけた将校たちを、犬養毅はいったんはいさめ、話し合いを試みました。そこへ飛び込んできた別の一団。その中の一人、山岸宏海軍中尉が発した「問答無用。撃て!」の号令により、犬養の命運は尽きたとされています。山岸中尉は反乱罪で無期禁固が求刑されました。
事件からおよそ1年半の後、横須賀での軍法会議法廷は、中尉に禁固10年の判決を下します。このころ、すでに言論機関の萎縮によって、世論は将校たちに同情的になっていました。山岸中尉は、後に減刑され、1938年2月に出所しています。
軍法会議での想像以上に軽い刑に、ほっとした様子で、傍聴席から中尉の背中へ涙の微笑みを投げる女性がいた、と1933年11月10日付の朝日新聞は伝えています。
中尉の姉、山岸多嘉子さんです。彼女はその後、女性誌の記者を経て意外な人生を歩みました。中国・上海郊外での宣撫部隊隊員です。
「宣撫」とは、占領地で現地民に占領国の思想を広めて、領民を安心させたり洗脳したりする仕事です。この手段は別に日本に限ったものではありません。敗戦後のGHQの民間情報教育局だって、日本人に対する宣撫政策機関だったと言えるでしょう。
五・一五事件にかかわった将校たちが、いつの間にかヒーローのごとく扱われる状態になっていた国の権力者にとって、多嘉子さんの宣撫活動は格好の宣伝材料だったはずです。実際に中国人児童を日本に連れ帰っての宣伝戦を仕掛けています。来日した対戦国出身児童らが、相当な差別的対応を受けた記録も、当時の新聞記事からうかがうことができます。
しかし、山岸多嘉子さんは、ただの宣撫部員ではありませんでした。中国のこどもたちを愛してしまったのです。当時の世相にあって、最大限の努力をもって、日中友好を訴えている一文を見つけました。
1940年7月27日付の朝日新聞への寄稿「道は遠くけはし」から引用します。
(前略)風俗習慣の相違を以て支那の人たちを判断しないで下さい、といふことです。お辞儀と云っても、頭を反対に後へ動かす位の事しかしない支那の人たちが窮屈さうに日本式のお辞儀を強ひられてゐたりするのを見ると、私は何だか切なくなります。私たちから見て、欠けてゐると思はれる事は、支那の人たちに取って必要で無かったから欠けてゐるのですし、私たちに不必要だと考へられる事でも、支那の人たちには入用であったればこそ発生したのです。もし、どう考へてもよくないことがあったとしたら、私たちはそれを、鳴物入りで矯正しようとせず、そんな事をしない方が、さうするよりも斯う(こう)した方が、よいと云ふことを身を以て示すなりして、さり気ない仕方で示さなければなりません。私たちと支那の人たちが全く意気投合してしまふ迄(まで)は、辛抱強く相手を理解し、知らず知らずの間に近づいて行くやうにしなければなりません。解り合ってしまへば、意気投合してしまへばあゝ、その時こそ、私たちは一つの組織の中にとけ込んで、東亜の黎明を、世界の暁を、謳ふ(うたう)ことが出来るのだと思ひます。
道は遠く険しく艱苦(かんく)の一途であるでありませう。けれども私たちは、凡ゆる(あらゆる)不平を捨てゝ進みませう。それが此の時代に生れ合せた人間の責任であり、又大きな喜びであるのですから。(引用おしまい)
多嘉子さんは、弟が軽い刑期を終えて出所したことで浮かれていませんね。それどころか、本気で日本と中国の友好を願っています。当時の世相からすれば、勇気の要る発言だったと思います。
ひるがえって、現在の日本の「嫌中」に目を向けてみましょう。どうやら現職総理大臣は中国がお好きではないようです。「戦略的互恵関係」なる言葉からも、それがうかがえます。嫌いだけど仕方なく付き合うんだよ、ってムードがアリアリ。いっそ言わなきゃいいのに、とつぶやいてしまいます。
安倍さんには、中国のお友達が何人いるのかな?  えらい人だから、まさかゼロじゃないよね。大丈夫かなぁ?
えらい人が、特定の民族への嫌悪感を表してしまうと、中国人のお友達がいない、世間の狭い人たちが追従してしまいます。
戦後70年を迎える今年こそ、日中両国が仲良くなるべき年として、山岸多嘉子さんの言葉を考えてみたいものだと思い、紹介してみました。
世界の難民の救済へ先頭に立つ犬養道子さん、中国のこどもたちを支えて相互理解に向け闘った山岸多嘉子さん。2人は五・一五事件での立場こそ正反対でしたが、お互い人権を大事に考える立場になりました。
安倍さんにも、一考いただきたいシンクロニシティです。

2015/05/13

五・一五事件と2人の女性(1)

気づかぬうちに、このブログを始めてから1年が過ぎていました。いつまで続くかわかりませんが、今後ともよろしくお願いします。
最初はおもしろおかしい歴史の話を、備忘録を兼ねて書いていくつもりだったんですが、1年のうちに世の中が次第次第におかしくなっていくのを実感できてしまうのは、自己満足の駄文とはいえ、こんなことを続けているせいでしょうか。時々、熱くなってしまうのには、我ながら困ったものです。
ブログをスタートさせた直後の5月15日に安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認の検討を発表したんですよね。憲法9条あるのに、アホちゃう?とバカにしていたところ、このヨタ話が今、どんどん現実味を帯びてきています。
5月15日というと、歴史好きのみならず連想するのは五・一五事件でしょう。1932年、海軍将校らがクーデターを起こし、犬養毅首相が暗殺されました。これを契機に新聞は(当時、まだラジオはニュースメディアではありませんでした)一斉に言論萎縮し、軍部の暴走を許すことになります。日中・太平洋戦争を語る上で欠かせない歴史です。
今日は、その事件に巻き込まれた2人の女性のお話をします。
1931年12月12日、首相指名を受け帰宅した犬養を、小さな女の子が迎えました。「お爺ちゃま、お帰り遊ばせ。おめでとうございます」とあいさつした愛孫に、いつもは無愛想な犬養も相好を崩したと、当時の新聞が伝えています。それから半年も経ぬ間に、犬養は官邸でテロの毒牙にかかります。その現場にも彼女は居合わせました。犬養道子さん。後に評論家となり、現在でも高齢ながら難民支援活動に砕身しています。
戦後になっても言論に対するテロは収まらず、1960年10月12日には、社会党委員長だった浅沼稲次郎が、右翼を自称する少年山口二矢に刺殺される事件が起きました。その4日後、NHKテレビがドキュメンタリー番組「日本の素顔」を放送します。テーマは「政治テロ」。それを見た犬養さんが感想を寄稿した同月19日付の朝日新聞「これでよいかしら」から引用します。
(前略)私も五・一五関係者として祖父遭難の模様を語って、その夜の「素顔」に一役買ったわけであるが、やがて、フィルム構成は第三の段階にはいって、テロを行った人々が登場した。
(中略)異常な効果がこの辺からもり上がったが、それは昭和23年(1948年)佐賀で当時の共産党書記長徳田球一氏にダイナマイトを投げつけた古賀一郎のアップがうつるころ、頂点に達した。左派勢力打倒を願ってテロ手段に出たことのあるこの古賀は、開口一番、浅沼事件に言及して決然と言った。「よくやったと思います」ひどくドスのきいた声である。「私は山口さんにくらべれば勇気がなかったと思いますね……そう、やるとすればやはり刃物でしょうね」そしてこの恐ろしい言葉にNHK側は否定も反論も与えず、そのままフィルムは次の場面へと流れて行った。
私は驚いて思わず母の顔を見た。母は悲痛な顔をして、手を握りしめ、ため息をついた。「まあ、ひどいこと。だけど何のことだかわからない……」「ひどいこと」とは、殺人行為賞賛の言葉に向けられた批判であり「何のことだかわからない」とは、殺人法を教えている言葉を反バクもせずに流しっぱなしにしたーー言いかえれば、なまのニュース素材をそのまま流したやり方に対して向けられた疑惑である。
(中略)テレビ・ラジオに対して人々は受動的であり、しかも視聴者層は万人をモウラする。扱われた素材を解釈するだけの判断力をまだ持たない者をも多く含むのだ。そして、目や耳には、生気のない活字としてではなく、生きた声として、生きたパーソナリティとして、生きた行動としてはいって来るのだ。印象はくらべものにならず強烈である。事実、その夜の「素顔」で私の心にのこったものは、佐郷屋(注・留雄、浜口雄幸首相暗殺犯)の顔のアップであり、古賀のドスのきいた「やるなら刃物ですね」の声である。そうか、やるなら刃物かーー私はふるえた。人の生命が犬ころの生命より軽く見られる風潮の今日、好奇心に燃えた、判断力のない少年が、あの「素顔」を見たなら、彼は翌日友人にこんなことをいうかもしれない、「やっぱり刃物に限るってね」。(引用おしまい)
犬養さんの一文を引いたのは、彼女の危ぐが現在につながっていると思うがゆえです。インターネットには、殺人やテロの映像があふれかえっていますね。中にはそれらを集めて「衝撃映像!」などと扇情的なタイトルをつけて公開しているサイトもあります。世界中の人殺しの映像を、不特定多数の人間が無制限に閲覧できる現状。しょせん、これに歯止めをかけることはできません。
みんなは大人になる前に、こんな映像を見るままに頭の中で流し去るのではなく、正邪を簡単に決めてしまうことなく、その理由や背景を判断しようと考える人になってもらいたいと願います。
この項、続きます

追記:引用文中、昭和23年を「1958年」としたのは、私のパンチミスです。「1948年」に修正しました。筆者ならびに引用元にはご迷惑をおかけしました。

2015/05/04

憲法と健忘

憲法記念日の朝日新聞の社説「安倍政権と憲法ー上からの改憲をはね返す」は、いったいだれに読ませたかったんでしょう?
観念的で庶民感覚に欠ける。ウチの読者は当然護憲だよね、という上から目線が透けて見えるクセに、政権に対しては腰が引けています。 
憲法を一言一句直してはならないというわけではない。だがこんな「上からの改憲運動」は受け入れられない。政治に背を向け選挙に棄権しているばかりでは、この動きはいつの間にか既成事実となってしまう。(引用おしまい)
これでは趣旨が理解できません。朝日は憲法をどうしたいの?  具体例を挙げて「改憲しろ」と言ってる読売新聞の方がよっぽど社説としてわかりやすい。
朝日の体たらくは、3月末の時点である程度読めていました。同月29日付の社説「安倍政権の激走」にガッカリしましたから。
先の施政方針演説で、野党席の方を指しながらこう力を込めた安倍首相。確かに、政権の激走ぶりには目を見張るものがあり、ついエンジンの馬力やハンドルの傾きにばかり気をとられてしまうが、最も注視すべきは、ブレーキだろう。(引用おしまい)
馬力やハンドリングにも気をつけろよな、危ないんだから。
一般に日本語で「激走」は、ほめ言葉。「サファリラリー激走」とか「42.195キロを激走」という感じで使います。権力を批判する場合には普通、「暴走」「迷走」などと言いますよね。安倍さんと裏で何かあったのかしら?
「憲法は権力を縛るもの」と、直球でご教示いただいたところで、市民の意識ではピンときません。民主主義国家では国民の幸福が最優先されます、権力者はえてしてそれを侵しがちだから国民を守るために憲法で縛りをかけます、ぐらい言っておかないと通じないんじゃないでしょうか。
憲法記念日は法律で定められた国民の祝日。でも、政治家の皆さんはそれを祝ってくれません。その違和感を1959年5月3日付の読売新聞「編集手帳」が言い当てています。記事を引用します。
きょう3日はいうまでもなく憲法記念日。国の祝日だからどのカレンダーにも赤い丸がついている。その国の祝日を政府も政治家も祝おうとしない。国民はただ休むだけである。なんとも奇怪な祝日である。
4日前の天皇誕生日は岸(信介)総理大臣以下こぞってお祝い申し上げた。数年前までは、皇居前広場に会場を設け、天皇にご出席を願って総理大臣以下が憲法記念式典を行い、おごそかに平和憲法を祝った。そして総理大臣はこの日の談話を新聞、ラジオに発表した。
いつのまにかこの記念式典は中止されてしまった。この限りにおいては、昭和22年5月3日に新しい憲法が施行されたことは忘れ去られている。いや、現実には憲法そのもの、あるいは憲法の精神が忘れられている。ときにしばしば憲法の存在するということも忘れられているのではないかという錯覚を起す(ママ)現象さえある。
きのう、国会が終ったが、この国会が自衛隊を増強するという防衛2法案を暁かけてやっさもっさで可決した翌日が憲法記念日だった、ということは皮肉なめぐり合せである。しかも政治家たちが憲法を記念するということを忘れはてているのだから念が入っている。
まことにいまの日本国憲法はふんだり、けったり、やれ調査会だ、いや研究会だといじくりまわされている。調査会や研究会の仕事は意義があるが、憲法を邪魔もの扱いにし、憲法に忠実な判決を冷ややかに迎えるというのはいったいどういうことなのであろうか。
どうせ押しつけられたものだ、改正しなければならないのだから、ということと、いまの憲法を守らなければならぬ、ということははっきりと区別すべきである。この区別がなくなったら国の秩序はなくなる。どうやらこの秩序があやしくなってきている。
どうせよごれるからといってクツをみがかず、どうせ小さくなるからといってこどもに着物を着せないでいる人はあるまい。もうすこしいまの憲法という着物を愛用し着心地を工夫したいものである。(引用おしまい)
少なくともこの時代から、憲法軽視の操作が始まっていたことがわかります。日本の最高法規なんだから継子扱いせずに、毎年の記念日をことほぐ談話を首相が出す程度の度量があってもいいですよね。
次は、1974年5月3日付の毎日新聞社説「『社会的公正』の実現をめざせ」から引用します。
(前略)憲法が国の最高法規であり基本法であるからといって、これをいっさい批判してはならぬということにはならない。だが問題なのは、そのような批判に便乗して、憲法の基本原理をもゆがめるおそれのある政策がとられることである。その危険を田中(角栄)政権になってとくに感ずる人が多くなっている。
たとえば「君が代」を国歌として法的に制定することをほのめかしたり、「教育勅語」復活を示唆するような発言をしたりしていることがそれである。明治憲法下においても「君が代」を国歌として法律上裏付けられたことは、一度もない。首相のいうように教育勅語のなかに現在にも通ずる人倫の道が説かれていることも事実である。しかし、その文言よりも、その背景が「主権在君」であって「主権在民」の現憲法とは本質的にちがうことこそ、重視すべきである。
また、靖国神社法案(注・靖国を政府管理とする)が今国会で話題になっている。憲法上の疑義があるだけでなく、国民の間にかなり広範な反対があるにもかかわらず、このように何回も取り上げる政治姿勢に問題があろう。靖国神社法案の成立を望む人のいることも事実であるが、反対する人がいることも現実である。これは、国民的合意はできていないということである。憲法上疑義をもたれ、しかも国民的合意のないものを取り上げるところに、たとえ自民党の議員提案であっても、田中首相の憲法感覚への疑問が生じてくるのである。
それよりも、いま田中首相が先頭に立って実現すべきは、衆参両院の議員定数の是正であろう。裁判所は現行の定数制を憲法違反とはしていないが、主権者の1票の重みの各地区間の大きな不均衡が、選挙の公正さを損なっていることは、国民主権の憲法原理を尊重するうえからも急務のはずである。それを放置して、「日の丸」とか「教育勅語」とか「靖国神社」などに傾斜している政治姿勢は、民主主義政治のうえからも憂慮すべきことといわねばならない。(引用おしまい)
今でも人気の高い田中角栄ですが、戦前的価値観に寄りかかる発言が多かったことがわかります。「実現すべきは定数是正」との論説は、現政権にそのまま当てはまります。
当時と現在で大きく変わった状況としては、「君が代」が国歌になった点。教育現場からは、民主的と呼べぬ強制の事例が伝わってきます。権力監視能力の劣化が招く結果の恐ろしさよ。
最後に、1986年5月3日付の読売新聞社説「身近な憲法問題を見つめよう」を引きます。東日本大震災と福島第一原発事故以後を生きる日本人みんなが、憲法について考えるヒントがあると思います。
(前略)憲法は空気や水のようなものである。ふだんはその存在を意識しない。恩恵は無意識の中にある。ところが、私たちが国家や公権力と向かい合った時、初めて憲法を意識し、その力に頼るのではないだろうか。
新聞は毎朝配達されてくる。途中で配送を止められたり、紙面が墨で塗られることはない。政権や権力者に都合の悪い記事もあれば、しんらつな論評も載る。当たり前のことである。
しかし、言論・出版の自由が保障されていなければ、正確な報道や自由な論評も危うくなりかねない。最近、ソ連で発生した原子力発電所の事故の情報は、ソ連国内で全容が公開され、政府に対してマスコミによる批判が加えられているだろうか。国民の目と耳をふさぐような公権力の行使は、わが国では、明らかな憲法違反である。(引用おしまい)
NHKやテレビ朝日への自民党の聴取は、新聞の墨塗りと同じではないですか?  福島原発の現状を知る権利は、チェルノブイリ事故でのソ連の対応を嗤い、国民が胸を張れるほどクリアなのでしょうか。
憲法記念日に記者が殺傷された朝日、西山太吉記者の沖縄返還をめぐるスクープをねじ曲げられた毎日、正力松太郎社主がテロリストにひん死の重傷を負わされた読売。各紙の縮刷版をのぞけば、そこには健忘を許されぬ、言論の流血の歴史があります。
新聞やテレビ、週刊誌といった大メディアは、昨今の選挙の低投票率をカサにきて有権者に憲法論議を押しつけるようなマネをせず、自らの旗幟を鮮明にする責任があるだろうよ、と上から目線で考えてみました。

2015/02/28

春香クリスティーンと三島由紀夫

春香クリスティーン著「ナショナリズムをとことん考えてみたら」(PHP新書)読了。安倍晋三総理大臣の靖国参拝を巡りネトウヨに攻撃されたり、原発問題では反対派に指弾されたりした経験をベースに自ら取材を重ね、右や左へ意見を右往左往しながらも「前」に進むために考えましょう、という内容の本です。
10代後半から20代の若い世代に特に読んでいただきたい。レッテル貼りはやめましょう、反対意見も聞きましょう等々、23歳の女の子が語ります。そんなの彼女に任せちゃった日本のいいオトナは何やってるんだ。
こんな至極当然のことでも、テレビタレントが口にするとたたかれるご時世だから大変ですね。でも、この姿勢は芸能活動にプラスです。あまたいるタレントの露出絶対数は限られていますから、美貌だけが消費され続ければ、早晩次の人間に取って代わられます。生まれながらに複数の文化を知る、いわゆるハーフといわれる芸能人がその素地を生かして発言することで、春香クリスティーンさんは容姿以外の付加価値も得たと言えるでしょう。
本書でわかりにくかったのは、頻出する「愛国」という言葉の定義です。春香さんのように単一のナショナルアイデンティティを持たない人は、この言葉をどう感じたのでしょう?
第2章中の「言論行動派右翼」鈴木邦男さんとの対話に、三島由紀夫の話が出てきます。三島は45年前に東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で総監を人質にして憲法改正、クーデターを隊員に訴えた末に割腹自殺した作家。
鈴木さんは「三島が掲げたのは『愛国』でなく『憂国』」だと言います。 実際、三島は「愛国心」という言葉を嫌いました。事件を起こす2年前に「この言葉には官製のにおいがする」と言い、その理由を「愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである」との一文を残しています。春香さんの立場なら、父親の母国は大事だけど母の国はどうでもいいなんて考え方になりかねません。
「憂国」は国を憂う問題意識を感じさせますが、「愛国」には無条件な国への追従の語感があります。思考停止とも思える「愛国」に漂う「官製のにおい」は、作家が喝破した真実だったのかもしれません。
今日は三島が起こした事件の翌日、1970年11月26日付の読売新聞「今日の断面」から、高木健夫記者の解説記事「右にも左にも焦燥感」を紹介します。以下に引用します。
(前略)いま、日本は「軍国主義復活」の危険を国際的にも、左右両陣営から指摘されているが、この事件によってかれの死と行動が五・一五、二・二六(注・ともに戦前の青年将校の暴発事件)を連想させ、テロによってファシズムへの傾倒を深めるものとみられる危険もあるということは、大きなマイナスであるというべきだろう。
さらに、自衛隊に対する“軍隊”としての国際的な評価がどう変わるか、という点である。これがもし、アメリカのペンタゴン(国防総省)であったら、おそらく三島ら5人は衛兵によって射殺されるか、直ちに逮捕されたことであろう。それが“軍規”というものである。自衛隊はそれをやらなかった。人名尊重か、話し合いの民主主義か知らないが、ひとにぎりのテロリストの前に全隊員が集まって、そのアジ演説を聞く、というそんな“軍規”がどこにあるものか。しかも、おのれの指揮官が日本刀で脅かされて監禁されている、というのに。三島らは自衛隊を父とも兄とも思いながら、行動においてはこれに造反したことになる。
第三に、日本人のハラキリは、日本人の暗い面のイメージとして国際的に定着し、それが第二次大戦の敵国日本につながっていると思うのだが、ここでもまた、三島の作家的美意識の発露ーーかれの作品「憂国」を地でいったハラキリは「日本の美しさ」どころか、日本人の変わらぬ野蛮と原始性を裏づけることにもなりかねない。
日本には、右にも左にも、異様に切迫した危機感と焦燥感が渦巻いていることは否定できない。それが無気力と暗い取り引きに明け暮れる政治の背景から生まれたものだとしても、こんどの事件が右に左にハラキリによる改憲要求のような狂気の連鎖反応を生み出すことだけは、なんとしてもごめんこうむりたいと思う。(引用おしまい)
軍国主義復活に改憲ムード。今と似た空気だったのでしょうか? 当時と今とが大きく違うと思われるのは、右とか左とかの線引きがもう少しはっきりしていて、どちらでもないノンポリでも平気でいられた点でしょうか。ウヨクやサヨクを自称するには、もう少し敷居も高かったかな。物言えばネトウヨだブサヨだと、われ知らず他人にジャンル分けされる性急な時代ではなかったように思われます。最近は言論テロも自分のケツを拭くことなく、やりっぱなし、逃げっぱなし。三島のころと空気、だいぶ違うか。
「右でも左でもなく前へ」。春香さん、いい考えだと思います。一方で、過去という後ろ側を多少知っておくことも、前のめりになりがちな時の補助ブレーキとして役立つのかな、と考えることがあって、こういう歴史メモみたいな代物をちょこちょこ書いてみるのです。

2015/02/09

イタリア人の言論の自由、日本人の不自由

民主主義国家の絶対条件の一つは、言いたいことが言えることです。はき違えるとヘイトスピーチになっちゃうけど、そんな連中はどしどし裁判にかけてお金を取ればよろしい。
戦後70年、当然の権利だと一億皆が信じる言論の自由ですが、実は結構もろいものです。妨害手段はいくらでもある。
フランスの新聞社「シャルリー・エブド」が流血のテロに見舞われて1ヶ月。あんなひどいことをしなくても、言葉を封じる手段はいくらでもあるのです。
今日は40年以上前に、シャルリーと同じヨーロッパはイタリアの新聞社「ラ・スタンパ(La Stampa)」がリビアの独裁者カダフィ大佐とアラブ諸国からイチャモンをつけられた時のお話をします。
1974年1月7日付の毎日新聞夕刊「カダフィ議長“ユーモア”記事に激怒」から引用します。
(前略)問題となったのはトリノで発行されているイタリアの代表的新聞の一つラ・スタンパの「FとLの備忘録」というユーモアコラム。12月6日付のコラムは「ウワサによれば」と断ってカダフィ・リビア革命評議会議長のゴシップをあれこれおかしく紹介したが、その中に「どうも彼はCIAの一員くさい……決して妄信的回教徒ではない。現にチトー・ユーゴ大統領の家ではイノシシの肉を食べた……寝る時はタバコの葉でつくったマットを使用……スイスにハレムがある」とあったのが、厳格、かつ謹厳実直で聞こえるカダフィ議長の目にとまってしまった。
イタリアの週刊誌エスプレッソ最近号の伝えるところによると、この記事の出た2日後、リビア政府はトリポリのイタリア大使を通じて抗議の覚書を送り、議長を中傷した2人のコラムニスト、フルッテロ、ルセンチニ両記者の辞任を要求、ラ・スタンパ社が聞き入れないときはイタリアとの外交関係を断絶すると通告した。
フィアット社長を兼ねるアニェリ・ラ・スタンパ会長はアリゴ・レビ社長を呼んで善後策を検討したが、レビ社長は2人の辞職は問題外とつっぱねた。そこでアニェリ会長はローマのリビア大使館を出かけ大使に面会を申し入れたが、フィアットのパトロンとして官庁木戸御免のさすがのアニェリ氏も面会を断られ、玄関先に1時間あまり待たされたあげくやっと参事官に会えたが、参事官も本国政府の要求を繰り返すだけ。
その数日後、ベイルートにあるアラブの対イスラエルボイコット委員会はアニェリ会長に対し、2人のコラムニストばかりでなく、レビ社長をも併せて辞任させよと要求、さもなくば、アラブへのフィアット車輸入は一台もまかりならぬ。またアラブにあるフィアット社の資産はすべて国有化すると通告してきた。レビ氏はユダヤ人で、第一次中東戦争の際はイスラエル側に加わって従軍、かねてアラブから目をつけられていた人物だが、イタリアの代表的ジャーナリストとして国際的に定評がある。ラ・スタンパの記者は「この考えられぬ、ばからしい言いがかり」に反対声明を出したが、フィアットはエジプト、レバノンに組立工場を持ち、アラブ各国にある資産は巨額なものだといわれ「ばかばかしい」とばかり片付けられない。“友好国”の仲間入りをさせてもらえぬイタリア政府としても今後のアラブ外交からいって深刻な問題。
石油と言論の自由の板ばさみになったイタリア外務省は4日、アラブの辞任要求を退け「適当なチャンネルを通じ、友好の精神に立って解決さるべきである」と声明した。また日ごろ親アラブのイタリア共産党機関紙ウニタも「許されぬ内政干渉であり、言論の自由に対する侵害である」とはっきり批判側に回り、イタリア新聞協会も「全ジャーナリストの自由に対する威かく」と抗議声明を発表、イタリアは石油より言論の自由擁護を選ぼうとしている。冗談を冗談とカダフィ議長が受け取らなかったのが騒ぎの原因だが、アラブの強硬な石油外交がついに新聞にまで及ぼうとしていると欧州言論界はこの事件に深い関心を寄せている。(引用おしまい)
新聞の風刺はステレオタイプのムスリム批判に思えますが、当時は斬新だったのかな?  シャルリーが一般ムスリムも嫌がる預言者の偶像化をやらかしたのに比べたら、カダフィ大佐という公人の風刺ですからね。大した話ではない。
それより問題にしたいのは、その言論弾圧手段。外交の断絶に始まり、新聞の親会社のクルマ禁輸、海外資産の没収の脅迫です。しかも、新聞社の社長はイスラエルに付いてアラブと戦った猛者。最悪のパターンですよ。
これがアメリカンだったら、自国資産を国有化なんかされた暁には、逆ギレして軍隊を送り込む(キューバでのピッグス湾事件)ところですが、イタリア人とフィアットは我慢強い。さすがは冷戦の真っただ中、ソ連に自社車をライセンス生産させる連中ですね。
当時は状況も最悪。前年の秋に始まった第四次中東戦争をきっかけに世界中を襲った原油価格の高騰です。第一次オイルショックの最中でした。それでもイタリア国民は、経済より言論の自由を優先したのでした。
思い返せば先の大戦、ナチ野郎どもに抑圧されたドイツ国民、国体護持なるスローガンにただただ従った我ら大日本帝国皇民を尻目に、自ら蜂起して独裁者を倒したのは権利意識の高いイタリアーノでした。
言論の自由とは、いろんな攻撃自由の要素がある取り扱い注意、案外にもろい権利だと思います。特定秘密保護法万歳のジャポネーゼは経済とか資本主義とかの名の下には、そんなものを平気で売りがち。絶対にそうです。

2015/01/13

爆笑問題と表現の自由を擁護する(2)

爆笑問題の政治漫才を「個人攻撃」と言い切った籾井勝人・NHK会長の記者会見の新聞記事を読んでわかるのは、取材する記者も読者も、放送協会の会長を安倍政権の太鼓持ち、あちら側の人としてとらえていることです。これ自体が異常です。
公共放送風刺の嚆矢であり、ラジオの人気者だった三木鶏郎の名をおそらく知らない会長は初めて(池田芳蔵という人がいたから2人目かも)。
前項からの続きです。爆笑問題の立場、表現者たる権利を有する国民の将来を勘案するなら、この問題を哀れでこっけいな老人像に収れんして、ネットで叩いて笑って、それで終えてはいけないと思います。
NHKが、風刺漫才すら放送できない空気になっているのはなぜか? 上層部の眼がこわいからです。なぜ上層部はこわい眼をするのか? いちゃもんをつけかねない政治家がいるからですね。これが問題の根幹。
民主主義国家を自認する米国と日本の政界におけるユーモア感度を比較してみましょう。ワシントンの「マーキー・ラウンジ」なるバーが、ポリティカル漫談でにぎわっていた、1978年4月6日付の朝日新聞夕刊「酒にし・ひがし」から引用します。
(前略)週5日、毎晩2回出演しているマーク・ラッセル(Mark Russell)を聞きにくるのだ。全米きっての政治風刺家として知られ、ピアノを前に、替え歌を交えながら米国の政治、経済、社会を小気味よく切りまくる―― 
「ニクソン大統領は、ウォーターゲート事件があんな形になったのは、おしゃべりマーサ(ミッチェル元司法長官夫人)のせいだという。みなさん、この発言を信じるのなら、第二次世界大戦はスイスが引き起こしたというのも信じることになりますぞ」(爆笑)
「ジミー・カーターが大統領になる前、われわれ米国民は彼のことをよく知らなかったから不安でした。でも、いまは違います。彼のことを十分に知ってしまったのでますます不安がつのってきた」(拍手)――
といった調子で、米政府の中東和平、パナマ運河条約、戦略兵器制限交渉、エネルギー法案……あらゆる政策をあざやかに切っていく。(中略)
ホワイトハウス記者団の年1回の公式晩さん会には、時の大統領と共に必ず招待され、大統領を目の前に置いて米国民の気持ちをチクリと代表する。このラウンジ、閣僚や議員も姿を見せる。連邦議会のスタッフや各省庁の官僚は常連だ。中央政府との業務でワシントンを訪れる50州からの政官界、経済・労働界の代表もマーク・ラッセルを聞きに来る。爆笑し、拍手を送り、彼の風刺から政治のヒントを得て各地へ帰っていくわけだ。
「政治に対する米国民のムードを知ろうとすれば、この酒場はまず絶対に欠かせない場所だ」。週1回は必ず足を運ぶという米上院のスタッフは「へたな世論調査よりも、マーク・ラッセルと聴衆の反応の方がはるかに的確な米政治のバロメーターである」という。(引用おしまい)
風刺の的である官僚や議員が喜んで漫談を聴きにくる米国と、身内をいじられることが嫌だという雰囲気をNHKに感じさせる政治家がかっ歩する日本の差に悲しくなります。
ラッセルさんの公式サイトによると、一度引退したのですが、近年復帰したようです。その需要がいまだにあるアメリカ民主主義の懐の深さが理解できます。
爆笑問題には、表現の自由墨守のため、今後もめげることなく政治漫才を続けてもらいたいものです。
首相官邸記者団(記者クラブっていうの?)も、年に一度ぐらい、総理大臣を囲む懇親会に爆笑問題を呼んで、存分に政治漫才を楽しむっていうのはいかが?

2015/01/10

爆笑問題と表現の自由を擁護する(1)

いやあ、笑った笑った。籾井勝人・NHK会長の記者会見の新聞記事。初笑いです。
おそらく制作局が三顧の礼をもって紅白中継にこぎ着けたであろうサザンオールスターズに対して、「そもそもワーワーワーワーって感じで、言葉よりリズムと激しい歌い方が持ち味」なんて放言しちゃう。担当者の面目丸つぶし。
爆笑問題の政治関連の漫才への自主規制には、「個人に打撃を与えるのは品がない」。この発言には、制作局だけではなく報道局も困ったでしょうね。政界スキャンダルを扱えない。つくづくメディアのトップ、というか企業・団体の経営者に向いてません。
爆笑問題の問題は、間も悪いです。フランスの新聞社テロで、表現の自由への連帯が世界中で巻き起こっている最中に自主規制を容認。つくづく経営者に向いていません。
爆笑問題の漫才の内容がいかな内容であったのか、もはや知る由もありませんが、今回の自主規制が、籾井会長と経営委員会のゆかいな仲間たちによって引き起こされた特殊で不幸なケースなのかを検証してみましょう。
1975年9月、NHKの労組「日本放送労働組合」が、組合員の分会から意見を求め、630ページにわたる「放送白書」を公表しました。公共放送が抱える問題点が顕著だと思われますので紹介します。同13日付の朝日新聞「NHKマンに無力感」から引用します。
(前略)放送白書がまず、指摘しているのは、「制作現場から自由なふん囲気が失われ、プロデューサーなど個々の制作者が深い無力感に襲われている」現実。
たとえば制作現場に関係する各分会からは、「番組の企画や内容に対する現場からの提案が目立って少なくなってきている」ことが報告され、制作現場の組合員の意識調査でも、「回答者の3分の2が以前と比べて提案を出さなくなり、その最大の理由としてやる気がないことをあげている」(青少年幼児分会)。「半数が現在の職場での自分の将来に希望を失っている」(ドラマ分会)などの例が示されている。白書はこれを「職場の荒廃、無気力は、いまNHK出働くだれしもが感じている」「番組制作現場は複合汚染にさらされている」と強い危機意識でとらえている。
多くの制作者が、とりあげたテーマや出演者がNHKに合わないなどの理由で提案をつぶされた経験を持ち、その結果、実際の番組の企画や制作にあたって、内容や出演者などについて、個々の制作者の間で広範な自主規制が行われていることも明らかにされている。
「プロデューサーの8割が意識的な自己規制をしている」(家庭教養分会)「テーマや出演者がNHKのタブーにふれたり、上司の好みに合わないため、自己規制で提案をやめた経験を半数以上が持っている」(青少年幼児分会)など。「現在のNHKでは通らないテーマ、人物」についての体験的アンケートを実施した分会もあり、それをもとに白書は「反権威主義、差別、公害運動について、番組になじまないとして切り捨てている現在のNHKは、言論機関としての役割を果たさず、公共放送としての社会的使命を自ら放棄したひん死の巨象にも似た姿になり果ててしまったと思わざるをえない」(青少年幼児分会)ときめつけている。(引用おしまい)
40年前にも自主規制をやっていたのですね。「複合汚染」は、今に至るまで進行を続けているのでしょうか?
当時ですら「ひん死」だったら、今ではとっくに死んでいてもおかしくないNHKですが、途中に映像メディアとしておよそ他局にマネのできないドキュメンタリーやドラマを輩出した時期もありました。
この白書が出された時を振り返ってみます。会長は小野吉郎。田中角栄の忠臣官僚として、郵政次官に上り詰め、論功行賞で会長職を得ました。1976年にロッキード事件が発覚すると、理事の責任で同事件の報道を規制します。本人が国会の逓信委員会でその事実を認めました。
挙げ句、小野は保釈された田中を自宅に見舞い、局内外から批判を浴びて辞職しました。
歴史は繰り返す。ロッキード事件と爆笑問題。小野という人と籾井なる御仁。
お笑いだって表現です。フランスのテロ事件を報道するたびに「表現の自由は守られなければなりません」と言ったところで、「お前が言うな」です。
この項、続きます