tag:blogger.com,1999:blog-90333530546394996162024-03-19T13:26:11.395+09:00にっぽんの旧聞昔のお話を掘り起こす歴史ブログです。こども向けに書くつもりです。今を、未来をみんなで考えるきっかけになればいいな。原則として故人の敬称は省きます。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comBlogger472125tag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-45031394394769456412020-01-12T17:44:00.000+09:002020-01-12T22:10:17.928+09:00古舘寛治版マクベスが見たい<h1>
愚鈍な夫婦が国を誤らせる</h1>
ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」をまったく知らない日本の人のために、わかりやすく意訳したあらすじをひとくさり。<br />
<br />
昔むかしのスコットランドにマクベスという武将がいました。小心なのにずる賢く、無能なくせに権威主義に凝り固まった愚鈍なマクベスは、汚い手口で王座を得るや、自らの悪事を隠ぺいするために次から次へと嘘とごまかしを重ねます。<br />
その女房がまた旦那に輪をかけた善悪の判断能力に欠ける魯鈍な女。善悪の意味が理解できないもんで、「良い悪事ですから前に進めて下さい」等々、世迷言にことかかず、自称私人のくせに、無自覚な愚かさで夫やその部下をそそのかします。<br />
馬鹿夫妻をたきつける3人の魔女というのが出てくるんですが、こいつらはあやふやで実体のない存在です。例えるなら、宗教団体・思想団体・経済団体みたいなものでしょうか。マクベス利権にまみれた権力のお友達であります。<br />
周囲や部下は暴政におののき言われるがまま。ましてや諫言などするはずもなく、そんたくがはびこる政府にあって、調子に乗ってやりたい放題のマクベスは、広大なバーナムの森が我が陣へ動きかかってこない限り権力は安泰だと魔女に吹き込まれ、森が動くはずがない、文字通り森羅万象がオレの物だと、いよいよ妄言を吹きまくるのでしたが……。<br />
<h1>
トリエンナーレから「宮本から君へ」へ</h1>
あいちトリエンナーレへの助成金不交付を決めた文化庁所管の法人が、映画「宮本から君へ」への助成金内定も取り消しました。麻薬取締法違反の有罪判決を受けた出演者がいたことから、「国が薬物使用を容認するようなメッセージを発信しかねない」というのがその理由でした。<br />
メチャクチャです。およそ民主主義を標榜する文化文明国家の所業ではありません。トリエンナーレの一件を特例と見せたくない政府、もしくはだれかによる、悪事を糊塗せんがためにするマクベス的悪事の上塗りですね。<br />
この作品、見る価値が十分にある力作でした。作中にいくつもいくつもクライマックスを投げ込む商業主義にまみれたハリウッド的進行を拒否して、カタルシスの解放を観客の我慢ギリギリまで引っ張る勇気と、特殊効果などのギミックを排した正攻法で俳優の芝居をあまねく拾いにいくカメラワークが、作家性と商業性を両立させています。ドラッグ推進映画なんて、とんでもない嘘。助成金カットはマクベスの暴政そのものです。<br />
この作品に出演している俳優の古舘寛治さんは、一連のおかしな行政に異を唱える数少ないメジャー役者として、このところメディアに取り上げられることが少なくありませんね。言葉を扱う表現者として、バーナムの森を動かそうと世間へ訴え続けています。<br />
文化行政における統制は、表現の弾圧・萎縮や言葉狩りに直結します。古舘さん所属の劇団青年団は、長らく日本演劇の主流であった文語調を見直し、自然な対話の流れを重視する口語体による劇の上演を打ち出しています。表現に関わる環境に敏感になるのは当然です(文語調を否定しているのではない)。<br />
いわゆる芸能界では一流扱いされている俳優たちが、家電量販店巡りや食レポバラエティに出演して、「全然いい商品」とか「どんどん食べれますね」などの壊れた日本語を茶の間にまき散らす、魔女の息がかかったテレビジョンの惨状から見ても、表現の自由を墨守せんと声を張り上げる俳優・古舘寛治は極々少数派であり、だからこそニュースバリューがあるといったところでしょうか。反骨の明治女沢村貞子とタイプは違えど、その硬骨が存在感をダブらせていた女優・木内みどりもそうでした。そんなとこかな。ありゃりゃ、やっぱり少数派だわ。<br />
<h1>
海音寺潮五郎とバカウヨ</h1>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhrA04BvclMjI_orHAIWmcPAvWyYbe9TTusskLbbgm6kqH4_eJy_W-1uy94NmsndJ3ZJy1wdSgqD5XlvGooD5ghzPyPvf5sJKCL8pApxaQtVDQUAOD2tZy0piDnL2x35vLenO9UJXT93pmx/s1600/84A10A87-28D9-4206-AC63-E00265B3FBD7_1_105_c.jpeg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1024" data-original-width="768" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhrA04BvclMjI_orHAIWmcPAvWyYbe9TTusskLbbgm6kqH4_eJy_W-1uy94NmsndJ3ZJy1wdSgqD5XlvGooD5ghzPyPvf5sJKCL8pApxaQtVDQUAOD2tZy0piDnL2x35vLenO9UJXT93pmx/s320/84A10A87-28D9-4206-AC63-E00265B3FBD7_1_105_c.jpeg" width="240" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">今読んでも面白い「茶道太閤記」(文春文庫)</td></tr>
</tbody></table>
表現の自由が侵されていくと、同業者がそんたくして仲間を攻撃する、あまつさえ権力に仲間を売るといった事例が発生します。今日は、大人気作家だった海音寺潮五郎が戦前にこうむった連載小説打ち切り事件から、表現者による表現者のための表現の自由の主張の大切さを考えます。<br />
1938年、すでに直木賞を受賞していた海音寺は、東京日日新聞(現・毎日新聞)に「茶道太閤記」を連載します。武の巨人・豊臣秀吉と雅の達人・千利休が対峙する、当時としては斬新なストーリーに、秀吉の文禄・慶長の役と日本軍の大陸侵略戦争を重ね合わせていた世間は、作家へ非難を集中させます。<br />
海音寺自身が戦後、往時を振り返った1962年3月17日付朝日新聞への寄稿「わが小説」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「わが小説」というのは自分の代表作について語れという意味だと思うが、代表作は世間がきめてくれるものであるようだ。しかし、ぼくにはそんな作品がない。つまり、それほど評判になった作品がないのである。<br />
「人間にははからざるのほまれがあり、はからざるのそしりのあるものだ」<br />
という中国古代の賢哲のことばがあるが、ぼくの作品はいつもそのようだ。世間の評判にならなかったとはいっても、少しはなったものもあるが、それらはおおかたがぼくには望外な気がした。また、「十分とまでは行かなくても、出来るだけのことはした。今のおれの力ではこれ以上は書けない」と考えたものの大方が無視に近くあしらわれた。ぼくにはいつも不運感がある。もっとも、そのために、ぼくは相当強靱(きょうじん)な根性に鍛えられた。作家には拍手かっさいの中にいないと、気力が萎縮(いしゅく)して、力の十分にのびないように見える人が少なくないが、ぼくにはそれはない。無視黙殺の中でも、書かねばならんと信ずることは必ず書くことが出来る。<br />
親は不運な子ほど可愛いという。作家の自分の作品における場合もそうだ。ぼくが最初に中央の大新聞に書いた小説は、昭和13年に毎日新聞(当時東京毎日は東京日日といった)に半歳(ママ)にわたって連載した「茶道太閤記」であった。ぼくは利休を芸術界の英雄とし、太閤を俗界の英雄とし、その対立抗争をテーマにしたのだが、世間はこれを受入れてくれなかった(ママ)。事変(引用者注・日中戦争)がはじまって間のないころで、日本中が好戦熱と狂的な愛国熱に沸き立っていたころであったので、国民的英雄である秀吉を一茶坊主にすぎない利休と対立の関係におき、しかも理由に同情的であるとは何ごとだという議論があって、ある大衆作家のグループなど、その機関雑誌で連日にわたって攻撃した。今日となっては、笑うべき俗論であることは明らかだが、当時は侮りがたい力があって、社でもこまったらしい。こうなると、ぼくはへんに闘志を燃やしてしもう。利休に太閤の外征計画を諫言(かんげん)させたりなどしたので、いよいよいけない。今にして思えば若気の至りである。<br />
この作品は、ぼくの数え年38の時のもので、まことに未熟なものではあるが、不運な作品であっただけに、ぼくには可愛い。戦後いろいろな人によって利休が書かれ、それれにすぐれた作品になっているが、それらはすべてぼくのとったテーマから出ていない。ぼくが書くまで、利休は一茶道坊主だったのだ。利休を芸術界の大英雄とし、秀吉と対決させて考えることは、だれも考えつかなかったのだ。つまらないことながら、この意味でも、ぼくには可愛いのである。(引用おしまい)</blockquote>
「反日作家」の「売国小説」を、腐った文壇がこぞってたたきまくって、せっかくの連載をつぶしました。戦争協力姿勢で部数を伸ばしてきた新聞社も対応に苦慮したことでしょう。<br />
これは全体主義国家だった大日本帝国の遠い昔のお話ではありません。国家主義的トンデモ本の出版倫理をとがめた小説家を出版社の社長がどう喝した事件はつい最近でしたし、政権批判(政治的発言とは違う)をしたタレントはテレビから干されるといった話も、マコトシヤカにささやかれています。表現者には生きづらい戦前の世が再来しているのですか。<br />
<h1>
本物は干されない</h1>
古舘寛治さんは干されているのでしょうか? 先日、主演ドラマ「コタキ兄弟と四苦八苦」(テレビ東京系)の第1回が放送されました。売れっ子脚本家、人気演出家との古舘コラボ。多分に演劇的で、実験的でもありながら大衆娯楽性もしっかり備えていて、非常に面白く仕上がっていました。最近の茶の間に限って言えばドラマやCMでの妙に膨らませた芝居を見せられるのがしんどかった共演者もとても良い。本来の滝藤賢一は、あんなにガバガバじゃないからね。番宣の短いセリフをカンペ棒読みするのは、プロとしていただけないけどさ。<br />
人物に対するカメラが動きすぎて集中力を削がれるきらいが時々ありますが、それは視聴者の好みの範囲。撮影にも作り手の主張があると言うことです。アラサー・アラフォーシングルが流行ればOLもの、女医が人気となれば天才外科医が各局で乱造される安直さに、視聴者がその未来をあきらめかけていたテレビドラマへ、新たに投げかけられた希望の光ではないかとまで言ってしまおう。次回以降が本当に楽しみですよ。<br />
ちゃんとした仕事をする人間は干されません。表現者を自任する者みんなでバーナムの森を動かしませんか。新宿御苑の桜の樹林がざわついている昨今、表現の自由守護へバーナムの森をも動かさんとしている古舘寛治版マクベスに出演するオールスター劇の壮観が見たい。<br />
<br />
わが軍は準備万端、<br />
あとは出発するのみだ。マクベスは<br />
熟しきった果実、ひと振りで落ちよう。天よ、<br />
神の鞭たる我らに力を。元気を出せ。<br />
朝が来なければ、いつまでも夜だ。(「新訳 マクベス」(河合祥一郎訳、角川文庫)より)Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-15412024073114783982020-01-05T21:18:00.000+09:002020-01-05T22:49:48.755+09:00ドナルド・トランプの戦争が日本経済を壊す<h1>
オリンピックより戦争だ</h1>
戦争だ、戦争だ。もはや戦後ではない。わずかばかり残された短い戦前だ。<br />
なぜかと言えば、大日本帝国の元首が戦争をお望みである。ドナルド・J・トランプ大統領閣下が戦争をご所望なのだ。戦争するしかないじゃないですか、と有名な国会議員もほたえておる。戦争だ、戦争だ。<br />
なにしろ大統領選挙の年だ。戦争するしかないじゃないですか! ウクライナ疑惑から有権者の関心をそらさなきゃならぬ。戦争するしかないじゃないですか! 2004年の大統領選挙の前年に、「大量破壊兵器がある」などと満天下に大ウソついて、なぜイラク戦争始めたのか? 支持率ダダ下がりだった愚鈍な石油利権一族のジョージ・W・ブッシュ陣営が、「急流渡河の途中で馬を乗り換えるな(Don’t swap horses in midstream.)」なんて慣用句吐き散らかして選挙キャンペーンやって勝ったのか。政府が急流渡河の状況をこしらえたおかげである。戦争するしかないじゃないですか!<br />
1964年の大統領選挙直前に、北ベトナムによる米軍への攻撃を米政府がねつ造した「トンキン湾事件」によって現職が圧勝した事例も忘れるわけにいくまい。選挙のためには、戦争するしかないじゃないですか! よろしい、ならば戦争だ!<br />
開戦スケジュールは、民主・共和両党の全国大会に合わせて、7月から遅くとも8月には敵味方にバタバタ死人が出る激戦になっていなければならん。<br />
東京オリンピック真っただ中? そんなもん、知ったことか。大統領選の方がなんぼ大事か。大切なのは戦争じゃ。大勢の選手が殺害されたミュンヘン大会みたいに凄惨な五輪になっても、戦争中なんだからいたしかたあるまい。<br />
いっそ五輪など急場となれば中止してしまえば良い。文句を垂れる与党の国会議員には、ラスベガスあたりのカジノ運営企業がなんぼかカネを渡しておけ。贈収賄がバレても、雲隠れすれば刑事責任すら問われぬ国じゃ。戦争するしかないじゃないですか!<br />
<h1>
令和の石油危機</h1>
えてして戦争というものは、行き詰まった政官財の利害が一致して端緒が開かれるものですから、その多くは不況下に始められてきました。今回トランプがイランを相手に始めようとしている戦争は、記録的な好景気にかかわらず、目的が大統領選挙のみですから、企業経営者たちにとっては、さぞ迷惑千万でしょう。トランプが世界的な好況を破壊することになります。外務省のウェブサイトによれば、イランは世界第4位の原油産出国。戦争になれば、大規模な環境破壊を伴う石油インフラの破壊は免れないので、グローバル経済の瓦解は必至。世界一の産油国アメリカは当事者だから、世界の石油不足分を輸出するはずがありません。2位のサウジアラビア、3位のロシアは、なんだかんだとこの戦争に介入してくるでしょう。どこから油買うのよ? 来るよ、令和のオイルショック。<br />
<h1>
1966年の輸出産業打撃</h1>
今日は、かつてアメリカのベトナム戦争介入が日本のオートバイ輸出産業に損害を与えたお話から、大企業がこうむる戦争リスクについて考えます。<br />
「二輪車産業グローバル化の軌跡」(出水力著、日本経済評論社)などの資料によれば、1959年に米国へ本格進出したホンダは、排気量50ccのスーパーカブを皮切りに、次第に排気量を拡大した商品を投入。市場を席巻します。<br />
ヤマハ発動機はピアノ販売網を北米進出の橋頭堡にして参戦。浜松の先人ホンダのやり方の観察・模倣を常とするフォロワー鈴木自工も現地法人を立ち上げ、新進気鋭の若き取締役鈴木修氏(現・スズキ会長)を米国に送り込みます。<br />
最後発のカワサキに至っては、慢性的赤字からの脱却を掲げて、それまで造ったことのない600cc超の大型車を出たとこ勝負とばかりに、いきなりマーケットに投げ込みました。強烈な振動によって脱落するパーツがアメリカの大地に撒き散らされ、エンジンから漏れ流れるオイルが広大な大陸の路面を濡らして、部品脱落車両どころかディーラー網までバラバラにしかねないトンデモ商品だと、社内で問題となったそうです。<br />
カワサキの後先考えない鼻息の荒さからも分かるように、そのころは4社ともイケイケだったわけですが、熱を帯びるこのオートバイ商戦に冷水をぶっかけたのは、リンドン・ジョンソン米大統領その人でした。<br />
1964年のトンキン湾事件以降、米国はベトナム戦争の泥沼へ本格的に足を突っ込みました。当時のアメリカは徴兵制。二輪車の主購買層である多くの若者が続々と、東南アジアのジャングルに送られました。戦争に行く人間はレジャーバイクなんて買わなくなるし、死ぬ確率が高い兵士相手に、未回収リスクの高いローンを組む奇特な金貸しはいません。日本の輸出産業の花形だったバイク業界はたちまち斜陽となりました。<br />
1966年6月16日付の朝日新聞「オートバイ業界にショック 対米輸出、大きく減る」から引用します。年号は昭和です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
米国ではいまベトナム派遣の兵力を増強するため、学生の徴兵延期資格テストを実施するなど徴兵強化にやっきだが、徴兵の対象となる米国の若者をお得意先にしている日本のオートバイは、このところ対米輸出がガタ減り。“あすをも知らぬ命”というわけで、需要が急に減ったうえ、これらの若者を対象にした市中金融機関の貸付け態度がにわかにしぶくなったのが原因。日本のオートバイ・メーカーが改めてベトナム情勢に強い関心をもちはじめる、といった奇妙な波紋を起している。<br />
昨年米国向けだけで33万台のオートバイを輸出した本田技研は、今年は当初45万台と約5割増の強気な輸出見通しをたてていた。ところが4月になって、注文が急減、最近では「昨年なみにとどまりそうだ」とあわてて生産計画を修正した。同社は、5年前ベルギーに設立したような組立て工場を米国にも設立する計画を進めていたが、最近になってこの準備も一時中止。<br />
日本小型自動車工業会(小石雄治理事長)の調べでも、1、2月に月9万台、という好調なペースでスタートした今年の対米輸出は3月に7万台、4月に5万台と減ってきている。<br />
なにしろ40年度の生産の約半分が輸出され、輸出のうちの7割は米国というぐあいに、米国の若者は日本のメーカーにとっては大切なお客さま。伸び続けてきた二輪車輸出は突然大きなカベにぶつかった形である。(引用おしまい)</blockquote>
この一件によって、右肩上がりに業績を伸ばしてきたホンダは赤字に転落、南ベトナム政府軍に原付バイクを販売する大口契約で糊口をしのぎます。商品の軍事目的使用に嫌悪感を示す企業イメージがあるホンダですが、背に腹は変えられない時期の黒歴史となりました(ホンダのウェブサイトでは、この件をいい話風に紹介しています)。<br />
かつて日本の輸出産業がつぶしかけられたジョンソン大統領のトンキン湾事件は、ドナルド・トランプのイラン革命防衛隊司令官殺害にあたります。<br />
良心のある経営を行っていると自負される企業におかれては、なにとぞトランプがやらかそうとしている戦争の制止・回避に尽力いただきたいとお願い申し上げます。それが、ひいては会社・従業員・株主、そして顧客を守る行動となります。<br />
逆に放っておくと、大統領発の大恐慌に会社をつぶされるかも。後世、‘Trumpanic’とか‘Donaldepression’などの名で記憶されるであろう、無能なボンクラが生み出す世界経済危機がやってきます。戦争を防ぐことで、傷口を浅くしておきましょう。<br />
反戦叫ぶしかないじゃないですか?
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-65196320320361922822019-12-26T00:00:00.000+09:002019-12-26T00:09:51.137+09:00紀元2600年のメリークリスマス<h1>
消費増税下のメリクリ</h1>
メリークリスマス。みんな、プレゼントはもらえましたか?<br />
大企業の収益があまねく内部留保に回り、10月の実質賃金も下がった旨、厚労省の発表がありました。<strike>親御さん</strike>サンタの家計も厳しい中、消費税10%で迎えた聖夜。みんなの希望がかなったのかどうか、ちょっと心配です。<br />
来年はもっと大変な年になるかもしれません。自衛隊が中東に出されるようです。国会を通さず閣議決定だけで送り出されるんだって。戦闘に巻き込まれたらえらいこっちゃ。また途中経過の文書がなくなって、責任の所在がどこにあるかはぐらかされちゃいかねません。<br />
<h1>
内務省の取り締まり</h1>
戦争になったら、クリスマスどころではなくなります。私たち日本人は、80年ほど前に苦い体験をしているんです。<br />
今日は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争を契機として、クリスマスの娯楽が醜く変容していった様子を紹介します。<br />
同年7月の盧溝橋事件以来、日本軍の中国侵略の戦線は、大陸の奥深くへ広がります。明治時代にやってきて、すでにどんちゃん騒ぎがつきものになっていたクリスマスに目をつけたのは、最低最悪の官庁だった内務省でした。<br />
当時の朝日新聞によれば、客になりすました警視庁保安課の刑事が東京市下のカフェ、バー、ダンスホールなどに潜入、目に余ると判断すれば片っぱしからパリピ狩りを敢行、少なくない店を営業停止にしました。高級料理店などに卸されていた七面鳥の需要も激減しました。戦争と全体主義礼賛で部数を伸ばしてきた朝日新聞の筆はノリノリで、メディアが押し進める戦前の狂った道徳観がうかがえます。<br />
<h1>
1940年の三浦瑠麗</h1>
時はめぐって1940年。大日本帝国にとっては、紀元2600年を迎えたメモリアルイヤーですが、それに合わせたはずの東京万博は中止。夏季東京五輪も、冬季札幌五輪もなくなりました。日中戦争は完全に泥沼化していて、さらに日独伊三国同盟なんか結んだせいで、米国は鉄鋼・クズ鉄の対日輸出を禁止しました。<br />
ここに至ると、七面鳥は需要減に関係なく、飼料不足で絶対数が足りなくなっており、統制経済下、クリスマス直前に政府が値上げを抑えるために公定価格を発表する有様でした。<br />
社会が八方塞がりになれば、外国人やその文化たたきが行われるのは、古今を問わない日本メディアのお家芸です。週刊ポスト風に言えば「クリスマスなんて要らない」とばかりに、キリスト生誕祭への攻撃が強まります。世論を喚起せんと、新聞の読者投稿欄でも、ステロタイプの‘インテリ読者’が健筆を奮いました。1940年12月17日付の朝日新聞夕刊「鉄箒」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
今年も亦(また)クリスマスが近づいた。キリスト信者は無論のこと、キリストとは何の関り(ママ)もない都会のインテリ家庭や、カフェ、レストランさへ、わざわざクリスマス・ツリーを立てたりして、お祝をしようとするであらう。キリスト教徒が祝ふのは何の不思議もないが、降誕祭が何かさへ知るところなき徒輩までが祝ふのを見て、常ににがにがしさを感ずる。<br />
◇これは明治の中葉、ミッション・スクールがまだ欧米家庭文化の輸入港であった時代、そこの卒業生や生徒逹が一つにはキリスト教の宣伝のため、一つには先進文化人としての誇りを示すために、祝って見せたのを見て、一般のインテリ夫人までがそれをしないと何か文化人で無くなるやうな、愚かな勘違ひと虚栄から争って模倣したためである。<br />
◇或(あるい)は『サンタクロースが来るといへば子供が喜ぶから祝ふのだ』といふかもしれない。だが、煉瓦で築いた煙突を持つファイア・ブレースが冬中の一家団欒(いっかだんらん)の中心となる西洋の家庭においてこそ、あの童話は、生活に深く根ざした信仰に裏附けられて始めて(ママ)美しい詩となるのだ。それは雛祭(ひなまつり)や端午の節句が日本人にとって歴史的民族的裏附けを持つ美しい生活詩であるのと同じである。<br />
◇この2600年を契機とし、この非常時局に省みて、このやうな愚かな西洋模倣は断然止めてもらひたい。(引用おしまい)</blockquote>
この投書を簡単に分析してみましょう。前半で自分はクリスマス輸入の歴史に通じた知識人である旨を開示して、新聞読者の信用を得ようとしていますね。クリスマスに夢中になる人間は俗化された、虚栄心にまみれたエスタブリッシュメントであり、家屋の造りからしてサンタクロースを迎えるに適さない日本にクリスマスはふさわしくなく、民族的裏付けのない模倣は日本精神にふさわしくない、というわけです。<br />
ハナから何かをぶち上げるんだけれどソースが不詳不明、続く俗物批判、エスタブリッシュメントを撃つように見せて、実は権威・権力に追従している。<br />
これ、何かに似ていませんか? 近年よくテレビに出てくる学者の三浦瑠麗さんの論法と同じじゃありませんか。税金の私物化が問題である「桜を見る会」への批判を「庶民の嫉妬」に矮小化したり(Twitter)、「1940年以前の日本は民主主義だった」(東京新聞)とすっとん狂な歴史修正主義を披歴したりする、あの‘官製広報装置’三浦瑠麗さんですよ。ワンパターンに過ぎて最近では、すぐに手口を読まれるポンコツ広報装置になってますけど。<br />
1940年の世論形成の主体は新聞でした。現在のそれはテレビジョン。官製広報装置が暗躍するテレビです。来年も平和な世の中で、多少のバカ騒ぎをしたところで官憲がしゃしゃり出てくることもない、楽しいクリスマスを迎えたいものです。そのためには、みんなも審美眼を磨かなくちゃいけないってのは、面倒くさいんだけど大事なことなんですね。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-25703092030607573892019-10-22T23:11:00.000+09:002019-10-22T23:11:00.960+09:00即位の礼と沖縄観光<h1>
相良倫子さんの言葉</h1>
天皇陛下即位礼正殿の儀に、沖縄県から相良倫子さんが招待されました。昨年の沖縄戦没者追悼式で平和を希求する自作の詩を朗読した少女です。確信に満ちた口調で我が意を読み上げる姿を、YouTubeでも見ることができます。 <br />
でも、沖縄に行った経験がないと、相良さんの心はなかなか伝わりにくいのではないでしょうか。沖縄に対する多少の知識、または好奇心なくして、想像力はなかなか働かないものです。そこで拙ブログは若いみんなに向けて、戦争の歴史を知る沖縄本島見どころツアーを企画しました。沖縄旅行の機会があれば、親御さんに相談してみて下さい。観光産業が盛んな沖縄では、バスやタクシー、レンタカーなどの足が使えますが、このプランではレンタカーをおすすめします(理由は後述)。お父さん、お母さんに運転してもらいましょう。<br />
島の北西部にある国頭半島には、世界遺産リストに登録された今帰仁城跡があります。丘陵地に石を積み上げて築かれた見事な建造物で、青い海の向こうに伊江島が見えます。平地の多い同島には豊かなサトウキビ畑が広がっていましたが、日本軍が飛行場用地としてほとんどを接収。そのため最初に米軍の激烈な空爆・上陸戦の標的にされたあげく、島民は日本軍の指導・命令による集団自決や女性に至るまでの敵陣突撃戦闘をやらされて、おびただしい血が流されました。<br />
城跡見学の後は、敷地内にある今帰仁村の歴史資料館に行きましょう。城跡の入場券があれば無料で入れます。先史時代以来の民衆の暮らしが民具などとともに紹介されています。米国占領期が長かったこともあって、私たちは戦前の沖縄の庶民生活をほとんど知りません。土地固有の民俗があったのですが、戦争がこれらを破壊します。今帰仁村は米軍の攻撃のみならず、日本兵による「スパイ整理」名目の住民虐殺の憂き目に遭っています。<br />
のどがかわいたら、大宜味村まで足を伸ばしましょう。ここの名産は、栄養たっぷりの果物シークヮーサー。入場無料のシークヮーサー・テーマパークもありました。おいしいジュースを飲みながら、戦争時の同村に思いを巡らせましょう。ここでも、日本軍の敗残部隊が女性たちを中心とした村民を銃や手榴弾で虐殺しています。相良倫子さんの詩のフレーズ「戦力という愚かな力を持つことで得られる平和など、本当はない」の証明です。軍隊にとって住民保護は、作戦行動の第一義ではないのですね。<br />
小腹が空いたら、浦添市のアルゼンチン料理店「CAMINITO」はいかがでしょう。移民としてブエノスアイレスに渡った後、故郷に戻って店を開いたおばあちゃん手作りのエンパナーダ(具入りパン)やチュロス(揚げパン菓子)が絶品。おばあちゃん、日本語が通じますが友人が来店するとスペイン語に切り替わります。沖縄が戦後の南米移民数ナンバーワンなのは、地域がそれだけ貧しかったからです。生きるため、外に出て行かざるを得なかった。南の島で食べるアルゼンチン料理には、そんな歴史の味も含まれています。<br />
<h1>
辺野古に行ってみる</h1>
島を横断して東岸の辺野古を目指します。相良さんが「この青に囲まれた美しい故郷」とうたったブルーの海は沖縄の象徴的環境ですが、辺野古に入ると様子が一変します。湾の海水は赤茶けた泥でにごり、不愉快な風景を観光客に提供します。私たちは日本人ですから、安全保障問題の最前線を確認するに越したことはありません。嫌なら見るなというわけにはいきません。基地建設予定地に行きます。ここへはレンタカーがオススメです。左手に米軍のキャンプシュワブのゲート、右に建設反対派の急造施設を見ながら、ゆっくりと坂道を下ります。私たちは観光客ですから、写真は撮らない方が無難です。だれかがレンタカーのナンバープレートを記録しているかもしれません。私服のお役人が後をつけてくる危険をおかさないよう気をつけて下さい。<br />
坂を下って左に曲がると、さびれた歓楽地跡があります。かつてはキャンプの米兵相手に羽振りの良かった地域。戦争景気が去るともの悲しい風景に変わります。ここでUターン。速度抑えめにして坂道を上っていくと、左手に居座る反対派の人たちが手を振ってくれます。ごく普通の人なつこい地元のおじさんやおばあさんです。ネットデマに登場する反日パヨクなんかじゃありません。自分の目で現場を見る、経験するという行動は、ネットにだまされないための大事なファクターです。ここに行くには、レンタカーしかないだろうな。<br />
<h1>
不発弾の危険</h1>
ホテルに着いたら、テレビで夕方の地元ニュースを見るのも一興です。辺野古の新基地反対運動参加者が検束されるニュースが、たまに流されます。本土ではいっさい伝わってこない沖縄の“リアル”。<br />
不発弾発見の報道も頻繁です。米軍だけでなく、日本軍の爆弾も顔を出します。6月には、<a href="https://ryukyushimpo.jp/news/entry-931396.html" target="_blank">こどもが拾ったサビサビの手榴弾を遊び道具にして、あわや大惨事というニュース</a>もありました。沖縄県内の不発弾完全処理には、あと70年ほどかかるそうです。沖縄戦自体は3ヶ月くらいだったのにね。<br />
本土に暮らす私たちは、そんな県内の状況に無頓着であり続けました。ですから沖縄の平常化は遅々として進まなかったのです。1975年、沖縄の経済支援策として海洋博が開かれました。当時の読売新聞の社説が、博覧会に合わせて不発弾問題を取り上げています。同年6月28日付の社説「沖縄は不発弾の上に眠っている」から引用します。年号は昭和です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)戦時中、本土防衛の決戦場となった沖縄は、10数万の県民と10万人の兵隊を失った。3.3平方メートルに数発、といわれる爆弾、砲弾が撃ち込まれ、そのすさまじさは“鉄の暴風雨”と表現されている。総理府の推定では、総量9万4千トンといわれるが、このうち、7800トンが不発弾として、地下で不気味に眠っているという。<br />
昨年3月、那覇市で下水道工事中、爆発が起こり、4人死亡、30人近い死亡者を出している。最近でも、小学校そばの密集地で電柱取り替え工事中に発見され大騒ぎとなった。不発弾処理場の不足などで、機関銃弾なども含め、届け出のあった千余発も未処理のままだといわれる。<br />
政府は、50年度から1億3千万円の補助金を出すことになったが、作業はまだ軌道に乗っていない。沖縄では、学校、病院をはじめ、公共施設を急速に増やさなければならないが、まず不発弾の探査や除去から、ということになると、手間も費用も大変だ。第一、危険な場所の家屋の移転などを考えると、少々の補助金ぐらいではやっては行けまい。<br />
(中略)民間資本を含め、5千億円も投じられたという海洋博は、開発による自然破壊、インフレ高進など、マイナス面もあっただろうが、復帰ショックをやわらげ、沖縄経済に役立ったことは事実である。<br />
しかし、なぜ不発弾のような人命にかかわる戦後処理が、海洋博の試みに先駆けてもっと積極的にやられなかったのだろうか。全島を血潮に染めた沖縄戦闘が終結してから満30年。本格的な不発弾退治の大作戦の展開を望みたいと思う。(引用おしまい)</blockquote>
44年前からほとんど前進していない不発弾処理の現状にあぜんとします。沖縄の人たちからすれば、「周知の事実を何も知ろうとしてこなかった本土の人間が何を今さら」と感じるかもしれません。<br />
天皇の名の下に、米軍に殺され、友軍に襲われ、国体護持のために本土再独立の人質として米国に売られた沖縄。新天皇即位を、私たちと同等の安全と権利が保障されるよう本土の市民も考える機会にしたいものです。<br />
相良倫子さんの詩は「私は今を、生きていく」と締められています。沖縄人が独りでなく、本土に暮らす人間たちを同胞ととらえて、「私たちは、生きていく」と言ってくれるようになってほしいものです。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-4045130447092376572019-09-28T23:10:00.000+09:002019-09-28T23:16:13.998+09:00杉田水脈・文科相所管のトリエンナーレ・ディストピアを妄想する<h1>
竹宮惠子「風と木の詩」の生産性は?</h1>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiVJ5tOCJllyH6NCNX5kgYfZJon6TXCTf9dPwqHpezpuQ8BdJzswLuJ5v_ISjaBjpGstUCTIowjG1GTOzZaxigiNR05QGjNhSZNRB6VQcEirKSyUEQ9SWgDS4nbs7HlaDj0zwWZHIP-D6nD/s1600/%25E9%25A2%25A8%25E3%2581%25A8%25E6%259C%25A8.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="450" data-original-width="306" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiVJ5tOCJllyH6NCNX5kgYfZJon6TXCTf9dPwqHpezpuQ8BdJzswLuJ5v_ISjaBjpGstUCTIowjG1GTOzZaxigiNR05QGjNhSZNRB6VQcEirKSyUEQ9SWgDS4nbs7HlaDj0zwWZHIP-D6nD/s320/%25E9%25A2%25A8%25E3%2581%25A8%25E6%259C%25A8.jpg" width="217" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">「風と木の詩」第3巻(eBookJapan Plus)より</td></tr>
</tbody></table>
竹宮惠子さんの「風と木の詩」は、1970年代半ばに商業作品として少年の同性愛を取り上げた、日本が世界に誇る大傑作漫画の一つです。<br />
しかし、もしも「杉田水脈文部科学大臣」なんて悪夢が現実のものとなったら、その扱いがどうなるものやら、と妄想してみましょう。<br />
お役所から「『風と木の詩』には生産性がない」と決めつけられてコミック書店が迫害を受ける。頭のおかしな評論家がしゃしゃり出てきて、「『風と木の詩』を認めるなら痴漢の触る権利も保障しろ」などとわめき散らす。<br />
作品を読んだこともない杉田推しの暴発ネトウヨどもが「(登場人物の)セルジュとジルベールはコミンテルンだ!」等のデタラメを脅迫電話やメSNSで拡散、竹宮さんに関わりのある教育機関へ電凸をかける。従軍慰安婦報道を担当した元朝日新聞記者の勤務する学校が、陰湿なウヨ電の集中攻撃と脅迫を受けた事件があったでしょ。<br />
大学法人には、文科省が補助金交付の打ち切りをちらつかせて圧力を加える。<br />
「作中人物に使用される“敵性語”と同一であるセルジュ・ゲンズブール、ジルベール・ベコーらの歌舞音曲は、日本国内での販売並びに放送禁止に処する。以上、文部科学省令である」なんてね。<br />
以上、すべて根拠のない妄想です。でも、文化統制の暴走とは、えてしてこんなものじゃないでしょうか。<br />
<h1>
内務省の漫画統制</h1>
「杉田水脈文科相」。ありっこないですか? いやいや、今現在の文科相はアタマの中身がほぼ杉田レベルの萩生田光一氏。このところの日本の常識では、いつ杉田大臣に交代してもおかしくありません。その萩生田大臣は、表現の不自由展の少女像がネトウヨ案件になった「あいちトリエンナーレ」への補助金交付をやめるという憲法21条(検閲の禁止)違反をやらかしました。<br />
芸術展を中止しなければ会場にガソリンやサリンをまくと、愛知県を脅迫した事件の加害者側に国が寄り添い、被害者である展覧会開催者を痛めつけるものです。国民の自由な表現活動の萎縮を狙った、えげつない判断です。まるで戦前のようですね。<br />
当時の大日本帝国では、あらゆる文化活動が検閲を受けました。今の文化庁の役割を担っていたのは、内務省警保局です。内務省は、特別高等警察(特高)を使って国民の思想統制にまい進した全体主義の走狗でした。敗戦後すぐに解体され、大方の国民が快哉を叫んだ、非人間的セクションでした。検閲統制の眼は、こどもたちが大好きな漫画にも及びます。<br />
1939年、「のらくろ」の田河水泡、「フクちゃん」の横山隆一らが日本児童漫画家協会なる団体を結成しました。これは内務省が検閲を一本化するためにつくらせたもので、検閲を担当する警保局図書課の係官が、同年4月11日付の東京朝日新聞「児童マンガの昨今」で、検閲の基準を美辞麗句にまぶして説明しています。同記事より引用します。文中ゴチック体は紙面に使用されているそのままの箇所で、引用者が手を加えたものではありません。<br />
<blockquote class="tr_bq">
子供のための漫画は明朗で、健康で、教育的であってほしいのです。当局が俗悪なる漫画本など発売を禁止する等、厳重な取締を行って来てから、子供の漫画もやうやくよくなって来ました。<br />
<b>動物の世界</b>を人間化したものでも健康ならよろしい。支那事変や、軍事物など軍当局とも協力して取締って居ますが、皇軍の威信を傷つけるやうなものもなくなりました。<br />
ただ支那人をひどくけなしつけるものが多いのはいけません。彩色もあくどいものがすくなくなりました。<br />
お母さんは子供によい漫画の本を与へるやう選択すべきですが、それだからといって全部の漫画の本をみるのも大変でせう。そこで当局でお母さん代りに<b>検閲を厳重</b>に行って居るわけです。漫画は新しい芸術なので、長い目で見てよきものを育てゝゆきたいと思ひます。赤本、十銭本が浄化されて来たので高級な本、高い雑誌の売行に影響すると心配する向(むき)もありますが、子供に安い、良い本を与へることは幸福です。漫画家が自ら児童に対して社会教育の指導階級をもって任ずるやうに向上して、その人が総親和的なる<b>大同団結を</b>示したことは賛成です。次に子供の読物から振仮名(ふりがな)をとったことに就いていろんな批評はきゝますが、その後の成績は極めて良好で、雑誌の売行にいさゝかも影響しないと報国に接し、又、教育家からも賛成を得て居ますので、この方針ですゝみさらに、読物の内容、漫画、挿絵に対しても一層良心的に向上する様に導きたいと思ひますがそれには結局家庭のお母さんたちの協力が必要で、いたづらに宣伝や広告にまどはず愛する子供によき本や雑誌を与へるやう選択して頂きたいのです。(引用おしまい)</blockquote>
作品のテーマ、表現、描写から彩色に至るまで当局が検閲するから、母親は安心して思考停止して、統制下の帝国検閲漫画をこどもに買い与えろと国家が言っているわけです。<br />
ずいぶんとふざけた話ですけど、これが帝政日本国の常識。納得できない、従わない臣民は非国民とされました。今回の文科省(文化庁は外局)の補助金不交付は、こんなディストピアを再現するための助走でしょう。若いみんなも、作家が自由に描いたテーマの漫画を、自分の自由な選択で読みたいよね。補助金不交付は絶対に撤回させねばなりません。<br />
<h1>
行き着く先は小林多喜二</h1>
表現の自由が侵害される時は、作品や公開の機会だけが侵されるのではありません。作者本人の生命にも危険が及びます。最近の選挙では、往来の自民党候補・議員にヤジを飛ばすと、あちこちで警官に排除されるそうです。実力組織が国民の表現の自由を阻害できる時代なんです。次のステップは、きっと検束・逮捕。どの美術家、ミュージシャン、漫画家が逮捕・拘禁の栄誉に輝くのでしょうか。下手すりゃ拷問付きで戦後の小林多喜二の称号を冠する羽目に陥るかもね。歴史に名が残るぞ。<br />
貧しい労働者の目を通して資本主義のあり方を告発した「蟹工船」で知られるプロレタリア作家小林は1933年2月、特高警察に逮捕され拷問死します。全身に打撲傷、首には細引で締めた跡が残り、外見からも内臓破裂が推測できたという遺体が家族に返されましたが、国家の小林へのむごい仕打ちは死後も続きました。<br />
通夜、告別式にも警察官が動員され、外部との接触を遮断。弔問客16〜17人を片っ端から検束して、故人との面会を許さず、悲しみにくれる家族に恥をかかせ、さらに深い絶望の淵に追い落としました。<br />
同年2月24日付の読売新聞夕刊「弔問客は全部検束 小林氏淋しく荼毘に」から引用します。読みやすくするため引用者が句読点を追加した箇所があります。<br />
<blockquote class="tr_bq">
不審の死を遂げたプロ作家小林多喜二の遺骸は22日夜杉並区馬橋3ノ375の自宅で実母せき(61)、実弟三吾君及び友人江口渙氏の3人きりで同志から贈られたさゝさやかな花輪に飾られ淋しい通夜を行ひ23日を迎へたが、訃を聞き北海道から駆け付た(ママ)同人の姉夫婦佐藤藤吉、きえ氏(引用者注・多喜二の姉・ちまのことだと思われる)らは変りはてた弟の姿にしばし面もあげ得なかった。例によって杉並署からは20数名の制私服警官が出張、真向ひの空家に屯して前記の5名以外は絶対に近づけず弔問者は片ッ端し(ママ)から検束する厳戒ぶりであった。午後1時、近親達は心ばかりの告別式を行ひ堀之内火葬場で警官がギッチリ囲むうちに淋しく荼毘にふした。(引用おしまい)</blockquote>
小林多喜二の葬儀妨害は、表現統制世界の終着駅の一つでした。あいちトリエンナーレが今、21世紀の小林多喜二として葬られようとしています。<br />
漫画世界では、萌え、BLといった権力の意に沿わない、理解できないものはクールジャパンとかいう、役人主導で決まったよくわからない名誉枠から選別除外されていくのでしょう。不二の傑作「風と木の詩」も、杉田水脈的、自民党的にお気に召さないのは言うまでもありません。名作だから国が発禁にする前に若いみんなも買って読もう。いや、そもそも発禁にさせちゃいけないんですよ。トリエンナーレ問題の本筋は、物事の優劣を権力の都合で決めて、「劣」にされた方はどんどん弾圧しても構わないとする論法はけしからんという話です。<br />
“杉田文相所管”の芸術祭を想像してみましょう。作家たちがどんなに悲惨な目に遭うものか。展覧会を見に行った客も検束されるかもね。<br />
表現者、国民ともに、今が表現の自由を守るための正念場を迎えています。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-34951646683652486602019-09-26T00:45:00.000+09:002019-09-26T00:49:11.307+09:00Aマッソが知らない炎上の過度、内海桂子が知る演芸の「ほど」<h1>
エディ・マーフィーのアンチ差別コント</h1>
映画スターのエディ・マーフィーが、まだテレビコメディアンだった1980年代前半に出演していた人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)で、白人の‘Mr.White’に化けて(アフリカ系だと丸バレだけど)、ニューヨークの街を歩きまわり白人の反応を見るというコントがありました。<br />
これは、白人が黒人など有色人種の格好をする「ミンストレルショー」(最近でもジャスティン・トルドー・カナダ首相が昔やった写真が流出し本人は謝罪)をはじめとする人種差別へのカウンターであって、その深い意味を感じるに、チビだデブだブスだ、といった個々人が持って生まれた特徴を笑いものにする日本のテレビとの文化格差を痛感したものでした。<br />
それから30年近くが経って、Aマッソというお笑いコンビが、黒人の血が入ったプロテニスの大坂なおみ選手のことを「漂白剤が必要」だとバカにして炎上したと報道されました。やっぱり、やったか。<br />
本ブログでは3年前、Aマッソに対して「現状の世間知らずのままではダメだ。インターネット時代にあって社会性のない芸人は芸以外の発言が命取りになるぞ」と、一般論を含めて言及しました(<a href="https://www.history-japan.info/2016/10/blog-post.html" target="_blank">「若手芸人よ、『笑けずり』を捨てよ町へ出よう」参照</a>)。残念ながら的中しました。<br />
炎上後の所属事務所ワタナベエンターテインメントの対応も悪手です。<a href="https://www.watanabepro.co.jp/information/pressrelease_190924.html" target="_blank">ウェブサイトで何かについて謝っている</a>のですが、何をやらかして、だれを傷つけて、どうしたいのか等々がまるで提示されていないので、何を伝えたいのかわかりません。ビジネス文書の基本である5W1Hが存在しないので謝罪文になっていないのです。文意不明。当事者の芸人による反省文も意図不明です。こんなんで公人として芸能活動続けられると思ってんでしょうか? 3年経っても、大事な社会性は備わらなかったんですかね。過度の炎上物件なんですけど。<br />
ナベプロの大先輩いかりや長介が、草葉の陰で「ダメだこりゃ」と嘆いてますよ。<br />
<h1>
Aマッソの「イキる中二病」</h1>
このコンビの漫才の特徴は、全力でのイキリだと思います。不条理な言葉を言ってみる、有名人の悪口を叫んでみる。ウチらリスキーやろ。予想不能や。いちびってんねん。おもろいやろ、とアピールする。こういう人たちをネットスラングで中二病と呼びます。<br />
近ごろは師匠に付いて芸を学ぶことが少なくなって、個性とセンスで勝負する芸人さんが増えました。促成栽培で独自の世界観を披露する漫才師が輩出するのは、とってもいいことですが、社会常識を身につける前にドカンと、またはAマッソのように中途半端に売れてしまってトラブルを起こし炎上するケースもあります。3年前の本ブログで危ぐしたポイントです。我を忘れるほど、自分が見えなくなるほどイキるな。<br />
昔から寄席や演芸場の楽屋や目の肥えた客席では、「ほどがある芸」という言葉が交わされてきました。何事もやり過ぎないことです。まもなく100歳を迎えようという年齢でありながら現在も舞台に上がり続ける漫才師内海桂子さんは、数多くの先輩芸人から教えを受けてきたのでしょうが、その中の1人に戦前戦後のお笑いスーパースター、三味線漫談の柳家三亀松がいます。桂子さんは東京・新橋での初共演で「ほど」を教わったそうです。1985年9月18日付の朝日新聞夕刊への寄稿「新友旧友」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)当時、三亀松師匠は吉本興業のドル箱といわれ、一枚看板で全国知らぬ者はなく、飛ぶ鳥落とすとは、まさにあのことでしょう。<br />
まだレコードが珍しい時代に「新婚箱根の一夜」の中のせりふ「ネェ、あなた、もう寝ましょうよ」が大流行しておりました。<br />
バックは大川端。常夜灯が1基、枝垂れ柳が舞台の七三に、一本花道のかかりに黒板べいに天水おけ。<br />
白革の鼻緒の突っかけばきで三味線片手に舞台から出ると大向こうから「待ってました大統領!!」。<br />
大きな目玉をぐるっとひとわたり寄席へ。そして「やってもいいかしら」。<br />
まるめて投げ込む 紙くずかごは ぐちや未練の捨てどころ<br />
と都々逸<br />
新内が売り物なのにあまり手数を入れず、前弾きぐらいで「蘭蝶」(引用者注・新内の曲)あり、間にヒグラシの声あり、当時流行の「支那の夜」などやっているうちに「ラ・クンパルシータ」を三味線1丁で弾きながら、三味をパートナーに踊りながら楽屋に入っていく、まったくもって見事なものでした。<br />
(中略)後年、師匠に「どうしてもっと三味線を弾かないんですか」って聞きました。<br />
「バカだなあ。三味を入れ過ぎれば野暮(やぼ)で、色っぽくなくなるぜ」といわれて、赤面したものでした。その時の話で、「三味線を荷物にするな。ネタの道具に使え」と弟子でもない私にありがたいお説教をいただきました。<br />
いま、それが私たちの漫才の大きな力になっておりますのにお線香の1本もあげに行かない不届き者をお許し下さい。エエ、そんな色っぽくもないのいらねえ、そうですね、師匠。<br />
閻魔(えんま)の在所に一升提げて 卒塔婆小町があいにいく 桂子(引用おしまい)</blockquote>
読んでいて気持ちが良くなる快文。江戸っ子のキップのよさとは、こんな文章なんでしょう。これも芸です。<br />
<h1>
「ほど」を知る 「ほど」が知れる</h1>
Aマッソの周りには、内海桂子さんみたいに「ほど」を教えてくれる先輩はいないんでしょうか? ことは彼女たちのみならず若手芸人みんなにかかわる問題なんですけどね。SNLでのエディ・マーフィーのコントに、すっからかんのアタマでアホみたいに笑って終わるのか、同業者の目で深意をかぎ取って感嘆できるか、我が芸能に活かせるか。<br />
「ほど」を知るか知らぬかを見て、お客は芸人の「ほど」を探ります。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-6840016152866014352019-09-19T23:33:00.000+09:002019-09-20T23:14:46.740+09:00こどもの教育を襲う萩生田歴史修正ビジネス<h1>
映画「新聞記者」の面白さ</h1>
遅ればせながら映画「新聞記者」を鑑賞。劇映画(フィクション)として、大変よくできた作品でした。<br />
やもするともっさりしそうな時間経過の描写を、素晴らしい編集がつなぎました。久しぶりに邦画のカット見て心震えました。エディターさんMVPだ。グッジョブ!<br />
設定にも無理がなかったし、人物造形も丁寧。松坂桃李さんは化けたねえ。作品全体の一から十までまるで緊張感のないNHK東京の駄作朝ドラでひどい芝居を見せられて以来、マツザカトーリはすっかり忌避物件にしていたんですが、良い本と現場に恵まれましたね。もちろん本人の成長も大きいんでしょうけど。ファンになりました。<br />
田中哲司さんは最高でした。政府が作り出す得体の知れないディストピアの象徴として、感情を抑えた演技を続けるんだけれど、その一貫した無感情ぶりが作品世界のトーンを決めるほどの好演となりました。こないだのNHK大阪朝ドラで、わやくちゃな大阪弁吐き散らしながらつまらんボケかましとった時には、茶の間の液晶画面にご飯茶碗投げたろか思いましたが、今回は見事としか言いようがない。良い本と現場に(以下同文)。<br />
このフィクションに、リアル感を出すのに一役買っているのが、加計学園問題で現政権の不正を告発した前川喜平・元文科省事務次官の出演。本人としてスクリーンに顔を出して、日本政治・社会の危機的状況を語ります。作中の虚実ミックスの加減もよく練られていました。このあたりの面白さも、編集の功績ですよ。<br />
<h1>
前川喜平の危惧</h1>
その前川さんが、安倍晋三改造内閣の文科相に選ばれた萩生田光一氏の手腕を問題視しています。<br />
<blockquote class="tr_bq">
やっぱり萩生田文部科学大臣か。ひどいことになるだろう。彼の議員会館の事務職(ママ)には、教育勅語の大きな掛軸が掛けてあった。(9月10日のTwitterより転載)</blockquote>
教育勅語かよ! 新大臣は、教育勅語の中身を本当に理解した上で事務室に飾っているんでしょうか? 知らせるメディアも、私たち一般国民も、教育勅語の内容を理解していないだろうから、一度みんなで読んでみよう。児童生徒の皆さんは、学校で先生に意味を尋ねよう。70年ちょっと前には、こどもを含めた日本の常識でした。理解した上で考えよう! <br />
教育勅語をまき散らした文部省(現・文科省)は、敗戦後の日本を統治した占領軍政府によって解体されるはずでした。国を誤らせた司法省、内務省がつぶされていくさまを、文部官僚は明日は我が身と見つめていたのです。国のために死ねとする軍国教育を進め、多くの学徒を死地に送った文部省は、その救命が決まると、教科書検定を代表例とするあらゆる方向への権限拡大を図りました。物不足の時代には、教科書に使う紙の管理にまで首を突っ込んだそうです。全ては省のサバイバルのため。ほとぼりが冷めると、戦前のような管理教育を1950年代末ごろから道徳教育回帰として打ち出し、日教組が対策のための分科会を作るなど、現場との対立を深めていきます。最近では大学入試英語の民間試験をゴリ押ししていますね。<br />
これ、萩生田大臣は断固推進を宣言。安倍晋三首相は、以前からイギリスのサッチャー保守党政権がやった、国の事業を市場任せにする路線のまねごとがお好きのようですが、英国の民営化教育の末路については、「イギリス『教育改革』の教訓」(阿部菜穂子著、岩波ブックレット)に詳しいです。大臣には教育勅語以上に愛読願いたいものです。<br />
<h1>
昭和13年、地獄の甲子園</h1>
教育をつかさどるトップがとんでもない人間だと、不幸になるのは言うまでもなくこどもたちです。今日は、教育行政史上最低最悪と呼ぶにふさわしい、戦前の荒木貞夫文部大臣時代の夏の甲子園(全国中等学校優勝野球大会)の惨状を紹介することで、こどもたちを守らない国家とはいかなる代物であるかを考えます。<br />
陸軍軍人の荒木は、皇道派の中心人物でした。「皇道派」は天皇中心の親政による国家運営を是とし、前提としてほとんどの議会政治家や実業家を“君側の奸”と悪者扱い。クーデターである二・二六事件を、前々から青年将校に焚きつけてきた男とも言われています。<br />
文相になると、大学改革と称して帝大にまで軍事教練を持ち込み学徒出陣を敢行した、馬鹿の数と種類には事欠かない戦中の日本陸軍中でも最右翼の愚人でした。<br />
こんな男が頂点に立った時代の甲子園球児たちがいかに不幸であったのかが、開会式の荒木の祝辞からもわかります。1938年8月14日付の東京朝日新聞夕刊より「文相祝辞」を引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
本日茲(ここ)に朝日新聞社主催第24回全国中等学校優勝野球大会の開催せらるゝに当り祝意を表すると共に一言所懐を述ぶる機会を得ましたことは私の欣幸とするところであります。最近我国における体育運動競技の普及発達真にめざましきものゝありますことは洵(まこと)に喜ぶべき現象であります。この機運この傾向を善導助長し以て(もって)国民体位の高揚を計り日本精神の作興に資するは現下時局の重大性に鑑み真に肝要なることであります。この秋に当り多年斯界の向上発展と運動競技精神の涵養(かんよう)とに努力し来つた朝日新聞社が本大会を開催せられますことは洵に時宜を得たる好挙といふべきであります。各地を代表してこの光輝ある大会に出場の光栄を担はれた選手諸君はよろしく学生たるの本文に則り一挙一動苟く(いやしく)もせず公明正大正々堂々と善戦健闘して銃後青年の意気を遺憾なく発揮し以て本大会開催の趣旨に副はれん(そはれん)ことを切望してやまぬ次第であります。(引用おしまい)</blockquote>
「現下時局の重大性に鑑み真に肝要なること」とは、「中国との戦争の真っただ中にあるから日本精神を奮い立たせることが大事だ」との意です。全体主義体制下戦時教育の典型的な嫌らしさですね。野球と関係ないやん。<br />
狂っているのは文部大臣だけではありません。日中戦争を拡大させた第2次上海事変の1年後に開幕を設定した主催者の朝日新聞社会長・村山長挙のあいさつは、聖戦完遂の高揚感にあふれています。上記紙面から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
上海に戦火の拡大したその1周年の記念日に大会の第1日を迎へることの意義深きを思ふ未曽有の事変下にあって今日茲(ここ)に尚(なお)かゝる壮観を見ることが出来るのは大会の精神が一に銃後における学生諸君の心得べき心の用意と一致するからである。即ち徹頭徹尾武士道的に個人の手柄を犠牲にし国体の名誉のために働くと云ふ心構へこそ大会の歴史を一貫する尊い精神でありそれは又(また)同時に現下の時局精神でもある。(引用おしまい)</blockquote>
全国から集まった球児は総じて滅私奉公に徹し、国体護持に心身を捧げて野球やれよ、と言うのが朝日新聞社からの訓示。文部省がアレで、メディアも狂乱。国を挙げての同調圧力に、選手も「スポーツマンシップにのっとり……」なんて悠長な選手宣誓はできません。同紙面から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
我等は時局の重大に鑑み益々(ますます)心身を鍛錬し銃後学生の本分を盈し(みたし)必ず国家の良材たらんことを期す。(引用おしまい)</blockquote>
「時局の重大に鑑み銃後学生の本分をみたし、国家の良材足らん」とした選手たちは大会後、どうなったことでしょう。出場者の一人、和歌山県立海草中の投手だった嶋清一は明治大から学徒出陣、東南アジアの海上で乗艦が雷撃を受け戦死しました。1939年の大会では全試合完封での全国優勝という空前絶後の記録を成し遂げた好投手でした。<br />
他にも非業の死を遂げた球児がどれだけいたものかわかりません。荒木ら国家、朝日新聞のようなメディア、そして国体の名誉なんてくだらないものに熱狂した国民が、寄ってたかって嶋清一をはじめとする同時代の青少年たちを殺しました。<br />
<h1>
教育に迫る歴史修正産業</h1>
このところ、しつこいくらい茶の間に流れてくるJR東海のテレビCMがあります。前川喜平さんの出身地奈良県への旅行をPRする、葛西敬之名誉会長率いる電鉄会社が宣伝する舞台は、名刹や古墳が居並ぶ奈良市や明日香村じゃなくて橿原神宮です。修学旅行は橿原神宮にもうでて日本精神を学べと言う話でしょうか。そのうち九州への学童旅行広告では、宮崎市の八紘一宇の塔がクローズアップされるかもしれませんね。全盛の歴史修正ビジネス・ヘイト産業が、こどもたちの身辺にも及んでいるような薄気味悪さを感じる今日この頃です。広告料をいただくテレビジョン全局が無言を貫くに決まってます。<br />
人の親なら、日本国民なら、我が国に生きるこどもたちの健全な成長を望むのは当然。これから始まる萩生田文教行政をしっかり監視しようじゃありませんか。大臣の背後からフィクションじゃない田中哲司(のようなもの)が出てくるようなことがあれば、奴らを叩きのめすのは国民の義務です。<br />
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」(日本国憲法26条2項)<br />
普通教育、フツーの教育ってのはマトモな教育環境あってのことでしょう。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-37888490442726721112019-09-14T18:14:00.000+09:002019-09-19T23:48:58.589+09:00池上彰を疑え!<h1>
池内紀と池上彰</h1>
メディアから日々流れてくるニュースは玉石混交で、特に最近は石の方がかなり多いよ、というのは、これから社会に出る、もしくは社会に出て間もない若いみんなにも知っておいてもらいたい大事なことです。<br />
膨大な量の情報を自分の頭で取捨選択、整理して何が正しくどれが間違っていて、あなたや家族、友人たちはどうするべきなのか。<br />
先日亡くなったドイツ文学者で優れたエッセイストでもあった池内紀が、ナチスドイツから亡命時のトーマス・マンの日記を分析した「闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記」(中公新書)は、社会の右傾化、国家の全体主義化に備える考えを養うための好著ですが、天性の才に恵まれたこの作家が、さらには世界各地の事件・事項を論理的にまとめ上げ、思考を進める教育を受けていたことが記されています。東京で起きた二・二六事件に触れたくだり(41ページ)より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
日本国首都のクーデタを記述するペンは、ドイツの首都における独裁政権の動向を伝えるものと、まったく同じである。イタリアのファシスト集団や内乱の前兆を見せるスペインと、スイス・ジャーナリズムの混乱――マンの日記は同時代史がいわば数珠つなぎになっており、その長大な数珠には細くて強い糸が通っている。新聞やラジオの報道によりつつ、もとより半分もうのみにしない。とりわけドイツからの報道が、どれほど操作され、かたよったものであるか、存分に知っていた。真実に一歩でも近づくためには、さしあたりここにあるものを手がかりにして、ここにないものを思わなくてはならない。そんな心のはたらき、精神の力。マンの日記は同時代の私的クロニクであるかたわら、一貫して自分に課して実行された精神の力のまたとない記録だった。(引用おしまい)</blockquote>
池内がトーマス・マンの思考法に言及したのは、自身がそうした教育を受けてきて、読者にも共有してほしいと望んだからでしょう。今日は、池内紀のような疑う視点を持って、民放テレビ局で引っ張りだこの池上彰さんが展開する「わかりやすいニュース解説」番組について考えます。<br />
<h1>
反日誘導 おい、マジか</h1>
<table cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="float: left; margin-right: 1em; text-align: left;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEisUBw2ZuunnvAitWeXbxkNZeO0wjc-5yZqYHS2ewGHRkfYNDtcKKP1Mmmv_dDX3zqIwhwQFHozeeNloWf12BGyjaIDfzHzva9X4n94igUt4CwNqTecF_-y2Zeoj5IeVafbbf7Jkes086Mx/s1600/ikegami.jpeg" imageanchor="1" style="clear: left; margin-bottom: 1em; margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="1200" data-original-width="1600" height="240" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEisUBw2ZuunnvAitWeXbxkNZeO0wjc-5yZqYHS2ewGHRkfYNDtcKKP1Mmmv_dDX3zqIwhwQFHozeeNloWf12BGyjaIDfzHzva9X4n94igUt4CwNqTecF_-y2Zeoj5IeVafbbf7Jkes086Mx/s320/ikegami.jpeg" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">おい、マジか。池上彰の「ニュースを疑え!」(文藝春秋)表紙</td></tr>
</tbody></table>
池上さんのテレビ解説で「おい、マジか」と思ったのは、2017年に見たTBSの番組。当時の朴槿恵・韓国大統領が様々な疑惑で追及され、数多くの次期大統領候補の名が挙がっている最中でした。彼らの名前をすらすらと読み上げた池上さん、恐るべき語を継ぎました。<br />
「でもこの人たち、みんな反日なんです」<br />
うわぁ、と茶の間で背筋が寒くなりました。隣国の為政者へさっそく日本国民に偏見を植え付けかねない、危険な司会だと感じました。<br />
「反日」という言葉は、もともとは日本政府の侵略や植民地政策に反抗する中国や朝鮮の人たちの側が使った言葉で、昔の新聞では日本政府が主語の場合、「排日」等を使用していました。それが大きく変わったのは、おそらく朝日新聞阪神支局の記者殺傷事件の犯人からとされる「反日分子処刑」の犯行声明以降だと思われます。今では日本の政治外交、文化、戦前の国体を賞賛する歴史観などへの異を唱えるものはすべて“反日”事案にされて、韓国政府・国民への国を挙げてのヘイト乱用のキラーワードとして、ネットや週刊誌、新聞、テレビにあふれる「日常語」になりました。こんな事態になるとはご本人も思わなかったでしょうが、思慮に欠ける発言でした。<br />
池上さん自身は「反日」を口にすることにこだわりがないようで、他局の同じような番組や、今年の正月に出演したラジオ番組でも、「反日」をネガティブな意味ではなく日常的な感覚で使っています。「中国・韓国の人たちに話を聴くと、反日的言辞もあるんですが……」といった次第。<br />
テレビはわかりやすく視聴者に刺さる刺激的な言葉を求めます。一方で、理解に時間や手間がかかる事項は省略します。池上さんの「わかりやすいニュース」を求める視聴者の多くは、ニュースへの理解度が白紙に近い状態で、「わかりやすい時事解説」を求めています。放送局の狙いもそれです。そこへ、テレビジョンの権威によるミスリードが起こったら……。<br />
NHKの「世界プリンス・プリンセス物語」で、リヒテンシュタイン公国の皇太子にインタビューした池上さんは、「税率を低く抑えて外国の資本を導入している」と、同国の政策を賞賛しました。でも、金満セレブや大企業の脱税が問題になっている、けしからんケイマン諸島などのタックスヘイブンと、素晴らしいリヒテンシュタインの違いは? 番組では教えてくれません。<br />
テレビ朝日では、チリの軍事独裁政権によって「多くの社会主義者が逮捕・拘束された」と話したことがありました。池上番組好きのイノセントな視聴者の多くは、「私と家族は社会主義者じゃないから厳しい法律ができても大丈夫」と考えるかもしれません。しかし、個々人が社会主義者であるか、テロリストであるかを決めるのは、取り締まる側にあります。<br />
番組で名前をはしょられた独裁者アウグスト・ピノチェト将軍は、一説には大量虐殺を含め10万人に危害を加えたそうです。自分はテロリストじゃないけれど、取り締まる側がそう判断したら檻の中に送られかねない共謀罪という制度が、我が国にもできました。<br />
2分間ほどの時間で歴史的事件を解説する「ニュース大辞典」(テレビ朝日系)という番組で成田空港開港40周年を解説した時は、成田闘争が土地の強制収用に対する農民運動だった背景をすっ飛ばして、いきなり過激派が国に反対運動を仕掛けたとイメージさせる乱暴なつくり。権力の側からすれば、今後に活かせる印象操作の参考となったでしょう。<br />
池上彰情報を鵜呑みにせず、池内紀的に疑って考えて身を守りましょう。「そうだったのか!!」じゃなくて、「ホントにそうだったのかぁ?」の出発点として、物事を考える出発点のみとして、池上番組を見るのです。<br />
<h1>
テレビにのまれるジャーナリスト</h1>
池上さんは、国政選挙の投開票日にテレビ東京の速報番組を仕切るのが定番となりました。毎度のキャッチフレーズは「池上無双」。ジャーナリストとしての無敵性を示すことで、番組の信頼イメージを向上させる、テレビ宣伝の常套手段ですが、ひるがえって考えれば、池上彰の権威化・神格化を池上さん本人が是認しているということでもあります。権威化したジャーナリストほどタチの悪いものはないというのは、ナベツネとか、戦前戦後の政界を我が物顔で闊歩した朝日新聞の緒方竹虎(大河ドラマ「いだてん」にも登場)だとか、枚挙にいとまがありません。数多くの冠をかぶって民放各局を回る池上さんですから、池上ビジネスで禄を食む関係者も大勢いるでしょう。そのせいか、最近はテレビ擁護の筆致も見られます。<br />
<blockquote class="tr_bq">
報道系番組ではスポンサーは一切気にしません。メディアには「権力の監視」という重要な役割があり、スポンサーの意向で報道が偏ってはいけないからです。(「池上彰の未来を拓く君たちへ」日本経済新聞出版社、225ページより引用おしまい)</blockquote>
キー局にあまたある政権批判ができないヘタレ報道番組のスポンサーにアパホテルが入っていて、報道内容が気にくわないから番組提供を降りると放送局を恫喝する美容整形外科がニュースになる時代ですけど、ギャラの出所にはジャーナリストも歯向かえないってエクスキューズなんでしょうか?<br />
<h1>
本田靖春の気概</h1>
以上、申し述べてきたのは、主に池上さんのパーソナリティに起因するものというより、テレビの抱える本質的な問題です。池上彰を呑み込んだテレビジョンのイシュー。<br />
テレビで「反日」なんて言ってしまう近年の池上さんを見ると、かつてテレビ朝日「モーニングショー」の顔だった元朝日新聞記者・江森陽弘の顔が浮かびます。新聞とテレビのメディアの違いに慣れず、1988年に降板すると月刊誌へ不満たらたらの投稿をやっちゃいました。それに対してノンフィクション作家の本田靖春は、痛烈な江森&テレビ批判の一文を朝日新聞に寄せました。同年7月24日付の同紙「TV時評 記者とタレント化」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
かつて『モーニングショー』(テレビ朝日系)のキャスターを3年半ほどつとめた江森陽弘さんが『体験的「テレビ&新聞」批判』とうたった一文を『現代』の8月号に寄せている。<br />
それによると、新聞記者であった江森さんは、<ニュースのプロ>であることを自任し、<だから企画検討の段階で「こういうニュースをやろうと思うんだが、どんな角度で切ろうか」と、当然そんな相談が持ちかけられるものだと思って>キャスターの仕事につく。ところが、実際は大違いであった。番組が終わると翌日の台本ができ上がっていて、キャスターのコメントの一字一句まで決められているのである。<br />
<実際に扱った事件でいうと、妻が夫を殺した事件をいくつかまとめてやったことがある。そのときのコメントには「なんてひどい奥さんでしょう。夫を殺すなんてとんでもない主婦です。どんな事情があろうと人を殺すなんて……厳罰に処してほしい」といったことがすでに書いてある。さらに、そのすぐあと、「はい、コマーシャルです」という具合である><br />
江森さんは右のような実例を挙げて、キャスターがいかにスタッフに軽んじられているかを書くのだが、文章のどこを探しても、スタッフとたたかった跡が見当たらない。<br />
「ニュースのプロ」を自任するからには、事件現場を一度も踏んだことのない、その面ではアマチュアの構成作家が書いたコメントなど、拒否すべきであろう。だが、江森さんはそうはしなかった。<br />
いや、ある程度の抵抗はしたが、新聞界とは縁が切れてテレビ界に“住民票”を移したいま、その間のやりとりを書くと身辺にさしわたりが生じるので書かなかった、ということかもしれない。<br />
それはともかく、文章を読むかぎりにおいて、江森さんはいとも簡単に次の結論に達している。<br />
<キャスターに問われるのは分析力や洞察力ではなかった。台本に書かれたセリフを覚える能力と、それっぽく伝える演技力なのである><br />
そうした意識の切りかえができたからこそ、3年半もの間、キャスターがつとまったのであろう。しかしながらそれは、ジャーナリストとしての自己否定につながる道であったといわざるを得ない。そこのところはご本人も分かっていると思うが。<br />
江森さんは新聞社の仲間から<「電波芸者」視>されたことがご不満のようである。<br />
そうした表現が適当かどうかについては議論の余地があろうが、別の番組に出てハーモニカを吹きだした江森さんを新聞社の仲間が顔をしかめて見ていたとしても何の不思議もない。かりそめにも新聞記者を名乗るものが、テレビでハーモニカを吹いてはいけないのである。そのわけはいうまでもなかろう。<br />
<しかし、私の吹くヘタくそなハーモニカを聞いて感激した地方のお年寄りがいたとか、亡くなった父を思い出したとか(略)という手紙を読んで、少しはお役に立ててよかったと思った>と江森さんは書く。なんと素朴なお人であることか。お役に立つ道はハーモニカとは別のところにありはしなかったか、と注文をつけるのが、ついためらわれるほどである。<br />
個人攻撃のようになってしまったが、私の本意はそこにあるのではない。<大衆の中を歩き耳を傾け、音とニオイに敏感になること>が<ジャーナリストの原点>であると信じてきた1人の新聞記者をスタジオに閉じこめ、出来合いのセリフをしゃべらせることから始まって、ついにはタレント化させてしまったテレビ界の体質を問題にしたかったのである。<br />
新聞記者の肩書をはずした江森さんが、これから先テレビでハーモニカを吹かれようとも、個人の立場でなさることに口をさしはさむつもりはない。余計なことだとは思うがつけ加えておく。(引用おしまい)</blockquote>
本田靖春は読売新聞記者から独立した作家でしたが、しがらみのできるテレビ出演をとことん断って、軟弱な大手メディアには終生牙をむき続けました。自民党の大物大野伴睦の記者会見を政治家側の人間として取り仕切る政治部記者(ナベツネ)など、気にくわぬ人物には、遠慮なく怒りの筆先を向けました。<br />
以前、自分が「新聞は日々の歴史を刻むべきもの」だとした<a href="https://www.history-japan.info/2017/07/blog-post.html" target="_blank">エントリ(前川喜平問題における読売新聞の「挙証責任」)</a>をリリースした後、朝日新聞に同じ趣旨の<a href="https://www.asahi.com/articles/DA3S13059352.html" target="_blank">コラム(新聞の責任 事実を刻む、歴史の証人)</a>を、よりわかりやすく詳細に執筆した池上彰さんは、さすがプロの文筆家だと思わせました。尊敬する人物の1人であります。<br />
とはいえ、池上さんが今後、テレビで「反日騒ぎ」をいさめることはできないでしょう。やれば、その言葉は自身へのブーメランになります。だから、若いみんなには一つだけの言葉やテレビの情報を丸々信じて踊らされることなく、トーマス・マンのように目を凝らし、耳をそばだてて集めた情報を脳内でミキサーにかけていくようになっていただきたいのです。<br />
数多くの人命と資源を失い国土が灰燼に帰した1945年のみじめな亡国のドイツを見るトーマス・マンの日記から、池内紀は以下のような感慨を持ちました。「闘う文豪~」169ページから引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
何もかもが過ぎ去ったとき、どうしてあんなことを許したのかと、他人ごとのようにして人は不思議に思っている。個人はいかに無力で、良心について考えるのがいかに難しいことであるか。ある体制を容認し、むしろ有利にはかるのは「第一級の犯罪行為」だというのに、それを認めるどのような言葉も聞こえてこないのである。(引用おしまい)</blockquote>
「ある体制」は、日本政府とも社会とも取れるし、江森陽弘から池上彰にまで続くテレビ業界にも当てはまるでしょう。反日ヘイトにまみれた昨今の亡国日本を救うためにも、みんなで実行しよう。<br />
池上彰を疑え!Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-43657666785324450162019-09-10T00:15:00.000+09:002019-09-10T00:29:15.395+09:00週刊ポスト・ゴミグラビアの先に見る落陽<h1>
商品になっていない今週号</h1>
何だよ断韓やめちまったのか、ダンカン。<br />
伝統ある小学館が誇る「週刊ポスト」がヘイトあおり運転に車線変更したから、9日発売号を楽しみにしていたんですけどね。個人的にも、ガキの時分には「幼稚園」から「小学六年生」まで取り続けて、世の中の常識を教えてもらった名門出版社が、今度はどんな人生の知恵や常識を与えてくれるのか心待ちにしていました。<br />
「晋三、君と小学館は同じゴールを見ている。断韓まで、晋三。2人の力で駆けて駆けて駆け抜けよう」って感じの前のめりなノリだったから、“10人に1人がビョーキ”らしい韓国人を憎悪することが、いかなる美徳であるか、教えてほしかったんです。かつて自分が学習雑誌からいろいろと学ばせてもらったようにね。<br />
ところが中身が無い。皆無、空虚、無意味。カビの生えた昔の週刊誌を切り貼りして並べたような、断韓でも嫌韓でも、もちろん親韓のメッセージでもない活字の羅列でした。こんなコミケのサークルカタログに載せるのも恥ずかしいレベルの紙束ごときで、カネ稼ごうなんておそれ多いよ。<br />
<h1>
汚いビキニ、見えないヌード</h1>
今週号には他にも、週刊ポストの無気力編集が痛いほど伝わる企画がありました。水着グラビアです。<br />
1970〜1980年代に「激写」といわれて一大ブームを起こした「GORO」の時代に撮影された、懐かしタレントのセクシーショットをページを割いて掲載しているんですが、なにしろ画が汚い。あまりの発色の悪さや色飛びに、最初は終戦直後のカストリ雑誌からひっぺがした仙花紙でも使っているのかと思いました。どうやらフィルムが劣化していたんですね。<br />
ネット情報ですが、デジカメ以前のフィルムは、保存環境次第で酢酸やガスが出て劣化するんだそうです。解説の入った修復業者のウェブサイトがたくさんありますから、そうした需要もあるのでしょう。<br />
大事な読者におカネを払っていただく商品を編集するのであれば、なぜ修復を試みる手間を省いて劣化版を載せてしまうのか? コストをケチったか、読者への配慮が回らなかったのか、その両方か。いずれにせよ、お粗末です。読者様、お客様は全員が「死ぬまでセックス」なんて、くだらない企画だけを毎週心待ちにしている色ボケジジイぞろいだとでも思っているのでしょうか。週刊ポストの落日がグラビアから感じ取れます。後半部の50年分のセクシーショット特集も、クソも味噌も詰め込んだせいで、写真も文字も小さくて、ターゲットの年寄りは、さぞ読むのに難儀するでしょう。お客様への気配りができていません。<br />
<h1>
松竹歌劇団の教訓</h1>
メディアが衰退をたどる時にまま見られるのが、はき違えた節約、勘違いしたリストラです。今日は大正時代からの伝統を誇った、浅草の華・松竹歌劇団(SKD)が解散に向かっていく途中のターニングポイントとなった、観客サービスのカットの事例を紹介します。<br />
1975年6月26日付の読売新聞「夏のおどり(SKD) バンドが消えた」より引用します。年号は昭和です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
25日から始まった東京・浅草国際劇場の「夏のおどり」で、これまで付きものだったオーケストラ・ボックスの生演奏が姿を消し、伴奏音楽はすべて録音テープにとってかわった。昭和3年、浅草にレビューの灯がともって47年、初の“珍事”だが、これは、同劇場経営の松竹が人件費節減のため伴奏を続けてきた楽団と手を切ったためで、職を奪われた楽団員たちは「不当解雇撤回」を叫んで、オーケストラ・ボックスならぬ国際劇場前で抗議の生演奏を続けていた。<br />
初日の25日の舞台。オーケストラ・ボックスは閉じられ、踊るような指揮棒の“姿”は見られない。ボリュームいっぱいのテープ伴奏で幕があいた。<br />
「楽団があって踊りがあるんで、さびしいわね。ただ、生演奏にこしたことはないんでしょうが、会社側にも事情があるようですから」と、41年入団の19期生、富士輝子さんは、肩をすくめる。舞台を見にきたSKD1期生のA子さん(42)の口調は、もう少し厳しい。<br />
「テープだけというのは絶対反対よ。バンドがないと盛り上がり方が違いますよ。それにバンドの人たちとも昔なじみだし、気の毒だわ」と、いかにも情けないという表情だった。<br />
ファンの方も、「生演奏のないレビューなんて」とシラけた様子。浅草に住み、SKDのショーは欠かさず見に来るという主婦の大川桃江さん(35)は、子供の手を引きながら「そりゃあ生演奏がいいわよ。劇場には、それも見にくるんですからね。テープ演奏だけなら、テレビや映画を見てるのと変わらないわ」と手厳しい。杉並区の主婦、小川やす子さん(41)も、「主人の仕事の関係で外国人のお客さんを招待するんですが、がっかり」といっていた。<br />
松竹側は「テープだと一流バンドの質の高い演奏で踊れる」というが、楽団員は、団歴22年の佐藤和助さん(51)を中心に楽団を解散せず、劇場側と団交を続けている。(引用おしまい)</blockquote>
楽団員たちとの長年の雇用関係を解消して、目先の節約に走ったSKD。生演奏とカラオケではお客の満足度が違うのは歴然です。人気低迷は止まらず、1982年にはホームである国際劇場公演を失い、1996年には解散の憂き目を見ました。安易な隣国叩きや劣化フィルム起こしのグラビアも同じですね。<br />
水の江瀧子を筆頭に、草笛光子、倍賞千恵子・美津子姉妹らキラ星のようなスターを生み出したSKDの終焉はあっけなく、さびしいものでした。50年の歴史をうたう週刊ポストの落陽がSKDと違うのは、その衰亡を惜しむ声が聞こえてこないところです。<br />
さようなら、週刊ポスト。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-29513318044350355822019-09-08T12:34:00.000+09:002019-09-11T23:52:42.203+09:00TBSが進める言論の不自由<h1>
オウム事件を忘れたか</h1>
TBSテレビが自社制作のドキュメンタリーバラエティ「消えた天才」で、映像の恣意的加工を行ったと発表、以後の放送は休止するんだそうです。スポーツのプレイ場面を早回しすることで、紹介対象人物の身体能力を過大に見せる手法が番組内で常態化していたとのことです。TBSは過去にやらかしたオウム真理教サブリミナル事件なんて、すっかり忘却してしまったのでしょうね。<br />
これは、同局がアニメ番組や報道番組内でオウムの教団代表の画像を一瞬はさみ込む手法を乱発した問題で、視聴者をミスリードする危険等の問題がじゃっ起され、各界から非難ごうごう、電波行政を管轄する郵政省からも厳重注意を受けました。教団による坂本堤弁護士一家殺害事件を助長したとされるビデオ問題と合わせ、ワイドショー制作を長期間やめるなど、放送局の信用を著しく毀損する一因となった、平成放送史に残る大事件です。元号が令和に変わったことだし、そんな黒歴史、もうどうでもいいってか?<br />
7日放送のTBS「炎の体育会TV」なる番組中、競泳自由形の日本記録保持者と小学生を競わせる企画で解説者が「小学生はひじを曲げて水をかいているが、アスリートは腕を伸ばしているのが記録の差につながった」ような指摘をしていましたけど、全国の指導者、親御さんが右へならえして子供たちの泳法を変更する実害が出ないか心配です。成長過程なりの泳ぎ方もあるでしょうし、選手の個性を考慮したコーチングもあるでしょうに。「天才」「体育会」と、東京オリンピックを控えて、スポーツバラエティは調子に乗っています。幸か不幸か、テレビの無謬性(むびゅうせい)を信じている視聴者はいまだたくさん存在しますからね。倫理観の欠如が新たなトラブルを生まなきゃいいのですが。<br />
<h1>
映像加工のワナ</h1>
めざましい映像編集技術の進歩には目を見張ります。Avid、Adobeといった会社からリリースされているコンピューターソフトのおかげで、プロの映像作家のみならずアマチュアの高水準なネット投稿映像作品が量産されています。<br />
例えばPremiereってソフトで動画いじって、Premiereと連携させたPhotoshopで文字入れる作業はチョー簡単。おかげで茶の間には、NHK・民放関係なく、無駄なテロップにまみれた汚いゴミ映像がだらだらだらだら送られてきます。赤の他人が作ったネットからの拝借犬猫動画にまで、勝手にテロップや効果音入れてテレビ放送。倫理・道徳感に加えて、著作権意識もプロのプライドもありゃしない。<br />
映像の加工といえば、近年やたらめったら流行しているのが、古い歴史的ニュース映像のカラー化です。先んじて始めた欧米を追いかけるがごとく日本も、特にNHKが率先して進めている模様。<br />
最近よく聞くAI技術で、モノクロ画面に適切な色を着けるというヤツで、静止画(写真)においても、首都大学東京などの学術機関が進めているようです(<a href="https://mainichi.jp/articles/20171220/k00/00e/040/296000c" target="_blank">毎日新聞の参照記事</a>)。<br />
米中ロなどが開発を進めるAI兵器が、人間の意思の介在なく殺人を行った時、人命を奪う責任の所在が不明であると同様、映像加工にも歴史に介入する責任がだれにあるのか、ガイドラインや道徳的規制はあるのか考えなければいけませんね。<br />
研究と実用との間には強固な倫理の壁が必要です。国の政府や情報機関、特定の思想に凝り固まった団体などによって、技術的には容易に史料が思う方向に改ざんされ得る時代を迎え、今回のTBSのような感覚で映像の管理・公開がなされれば、すべての映像資料の信用性は地に落ちます。<br />
<h1>
権力は介入する</h1>
モノクロ映像の“カラー化先進国”アメリカ合衆国では、30年以上前から白黒映画に着色、ビデオ販売する商売が一般化していました。御多分にもれずコンピューターの「AI技術による正確な再現」を錦の御旗としたソフト販売会社に怒ったミュージカルのスーパースターやアカデミー賞受賞監督ら銀幕の守護者たちが、連邦議会で熱弁を振るいました。<br />
1987年5月13日付の毎日新聞夕刊「白黒映画のカラー化 米上院で“白黒論争”」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
【ワシントン12日=小泉特派員】白黒映画をカラー化するのは是か非か--を問う米上院の法務委員会・「テクノロジーと法律」小委員会の公聴会が12日開かれ、往年の名女優ジンジャー・ロジャースさんや映画監督兼俳優のウディ・アレン氏らが「勝手なカラー化は許せない」と次々に反対を唱えた。アカデミー賞授賞式にも出席しないほどふだんマスコミ嫌いの人気監督アレン氏が証言するとあって、狭い委員会室は報道陣や傍聴人で超満員の熱気となった。<br />
白黒映画のカラー化は最新のコンピューター技術を使って、往年の白黒映画に色彩を着けてしまうもので昨年から急に企業化され始めた。ほとんどビデオ作品として売られているが、映画監督や俳優たちから「原作をぶち壊すもの」と強い抗議が起きていた。<br />
アレン氏は、映画の中そのままの少々カン高い早口で、「カラー化はモラルの問題。我々の欲望社会の人工的シンボルだ」と熱弁をふるい、ロジャースさんも自分の出演作品のカラー化は「頭にペンキを塗られたように不愉快」と避難した。そのほか、ミロス・フォアマン、シドニー・ポラック氏など第一線の監督たちが次々と反対を唱えた。<br />
これに対し、カラー化ビデオを製作するロブ・ワード氏らは、「非難は誤解だ。カラー化は原作を損なっていない。視聴者は簡単にだまされるものではない」などと反論した。<br />
民主党大統領候補リチャード・ゲッパート下院議員もこの問題に関心を示し、「勝手にカラー化が出来ないよう著作権法を拡大する検討をしたい」と語った。(引用おしまい)</blockquote>
売れさえすればモラルは関係ないと言わんばかりの資本主義信望者に、妥協なき表現者の誇りがぶつけられた米議会のエポックでした。<br />
売れさえすれば何をしてもいい? この理屈は週刊ポストの嫌韓特集と同じですね。視聴率が上げるために2割増しの早回し映像を放送するTBSも同じ穴に暮らすムジナか。<br />
インパクトを求めた末の虚偽映像で視聴率獲得に猛進して行き過ぎたその先には何が待っているのでしょう。<br />
権力による規制・締め付けです。引用した記事の最後に出てくる民主党のゲッパート(Richard Gephardt)議員は、貿易赤字対象国である日本叩きを主張してきた保護貿易主義者で、敵をつくって騒ぐタイプのポピュリストでした。映画のカラー化問題でも規制を打ち出しての人気取りを企んだようです。言論・表現の自由は、こうした資本的動機の暴走によっても奪われていきます。<br />
平成の世でサブリミナル映像加工をやらかして行政の介入を招いたTBSテレビは、令和元年早々にも政府からお目玉と規制をもらって萎縮していくのでしょうか。「韓国人女性を暴行しろ」と示唆したコメンテーター、韓国人女性に暴言を吐くタレントが闊歩する系列局制作のワイドショーを流しておいて、だんまりを決め込むTBS。昨年発覚した、<a href="https://mainichi.jp/articles/20180712/ddm/012/040/112000c" target="_blank">警察癒着番組での映像を鹿児島県警が没収した問題</a>で視聴者に何もことわれなかった一件も、企業ガバナンスの薬にならなかったようです。<br />
TBSテレビにおかれましては、くれぐれも規制強化でよその放送局、並びに一般日本国民を、自滅の言論規制・統制に巻き込まないでいただきたいと、くれぐれもお願い申し上げます。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-16929422941939953112019-08-24T15:43:00.000+09:002019-08-24T16:02:19.123+09:00柳田国男が見た「嫌韓」<h1>
視聴者は「韓国が大嫌い」</h1>
テレビジョン各放送局の報道番組は、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄問題一色。何しろテレビですから、帝国臣民の視聴率につながらずカネにならない、問題解決への提言なんて薬にもならないテーマなんか持ち出すはずがありません。ボケーっとしたまま上に言われたであろう内容のみをくっちゃべってるようにしか見えない、イタいアナのソウル街頭インタビューや、俺様何様メンタリティで韓国の悪口をまき散らすコメンテーターが幅を利かせる金曜日の「報道ステーション」(テレビ朝日系)は、幼稚化がますます進行。ここ1局にとどまらず、国民の財産である各局の電波からは、ただひたすら憎い、憎い、憎んでも憎み足りない韓国政府と韓民族をディスりまくる悪口雑言が吐き出されています。<br />
GSOMIA破棄は、貿易問題の安全保障へのイシューすり替えだ、と。皇国が旧植民地への工業製品材料輸出規制を敢行した理由は安全保障上の問題だが、韓国が同じ論法を使うのはけしからん。日本政府様の猿マネではないか、と。<br />
すべてにおいて日本人よりはるかに劣る“下等民族”が、日出ずる神国に歯向かうなど百万年早い。下等民族が日本に逆らうな。下等なんだからな。優秀なる日本人は「反韓」などとは言ってやらないよ。「嫌韓」で十分である。「反対」などカウンターを標榜すれば、韓国人と同じ土俵に上がることになろう。下等な奴らには「嫌韓」で十分だ。ヒトラーがユダヤ人を嫌悪したように、白人至上主義者が黒人やアジア系のカラードをののしると同じく韓国人が嫌いだ。だから「嫌韓」なのだ。ヘイトの根っこなんて、どうせそんなところでしょう。<br />
<h1>
国粋カルトが主流派に</h1>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
ここまで、嘔吐をもよおしつつ、世間様の嫌韓に対する脳内分析をつづっていて、「前にだれかが似たようなこと言ってたよな」と、本棚を探索して引っ張り出したのが、単行本「憎悪の広告」(能川元一・早川タダノリ著、合同出版)。いわゆる右派系オピニオン雑誌の新聞広告群をサンプルに、他国・他民族をおとしめることで、日本の戦争・賠償責任をワヤにしてまでも、満天下に不二のスゴイ皇国を讃えようとする近年の愛国カルトを分析した好著です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
広告からはっきりと感じとれるのは「韓国は本来格下の国」と言う意識です。右派論壇の怒りは格下の韓国が「つけ上がる」ところに向けられているわけです。だから対等な関係をイメージさせる「反日反韓」より「反日嫌韓」が受容されたのではないでしょうか。日本には「反韓」になるほどの動機はないよ、せいぜい「嫌韓」だよ、と言うわけです。(同書172ページより引用おしまい)</blockquote>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
</div>
奥付によると2015年秋の初版本だから、4年前には一部カルト思想として批判されていたシロモノが、いまや東京の各キー局の報道セクションを支配しているのか。令和の世では、もうカルトじゃないです。テレビがそうしちゃいました。挙国一致のヘイト同調・ヘイト承認欲求によって視聴率を稼ぐテレビ局、それらにむさぼるように乗っかって吸収する視聴者があふれる社会に住んでいると、「嫌日」になりそうなんだけれど、きっと周りはそう認識してくれはせず、「非国民」と呼ばれるのであろうな。<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj1vihaILmD-03xdCaOA4Kq7lBQawK71WjxZ_1mmYUvBEFoaFsOg_MMRfSUnhXy8BZpMdb5JR8EUlBh28SMMhixT9RA1iCyS0rNaV8KfI-0iUUa1IyuL0PvqTrGJtNWIs3O47NzxOyEl_y1/s1600/%25E9%259F%2593%25E5%259B%25BD%25E5%258F%25A9%25E3%2581%2591.jpeg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img border="0" data-original-height="560" data-original-width="420" height="320" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj1vihaILmD-03xdCaOA4Kq7lBQawK71WjxZ_1mmYUvBEFoaFsOg_MMRfSUnhXy8BZpMdb5JR8EUlBh28SMMhixT9RA1iCyS0rNaV8KfI-0iUUa1IyuL0PvqTrGJtNWIs3O47NzxOyEl_y1/s320/%25E9%259F%2593%25E5%259B%25BD%25E5%258F%25A9%25E3%2581%2591.jpeg" width="240" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">「憎悪の広告」p.151より転載。2012年10月1日付産経新聞の「正論」同年11月号広告</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<h1>
東アジア差別の源流</h1>
日本の庶民レベルでのアジア人蔑視・嫌悪の感情は、いつごろから発生したのでしょうか。文字をはじめとする諸文化を教えてくれた点で、永らく尊敬・畏敬の念を抱かれていた中国人については、1894年の日清戦争の前から嘲笑・揶揄するような錦絵が巷に現れ始めました。官製の差別誘導の匂いがします。<br />
同時期の1895年、日本の軍人・武装警察官らが宮廷に乱入、あろうことか李氏朝鮮王朝の王妃を暗殺する事件(乙未事変)を引き起こしていますから、日本政府(この事件では長州閥)が半島民への格下意識を持っていたのは間違いありませんが、決定的になったのは1910年の日韓併合。植民地となった朝鮮半島には、本国では生活できない食い詰め野郎やならず者を含む日本人が大量に押し寄せ、地元民への差別丸出しに重労働や搾取を引き起こしました。<br />
日本領外地へ積極的に足を運んでいた民俗学者の柳田国男は、そんな日本人たちを強く批判する一文を残しています。1924年10月9日付の東京朝日新聞への寄稿「国際労働問題の一面(5)」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)米国の開祖と称せられるメーフラワー号(ママ)の移民のやうに、純然たる筋肉労働者が、宗教の圧迫等の特殊の事情の下に移住した例も稀(まれ)にはある。阿弗利加(アフリカ)大陸の南端に於て(おいて)、一旦矛を執って英国と戦ひ、後(のち)降伏して其(その)保護の下に特殊の1連邦を作った人民なども、元は和蘭(オランダ)からの労働移民であって、ブーアと謂(い)ふのは和蘭語で小農のことである。而も(しかも)彼等は植民土着すれば、久しく其(その)旧地位に甘んずること無く、南亞に於てはあらゆる方法を以て、土人を畏服し懐柔し、其(その)硬骨なる者は放逐し又(また)は除き去り、今日尚(なお)彼等が服従を利用して、之(これ)を使役しつゝ一種独特の農業を行って居る。<br />
此(かく)の如き制度は、何れ(いずれ)も所謂(いわゆる)植民国の政権保護の下に於て、初めて望むを得べき便宜であって、之に利用せらるゝ原住民の立場から言へば、誠に忍ぶ可らざる(べからざる)迷惑である。日本近年の朝鮮植民なども、幾分か此(この)嫌ひがある。内地から出掛けて往った(いった)植民者は、多くは其(その)郷里に在ってはそれだけの人を左右し得る資格の無い農夫であるが朝鮮に行ってはゴボゴボと謂って在来の住民を追回し(ママ)、彼等を下に見て手前勝手を敢て(あえて)し、自分の辛労を軽くする考(かんがえ)をする。凡そ(およそ)人を使ったことの無い此(この)階級の小事業家が母国人たる威力を挟み、或は(あるいは)本国から来た役人の尻押を憑んで(たのんで)、少しでもうまい事をしようとする態度ほど、無理なるものは無い。南亞共和国では其上に(その上に)、此(この)種の白人の小農場主に、政治上の勢力があり、且つ(かつ)黒き土人は圧迫せられても理屈も言へない程、無教育である為に、我々有色人種の眼に余るほどの無理が有るのである。<br />
米国などは早くから土人を征伐し、其(その)一半を殺し他の一半を追ひのけた為に開拓に使役したくても土人が其(その)辺に居なかった。其(その)代り(ママ)としては黒奴を貨物の如く輸入し、或は悪い労働条件を辛抱する他の国の移民を呼でくる(ママ)ことになったのである。<br />
働くつもりで入込んで(ママ)来た出稼人ならば、相対づくで之を安く使ふのも仕方が無い。又(また)原住民が朝鮮人ほどの教育知識のある者ならば、最初の暫く(しばらく)は忍耐して黙従するも、やがて負けては居らず起って理屈を言ふであらう。従って此等(これら)は大なる弊を生ずる迄に永く続けて行くことはあるまい。(引用おしまい)</blockquote>
柳田の目に映った朝鮮半島の日本人は、大した実績もない無教育な凡夫どもが、無教養と差別感情に任せて朝鮮人を理不尽に使役するものでした。米国に渡ったメイフラワー号の乗客乗員が、元々は迫害を受けた宗教的弱者であり、社会的地位の低い肉体労働者であったにもかかわらず、先住民を放逐、アフリカから黒人奴隷を集めたり、低賃金でも働くアジア移民(日系を含む)に重労働を課して開拓を進めた事実、南アフリカに渡ったオランダの小作人(ボーア人)が地元民を働かせて大きな収益を上げている歴史を踏まえて、日本人の朝鮮人蔑視社会を撃っています。また、これらの搾取は、現地政府の植民地政策があって初めて成立することも指摘しています。朝鮮の場合はもちろん日本政府ですね。<br />
「日本人とは何か」を問い続けた歴史に残る大民俗学者・柳田国男が批判した嫌韓の源流思考がこれです。よその人たちを下に見て、露骨な差別感情とともにディスる所業は、もっとも日本人らしくないということですね。あの柳田国男がそう言っています。それとも、現在の日本政府ならびにテレビを含む日本スゴイ論壇サイドから見れば、柳田が反日分子になるのでしょうか。「柳田国男は非国民だ!」なんてね。<br />
若いみんなは、テレビが垂れ流す隣国国民への差別感覚に左右されることなく、個人レベルでもお互いが仲良くなるように努めて考えていけば、他国の人たちに対しても少しは自慢してもいいニッポンになると思いますけど。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-80329445998322007492019-08-15T22:52:00.000+09:002019-08-15T23:31:43.229+09:008月のジャーナリズム<h1>
映画「ひろしま」と高畑勲</h1>
1953年制作の映画「ひろしま」が8月17日午前0時からNHK・Eテレで放送されます。これは必見。夜遅い時間だから、こどもたちは親御さんに録画してもらって見ましょう。<br />
広島原爆の実相をドラマ化した作品ですが、その悲劇性がすごい。核爆発以降、ゴジラでおなじみの伊福部昭による重厚な弦楽に乗せて淡々と続く地獄絵図。山田五十鈴、加藤嘉、月丘夢路らの大熱演は立派ですが、映画の緊迫感、臨場感を作り出しているのは、エキストラ出演した実際に被爆した大勢の市民たちによります。後世に伝えるためとはいえ、被爆から数年しか経っていない時期に、体験したあの地獄を再現する撮影に加わるなんて、おそらく普通の感覚では考えられないでしょう。戦争の現実を伝えんとする、素晴らしい勇気と義務感です。映画館のイスの上で思わず身震いしました。<br />
「ひろしま」は見るべき作品であるけれど、これだけで戦争を抑止できるかといえば、絶対的に足りないものが多すぎます。歴史には原因、経過があって、結果が生まれる。「ひろしま」が伝えるのは「結果」に限定されています。<br />
若いみんなが、どこからどう間違って被爆者を出すに至ったのか考える。また、米英やアジアの人たちの感情にも思いを費やすことが、戦争を抑止することになるんじゃないでしょうか。<br />
かつて米国内での原爆被害展示が元米国軍人らの圧力によってつぶされたことがありました。名古屋市の芸術祭企画展「表現の不自由・その後」は、私たちと同じ日本人と思しき卑劣漢の脅迫によって中止に追い込まれました。戦争やその裏側を受け止めたくない、受け止められない社会が形成されています。<br />
アニメ映画監督の高畑勲は「君が戦争を欲しないならば」(岩波ブックレット)の中で、<br />
代表作「火垂るの墓」について以下のように語っています。<br />
<blockquote class="tr_bq">
戦争末期の負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、これから突入していくかもしれない戦争を防止することにはならないだろう、と私は思います。やはり、もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか、なのではないでしょうか。(引用おしまい)</blockquote>
今日は、高畑の言う「どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、いったいどう振る舞ったのか」を、メディアはみんなに伝えてくれるのかについて考えます。<br />
<h1>
日韓問題と戦前日本</h1>
安倍晋三政権が韓国に対してチョー強気に出ていますね。輸出規制策を打ち出して、「文在寅政権を相手にせず」と言っているも同然です。<br />
この件にシンクロするのが、中国への侵略戦争まっただ中の1938年に近衛文麿内閣が出した「蒋介石を対手(交渉相手)とせず」とした、いわゆる「近衛声明」です。<br />
近衛文麿は、お公家さんのボンボン上がり。政治基盤が弱く、大衆の人気取りに走って、日中関係を泥沼化させました。余談ですが近衛は大のゴルフ好きでした。だから余談ですってば。<br />
韓国の文大統領も、安易に報復に走っちゃいけません。輸出の稼ぎ頭である半導体の材料輸出規制に対してリベンジを繰り出せば、戦前に綿花の輸入を止められて、海外向け産業の花形だった綿工業製品が作れなくなったと、鬼畜米英に逆ギレした大日本帝国みたいに見えます。韓国政府が往時の日帝と同じ反応したらカッコ悪いんじゃないの?<br />
<h1>
戦争企画のやっつけ感</h1>
8月といえば、お盆までの期間限定で新聞やテレビが戦後特集を組みますね。被爆、戦地、空襲……。「結果」の報告・検証は多いけれど、戦争になった原因について私たちに正しく教えてくれる企画は今年、いかほどあったでしょうか。いい企画も少なくはなかったけれど、部数が減っている新聞の夕刊、スポンサー対策が成功していないと言われる民放局なんかに「な〜んか、やっつけ感強くね?」というのが目立ちました。名指しはしない。また来年ガンバレ。<br />
敗戦40年に当たる1985年、毎日新聞の歌川令三編集局長は、終戦企画の編集方針を読者に紙面で伝えました。同年8月1日付の毎日新聞「編集局長からの手紙」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「8月ジャーナリズム」という言葉があります。この月になるとジャーナリズムは日本人にとっての戦争体験と、平和とは何かついて一斉に論ずる。やがて短き夏の日の終わりとともに消えて行く。それでいいのか――と、われわれの先輩たちが若干の自ちょうの意味をこめて作った言葉のようです。<br />
ひとつ今回は8月ジャーナリズムふうにこの手紙をしたためさせていただこうと思い、40年前のきょう(20年8月1日)の毎日新聞(東京発行)をさがしてみました。1枚の紙きれの小さな新聞の1面トップは「清水市砲撃 敵機2000機来襲」とあります。「配給のタバコを1日5本から2本にせざるを得ない。喫わない人は配給を辞退して、助け合ったらどうか」との東京地方専売局煙草部長の談話が掲載されています。<br />
なお虫めがねでさがすと、「リスボン電同盟」のタイトルで、ポツダムで極秘裏に3頭会談が開かれ、共同コミュニケ作成中と数行の記事がありました。当時、眼光紙背に徹し(引用者注・文章の深意まで深読みすること)、これがトルーマン、スターリン、チャーチルの対日降伏を迫るポツダム宣言作りだと報道管制下の記事を解読したした人は幾人いたでしょうか。焼け野原の東京日比谷野外音楽堂では、中村吉右衛門の野外歌舞伎が行われていました。東京で戦災にあい、日光の山寺に疎開中の吉右衛門、義太夫語りが未着で、自転車の使いを出して「定刻より1時間遅れで開演」とあります。出しものは一の谷組打ち。吉右衛門ふんする熊谷直実(くまがいなおざね)の馬はどう調達したのでしょうか。多分、観客は空腹を忘れたひとときだったのでしょう。わが先輩記者は「歌舞伎の幻想美にひたっていた」とこの記事を結んでいました。<br />
それから半月、8月15日の毎日新聞は、「聖断拝し大東亜戦終結 4国宣言を受諾 万世の太平を開かん」と報じ、「夏の夜の白むころまで輪転機を回わし(ママ)続け」(毎日新聞百年史)ました。新聞の戦争協調責任を強く感じ、廃刊を主張した先輩もありましたが、廃刊は結局、無責任であるとの結論に達し、発行は継続されました。作家井上靖氏は、そのころ、学芸部デスクから戦時体制の社会部に移っていたが、「今日も明日も筆をとる」と高らかに叫んだ――と百年史にあります。<br />
(中略)取材の現場記者としては何をなすべきか。外信部長は、「アジアの国々、人々は、日本人とともに“終戦”を迎えた。その人たちが、あの戦争を今どうとらえているか、アジアの経済大国として立ち直った日本を見る目はどうかについて報道したい」といいます。<br />
(中略)これが8月ジャーナリズムの卒業論文だと肩をいからせるつもりはありませんが、新聞が現代史を形成する不可欠の要素であることを実証できたら――と念じています。(引用おしまい)</blockquote>
ポツダム会談についてのニュースを掲載しながら、何も理解できなかった戦時中の「世界を知らない日本人」から脱却し、侵略の軍靴の足型をしるしたアジア諸国にも目を向ける契機としたい旨を宣言しています。<br />
この年の8月15日、中曽根康弘氏が首相として靖国神社を初めて公式参拝しました。今年同様、アジア諸国との関係がキナ臭くなった年でした。<br />
毎日は日本人に他国の国民の立場を理解するよう、社説でも求めています。同月15日付の「40回目の8・15と国の座標」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)50余年前、日本はひたすら先進資本主義諸国に追いつき追い越そうと、全速力で走り続ける未熟な国であった。中国大陸への大がかりな侵略は「人的物的資源」を手に入れるためであり、目標の前には他国・他民族のことはどうでもよかった。あげくに孤立し、目がくらみ、アジア全域で無謀な戦争を展開し、破滅した。<br />
その過程について、さまざまな議論がある。先進諸国の包囲網の中で日本が生きる道はほかになかった、という意見も聞こえる。だが、この戦争が他国の武力侵略に対抗するための防衛戦争でなかったことだけは間違いない。このことの反省の上に、戦後の平和国家としての繁栄の道があった。「他者」が目に入らぬ身勝手な国から「他者」を意識した国際社会の一員へと変身したのが、40年前の「8・15」の意義だった、と考える。<br />
(中略)では、きょう私たちが霊安かれと祈る戦没者の「死」の意味は何か。戦いが防衛戦争でない以上、将兵の死は国を守るためのものでなかった、という発想は、死者の霊を身近にしのぶ文化を持つ日本人には耐えがたい。「『ドイツ国防軍の兵士は善意で間違ったことに尽くしてしまった』というドイツでは一般的になっている考え方は、多くの日本人にはなじみがない」(ゲルハルト・ダンプマン「孤立する大国ニッポン」)のである。<br />
だが、ここには「日本の正義」にこだわる視点がある。私たちは、敗戦後、世界にはさまざまな正義があることを知った。靖国の霊だけでなく、他国、とくに日本に侵略されたアジアの国々の死者、日本人として戦場で死んだ朝鮮、台湾の人々の「死」をも視野に入れることによって、戦争による死者の霊ははじめて安らぐだろう。<br />
とすれば、若者たちを再びそのような運命に追いやらぬ日本をつくり、平和憲法によって約束している平和主義と不戦の誓いを世界に広げることが、私たちの使命にほかなるまい。<br />
(中略)いま私たちは、戦争を知らず、死者の思い出も持たぬ戦後世代に、あの戦争の意味を語りつがねばならない。被害者としての悲惨な体験だけでなく、日本が加害者の立場にあったことを正確に伝え、この世界には、平和にまさるいかなる価値もあり得ないことを知らせねばならない。<br />
その根幹に「他者の痛み」への共感を据えたい。それこそが、苦い過去の歴史の断章を、現在と未来に生かす道である。(引用おしまい)</blockquote>
言っている内容に間違いはありません。問題は現在、定型化された感の強い8月ジャーナリズムが、戦争を知らない世代に74年前に終わった戦争の意義と平和の価値を伝え得ているのか、なんですよ。<br />
愛知県庁に、サリンまくだの、ガソリンこぼすだのと、おびただしいテロ予告がなされ、権力を持たされている公人がアートを攻撃したり、テレビ局で気に食わないタレントを待ち伏せする総会屋まがいの脅しをかけたりしている、表現の自由・民主主義の毀損はなはだしい戦後74年の敗戦記念日。負けた教訓が何も残ってやしないじゃないか。<br />
大手メディアにおかれては、若いみんなが人権や平和について、ちゃんと考えられる世の中になるよう、創意工夫により努めていただきたいものです。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-84746183134845549502019-08-08T23:54:00.000+09:002019-08-09T21:32:44.779+09:00NHKとナチスの手口<h1>
ハイル、ジャパン!</h1>
愛知県の芸術祭企画展「表現の不自由展・その後」が、理不尽な放火の脅迫によって中止に追い込まれた事件を受け、<wbr></wbr>まっさきに頭に浮かんだのは1933年にドイツで行われた焚書で<wbr></wbr>した。<br />
<div aria-label="メッセージ本文" aria-multiline="true" class="Am Al editable LW-avf" contenteditable="true" id=":111" role="textbox" tabindex="1">
ナチス政権の価値判断によって反ドイツ的であるとされた書物<wbr></wbr>が書店や図書館から集められ、公衆の集まる広場で焼かれました。<wbr></wbr>官房長官や大都市の市長ら公権力が反日的だと弾劾した芸術作品が<wbr></wbr>、文化そのものを焼失させるテロの脅しで公開にとどめを刺された弾圧には、<wbr></wbr>アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)<wbr></wbr>の子分どもによるベルリンでの所業に等しい気持ちの悪さを覚えま<wbr></wbr>す。<br />
それじゃ次は何が起きるんだ、ってことですけど、<wbr></wbr>ドイツに照らし合わせると、ヨゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)啓蒙宣伝大臣が行った帝国(国家)放送協会(<wbr></wbr>RRG)の国営化とラジオ受信機の普及国策がもたらした宣伝・<wbr></wbr>洗脳教育の極東版じゃないか。つまりメディアの弾圧・支配です。<wbr></wbr>菅義偉官房長官が民業圧迫まがいの誘導でスマホの料金を下げにか<wbr></wbr>かったことは記憶に新しいですね。<wbr></wbr>戦前ドイツのラジオは現代日本のスマホ。事実上、報道部門の国営化に成功しているNHKのネット課金を強引に閣議<wbr></wbr>決定したことからも、<wbr></wbr>国威発揚イベントである東京五輪をきっかけに本格的に推し進めて<wbr></wbr>くると推測します。<br />
1936年のベルリン五輪を舞台にレニ・<wbr></wbr>リーフェンシュタール監督がゲルマン民族の優秀性を打ち出した映<wbr></wbr>画を作ったように、<wbr></wbr>日本スゴイのプロパガンダムービーがスマホ配信されるかもしれま<wbr></wbr>せん。「三丁目の夕日」<wbr></wbr>みたいなノスタルジーの皮をかぶっているかもよ。<wbr></wbr>くわばらくわばら。<br />
戦後のニュルンベルク裁判で、ヒトラーの側近だったアルベルト・<wbr></wbr>シュペーア(Albert Speer)は以下のように語っています。<br />
「ラジオ・拡声機等の機材の力で、<wbr></wbr>8千万人の国民は自らの思考能力を奪われた。(ヒトラー)<wbr></wbr>1人の意向へ国民が服従させられるようになった」(<wbr></wbr>米イェール大学の資料を参照、https://avalon.law.yale.edu/imt/08-31-46.asp)<br />
NHKのテレビのみならずネット放送の視聴には、<wbr></wbr>今後とも注意が必要だと思います。<br />
<h1>
帝国の犬HK</h1>
うがち過ぎ? 妄想? いやいや、RRGがナチスの所有物だった同時期、<wbr></wbr>NHKにもまた古手メディアの新聞同様、<wbr></wbr>国家の宣伝機関に成り下がった歴史があります。<br />
黒歴史は繰り返す。繰り返さないためには、より多くの目で監視、<wbr></wbr>注意喚起を続けねばなりません。今日は、<wbr></wbr>戦時中の放送協会が軍国主義の犬だった事実を見ていくことで、<wbr></wbr>今この瞬間もイヌ化が進む放送局と日本の放送文化、<wbr></wbr>何より民主主義のさらなる劣化を防ぐ助けになれば、<wbr></wbr>と願うものです。<br />
1941年、放送協会は大東亜共栄圏構想、五族協和の理念、<wbr></wbr>その他もろもろの大日本帝国の聖戦の正当性を世界に訴えるため、<wbr></wbr>大胆な組織改編を行います。国際部を局に昇格させ、宣伝放送を打ちまくる体制を整えました。同年6月1日付の読売新聞「電波宣伝戦へ一役 放送協会が国際部を局に」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
澎湃(ほうはい)たるラジオ新体制の呼声に応えて“<wbr></wbr>日本放送報国会”を結成、<wbr></wbr>戦時下ラジオ事業の画期的刷新に乗出した(ママ)<wbr></wbr>放送協会では小森会長以下首脳部で火華(ひばな)<wbr></wbr>する世界宣伝戦に対応する強力機構改革を協議してゐたが、<wbr></wbr>その第一着手として国際部の局昇格が近く実現をみる。<br />
国際部の昇格は従来も海外放送の重要性に鑑み懸案になってゐたも<wbr></wbr>ので、デマ爆撃の尖兵として諸外国の電波が運ぶ執拗な“敵性”<wbr></wbr>放逐に乗出す(ママ)<wbr></wbr>とゝもに正しき日本の姿を電波に託して海外へ送らうといふわけで<wbr></wbr>情報局との打合せ(ママ)をまって本格化を急ぐことゝなった。(引用おしまい)</blockquote>
皇国の興廃このプロパガンダにあり。<wbr></wbr>逓信省エリートから会長職に就いた小森七郎以下、<wbr></wbr>全局を挙げての日本スゴイ放送を全世界にとどろかすため、<wbr></wbr>各員一層奮励努力せよ。<br />
放送協会は、ありとあらゆるツテを頼り、外国語が話せる日本人、<wbr></wbr>日系人、外国人捕虜らを総動員して、<wbr></wbr>宣伝戦の最前線で奮戦しました。<br />
1942年10月31日付の朝日新聞への佐藤泰一郎・<wbr></wbr>国際局第2部長の寄稿「思想戦の武器 わが対外電波戦について(1)」から引用します。<wbr></wbr>句読点の脱落があり読みづらい箇所に引用者の判断で句読点を挿入<wbr></wbr>しています。国名についても、現代人にわかりやすくするため、補足説明を加えています。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)現在我が海外放送は、欧州向、中南米、北米東部向、<wbr></wbr>北米西部向、独逸伊太利(ドイツ・イタリア)向、豪州支那(<wbr></wbr>オーストラリア・中国)向、比島東印度向(フィリピン・<wbr></wbr>現在のインドネシア)、泰・仏印・ビルマ(タイ・<wbr></wbr>現在のベトナムやカンボジアなど周辺・ミャンマー)向、<wbr></wbr>印度西南アジア(インドとインド以西地域)向となっているが、<wbr></wbr>これ等の方向に使用されてゐる言葉は、日本語、ドイツ語、<wbr></wbr>イタリー語、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、<wbr></wbr>支那標準語(北京語)、広東語、福建語、タイ語、ビルマ語、<wbr></wbr>マレー語、ヒンヅー語(ヒンドゥー語)、印度土語(方言)、<wbr></wbr>タガログ語、アラビヤ語、トルコ語、イラン語(ペルシャ語)<wbr></wbr>等の多数により世界主要国語を網羅したといっても過言ではない。<br />
なほ、これ等の言葉によるニュース、通信講演、演芸、<wbr></wbr>音楽等の番組が同時刻に、異った(ママ)<wbr></wbr>方向に送出される関係上、番組の延時間は毎日25時間を超え、<wbr></wbr>短波送信機の運転延時間は実に52時間。<wbr></wbr>人も機械も前線将兵と同様に不眠不休の活躍を続けてゐる。<br />
現在この海外放送のマイクロフォンの前には、<wbr></wbr>早朝から深夜まで多数の外国人が入れ代り立ち代り(ママ)<wbr></wbr>帝国の崇高なる大東亜共栄の理念を故国に向けて叫び続けてゐるの<wbr></wbr>であるが、<wbr></wbr>彼等の眉宇には大東亜に平和が到来するまでは決して電波による説<wbr></wbr>伏を止めないといふ気概を読みとることが出来るのである。<br />
我が海外放送は、<wbr></wbr>従来在外同胞の慰安と日本文化紹介に重点をおいて開始されたので<wbr></wbr>あるが、支那事変、大東亜戦争の勃発とともに、<wbr></wbr>かやうな消極的使命を棄てて、戦争目的遂行のために作戦、<wbr></wbr>外交の両面と緊密な関係を保持しつつ活発な思想戦を展開してゐる<wbr></wbr>のである。(引用おしまい)</blockquote>
<h1>
スマホが推進する皇民化</h1>
国内には「勝った、勝った、また勝った」<wbr></wbr>の大本営発表を垂れ流し、<wbr></wbr>海外へはありとあらゆる言語を駆使して、<wbr></wbr>大日本の素晴らしい文化文明を伝えんと日夜、<wbr></wbr>口角泡を飛ばして国民の財産である電波を濫用していた我らがNH<wbr></wbr>K。1943年8月7日付の組織改編では、<wbr></wbr>国際局を2部から米州・欧州・亜州、編成、<wbr></wbr>業務の5部組織に拡大しています。<wbr></wbr>帝国との共倒れの道を暴走していったわけです。<br />
敗戦74年の夏を迎えたNHK。「ニュースウオッチ9」は、<wbr></wbr>徴用工問題ひとつとっても「<wbr></wbr>韓国市民には冷静な人もいるんだから、<wbr></wbr>文在寅大統領は冷静になって事態に向き合え」<wbr></wbr>と韓国政府に非を押しつける論調で、<wbr></wbr>日本国民に訴えかけます(7月18日放送)。<br />
冷静になって事態に向き合う必要があるのはスタジオだ。本当にいいのか、<wbr></wbr>そんなに一方的で? プロデューサーも、ディレクターも、キャスターも、<wbr></wbr>みんな歴史に名が残るんだぜ。<wbr></wbr>韓国人スタッフとともに働いているソウル支局も、<wbr></wbr>それでいいんですか?<br />
問題は国営放送NHKにとどまりません。民放でも、<wbr></wbr>内閣府がつくってこどもに体験させる横田めぐみさんの拉致再現バ<wbr></wbr>ーチャルリアリティなる、おぞましいニュースを、<wbr></wbr>何の批判精神もなく垂れ流していました。<wbr></wbr>VRを体験したこどもたちは北朝鮮を恐れ、憎むことでしょう。「<wbr></wbr>鬼畜米英に捕まれば男は惨殺、女はレイプ」と吹き込んで、<wbr></wbr>沖縄の民衆を自決に追い込んだ皇民化教育が重なります。<wbr></wbr><br />
8千万ドイツ国民の思考力を奪ったラジオは、家庭や学校、<wbr></wbr>職場でユダヤ人や外国政府への憎悪をあおるものでした。<wbr></wbr>明日の日本では、通勤・通学の駅のホームであっても、<wbr></wbr>大容量回線のスマホがBluetoothイヤホンを通してひっき<wbr></wbr>りなしに、朝鮮半島の人たちや中国人を恐れ、<wbr></wbr>嫌悪するような皇民化教育をほどこすことになるやもしれません。<br />
マスコミって、こんなんで本当にいいのか? こんなので?</div>
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-73687431052901449912019-08-04T14:08:00.001+09:002019-08-04T14:20:43.977+09:00「韓国死ね!」を考える<h1>
ヘイトが進める統制</h1>
みんな、韓国人嫌いでしょ。嫌いだよね。地球上に存在するすべてのコリアンが大嫌いなんだよね。<br />
そうでなきゃ、貴重な個人の時間を使ってネットに「韓国死ね!」なんて日本語としておかしな文字列(国は生き物じゃないから死なないよ)を書き込んだり、「韓国死ね!」を言いに、れいわ新選組の演説会場までわざわざ出かけて行くこともないでしょう。<br />
韓国の少女像展示があると聞けば、愛知県で開かれた芸術祭にもクレームの嵐。大阪や名古屋のチンピラ市長たちはじめ、首相官邸までが助成打切りを振りかざして圧力をかけ、とどめは京都アニメーション放火殺人事件を露骨に想起させる脅迫の荒業(あらわざ)でイベントを中止に追い込みました。<br />
そんな人たちの期待に呼応するように、政府は日本からの製品輸出手続きを煩雑化することで韓国経済に打撃を与えるための閣議決定を行いました。マスコミが言うに、「今回の日本の措置は、戦後の日韓史上例がない、『日本が悪意をもって韓国を標的として能動的に決断した行為であるのが最大の特徴」(<a href="https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019073100014.html" target="_blank">朝日新聞・論座「韓国は『敵』なのか」市川速水編集委員</a>)なんだそうですから、両国関係はかなり深刻なところまでこじれてしまったようです。テレビの報道番組では、「韓国に勝ち目はない」などと言いだすコメンテーターが現れて、さっそく論点が経済戦争へとずらされています。<br />
<h1>
内鮮結婚の悲劇</h1>
こうした、国を挙げての歴史問題(徴用工訴訟)のヘイト化切り替え作業に丸乗りすることのどこが愚かしいかって、自分の頭で考えないまま、他人に危害を加え、かつ自らがヘイトクライムの加害者であることに気づかないところですね。米国で繰り返される異人種銃撃やイスラエルの軍事力による植民進行への支持・加担に等しい。<br />
「コリアンだから嫌い」の判断基準は、国籍ですか? 国籍が個人の人間性に直結するのでしょうか? 今日は、そんな 馬鹿馬鹿しいヘイト思考に、若いみんなが乗せられることのないよう、「国籍」について考えます。<br />
1951年、第2次世界大戦に敗れた日本は、連合国との講和条約に署名します。それにより朝鮮半島での資産・請求権を放棄した日本政府は、同時に朝鮮半島における自国民の人権保護責任も放棄しました。内鮮結婚者をほったらかしにしたのです。<br />
「内鮮結婚」とは、朝鮮での日本人とコリアンとの婚姻。併合先である朝鮮の日本化を進めるため奨励された国策です。現代の中国が少数民族のいる自治区で進めている民族同化政策と同じですね。<br />
敗戦によって、朝鮮半島が日本の統治を離れた時点で彼ら内鮮結婚者たちは見捨てられます。日本に生まれ育ち、朝鮮で結婚した人たちは、日本敵視政策を打ち出した李承晩政権下で苛烈な迫害を受けます。<br />
内鮮結婚者の冷遇は、日本国内でも同じでした。帰国後に日本国籍の回復を求める人に対し、司法・行政は戦前の大日本帝国の方針を貫いたのでした。1961年4月5日付の朝日新聞夕刊「『戦前に朝鮮人と結婚した婦人は朝鮮国籍』 最高裁で新判例示す」から引用します。年号は昭和です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
平和条約によって朝鮮が独立する前に朝鮮人と結婚した日本婦人の国籍はどうなるのか――という問題をめぐってこの9年間、1女性と国との間に争われてきた「国籍存在確認請求」訴訟に対し、5日午前10時半、最高裁大法廷(横田裁判長)は「こんな場合、日本婦人の国籍は朝鮮にある」として女性の上告を棄却した。終戦前に朝鮮人や台湾人と結婚した日本婦人は数万人にのぼるといわれているが、この新判例により、このような立場にある日本婦人は“帰化”以外に日本国籍を取得する道はなくなったわけである。<br />
この訴訟を起こしたのは東京都中央区(注・引用者の判断で以降の住所は割愛)、Aさん(注・引用者の判断により本名は書かない)で、Aさんは昭和10年7月、朝鮮人のBさん(注・同前)と結婚、京城(注・日本統治時代のソウル)に渡ったが、夫が行くえをくらましたため東京へ帰った。終戦前の26年6月、夫の親の招きでふたたび京城へ戻り、現地で終戦を迎えた。しかし、夫との間は元通りにならなかったため、26年10月に1人で日本に帰り、東京地裁へ離婚訴訟を出した。<br />
27年10月判決で離婚を認められたので、中央区長に離婚届を出した。ところが、同区長は「もと内地人であっても、平和条約の発行前に」朝鮮人と結婚した者は平和条約発効とともに日本の国籍を失っている」として届けを受けつけなかった。これに対してAさんは東京地裁へ「国籍存在の確認を求める訴え」を出したもの。<br />
29年2月同地裁は同女の日本国籍を認めた。しかし、国側の控訴により、30年7月、東京高裁は「本件の婦人の場合はその国籍は当然、朝鮮にある」として地裁判決を取り消し、Aさんの訴えを棄却したので、最高裁に上告していたもの。(引用おしまい)</blockquote>
<h1>
国籍が違えば憎んでいい?</h1>
「国籍」という概念のいい加減さが伝わる判決ですね。日本政府のスローガンに丸乗りした国民が、政府の保護責任放棄によって塗炭の苦しみをなめるのは世の常。御国が韓国を憎めと言っているから、私も憎悪します、というのはいかにも頭が悪い。国籍をトリガーワードに使った愛国ヒステリーの一種にしか見えません。<br />
御国にだまされた結果、日本人でなくなってしまったかわいそうなソウル帰りの女性は、明日のあなたや私、お友達の姿かもしれません。<br />
それでも、あなたは御国に従うことを根拠に、「韓国死ね!」と叫びますか?Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-21155567328505777252019-07-01T00:27:00.000+09:002019-07-01T00:27:19.503+09:00米朝会談と日中国交回復のデジャヴ<h1>
トランプ・金正恩・文在寅・習近平・プーチン……出演者は以上</h1>
ドナルド・トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と電撃会見を行ったニュースには、多少は衰えたりと言われながらも強大であり続ける米国の国際的存在感を感じさせられました。<br />
韓国の文在寅大統領は現場に立ち合いました。中国が両国の仲裁にコミットしているのは間違いないし、北朝鮮と国境を接する利害関係国ロシアも動いている可能性が高い。東アジアでは日本だけが蚊帳(かや)の外。最近では蚊帳を張ることも少なくなって、若いみんなの中には、「蚊帳の外=仲間はずれ」の感覚が伝わりにくいかもしれないから、トランプ大統領に通訳なしで得意げに話しかける姿をNHKに流させることで“豊かな語学力”をアピールする安倍晋三首相風に英語の慣用句で言えば“Japan is left out in the cold.”。今回の状況だと、冷水ぶっかけられて寒風吹きすさぶ屋外に独りたたずむ日本国という絵図がわかりやすいかな。<br />
経済的に圧力をかける手段のみに頼った結果です。自民党お得意の「この道しかない」というヤツですね。道が行き止まりになったら立ち往生するしかない。ひいては「戦争するしかないじゃないですか」なんて言い出すバカがのさばる論法にもつながります。<br />
安倍さんだけ特別に外交の勘が悪いというわけではありません。きっと、アメリカに裏切られたんですね。強固な同盟を築いていると思っていたら手のひら返し。何しろドナルド・トランプときたら、安倍さんの母方の祖父である岸信介が米国に魂を売ってまで成立にこぎつけた日米安保条約を不平等だとボロカスに言うわ、新型機の共同開発国であるカナダでさえ、欠陥あるから要るの要らんのと大モメしている戦闘機を大量に空自へ引き取らせるわ、内閣つぶす勢いでムチャをしかけてきます。参院選の投票前に貿易密約も自慢げにツイートしちゃうかもね。<br />
<h1>
佐藤・ニクソン、安倍・トランプの相似</h1>
アメリカ人に隷従、その靴をなめまくった末に痛い目を見た政治家は、安倍さんのみにとどまりません。首相の母方の大叔父佐藤栄作もその1人です。<br />
今回のトランプ訪朝の歴史的端緒である朝鮮戦争を経て、米国は、正当な中国政府は台湾の国民党政権(国府)であり、大陸の共産中国を認めないという方針を取り続けてきました。追従する日本政府と自民党は蒋介石の国府べったり。親方の威光を背に毛沢東、周恩来らの人民共和国を無視してきました。ところが、1971年7月にリチャード・ニクソン大統領が米中国交正常化を電撃発表したのです。<br />
親分米国が三下日本の頭越しに不倶戴天の敵との国交正常化を発表しました。「この道しかない」と一本道を突っ走ってきた永田町・霞が関はパニックにおちいります。ボスにならって中国共産党と仲良くしなくちゃいけません。話し合わなきゃ、国交正常化しなくちゃなりません。でも、話し合うパイプがありません。オホーツク海高気圧が張り出した影響で冷夏となった1971年7月の東京で、佐藤栄作は“Sato was left out in the cold.”を文字通り体感したわけです。<br />
状況を変えたのは、死の床にあった元政治家が個人的に築いた、細いけれど強じんな1本のパイプでした。<br />
<h1>
日中関係を修復した男</h1>
松村謙三の名を知る人は、永田町でもずいぶん少なくなったでしょう。富山県出身。吉田茂の行き過ぎた官僚政治に激論をもって挑み、岸信介の強権政治には、自民党内にありながら倒閣を打ち出した硬骨漢でした。三木武夫と組んだ小さな派閥は紆余曲折の末、2017年に麻生派へ吸収されましたが、大手メディアの報道では、三木の名は出ても松村については一言も触れなかったのが大方。もはや忘れられた政治家です。<br />
明治後半、松村の進学先早稲田大学には数多くの中国人留学生がいました。彼らと交友を結んでいた松村は戦後、破壊された日中関係を修復するため幾度も個人の資格で中国を訪れます。その情熱はやがて、藤山愛一郎、田川誠一ら保守穏健グループを巻き込み、国府支持の自民党とは無関係な訪中団となります。早大学生時代からの盟友廖仲愷夫妻の息子で共産党幹部となった廖承志を窓口に、周恩来首相にも信頼され、途絶えていた両国間の通商を、簡便な覚書貿易の形で復活させました。国交のない共産国家を個人の資格で5度訪問。衆院議員引退後も訪中を重ね、最後は健康状態悪化の中、客死覚悟で車椅子に乗っての旅でした。<br />
ニクソンの方針転換の報を松村が聞いたのは、まさに死の床。それから間もなく、松村謙三は自身の死をもって日中関係を前進させたのでした。<br />
1972年9月12日付の朝日新聞「日中戦後小史36」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「わが国としても、まだ打つ手はあるよ。佐藤君(当時首相)、中国に出かけ給え」ーー日中打開に政治生命を傾けてきた松村謙三氏は、71年7月のニクソン訪中決定のニュースを、重い病の床で知り、こうつぶやいた。そして8月21日夜、中国をめぐる国際情勢が劇的な転換を始めたさなかに、その生涯を終えた。松村氏死去を知った中国側は翌22日、周首相と中日友好協会名誉会長郭沫若氏、同協会会長廖承志氏の連名で、遺族に対し「松村先生の病逝(せい)を知り、悲しみにたえない。松村先生は、日本の遠見に富む政治家であり、その晩年を中日友好事業にささげて重大な貢献をし、中国人民の深い尊敬を得ている」と、心のこもった弔電を送った。<br />
続いて23日、中国側は松村氏の葬儀に、中日友好協会副会長の王国権氏を派遣することを決めた。日本政府が中国敵視政策をとっているような情勢のもとで、政府要人の日本訪問はしないという方針だった中国側としては、まさに異例の措置だった。<br />
王氏来日のニュースは、頭越しのニクソン訪中決定によって方向感覚を失っていた政府を色めき立たせ、佐藤首相と王氏との会談をなんとか実現させ、対中関係打開のきっかけをつかもうと、いちるの望みをいだかせた。25日よる来日した王氏を出迎えに、政府側から竹下官房長官が羽田空港にかけつけたのも、その“切ない望み”のあらわれだった。しかし、肝心の日中復交に対する方針を持たない、場当り(ママ)的な政府側のこうした努力は、すべて空振りに終った。26日、東京・築地の本願寺でおこなわれた松村氏の葬儀で、注目された首相と王国権氏の出会いの場面があったが、首相の「遠路はるばるありがとうございました。お帰りになりましたら周首相によろしく」というあいさつに、王氏も「シェシェ(ありがとうございます)」と笑顔でこたえるだけの、儀礼的なやりとりであっけなく終った。<br />
王氏の来日は、政府側が意図したような政府間接触のきっかけをつかむ糸口にこそならなかったが、日中友好を求める各界には、重要な足がかりとなった。自民党の三木武夫氏、民社党の春日委員長は、王氏との会談でいずれも訪中実現への手がかりをつかみ、一方、財界でも、木川田(一隆)経済同友会代表幹事、永野(重雄)日商会頭らのトップクラスが王氏と接触し、財界指導者訪中への地ならしをした。さらに大衆運動の分野でも、日中友好協会正統本部が、東京で開いたその大会に王氏を迎えて、長年続いていた内輪もめに終止符を打った。(引用おしまい)</blockquote>
死せる松村、生きる佐藤を走らす。<br />
北京政府は松村の恩に報いるために要人を日本に送り、佐藤は会談にこぎつけることができました。多くの政治家、財界人が訪中のきっかけを得て、当時のご多分に漏れず社会党系・共産党系で割れていた日中友好協会すら両派の復縁が成った。松村謙三の功績です。<br />
翻って現在の対北朝鮮外交。金正恩委員長をはじめとする労働党幹部と話し合うルートはあるのでしょうか。国連の議場で甲高い声を出し、ひたすら北朝鮮を非難し、経済制裁のみを説く、“この道”を突き進む我が国に、松村謙三はいるのでしょうか? リチャード・ニクソンがドナルド・トランプに替わり、毛沢東が金正恩となり、佐藤栄作が安倍晋三に代替わりしました。繰り返されようとしている歴史の物語に、松村謙三だけが見当たらないのです。<br />
48年前と同じ7月の寒空に独りたたずむ日本を、暖かい屋内にある東アジアの仲間の輪に招き入れてくれる人、だれかいませんか?Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-40350742921361955592019-06-08T22:44:00.001+09:002019-06-08T23:54:38.345+09:00あなたも私も丸山穂高?結局のところ、糾弾なぞ決議して、何がしたいん?<br />
戦争大好き、おっぱいも大好きという、頭の悪い丸山穂高衆院議員への「糾弾決議」と言われましても、一般国民の感覚では意味がわかりません。議員辞職勧告決議にしておけば、だれにだって理解できたんですがね。平和主義を標榜する我が日本国国権の最高機関たる国会として戦争推進を叫ぶ男の追放を求める。国民納得、当然の措置です。<br />
なぜ「キューダン」なんて、ボカす? 自衛隊を「我が軍」などと呼ぶ、穂高同類の好戦的スカタンが議場にいるから気がねしているのか。若い女性に面と向かって、「おっぱい触る、手を縛る」と口走ったセクハラ役人を世間一般の常識の範囲内では処分できなかったトラウマか。<br />
穂高処分に限らず、国民は筋が通っているとの意味で、わかりやすい政治を求めています。北方領土がいつの間にか日本固有の領土じゃなくなった外交青書なんかいきなり出されると、頭が混乱しますので、さっさと予算委員会開いて、北方4島が固有の領土なのか、違うのか、固有なら固有でどこの国の固有なのか、固有の定義は広辞苑などで確認できる日本の国語にのっとったものであるのか、ロシア語、英語、スワヒリ語とかではないのか等々、しっかり、丁寧かつ真摯な説明でお聞かせ願います。<br />
今回は丸山氏が社会常識を極端に逸脱、だれも想定できない既知外行動を取ったため、国民の同情が1ミリも集まりませんでしたが、領土問題には、普段冷静な人間の判断力を狂わせる魔力があるようです。気をつけなければいけませんね。<br />
今日は、島々の領有権をめぐり英国・アルゼンチン両軍の間で海上・地上戦が行われた1982年のフォークランド紛争(アルゼンチン側の呼称はマルビナスの戦い)の事例から、領土紛争が喚起する愛国心の愚かさについて考えます。<br />
アルゼンチン軍事独裁政権のレオポルド・ガルチェリ大統領は、国民の人気取り目的でこの年の3月、英国が実効支配する大西洋上の島々に軍を上陸させます。対するイギリスの首相は鉄の女マーガレット・サッチャーでした。「戦争するしかないじゃないですか」と言ったかどうか知りませんが、いかにも言いそうです。<br />
かくして、両軍は南米大陸アルゼンチン南東に浮かぶ“南方領土”の陸海で、艦船や車両の鉄板ばかりか兵士の骨肉を引き裂く曳光弾、エグゾセ対艦ミサイルなどなどを、およそ3ヶ月間にわたって飛ばし合い、両軍合わせて3千余の死傷者を出した挙げ句、英国の当面のメンツ以外に得るものは何もない結果に終わりました。<br />
この時、アルゼンチンが戦費調達に使った手段がテレビ番組でした。24時間のスペシャル枠で歌や踊りのエンタメを垂れ流し。サッカーの英雄ディエゴ・マラドーナまで引っ張り出して、英軍兵士を殺すための募金を集めまくりました。<br />
いわば「24時間テレビ・愛国心は領土を救う」。200億ペソ(当時のレートで2億8千万円)と大量の貴金属が寄せられたそうです。1982年5月11日付の朝日新聞「テレビ番組、不眠の戦費集め」(菊地特派員)から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)「マルビナス24時間」と題する特別番組は、8日午後8時半から9日午後8時半(日本時間10日午前8時半)までマラソン放映された。人気女優兼歌手ピンキーと総合司会者フォンタナ氏が、不眠不休で国民に戦争を勝ち抜くための協力を呼びかけた。ギター演奏で有名なアタワルパ・ユパンキ、世界ジュニアサッカー選手権大会でアルゼンチンの優勝の原動力となったマラドーナ選手、撃沈された巡洋艦ベルグラノから救出された17歳の志願兵などが特別出演した。<br />
献金放送の主会場はブエノスアイレスの国営放送局だが、全国各地にも臨時スタジオが設けられ順番に各会場の模様が紹介された。「マルビナスは昔も将来もアルゼンチン領土」というマルビナス賛歌を歌いながら貯金箱のまま献金する小学生。「アルゼンチンの若者を何百人も殺したサッチャー(英首相)は残酷なピラタ(海賊)」と泣きながら金の指輪を寄付する老婦人らが、初秋の冷たい雨にもかかわらず多数の列をつくって献金した。<br />
在アルゼンチン日本人会(宇野文平会長)の有志たちが4本の大日章旗をかついでスタジオに現れると、「ハポン(日本)、ハポン」との歓声。タンゴの演奏で有名な「レオポルド楽団」のバンドネオン奏者セニョール・クニエ(日系人)も無料出演して拍手を浴びた。<br />
この放送の広告費のかなりの部分も寄付されるというが、ソニーなど日本企業数社もこれに応じた。またこの放送は衛星中継され、他の中南米諸国及び米国に送られた。(引用おしまい)</blockquote>
こっけいですよね。バカみたい。でも、この光景が日本で繰り返されないという保証はありません。領土をめぐる愛国心に侵された庶民の愚行は、近年にも確認されています。<br />
東京都知事だった石原慎太郎氏が、沖縄県の尖閣諸島を買うなどと意味不明の妄想を公言した一件は、ナショナリストが引き起こした戦後最悪の外交介入例の一つですが、舞い上がっちゃった人たちが都に計14億円もの寄付をしちゃいました。元々が妄想ですから、東京都にも使いようのないカネでした。<br />
戦前戦中には、篤志家からこどもたちに至るまで、動産・不動産資産から家中のナベカマまで御国に差し出して、献納飛行機だ、戦車だと、せっせと人殺しのタネを納入した過去もあります。<br />
愛国心の使いみちはどっちなのか? いや、そもそも愛国心そのものに用途なんてあるのか? よくよく考えてものを言ったり、お金をつかったりしないと、あなたも私も、みんなが丸山穂高になっちゃうぞ。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-88119790740814142732019-03-12T23:37:00.000+09:002019-03-13T23:52:12.494+09:00ドナルド・キーンが見た「日本スゴイ」の根っこ<h1>
“神秘性”への自己満足</h1>
ドナルド・キーンの長年の悩みは、日本人から日本文学の「研究者」ではなく「紹介者」として扱われ続けたことでした(1975年1月13日付朝日新聞「天声人語」)。<br />
キーンの死去を受けて各メディアが扱った人物伝は、そんな日本人キーンの心情を正しく映したものであったのか? 毎日新聞は「茶色い目の日本人」の見出しとともに、キーンの一生を振り返りました。昭和のころは白人が日本に来ると、新聞雑誌テレビラジオが、だれかれ構わず「青い目」と称していたものです。このステロタイプから抜け出せなかった毎日新聞は、大震災をきっかけに日本人になったドナルド・キーンを、結局はガイジンとしか見られなかったようです。「日本人より日本人らしい」と形容した新聞も複数ありました。「日本人より~」は、茶道をたしなんだり三味線を弾いたりする、主に白人に対して周囲が使う常套句です。外見の違いにこだわって、外国出身者であれば同じ文化を共有する同じ人間だとは考えられない。私たち日本人の偏狭な性根は、ドナルド・キーンの棺にも容赦なく襲いかかったんですね。<br />
ガイジンとしての視線を浴び続けてきたキーン自身はもちろん、けったいなジャパニーズ・トラディションに気づいていて、すでに1970年代、日本人への警句を送っています。フランスの哲学者ロラン・バルトの日本文化論「表徴の帝国」に関する論考を述べた、1974年12月14日付の朝日新聞夕刊「幻想の国への紹介」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)桃山時代から外国人が日本人論を書いてきたが、未だ日本のことに無限の好奇心を抱いている著者や読者がいるらしく、神秘的な日本人というイメージはなかなか消えない。神秘的だと言われている日本人自身は、怒るどころか、それに同調して、自分たちの神秘さを誇りにする。だが、外国人の新鮮な日本人論に感心しても、「やはり外人には理解してもらえない」という神秘的な結論に達することが多いようである。(引用おしまい)</blockquote>
特別な神秘性のプライドを錦の御旗に、“劣等民族”ディスを全開。大相撲の土俵に向かってモンゴル人の悪口を叫び、軍事知識なんかゼロのくせに韓国の軍艦けしからぬと根拠薄弱に怒り、中国人観光客はマナーが悪いとののしる日本人。日本の自然素晴らしい、日本食おいしい、日本家屋美しい、外国に住む日本人エラい、寿司は人類が生んだ最大の食文化であり、納豆もエラけりゃ豆腐もスゴイ、と吹聴するTV番組。踊らされる若者、イキる年寄り。過剰な自己礼賛と他人種・民族へのさげすみがセットになって社会を席巻する歪んだ放送・出版ビジネスとなった「日本スゴイ」こそ、ドナルド・キーンが心配した根拠のない選民思想の肥大化そのものでしょう。<br />
<h1>
ドナルド・トランプと同根のスゴイ</h1>
ファーストネームこそキーンと同じですが、彼とは正反対の教養なき人物がアメリカ合衆国の大統領を務めていますね。テレビに映るドナルド・トランプ演説会場演壇の後ろの客席を観察すると、ある傾向に気づきます。<br />
真っ白。いつも100%とは言わないけれど、白人の比率が異常に高い。現代アメリカの政治家は多様な層からの支持を計算して、カメラに映るエリアには人種をミックスさせて配置するものですが、トランプ大統領の場合は真っ白けにした方が支持者がカンドーするんでしょうね。「USA、USA! アメリカスゴイ!!」というわけです。<br />
かつて白人が黒人を差別するのに優生学の疑似理論でホワイティの優秀性をアピールしたように、日本スゴイにも遺伝子ヨタが多数登場します。「神の遺伝子」「宇宙人の遺伝子」等々、ネットに垂れ流される醜悪なオカルト。日本スゴイテレビ番組も「世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史」(日本テレビ系)という身も蓋もないタイトルはじめ巷にあふれかえるスゴイプログラムの数々が、神国臣民の先天的優秀性をアオリますね。<br />
今日は、私たちが一部ネットで喧伝されている通り、常に勤勉で親切、礼儀正しく生きてきたのか、遺伝子が形成されたであろう神代の昔に比べれば、まだまだ卑近な事例から考えてみます。<br />
<h1>
アベベを襲った「日本ヒドイ」</h1>
1961年、東京オリンピックの開催を控え国民のスポーツ熱が日々高まる中、毎日新聞社は、主催のびわ湖毎日マラソンに、ローマ五輪の金メダリスト・アベベ・ビキラ(エチオピア)を招へいします。ローマ大会ではシューズが壊れたため素足で走り優勝、裸足の英雄と呼ばれた世界中の人気者でした。NHKの大河ドラマ「いだてん」のオープニングタイトルでも毎週、本人の映像が流れます。<br />
国際的スターを迎えた日本人の遺伝子は、果たして持ち前の礼儀正しさや親切心を発揮したのでしょうか? 同年6月26日付の毎日新聞「アベベの記録更新 カミナリ族がはばむ」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)この日は雨あがりで相当むし暑かったが、それほどアベベにとって悪コンディションではなかった。事実、午後3時スタートしたアベベの健脚はきわめて快調、5キロ地点の堺市竜神付近ではワミ以下の後続選手を大きく引き離した。<br />
大阪府警のパトカーや白バイによる先導もうまく、観衆整理もスムーズに進んだから走りやすかった。沿道の観衆はエチオピア国旗の小旗をふるもの「バルダー(がんばれ)アベベ」と叫ぶもの、国際レースにふさわしい光景も各所に見られた。<br />
ところが住之江の折り返し点を過ぎるころから、オートバイが目立ち始めた。ほとんどが2人乗り。パトカーの制止もきかず、アベベの前になり後になって離れない。騒音と排気ガスがアベベの身体を包み、先導車からさえ姿が見えないほど。<br />
浜寺公園のスタート前を通過するころ、ややアベベのペースが落ちた。車が邪魔になって走りにくいのだ。小さな子供までが自転車で伴走しようとして警官に止められた。前に飛び込んだオートバイのためアベベのペースが乱れ、怒りの表情を見せたこともあった。<br />
高石町から泉大津への入口(ママ)まではどうにかオートバイを中央線近くに押し返すパトカーの作戦が成功して、かなり楽に走った。だがそれも束の間、泉大津市内で再びオートバイがまつわり始めた。歩道から観衆がはみ出して車道を必要以上に狭くしたのも原因だった。<br />
(中略)岸和田市内もはじめは整理がゆきとどいていた。ところがトップのアベベが岸和田城前を折返し(ママ)、ワミ以下の選手と市内の繁華街ですれ違ったときはすごい混乱になった。役員の車や審判車など大会関係者の車にまじって十数台のオートバイが道路を埋めたため交通マヒが起こったのだ。車はあちこちで立ち往生し、アベベは顔をしかめながらこの間をぬって走った。さらに大型バスにさえぎられて5秒ほど足ぶみもした。観衆と肩をぶっつけ合うばかりの混雑になった。<br />
これからあとはまったくひどかった。何百台という単車の帯が26号線いっぱいにふさいだ。クラクション、爆発音のものすごい狂騒曲。アベベのペースはがっくり落ちた。両手を伸ばしたり曲げたり、疲れきったといった表情。パトカーの警官も沿道の警官も声をからして制止したが“ハエ”のようなオートバイは最後までアベベを離れずゴールまでつづいた。<br />
それでもアベベは走った。そして勝った。しかし、これはアベベの体力と勝負を捨てない意志の勝利だった。日本の選手はこのオートバイの排気ガスと騒音に耐えられず29人も落後してしまったのである。(引用おしまい)</blockquote>
当時の日本の工業力と環境意識によるのですが、自動二輪車のエンジンは構造が簡単な2ストローク式が多数でした。ガソリンとオイルを混ぜて爆発させ、未燃焼ガス・大気汚染物質を白煙とともに大量に排出するので、今では排ガス規制に耐えられず、レース用などほんの一部を除いて生産をやめています。アベベ見たさに集まったのは、カミナリ族と呼ばれた2スト珍走団。警察が止められなかったのは、礼儀正しい遺伝子の市民ポリスだったせいでしょうか。当時のメーカーには珍走相手に商売しようと、レース出場も簡単と称して消音器がすぐに外せるような構造を売り文句にしている親切なDNAを持つ企業もありました。<br />
記事によると、優秀な遺伝子を受け継いでいるはずの一般観衆も沿道からはみ出してアベベの邪魔をしています。このレースで、アベベは途中から靴を脱いでローマでの走りを再現するサービスを考えていたそうですが、それも日本人による2スト地獄の白煙まみれのスゴイ歓迎でパーになりました。この事件は、主催の毎日のみならず、読売・朝日ともに社会面のトップで日本人の公共心欠如を批判。スゴイ国辱の一件と成り果てました。<br />
今月10日に開かれたびわ湖マラソンは、大過なく無事に終わりました。74回を数える日本を代表するスポーツ大会に成長したびわ湖マラソンを支えているのは、純粋なスポーツを楽しもうとする世界のファンと選手たちの対応です。スゴイ遺伝子なんてオカルトのせいじゃありませんよ。<br />
ドナルド・キーンの訃報に接して、「茶色い目の日本人」なんて日本人の特殊性を主張してしまった毎日新聞などのメディアもが、心ならずも日本スゴイを増長する精神土壌に立っているのを知らされたのは、はなはだ残念でした。キーンは「日本スゴイ」の無意味さを、ずっと前から伝えていたのにね。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-37933606601746167352019-02-24T17:17:00.002+09:002019-02-24T17:17:59.185+09:00沖縄知事の戦死、天皇皇后の視線<h1>
辺野古の基地、青山の児相</h1>
1972年5月15日、日本返還当日の記念式典で、初の公選沖縄県知事となった屋良朝苗は、県民と国民へ語りかけました。<br />
「沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除して県民福祉の確立を至上の目的とし、平和で、いまより豊かで安定した、希望のもてる新しい県づくりに全力をあげる決意であります」<br />
それから50年近い年月が過ぎ去って今、沖縄が常に手段として利用されてきたことが排除されて、県民福祉の確立へ前進しているのか、というと、まあそう変わっちゃいない。というより、本土の我々が変えようとせずに、見たくない、近くに置きたくない施設や汚れ仕事を沖縄に押し付けっぱなしにしてきたんですよね。<br />
その意識なしに、児童相談所の新設に反対する青山在住の成金連中を、地域エゴだ、差別的だと訳知り顔で難詰する資格が私たちに果たしてあるのか、とも思うのですよ。16日に「報道特集」(TBS系)が放送した、都市部で出た建設残土をへき地に投棄して、大多数が知らん顔してるからいいじゃないかと済ませる問題も同根。本土に安穏と暮らす私たちは、今日行われている辺野古での基地建設の是非を問う県民投票の経緯ともうすぐ出される結果から、私たちの勝手な都合によって弱者にさせられた沖縄の人たちを知るように努めようじゃないですか、というのが今日のお話です。<br />
<h1>
いまだ軍政下</h1>
昨年、翁長雄志県知事が死にました。病をおしての県民の社会権・幸福追及権獲得闘争のさなかに倒れた、まさに戦死でした。かの地の米軍基地問題は太平洋戦争に起因しますから、県民49万人のうち12万人が亡くなった沖縄の新たな戦死者だと言っていいと思います。4人に1人が戦乱に散った島々では、身内が軍隊に命を絶たれる事件が70年余も続いています。<br />
嘘じゃないよ。嘉手納の永山由美子、読谷の棚原隆子、那覇の国場秀夫、糸満の金城トヨ、石川の宮森小学校児童11人……。まずはググって調べてみよう。それらに近年の殺人や暴行の数々、辺野古基地建設をつなげて考えれば、沖縄県民の戦後って何なんだろう、と思いますよ。いつまでたっても「豊かで安定した、希望のもてない場所」に住まわせられる人生を自身に投影する作業。やってみる価値は十分あります。<br />
文頭に挙げた初代知事・屋良朝苗も戦争で長女を失っています。ひめゆり学徒隊の一員でした。1975年、彼女たちを慰霊する「ひめゆりの塔」を訪れた明仁皇太子・美智子妃が、過激派に火炎ビンを投げつけられた事件がありました。平成の時代が終わるとあって、最近ではこの事件がテレビでもよく取り上げられていますけれど、この時にご夫妻が名護市のハンセン病療養所愛楽園を訪れ、入所者たちと歓談されたことは、今ではあまり一般に知られていません。<br />
本土から差別されてきた沖縄の中にあって、さらなる差別を受けたのがハンセン病患者でした。このところ、過去の強制不妊手術の非人道性があぶり出される報道を見聞きしますが、元ハンセン病患者の多くもいわれなき差別を受けて施術されているようですね。愛楽園の入所者は、偏見から差別的隔離をほどこされた人たちで、戦時中には米軍の攻撃目標を散らす目的で屋根に病院を表す赤十字マークを飾ることも許されず、同園は空襲を受けています。<br />
アメリカの軍政下になっても、医療行政の停滞は続きました。日本復帰が目前に迫った段階で、厚生省は沖縄の医療の実態調査のため、葛西嘉資元事務次官を派遣しました。<br />
1971年3月12日付の朝日新聞夕刊「今日の問題 沖縄のハンセン氏病」から引用します。文中のハンセン病についての説明は、掲載当時の一般的見識で、現在とは違っている点もある旨、付け加えておきます。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)このほど、厚生省の依頼で沖縄の実情を調査してきた葛西元厚生次官は、こう語った。<br />
「宮古群島の多良間村は、約2700人というわずかな人口なのに、毎年、零歳から10歳まで、10歳から20歳までの年齢層で、それぞれ4、5人ずつのハンセン氏病が出ています。患者は、1万人あたり97人という驚くべき高い割合なのです」という。本土の0.9人よりずっと多い。<br />
沖縄のハンセン氏病対策は、本土に比べて約30年も遅れているようだ。72年の復帰を前に、ハンセン病のような問題については、何らの対策も立てられていない。<br />
かつては「不治の病」とされたハンセン氏病も、いまではなおせる病気となった。社会復帰している人達も少なくない。本土では11の国立療養所と3つの私立療養所に、9千人近い患者が入所しているが、その72%は菌をもっていない。このほか、感染の恐れがない在宅の患者が約6百人いる。<br />
ところが、沖縄の患者は2千人弱。琉球政府の2つの療養所にはいっているのは、このうち9百人余で、のこりは外に出ている。本土とちがって、在宅のまま治療して患者が多いのだが、なかには感染するかもしれないのに、ほったらかしになっているものもいるらしい。<br />
ハンセン氏病のメカニズムは、必ずしも解明されておらず、原因をはっきりつかむことはむずかしい。<br />
(中略)ともかく、政府は沖縄の本土復帰前にまず実態をよくつかみ、いまから必要な対策をとるべきだ。検診を強化し、潜在患者の解消をはかることである。沖縄にはライオンズ・クラブの寄付で「スキン・クリニック」もできているが、専門の医師がほとんどいないという。医師、看護婦を送ることも、急務である。(引用おしまい)</blockquote>
<h1>
「本土」と「他府県」</h1>
基地運営がすべてに優先される軍政下では、民間人の医療などどうでもいい事柄でした。雨が降らずに深刻な断水が市民生活を直撃しても、軍用機を洗う水はふんだんに供給されていたのが沖縄です。<br />
皇太子夫妻訪問が報道されることで、ハンセン病患者療養施設について国民は知ることになります。差別を受ける人たちへの心配りでした。火炎ビンを投げつけられ生命の危険にさらされてなお、ここまで計11回の沖縄訪問を繰り返された天皇皇后両陛下は、私たち本土の人間たちに沖縄忘れまじ、と訴え続けているように見えます。<br />
復帰のころ、希望にあふれていた沖縄人の本土への呼称が「他府県」に変わった時期がありました。今では再び、よそよそしい「本土」に戻っています。考えてみれば、同じ日本人なのに奇妙な呼び方ですよね。<br />
県民投票は、本土の私たちにとって一過性のイベントじゃありません。沖縄の近現代史と現状について興味を持って知ること、考えること。これからの日本と世界をになう若いみんなには、天皇皇后両陛下の視線を持ってほしいと願います。
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-44498397013738642552019-01-04T23:39:00.000+09:002019-01-05T00:20:23.533+09:00大河ドラマ「いだてん」は何を抱いて走る?<h1>
無芸大食「西郷どん」の“志”</h1>
昨年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の価値観が一般的なドラマと違っていたのは、全編を通じて主人公が“無芸大食の馬鹿”だったことでした。<br />
無芸の馬鹿だから、激動の時代にありながら歴史に自らコミットすることなく、何かにつけては「民のため」と具体性皆無のスローガンを掲げては、半裸になって相撲を取ったり、流されるまま婚姻を繰り返して子孫繁栄に励んだり、犬の世話をしたり。その間に一橋慶喜や大久保利通が前後の脈絡なく凶悪化して、何だか知らないけど、「西郷どんは正しか人だけん、何をしても、何もせんでもヨカヨカ」となって、善人愚人凡夫の西郷隆盛は、戦を起こした自覚すらないまま、多くの士族を巻き添えにした西南戦争の敗走時にも、林間学校の中学生のごとくニコニコと楽しげに霧島の野山を駆け、大久保はいかなる日本を作るかを示すことなく、意図不明の斬奸状をいきなり突きつけられて暗殺されるという、歴史ドラマ全体へのテロと呼んでもいい終わり方をしたのが「西郷どん」だったわけです。第1回で、上野の銅像除幕式に呼ばれた未亡人が「主人はこんな人じゃない」と言ったから、じゃあどんな人だったのか、が描かれると期待していた全国の視聴者は、愚鈍な大将にすべてを託した挙げ句に見殺しにされた薩摩士族、またはインパール作戦の兵卒も同然の扱いを受けたんですね。<br />
昨年の初めに本稿で予告した通り(<a href="http://www.history-japan.info/2018/01/blog-post.html" target="_blank">拙記事:大河ドラマ「西郷どん」と視聴者の歴史観を参照</a>)、「西郷どん」は、自分の歴史観を持たないし、持とうともしないことを公言していた脚本家にすべてを任せたがゆえの大惨事になりました。西田敏行さんは、視聴者を除けば最大の被害者。主要人物の能動的行動による時代の転換が行われないため、年表と時系列説明の朗読を延々と続けさせられ、竹下景子さん相手に楽しくマイクに向かうラジオのオーディオドラマとは対照的な鬱々としたナレーションでした。<br />
本作は春ごろにはさっそく、番組制作現場の統制が取れていないと世間様にバレました。「ステラ」というNHKの番組を宣伝するために存在する、いかにも金銭感覚のぶっ壊れたテレビ局らしい誰得な有料の週刊誌が書店に並ぶんですが、渡辺謙さん(島津斉彬)の表紙写真に付いたコピーが「『志』はあるか」。<br />
これ見て、ああ、終わってるなと直感しました。空っぽな時代劇に制作者が無理やりくっつける常套句が「志」です。4年前にこのブログでも散々非難、修正を求めた救いようのない駄作「花燃ゆ」で、松下村塾や長州藩のウスラ馬鹿どもがお題目のように口にのぼせていた「志」ですよ。「西郷どん」は「花燃ゆ」と同レベルの“志”で作られていたんですね。<br />
蛇足ですが、電脳空間には「『花燃ゆ』の名言」という物凄いウェブサイトも存在するので、まだいまさら駄作のココロザシに興味が残ってる奇特な人は読んでみて下さい。あなたの心に刺さるイタい言葉が満載。名作だったのか、「花燃ゆ」?<br />
歴史とは、かようにして美化されるのです。<br />
<h1>
文化国家の視聴者として</h1>
ここまで字数を費やして、昨年ひっそりと終了したダメドラの問題点を挙げてきたのは、新年6日から始まる「いだてん」が、視聴者に何を提出して、ドラマ視聴によって私たちは何を得ることができるのか、NHKと視聴者の間に大きな不安が介在するからです。このところ、大河関連番組を地上波・衛星放送問わぬ乱れ打ちで派手にやってますねえ。<br />
今、なぜ東京オリンピックを描くのか? そりゃ、来年また東京五輪を開くから景気を上げる前宣伝という要素が大きいでしょう。でも、歴史ドラマがそれだけじゃ困りますよね。2020年のオリンピックは今のところ、財政破たんの危機に瀕した国家が、ゼネコンに金メダル争いをやらせて、それで景気も上がればいいけどな、というバクチにしか見えません。「五輪開催は民のため」なんて言うなよ。<br />
放映権を巨大メディアがカネで争う米国などと違い、<strike>同調圧力のキツい</strike>和を尊ぶ日本では、NHK・民放合わせた全キー局が、ジャパン・コンソーシアムという横並びの組織を作ってケンカすることもない仲良しこよしで大会を迎えます。東京大会では、大手新聞各社もパートナーという名のスポンサーになります。オリンピック絡みの事象であればすべてが許される、“五輪無罪”の空気をメディアが醸成してくる危険性が極めて高いからこそ、視聴者は冷静にならなければいけません。招致委員会の贈賄疑惑もあったでしょ。モリカケ問題同様、なかったことにされてるみたいだけど。来年開かれる東京五輪の現状がとてもうさんくさいだけに視聴者は、「いだてん」が何を示してくれるのか、注視する態度を保つ文化国家の国民でありたいものです。<br />
<h1>
黄金の日曜日だった「黄金の日日」</h1>
優れたテレビドラマに付き物の歴史観・作品の主題を決めるのはチーフプロデューサーであり、体現するのは原作者、脚本家。そこに齟齬が生じなければ、本来優秀なスタッフは、素晴らしい仕事をするものでしょう。今日は、1978年に放送された大河ドラマ「黄金の日日」から、その点について考えます。<br />
「黄金の日日」の原作は、当時すでに経済小説の第一人者となっていた城山三郎。NHKは、大河放映を前提にした連載執筆を城山に快諾させ、脚本家市川森一がテレビ向けに筆を加えました。<br />
主役に口説き落とされた6代目市川染五郎(現・2代目松本白鸚)は、大河の撮影中は歌舞伎をはじめとする全舞台、映画・テレビドラマ、CM撮影などの仕事を入れず、同作に全力を注ぎます。ヒロインは絶世の美女栗原小巻。高橋幸治(織田信長)、緒形拳(豊臣秀吉)の名コンビに、鶴田浩二、十朱幸代、丹波哲郎ら茶の間に馴染みの顔ぶれが並ぶ一方で、アングラ演劇から参加した唐十郎、李麗仙、根津甚八、東映の大部屋俳優だった川谷拓三らをも時の人にした話題作でした。花沢徳衛の快演、ひたすらカッコよかった近藤正臣、花が咲いたように美しい竹下景子……。思い出話にキリが無くなるんですけど、それらを含めて「黄金の日日」が語り継ぐに値する作品であったのは、歴史を通して経済と、経済大国だった日本・日本人を考えるという主題の背骨が通っていたためでしょう。<br />
キャスト・スタッフを束ねた制作の総指揮者、今でいうCPは一昨年に亡くなった近藤晋でした。戦後のNHKドラマの俳優供給元だった滝沢修、宇野重吉らの劇団民藝から放送局入りしただけあって、「黄金の日日」の制作過程、配役の妥協のなさに元演劇人の情念がうかがえます。<br />
1977年9月23日付の朝日新聞のインタビュー「テレビ人語録 近藤晋」より引用します。年号は昭和です。<br />
<blockquote class="tr_bq">
「時代は借りているけれど、中身は現代の話。むしろ現代劇では語りつくせないような問題点を鋭くついているーーそういわれるような時代劇を作りたい」という。NHKの来年の大河ドラマ「黄金の日々(ママ)」のプロデューサーだ。<br />
これまで主人公は武将ばかりだった大河ドラマが初めて商人を取り上げる。戦国時代の末期、海外に雄飛した堺の豪商、呂宋助左衛門。物語は経済小説のベテラン城山三郎氏がこのドラマのために執筆にかかった。<br />
「武力がものをいった時代に商売だけで繁栄した堺の町の姿は、いまの“経済大国日本”の姿とよく似ている。反権力の立場をつらぬき通した呂宋の生き方も現代人に考えさせるものがあるのじゃないか」<br />
――もっと大衆になじみの深い人物の方がよくないか。<br />
「大河ドラマも15年。歴史上のたいていの人物はすでに何かの形で出てしまっている。かつて端役だった人物が主人公のドラマなんておかしいでしょ。それより未知の部分が多い人物を自由に活躍させた方が楽しんでもらえる」<br />
――しかし、大河ドラマで歴史を知ろうと期待する人も多いのじゃないか。<br />
「もちろん史実を無視するわけじゃない。群雄割拠の時代とされている戦国時代に経済の面からスポットを当てる。たとえば、信長が強かったのは、火薬の重要さにも気付いたから、という指摘もある。家康が財力をつけるために堺の町をいかに利用したか、というのも情報価値があるでしょう」<br />
48年「銀河テレビ小説」が20分わくになった時の初代プロデューサー、次いで「土曜ドラマ」を手がけ「劇画シリーズ」「男たちの旅路」「松本清張シリーズ」などヒット作を生んだ。いまのNHKドラマに欠けているものは「おもしろさ」だといい「テレビドラマは文学や絵と違って電波にのせて送り消える。その時に見てもらえるようなものでなければ作らないのと同じだ」といい切る。<br />
「見てる間はゲラゲラ笑ったり、ハラハラしているが、あとで胸にズシーンとくるようなものを作りたい」。おもしろくてためになる番組を目指すNHKの優等生。48歳。(引用おしまい)</blockquote>
過去の出来事から現代の問題点を整理して、新しい視点の娯楽作品の中で視聴者に提出するーー。これが「黄金の日日」のテーマでした。「いだてん」は、娯楽色もたっぷりに、俳優たちの魅力を引き出し、新しい時代劇として明治から昭和、そして平成を超えて以降の私たち日本人のための特別な主題を、過度に時代を美化することなく提出してくれるのでしょうか? 主役が著名人でない分、「黄金の日日」と同じように“未知の部分が多い人物を自由に活躍させる”ことができるかもしれません。期待しましょう。<br />
かつて近藤晋プロデューサーが提供した黄金の日曜日の“志”がある大河が見たい。空っぽな言葉だけの「ココロザシ」は、もうたくさん。(一部敬称略)Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-28895750032918090042018-12-29T20:25:00.000+09:002018-12-31T18:49:20.754+09:002018年のテレビは最低だった<h1>
「知ること」と「知らせること」</h1>
米国がベトナムでの戦争へ次第に介入の度を深めていた1960年代、この戦争を最初に“泥沼”と呼び、その理不尽さや汚さなどアメリカの過ち、政府に不都合な事実を次々とスクープした記者をクビにするよう、ジョン・F・ケネディ大統領はニューヨーク・タイムズの社長に幾度も迫り、そして断られました。<br />
その記者、後に独立してからも数々の名ルポルタージュをものしたディビッド・ハルバースタムの名前を、国谷裕子さんの著書「キャスターという仕事」(岩波新書)の文中に見つけました。国谷さんの優れた番組の仕切り方(<a href="http://www.history-japan.info/2016/04/blog-post_13.html" target="_blank">拙記事「クローズアップ現代への弔辞」参照</a>)のルーツにハルバースタム流のアプローチがあったのか、と納得した次第です。ホワイトハウスから記者を守り通した新聞社と、永田町2丁目あたりからちょっと文句言われただけで長年の功労者をさっさとお払い箱にした放送局との権力への距離感の違いには、ため息が出るばかりですがね。<br />
そのNHKで、10月に素晴らしい番組が放送されました。とはいっても、放送協会制作じゃありません。大阪・毎日放送(MBS)のドキュメンタリー「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~」です。歴史や道徳の教科書採択をめぐる闇にドロドロとうごめく気持ち悪い歴史修正主義者と、そいつらに翻弄される教育現場や教科書出版社の直面する現実を正面から見据えた快作でした。放送したのはBS1の「ザ・ベストテレビ2018」。たまには良い番組流すじゃないか、NHKも。<br />
斉加尚代さんというディレクターがNHKのスタジオで語りました。伝えるために知る、知ったから伝える、だから知りたい、伝えたい。民主主義下のメディアの存在意義です。ハルバースタムだって、知ったことを全部知らせたゆえ、名ルポライターたりえました。<br />
テーマがはっきりしたドキュメンタリーを見て感じるのは、国民の財産である電波の利用を付託された放送局には国民への義務がある、ということ。知ることは大事だし、知らせなければ情報にも放送媒体自身にも価値はない。「知る」ことと「知らせる」ことは不可分一体でなければいけません。<br />
例えば、森友・加計問題。血のにじむような取材、火を吐くような記者会見での突っ込みが仮に行われていても、まったく放送しなければ、視聴者に知らせなければ電波の免許持ってる資格なんかありません。もしも、そんな放送局があるんだったらつぶれてしまえ。テレビの「放送」とネットの「通信」の存在意義の違いの一つは、知らせる義務の有無にあると言えます。<br />
斉加尚代さんの名は覚えておこう。吉永春子、市岡康子、渡辺みどり、礒野恭子、堂本暁子、伊豆百合子、星野敏子らドキュメントプログラムの先人たちに続く名ブランドになるかもしれません。<br />
NHKでは右田千代さんが良いですね。近現代史モノで見て得した、と思う番組によくクレジットされてます。女性ばかり褒めそやすのは差別になるのかもしれないけれど、昨今のスキャンダル報道からおもんぱかるに、どうやらテレビ業界はセクシャルな不祥事が日常茶飯のセクハラ魔窟みたいですからね。ハラスメント野郎どもが跳梁跋扈する劣悪な環境にあって、なお素晴らしい仕事をしようと努める女性たちにはエールを送っておきたい。<br />
<h1>
民放も不祥事まみれ</h1>
2018年は放送局が報道を捨てた俗悪化、広告媒体化がより顕著になった残念な1年になりました。<br />
大きな天災が続いたんだけれど、それを別にしても、天気、かわいい動物にスポーツニュースばかりを見せられた印象が強い、ことなかれ報道の年。すべてのキー局で象徴的な事件が起きました。<br />
まずはテレビ朝日。財務省事務次官による女性記者へのセクハラという最低最悪の一件が露呈しました。その後も、財務大臣をはじめとするお役所からは、女性記者へのセカンドレイプに匹敵する暴言、罵詈雑言が飛び出したのですが、なぜ電波を使って抗議・反論しなかったんだ? 「報道ステーション」の「熱盛」なんか非常時に放送して要らんだろうが。そんなもん1日2日くらい中止して、公然と、決然と社員を守れよな。視聴者にわかる形でセクハラに対抗するのも公的メディアの仕事です。報ステは、ベテラン社員やOBが驚き、失望したらしいスタジオ人事で士気が落ちたせいか、お天気・スポーツバラエティに成り下がって、まったく精彩がなくなってしまっているのが気がかりです。知ることと知らせることは不可分一体。<br />
海外バラエティのやらせ問題に揺れた日本テレビは、とっくに倫理観メーターの針が振り切れています。放送中ならびに映画化したこども向けアニメグッズ、こどもの玩具として売られている「公安警察手帳」って何よ? 経営陣は、どんなアニメだか理解しているのでしょうか。判断力が未成熟な年齢層に警察国家教育を施すんですか? 背筋がうすら寒い歳末です。日テレ社員たちには、同局を一級の報道言論機関として輝かせていた牛山純一の仕事を見つめ直していただきたい。知ることと知らせることを隔てることなく実践した人です。<br />
フジテレビは、外国人を敵視することで入国管理局をマンセーする国家行政お追従番組が批判を浴びました。台所が苦しいから、制作費がかからない安易な行政丸抱え番組に走るのは、貧すれば鈍すの典型例として理解できます。「警察24時」なんて権力依存番組を各局が垂れ流しているから、フジだけを批判する筋合いではありませんが、お国が知らせたいことのみが放送され、視聴者が知りたい事実は皆無のテレビ局のままでは、凋落は止まりますまい。<br />
次はTBS。ある意味で今年もっとも看過できない放送事業の不祥事が表沙汰になりました。鹿児島県警の警察官が酔った市民を制圧・窒息死させた事件の現場映像を警察に押収されるがまま抗議も返還要求もせず放置、遺族の告訴に検察が映像の提出を拒否しても、知らんぷりを決め込んだことが明らかになりました。7月に毎日新聞の報道を読んだ時は、「まさか」と思いました。西日本の豪雨をほったらかして宴会をやった赤坂自民亭が問題になったさなか、TBSもまた“赤坂愚民亭”として恥をさらしました。映像を権力側の好きなように使用・不使用を決めていいのであれば、それは報道ではありません。取材が国民ではなく警察・検察の側に立つ「請負捜査」に当たるという考え方もあります。下請け会社が撮影したから関係ないなんて言い訳にもなりゃしないんです。全局右へ倣えで「警察24時」なんて、オカミへの尻尾振りコンテンツばっかり作ってきたせいで、メディア全体のリテラシーがぶっ壊れてるんですね。東京放送にとっての知ること、知らせたいこととは?<br />
警察への密着・癒着プログラムにマヒしたテレビは、さらなる危険領域へ踏み込みます。テレビ東京は、11月にとうとう自衛隊の装備自慢バラエティを始めてしまいました。司会は吉本興業のエース博多華丸・大吉。娯楽カラーたっぷりに、制作費節約の自衛隊宣伝番組です。防衛費は年々ウナギ登り、戦闘機やミサイル防衛システムを米国からバカスカ買って、憲法違反の疑いもある戦略兵器である空母も保有すると言い出した防衛省のプロパガンダを、2時間の枠で全国に届けました。もはやテレビマンの仕事じゃありません。広告代理店です。広告にとって、「知ること」は不要なんですよ。「知らせること」と、その結果としてのおカネだけが大切。<br />
<h1>
視聴者はお客様</h1>
「知る・知らせるの不可分一体」を本稿が繰り返し強調するのは、その趣旨から外れた番組が視聴者にとって迷惑であるばかりでなく、国民にとって害毒でしかないからです。第一、知りたいとも思わない、知らせたいはずがない中身の番組を作っている当事者たちにとって、その仕事が面白いはずがない。<br />
今日は、D・ハルバースタムとともに日米自動車戦争を扱ったドキュメンタリー・シリーズ「自動車」を作ったこともある、NHKのディレクター相田洋さんのインタビュー記事から、テレビ番組に関わる人間の姿勢と、私たち視聴者との関係について考えます。<br />
1995年、コンピューター・ソフトウェアの歴史と現状を描いたNHKスペシャル「新・電子立国」が放送されます。パソコンの基本ソフト(OS)、家庭用ゲーム機、一般家庭に普及する以前のインターネットなどについて視聴者にわかりやすく知らせるため、相田ディレクターは自らテレビカメラの前に立ち、語りました。<br />
同年11月13日付の朝日新聞夕刊「話題の仕事・人 相田洋さん」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)全編、三宅民夫アナとともにナビゲーター役で出演もしている。前作で好評だったための再登板だ。講談か漫才に近い語り口。必要とあれば、下着姿になってラジオ体操をしてみせる。<br />
「お客さんが喜ぶことは何でもする」。番組づくりの姿勢だ。視聴者を「お客さん」と呼ぶ。ハリウッドの最新技術を平易に解説した初回の視聴率が16.2%。NHKスペシャルとしてはオウム、野茂(引用者注・野茂英雄。米プロ野球投手)に次ぐ今年3番目の数字を得た。難しいテーマを面白く見せることにかけて。右に出る者はいない。<br />
秘けつは、まず自分が楽しむことだという。番組づくりが好きでたまらない。特に、編集はすべて自分で行う。最高責任者自ら機械をいじるのはまれだが、昨年9月から編集室にこもり、約6百時間に及ぶ映像素材を整理して大腸を作るところから手掛けた。<br />
「自分でやっちゃうと1人よがりになる危険が強い。だから新人の意見も圧殺せずによく聞きます。だれかが疑問を抱く部分は必ずどこかに欠陥がある」(引用おしまい)</blockquote>
相田さんが「お客さん」と呼んだ視聴者への創意工夫の意識が、警察密着や自衛隊、入国管理局の広報番組に生まれる余地があるでしょうか? 東南アジアの国にカネづくで作り上げた虚構の伝統行事を1人よがり(それとも総意?)に茶の間に放り投げる欠陥に、疑問を抱くテレビマンはいないのですか?<br />
<h1>
ハルバースタムの予言</h1>
1993年、日本のテレビ放送40周年に際し、来日したディビッド・ハルバースタムは、講演で日本のテレビ業界人へ語りかけました。<br />
「株式上場をして、創業家より一般投資家の株主が増えていくにつれ、資本家の論理に従ってテレビは劣化する」<br />
その後、我が国の放送局は次々と株を公開、ハルバースタムの言の通り、堕落を続けているように見えます。我が国のテレビジョンは当事者たちが気づかぬまま、じくじくと腐敗していくのでしょうか。<br />
いやいや、人材はいます。ここでは斉加尚代、右田千代の名前を挙げました。放送業界の根腐れをくい止めて、立派なテレビを構築する思いを持つ人は、他にもたくさんいるはずです。私たち一般視聴者が知らないだけ。<br />
今年のテレビジョンは最低でした。名を挙げた彼女たち、まだ名を知られぬ彼らが、2019年を手始めに瓦解寸前のテレビを立て直してくれますように。
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-31980559751800207692018-04-17T23:41:00.000+09:002018-04-18T00:00:45.716+09:00国会議員罵倒自衛官と五・一五事件防衛省の統合幕僚監部所属の3佐が、民進党の小西洋之参院議員に面と向かって「お前は国民の敵だ」などの罵倒を繰り返したと報道されています。これが本当なら辞めていただきましょう、自衛官。<br />
昨今の森友・加計問題での民進党の追及能力のなさ、ふがいなさ、存在感のなさ等々が相変わらずのていたらくだとはいえ、実力組織である自衛隊のエリート幹部が自分と異なる意見を許容できず、国民に選ばれた人物を攻撃することほど恐ろしいことはありません。辞めて下さい。関連団体や防衛産業への再就職あっせんも無しね。防衛省とは一切関係のないところで新しい人生をスタートさせて下さい。<br />
そのぐらいやってくれないと、国民は不安で仕方がありません。なまじ甘い処分に終われば、ああ、この程度で済むんなら俺もやろうっと、なんて考えるバカが続くでしょう。それがエスカレートしたのが、戦前の五・一五事件であり、二・二六事件でした。<br />
五・一五事件は1932年、海軍の青年将校たちが内閣総理大臣・犬養毅を射殺したテロです。自分たちと考えの異なる人間を抹殺したわけです。裁判所の判決が甘々だったため、4年後の政府転覆クーデター二・二六事件につながりました。首謀者たちは五・一五の結果から自らの量刑が軽くなると思い込んで行動に及んだことが証言から分かっています。日報問題一つ取っても、ガタガタにタガが外れている防衛省から、跳ね返りの鉄砲玉がぼろぼろ飛び出す可能性は十分にあると、国民は疑っています。<br />
現在の政府の説明では、南スーダンの日報隠蔽は防衛相をはじめとする内閣に無断で役人の独断でやらかしたことになっています。集団的自衛権についても、政治家を飛び越えて日米の制服組が先に事を進めた件が取りざたされていました。<a href="http://www.history-japan.info/2017/08/blog-post.html" target="_blank">文民統制が効かない実力組織ほど、国民の生命と安全を脅かす存在は他にありません</a>。<br />
自衛隊の活躍を、この目で見て感動を覚えた経験があります。阪神大震災の時でした。あちこちでぺしゃんこに潰れた建物をとめどない余震が揺さぶる神戸の修羅場で、全壊家屋の要所を手際よくロープで固定すると、きしみ音など聞こえないかのように躊躇なく中へ向かう隊員たち。やがて遺体を抱えて出てくると、悲しみに暮れる家族に対面させるまでの終始きりっとした姿に、国民を守る仕事とはこうしたものなんだ、と感じ入ったものでした。<br />
現在、非戦闘地域ではないらしい“被戦闘地域”への派遣やら北朝鮮問題やらで、ドンパチ準備組織としての側面ばかりが強調される自衛隊ですが、発足以来数々の災害救援で数多くの国民に感謝され、尊敬される存在でもあります。<br />
1959年9月、日本列島に上陸した伊勢湾台風は約4千700人の死者、400人の行方不明者を出す大災害となりました。出動した自衛隊の活躍を1959年10月6日付の読売新聞夕刊「よみうり寸評」が伝えています。同記事から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)あれだけの装備と、しかも訓練と規律を持つ労働力はほかには求められない。〝急迫不正〟はいわゆる侵略だけではない。いや“アテのない”侵略より、台風の方がはるかに現実的で定期的な侵略だ。国会で「自衛隊の救援活動が遅い」と非難されたが、これは自衛隊にとってアルバイトでなくレッキとした本業だ。◆現地からの報告によると自衛隊員は実によく働いている。救援物資を積んで町から村へ孤立した人々に配って歩くと、早朝から深夜までかかる。軍衣はドロと死臭と潮でベトベトだが、それを洗うのは夜中の1時過ぎだ。そんな生活をもう10日以上も続けている。救援の遅さに悲憤する被災者もこういう自衛隊員にはご苦労さんと声をかけるだろう◆自衛隊員にとって「愛国心」は大きな課題だろうが、こういう生きた行動が答(ママ)だ。石橋(湛山)首相のころ自衛隊を本格的な国土建設部隊にするという構想があった。お茶をひいている芸者より、現実に仕事をする女中さんの方が尊敬されることもちろんだ。(引用おしまい)</blockquote>
石橋湛山時代に議論された「国土建設部隊」こそ、国民に寄り添う実力行政組織として理想のあり方ではないでしょうか。敵基地攻撃能力を備えた戦闘機で、国境を越えて朝鮮人を殺しに行くための納税など、だれもしたくありませんからね。国民から愛される自衛隊とは災害救援、そして専守防衛に徹して国民の生命と安全を守ってくれる頼もしい存在であってほしいものです。<br />
自衛隊に救われた市民の声も紹介しておきましょう。1963年に北陸地方を中心とした日本海沿岸地域は、驚異的な大雪害に襲われました。昭和38年だったことから、一般に「三八豪雪」と呼ばれています。<br />
この際にも自衛隊は大勢の人員を被災地に送り込み、補給やインフラ再開に尽力しました。1963年2月16日付の読売新聞読者投稿欄「気流」に掲載された新潟県加茂市の男性の一文「自衛隊員に感謝する雪害地」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)私の県では新聞社、放送局を通じ義援金を募集しておりその金で隊員に暖かい毛布や下着を供与しております。またあるメーカーは隊員の皆さんにとテレビ10台を贈ってくれ、また細かいことですが、新潟市のあるまんじゅう屋さんがまんじゅう4千個を隊員の方にと寄贈したり、三条市では理容院や洗たく屋さんが無料奉仕を申し出るなど、その他かぎりなく自衛隊との間に美談が生まれております。<br />
▽私の町では「自衛隊の皆さんご苦労さまです」という紙の小旗がいたるところで見られ、隊員の除雪するところは町内各家1人ずつ出て一致協力して働いております。同じ苦労を共にし、同じ銭湯で湯にひたっていると、隊員と町民というよりか、人間対人間としての心の交流を感じております。(引用おしまい)</blockquote>
いい話じゃありませんか。同じような感情を持った人たちは、近年の東北にも、ちょうど2年前の熊本にもたくさんいるはずです。現場の自衛官らが築いてきた信頼を、本省のお偉いさんたちが無に帰そうとしているんですよ。それどころか、“青年将校”が意に沿わぬ国会議員を罵倒恫喝して、組織の戦前回帰か、五・一五事件が起きるか、と国民を不安に陥れているのが現在の防衛省。<br />
罵倒3佐を辞めさせましょう。愛される自衛隊復権への第一歩です。Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-90990486094429341922018-03-05T01:00:00.002+09:002018-03-05T07:42:49.238+09:00あなたも石牟礼道子になろう<h1>
新利根川から水俣へ</h1>
茨城・千葉県境の鹿島灘に注ぐ利根川は徳川家康入府の時代、東京湾に流れ込んでいました。<br />
徳川幕府は水害から首府を守るため、利根川を現在の流路にする大工事を敢行。突然お上が川を連れて来たせいで先祖伝来の土地が水浸しになったり、村を追われたりした新流域の領民たちの一部が反抗、打ち首になったといいます。新利根川騒動と呼ばれています。<br />
国家権力が自分たちの都合で民を踏みつけにする構図は、主権在民のはずの戦後日本でもさして変わりませんでした。化学工業会社チッソの企業城下町だった熊本県水俣市の人たちは、城主・チッソが有機水銀入りの未処理廃液を垂れ流し続けた故郷の海から採れた魚介を食べたことで深刻な病害に侵されました。教科書にも載っている水俣病ですね。<br />
国の反応と対応は鈍いものでした。東京をはじめとする大都市圏には関係ないとばかりに、患者たちの窮状への関心も広がることなし。厚生省は、患者側と企業・県とのあっせん役だったにもかかわらず露骨に加害側に寄り立った裁定を行うなど、公僕にあらざる振る舞い。心ある現役官僚の中には省の玄関前で我が所属官庁非難のビラを配った人たちさえいたそうですから、いかにひどかったか想像にかたくありません。封建時代とおんなじ状況です。そんな時、水俣病問題を国民に文学として突きつけ、空気を激変させたのは地元の主婦作家、先月亡くなった石牟礼道子の「苦海浄土」です。<br />
久しぶりに読み直しました。他人に読ませるために書いた文章じゃありません。ためにする文学ではなく刻み込まずにはいられないセンテンスが名文となり、地域の愛憎と、ヒトがただの動物ではない“人間”である根拠、つまりは個人と社会の尊厳が描かれた大傑作。本物の表現者は、ためにするのではなく自身に向かって芸術を為す。その典型でしょう。熊本出身の厚生大臣・園田直が現地を訪れた時、けいれん発作を起こした患者が「てんのうへいかばんざい」と絶叫し、調子はずれの君が代を歌い出す場面には、水俣の人たちにとっての主権在民なる言葉のむなしさに涙がこぼれました。<br />
吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」がベストセラーになっていますが、若いみんなには「苦海浄土」もぜひ併せて読んでもらいたいものです。副題の「わが水俣病」は、今なお「私たちのミナマタビョウ」でもあるのだから。<br />
<h1>
裁量労働制と水俣病</h1>
「働き方改革」という耳ざわりの良い看板を付けて提出された法案が、国会で審議されています。裁量労働制は実際の労働時間に関係なく残業代を打ち切る、という乱暴な物で、高収入の専門職に同様の賃金カットを適用する高度プロフェッショナル制度も問題視されています。適用の収入基準なんて、いったん決めちゃえばその後にどうにでもなる危険なやり方ですよ。気がつけば年収200万円でも“高度プロフェッショナル”に認定されるかもしれない。逆進性の強い消費税が、はじめは3%だったのにもうすぐ10%になるのと同様。不平等・不均等な法律ほど危ないものはありません。<br />
この法案の根拠となる厚生労働省のデータがデタラメだったことが分かりました。厚労省は、水俣病問題最盛期の厚生省です。原子力安全委員会が規制委員会と名を改めても中身に変わりがないように、厚労省も十年一日、いや五十年一日の行政にまい進しているわけです。<br />
水俣病問題での厚生省の腰の引け方の根本は、重化学工業最重視で走り続けてきた戦後日本の経済体制維持にありました。国家がチッソの罪をやすやすと認めれば、新生経済大国“国体”の背骨が揺らぎかねません。厚生省は政界・財界の方を向いて働かざるを得なかったのでした。<br />
今回のデータ問題で厚労省は、だれのために、どっちの方向を向いているのでしょう。若いみんなも興味を持って考えていかなければいけません。お父さんに過労死してほしくなければ、せっかく就職したあなたが疲れ切って自殺するようなはめになりたくなければね。日本や世界のできごとを自分自身のこととして考える、石牟礼道子の目を持つことが大切だと思うのです。<br />
<h1>
政財第一のチクロ問題</h1>
もうすぐホワイトデーですね。自分がこどものころにはそんな風習・流行はなかったけれど、甘いものはやはり大好きでしたよ。ところが、我らがジェネレーションは毒物入りの菓子を大量に食わされていました。チョコレート、キャラメル、ジュースなどなど、口にするおよそありとあらゆる嗜好食物に「チクロ」という人工甘味料が入っていました。<br />
チクロはサッカリンと並んで、敗戦から立ち直っていく我が国のこどもたちの口を潤した化学のチカラが生んだ夢の物質。サトウキビやビーツのように農作物から育てる手間もなく、安価に大量生産ができます。生産企業はウハウハ。しかし、世の中そんなに甘くはありませんでした。<br />
1969年、米国でチクロに発がん性や奇形児が産まれる危険性があると発表されました。欧州やアジア各国はこれを受けて、次々とチクロ使用の禁止を決めます、ある国を除いては。<br />
1969年10月24日付の読売新聞「チクロの生産・販売中止 厚生省やっと要請」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
人口甘味料チクロの有毒性が問題になっているが、厚生省は23日午後、わが国でチクロを製造、販売している製薬メーカー8社(吉富製薬、第一製薬、昭和化工、三共化成、新日本理化工業、東洋化学薬品、武田薬品、田辺製薬)の代表者を呼び「チクロの自主的製造、販売中止」を要請した。これに対し、各社は「会社に帰ってから正式に態度を決める」と回答、すでに21日ごろから自主的に中止している会社を含め8社ともとりあえず同日の生産、販売を中止した。きょう24日、今後の方針を決めるが、各社とも全面生産中止を決定する。わが国のチクロ製造は、この8社で製造量は月産940トン、市場のほとんどを占めている。同省は、先にチクロの製造、販売禁止に踏み切ったアメリカの資料を早急に取り寄せ、これをもとに、来週早々にも食品衛生調査会、中央薬事審議会にはかり、チクロ対策の国の方針を決める予定だったが、その結論は待てない、として、暫定的に製造、販売の中止を求めたもの。現在出回っている“チクロ食品”も、メーカーの自主的回収を求める一方、近く審議会でも正式結論を出す方針である。(引用おしまい)</blockquote>
我が日本国の保健衛生を司る最高機関、厚生省はダラダラと使用中止を引き伸ばし、「業界の自主性による」製造・販売の中止を要請しました。国民の健康を第一と考えるならば、その行政権を存分に振るってメーカーに即刻中止を伝えれば済む話です。しかし、前例踏襲が習いの役所、かつ日本経済に混乱をきたさぬための逡巡が判断の遅れを呼びました。<br />
米国の発表以後、世界の砂糖相場は上昇の一途でした。ここで日本政府までが業界に中止を勧告すれば経済が混乱します。霞が関の1官庁が、国民の生命より大切な政財界にご迷惑をかけるわけにはいきません。省のメンツを保ち、官僚の立場を守るには、業界の“自主判断”が不可欠でした。今回、引用はしませんが、当時の新聞紙面からは、お役所の“深慮遠謀”が伝わってきます。<br />
果たして「働き方改革」とやらは、弱い立場にある主権者を守るための方策なのか、公僕たる厚労省は私たちの生活向上を願ってデータを作成したのか。裁量性を引っ込めて悔しがる内閣、歯噛みする財界代表の姿を新聞やテレビで見聞きする限り、私たちはお上の草履に足蹴にされて、新しい苦海浄土へ歩かされているような気がします。それとも、お江戸の幕府の狭苦しい了見でやって来た利根川のせいで首を打たれた封建時代の領民なのか。<br />
ニュース報道や周りの出来事を我が事として考えて、それを語る。石牟礼道子の目を持ちませんか、私たち一人ひとりが幸せであるために。<br />
あなたも石牟礼道子になろう。
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-29301375593799583722018-02-26T01:54:00.000+09:002018-03-05T00:29:50.270+09:00オリンピックというレジャーに目クジラ立てるの愚<h1>
東京五輪閉会式中継・土門正夫の奇跡</h1>
1964年の東京オリンピック閉会式でのNHKアナウンサー土門正夫の実況中継は、今でも名演として語り継がれています。<br />
各国順番に会場に入ってくるはずだった選手団がランダムに肩や腕を組んで、集団で国立競技場になだれ込んできたため、予定原稿はすべてパー。土門はアドリブで語り続けました。<br />
「国境を越え、宗教を超えた美しい姿があります。このような美しい姿を見たことがありません」<br />
一部は動画サイトに上がっているようだから、興味がある人はご視聴下さい。<br />
今の公共放送のアナウンス室は、ドモンマサオなんか知らないかもしれません。平昌五輪開会式の放送、ひどかったからねえ。<br />
男性アナがしゃべる内容を女子アナがオウム返し。さらには詰まる、噛む、間違える。新人アナ研修か?<br />
とんちんかんなアナウンスばっかりだったロンドン五輪閉会式で、英国コメディ界の至宝モンティ・パイソンのエリック・アイドルを「おしゃれな男性」「アーティスト」と実況するなどエンタメへの無知をさらけ出して、Twitterに「#アナウンサー黙れ」のハッシュタグが立つ始末は記憶に新しいけれど、アナ独自の視点も取材もない居酒屋の馬鹿話的グダグダがこんなに頻出してもいいんでしょうか?<br />
驚いたのは、リトアニア選手団の入場時。「日本の外交官杉原千畝が多くのユダヤ人を救ったリトアニア」ってのは何なんだ。リトアニア選手団の紹介、いっさいありませんでした。<br />
一部の国粋主義信奉者たちが少なくとも20数年前から、杉原の生前の意思に関係なく彼を日本人の英雄に祀り上げて日本人スゴイ運動を展開してきましたが、NHK丸乗りです。公共放送から、国営放送飛び越えて今や国粋放送局だね。ドイツの放送局が「南京で数多くの市民を救ったジョン・ラーベがいた国、中国の入場です」なんて実況やったらおかしいでしょ。<br />
ナチスによるベルリン五輪をはじめとして、五輪が国威発揚に利用された例は枚挙にいとまがありません。それは開催国に限らず、今日びメダルの数が国力や民族の優劣の証明だと国民が勘違いすると、世界に恥をさらすことになります。<br />
国内からの非難轟々に心折れた韓国の女子スケート選手が国旗に土下座した(させられた)場面、あったでしょ。怖くて、もう見てらんなかったですよ。アトランタ五輪の時の“千葉すずバッシング”を思い出しました。来る東京でも、日本人選手が韓国スケーターと同じことをやらされる危うさを感じます。<br />
<h1>
平昌から個人が得るもの</h1>
日本人選手のメダル獲得が始まると、案の定メディアの国粋五輪熱はヒートアップしました。男子フィギュアスケート後には、国粋放送アナが「羽生結弦選手・宇野昌磨選手が金と銀のメダルを日本にもたらしてくれました」なんて大はしゃぎ。ニーノ・ロータの名曲集をバックに全力の演技を披露した田中刑事選手は御国になんにもモタラサナカッタんだね。最終日総集編でも田中選手はテレビ各局にシカトされていました。<br />
「日本のメダル獲得数は過去最高」を連呼するのもヒンシュクものです。せめて「日本人選手の獲得数」と言えないかな。独裁・共産主義国は知らず、メダルは個人・団体の所有物であります。<br />
<a href="http://www.history-japan.info/2016/08/blog-post.html" target="_blank">リオデジャネイロ五輪の際にも書きました</a>けど、このブログは五輪メダルは個人の栄誉であって、国家に与えられるものじゃないってスタンスです。個人や団体が得た結果、得るための経過を見聞きした個人個人が、それぞれの心に何かをモタラサレれば、それも良いよね、って話です。リオ五輪のホルダー数3位は中国でしたが、それじゃあ中国は、人民が言論や移動、集会等々の自由を謳歌するパラダイスかといえば、もちろん違います。メダルコレクターの国がエライわけじゃない。<br />
メダルメダルと血眼にならずとも十分面白かったですよ。男子スノボ・フリースタイルで、平野歩夢選手の後に登場した米国のショーン・ホワイト選手にはド肝を抜かれました。平野選手との順位争いなんか忘れて、「もっと、もっと凄い技を見せてくれ」って感じでテレビに釘付けでした。大けがから復帰して「競技場に来たことは、自分にとって価値がある」と話していました。あくまでアスリート自身のためです。羽生選手のコメントにしたって「自分自身の期待を超えたい」。決して「国民の期待にこたえたい」ではない。<br />
スキー女子ジャンプのイタリア選手が着ていたスーツを彩る本当に美しいブルーのチョイスには、さすがファッションの国だと感嘆しました。女子アルペンスキー・スーパー大回転で、まったくノーマークだったチェコのエステル・レデツカ選手が優勝したニュースには、歴史好きの1人として札幌五輪のアルペン競技に突如現れ金メダルを荒稼ぎした「アルプスの弾丸娘」こと、マリ・テレーズ・ナディヒ選手(スイス)を想起させられました。<br />
今回は女子カーリングの日本チームが大変な人気でしたね。おやつタイムだの、北海道方言「そだねー」だのをメディアが大々的に取り上げてきましたけど、個人的に感心したのは、良いプレイの度に彼女たちが「ありがとう」と声を掛け合っていたところです。互いを尊重し続けて3位まで上がってきたんだね。当たり前過ぎて口はばったいから案外使わない言葉だけれど、人間関係を良くするために、自分ももっと周囲に「ありがとう」と言うようにしようっと。オリンピアンに影響されるのは、こんなささいなことであっても良いんでないかい。<br />
<h1>
1964年大会から教わったこと </h1>
メダル至上主義への危ぐについては、毎日新聞が1月10日付の特集ワイドで取り上げていました(葛西大博記者)。主に国家による五輪の政治利用面を書いていましたが、集団意識、下流社会でのナショナリズム、ポピュリズムの根っこに言及がなかったのは物足りなかったな。読売新聞・朝日新聞などとともに、東京五輪のパートナー(スポンサー)に名を連ねる大新聞社としては、あれが限界だったのでしょうか?<br />
今日は、1964年の東京オリンピックの陸上男子1万メートル競争に出場した選手たちから、アスリートとメダル騒ぎの関係について考えます。<br />
同競技は10月14日、国立競技場で行われました。優勝は米国のビリー・ミルズ。北米大陸先住民出身で、過酷な人種差別に遭いながらの競技生活。それもあって周囲からさして期待されぬまま出場したトラックで大番狂わせを演じました。ミルズにとっての五輪は自己証明の場だったわけです。ジョン・ウェインが先住民を次々と撃ち殺す西部劇映画に夢中だった1960年代前半の日本の新聞では、残念ながらミルズの差別に関する記事は見つかりませんでした。<br />
6位に入ったのは日本の円谷幸吉。後日行われたマラソンでは銅メダルに輝きますが、金メダルへの期待を一身に背負ったメキシコ五輪が開かれる1968年の年頭に自殺しました。<br />
元読売新聞記者で、「五輪」という言葉を考案したことで知られるスポーツ評論家の川本信正は、円谷の自死にあたった読売新聞への寄稿で、日本人のメダル症候群について述べています。1968年1月10日付の「人間不在のスポーツ」から引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
円谷選手の自殺は“金メダル主義”の病弊が、きわめて不幸な形で現れたものといえるだろう。東京オリンピックのマラソンで健闘した円谷君の姿は、いまだにマブタに焼き付いているが、すぐに続いてメキシコへの使命を負わされた円谷君にとっては、あの日の銅メダルは、たちまち重い十字架になっていたに違いない。その後、足を痛め、最近立ち直ったというものの、容易に本調子に戻れなかった。世間の期待を意識している円谷君には、これは大きなざ折感であったろう。そのうえ不幸だったのは、長い間、一般社会から隔絶した自衛隊体育学校という特殊な環境のなかで生活していたことだ。ここではすでに「メキシコで日の丸」を合い言葉に猛烈なトレーニングが行なわれている。<br />
それは純然たるステート・アマチュア(国家養成選手)の集団だが、円谷君のように正直一路で自分をごまかせない性格の人が、このような熱気をおびた空気のなかにいると、ひとたび受けたざ折感から、次第に絶望感に落ち込んでいくことも容易に想像できる。<br />
東京オリンピックが日本のスポーツに残した最大の弊害は、やたらに勝利のみを強調し“人間不在”のスポーツを尊重するゆがんだ考え方だった。円谷君は死をもってこれに抗議したともいえる。オリンピックの年のはじめに、まことに不幸なできごとだったが、体協をはじめ、日本のスポーツ界がこの事件のショックで、スポーツ本来のありかたに目を向け変えることができれば、円谷君の霊もなぐさめられるだろう。(引用おしまい)</blockquote>
メダル偏重をゆがんだ考えで、円谷の自殺は抗議だとまで言っていますね。日本軍式の体育学校だけでなく、私たち日本人は、無責任にアスリートに愛国心(メダル)を求めず、しょせんはレジャーの一種であるスポーツの極限に、国家ではなく個人のために挑む選手たちの活躍から何も得なくてもいい、得られればよりいい、くらいに考えてもいいのではないでしょうか。<br />
日本人にはその資質があります。東京五輪の1万メートル出場者で、国立競技場スタンドからもっとも激烈な拍手を浴びたのは、最下位のランナーでした。セイロン(現・スリランカ)のラナトゥンゲ・カルナナンダ選手は3周遅れにもくさらず、無人となったトラックをひた走ってゴールしました。<br />
1964年10月15日付の朝日新聞「勝者も敗者も偉大だった」から引用します。表記は「ガルナナンダ」とされています。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)トップの3人がゴールにはいってホッとわれにかえった観衆、その前を、まだ何人かの選手が走っていた。それも1人、2人とゴールにはいった。最後に1人。小柄なかっ色の選手。ゼッケン67番。セイロンのガルナナンダ選手だった。<br />
最初の2、3周目から大きく引離されて(ママ)いた。スタートした38人のうち、9人も落後しているのに、まだがんばっている。拍手が全スタンドからわきあがった。その中で、彼は胸からお守りを下げて走る、走る。<br />
2周してやっとゴールへ。ワーッと大歓声があがった。違った。彼はわき目もふらずに走りつづけた。まだ1周あった。笑いまじりのスタンドが、驚きのどよめきになり、ものすごい拍手にかわった。7万人の声援をあびてとうとう25周を走りきった。<br />
両手をあげてまるで優勝者でもあるようなゴールインだった。<br />
「すばらしかったぞ。ガルナナンダ」「オリンピック精神そのものだ」<br />
選手村のセイロン宿舎はわきかえった。首都コロンボの市長さんが飛びこんできて、手をにぎる。だれかが、レイを金メダルのように首にかけた。<br />
「1週間ほど前からカゼをひいてしまった。だからきょうは何着などという目標は考えなかった。ただ1万メートルを走りぬこう。それだけだった。わがい通りに完走できて、わたしはしあわせだ」<br />
(中略)彼、28歳。陸軍1等兵。郷里には愛妻と生れて(ママ)3カ月の女の子がいる。セイロンがオリンピックに送った1万メートル初の選手だ。<br />
「これでわたしは1万メートル31分26秒のセイロン記録を持っているんですよ。ビリになったのは初めてだが、こんなに大勢の人に拍手してもらったのもはじめて」「わたしはしあわせだ」--とまたくりかえした。<br />
約3分間というもの、スタンドの拍手を一人占めにして敗れた男--ここにも「オリンピックの英雄」がいた。(引用おしまい)</blockquote>
カルナナンダの走りは、メダルの有る無しや色の話題とは無縁です。でも、日本人は反応したんです。人ってそういうもんじゃないでしょうか。<br />
そんな日本人たちが、世界から来た参加選手と作り上げた東京五輪だったから、土門正夫の口から即興で飛び出した「国境を越え、宗教を超えた美しい姿」は説得力を持ち得たのだと思います。<br />
国単位でのメダルの数勘定など忘れて、出場者の闘いを純粋に喜びませんか。スポーツはレジャーです。その頂点を目指す人たちを見る私たちの目だって、レジャーを楽しむためのものであって良いんじゃないですか?
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-76306397577759660802018-01-08T00:56:00.000+09:002018-01-08T10:21:14.049+09:00大河ドラマ「西郷どん」と視聴者の歴史観<h1>
中園ミポリンへの不安</h1>
NHKの大河ドラマ「西郷どん」が始まりした。<br />
昨年の「おんな城主 直虎」は、<a href="http://www.history-japan.info/2017/01/sns.html" target="_blank">とんでもなくつまらない作品になると初回に予想</a>、そこでレビューを打ち切りました。残念ながらそれが的中してしまったのですが、「西郷どん」に対しても、期待よりも不安の方が先に立ちます。<br />
懸念の元は脚本家中園ミホさんの歴史観の無さ。朝ドラ「花子とアン」で見せつけられた<a href="http://www.history-japan.info/2014/09/blog-post_79.html" target="_blank">数々のクズエピ</a>。9万人余が焼死したといわれる関東大震災下、焦熱地獄の東京に甲州ワインやほうとうなんかを救援物資と称して運び込み、その場で<a href="http://www.history-japan.info/2014/08/blog-post_4.html?m=1" target="_blank">山梨物産展パーティーを始めた時</a>には、開いた口がふさがりませんでした。<br />
数年前、タモリさんのNHK正月番組に出演した際には、田中角栄顕彰ブーム(<a href="http://www.history-japan.info/2017/01/blog-post.html" target="_blank">拙記事「田中角栄ブームと石原慎太郎、そして小池百合子への違和感」</a>参照)に乗って「私、(角栄の)ファンなんですぅ」と批判精神ゼロのお花畑コメントを口にしてましたから、この人、筋金入りの歴史ミーハーですね。<br />
「花子」ではネタ切れになると、<a href="http://www.history-japan.info/2014/08/blog-post_89.html?m=1" target="_blank">犬の話で何回も引っ張る</a>脱力展開もありました。愛犬家だった西郷隆盛だけに朝ドラの惨劇が繰り返される危ぐもあります。大河ドラマが志村どうぶつ園になっちゃう。<br />
色メガネを外したくても外せない、もどかしい気持ちで、第1回「薩摩のやっせんぼ」を見ました。<br />
<h1>
本気のドラマづくり</h1>
初回限定で結論を言っちゃうと、けっこう良かったですね。つくり手が面白いドラマを視聴者の皆さんに届けようとした努力が茶の間に伝わってきました。<br />
のっけからサイレント映画のドタバタキャラのごときカッコで関西なまりの鹿児島弁をしゃべる西郷従道が出てきた時には、どうなることやらとハラハラしましたけど、ワンカットでスタジオを動き回るテレビドラマのスケールを超えたクレーン撮影、フィルム撮りかと見まがうほど屋外の風景に深味が出せる技研の新兵器だと思われるカメラを使いこなした、奇をてらわぬ画割り。背景のCGも含めて予算と技術、能力を駆使しての画面に、「これが大河ドラマだ」との主張が久方ぶりに見て取れます。<br />
これだけの機材を使っているんだから、大河はロケ撮影をもっと増やした方がいいよ。近年は大河と言わず朝ドラだって、せせこましいスタジオ画ばっかり続いて、うんざりしていたからね。制作予算をスタジオ美術にかけすぎです。<br />
年ごとに頻出化が進んでうるさいだけになっていた劇伴音楽も最小限だったし、テーマ曲にも雄大さとオリジナリティを感じます。過去作を今さら指弾してもしょうがないけれど、ストラビンスキーの改悪版みたいな主題曲を毎週聞かされるのは、視聴者にとって苦痛でしかなかったもの。<br />
問題の脚本ですが、今回は大きな破たんなくセーフでした。石高に対する藩士の絶対数が他藩に比べて異常に多く、それだけに身分格差が大きかった島津藩、男尊女卑の風が他国より厳格化されていた薩摩の社会のゆがみを、1回目から提出できたのは大きい。おそらく物語上、これが西郷隆盛の倒幕革命に関するモチベーションになると思われます。2話以降も主人公の行動原理として、視聴者の鑑賞ガイドラインとなります。アヘン戦争と西郷の負傷の時系列が逆だとか、江戸の武家言葉が日常語だった島津斉彬が「じゃねえか」なんて関東の農民やごろつきが使う六方詞で話すのはおかしいとか、細かい違和感はあるけれど、作品世界全体を壊すものではない。<br />
<h1>
島津斉彬の国防論</h1>
とはいえ、懸念の方だって感じ取れました。例えば島津斉彬が「異国の天狗をやっつけられるか。強くなければやっつけられん!」と演説をかます下りです。後のアジア・太平洋戦争につながるような物言い。<br />
「かよわき者の声を聴き、民のために尽くせる者がこれからの真のサムライとなる」なんて明治政府のおためごかしスローガンもどきのセリフもありました。<br />
斉彬は何を見て、何を知り、その結論に至ったのか。視聴者には動機が提出されていません。日本の西のはずれにある外様大名の御曹司が、藩のみにあらず“日本”という概念をもって安全保障政策に傾注するからには、斉彬なりの国家観が必要です。<br />
さもなくば、具体的な外交努力なくして「北朝鮮が攻めてくるから米国から武器を買おう、自衛隊の飛行機に敵基地攻撃能力を持たせよう」と騒ぐ、アホなネトウヨだましの内閣とアタマの中身がおんなじになっちゃう。明治150年だ、強い国の再建だ、北朝鮮と戦争だ、中国倒せ、日清戦争だ、なんていうアジ番組じゃないよね。大河だもんね。<strike>永田町広報部</strike>NHK政治部制作ドラマじゃないよね。<br />
「西郷どん」には、近代日本のリーダーであった人物たちが大挙登場します。当然、彼らにはどのような日本を造るか、という国家観を視聴者に理解させる必要性が有ります。西郷と大久保の衝突、離別は双方の国家観の違いでした。西郷を描く上で避けては通れない士族反乱、征韓論、台湾出兵、明治天皇との関係等々は、主人公をはじめとする主要人物たちそれぞれの国家観がなければ描ききれません。村岡花子と柳原白蓮という好素材を、ただのウスい恋愛相関劇にしてしまったミポリンに、その覚悟があるのか不安です。<br />
そこで、ひと言言いたいのですが、このドラマを見る者に求められるのは、おのおのの知識と過去と現在をつなぐ道筋を照らす光明、つまり歴史観だと思うのです。<br />
<h1>
鹿児島人に嫌われた西郷隆盛</h1>
歴史(通史)を作るのはその時代より後の人間です。権力者の利用もあります。時々の社会情勢が影響することも考えられます。<br />
死後、一貫して英雄扱いだったと思われがちな西郷隆盛ですが、お膝元の鹿児島県民にすら嫌われていた時期があったことは、存外知られていません。<br />
日清のいくさ以来イケイケドンドンで戦争による国家進展を続けた大日本帝国の没落、つまり敗戦直後です。国威発揚、聖戦完遂のシンボルとして軍人のアイコンだった西郷の名声は、一転地に堕ちました。1952年11月22日付の朝日新聞「回り舞台④」より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
上野公園に立つ兵児帯の西郷ドン、鹿児島市山下町に立つ陸軍大将姿の大西郷、どちらもギョロリと例の大目玉をむいて街を見下している。戦争中の「金属供出運動」もふたつの西郷銅像は避けて通ったほど目玉のニラミは威力があったわけだが、終戦とともに目玉の光り(ママ)はたちまち薄れた。小学生に史上人物の人気投票をさせると外国人ではナポレオン、日本人では西郷サンというのが大体ベストテンのトップだったのが、永年の人気も一朝に下落、蜷川新(注・法学者)法博によると<br />
「西郷は慶応3年の冬、軍用金調達と人心惑乱のため江戸に500人の強盗団を放って財物をかすめさせ、証拠隠滅のため強盗団の首をはねたりしている。上野の彰義隊を“不法砲撃”した罪は今日でもなお裁判さるべきものだ。かかる残虐不法な人物の銅像を山上に建てていることは、余りにも人民を侮辱するものではないか」「罪なき人民を苦しめ、なんの愛であろうか。なんの敬天であろうか。西郷は国民を欺き、天を欺ける悪人であった」と、手きびしい。<br />
◯…そのころ、おヒザ元でさえ「鹿児島が日本一の貧乏県になったのは西郷ドンのせいだ」という声も起った(ママ)。日本最初の陸軍大将になった西郷ドンを目標にネコもシャクシも軍人になりたがり、実業家なんどをいやしめたからだ……という騒ぎ。かくてひところ上野公園の銅像は訪ねる人もなく、浮浪児が犬に乗ったり、西郷ドンに肩車したり、頭の上にまたがったり。一昨年など大きなムギワラ帽を西郷ドンの頭の上にのっけた商人があった。帽子屋の宣伝だが格好は珍無類、デカイ身体だけに悲喜劇の役者っぷりも中々よく、大目玉、口を結んで泣くかとも見え「おいたわしいことで……」と近くの茶屋の婆さんは同情したものだ。<br />
鹿児島でも自刃の地城山をはじめ市内にウジャウジャあった遺跡もいっぺんに火が消え、南洲に因んだ土産ものも姿を消した。さすがの西郷ドンも腹を切る時のように「モウ、ヨカ」とネをあげるばかりの羽目だったが、ドッコイ最近また目玉をギョロつかせ始めたようだ。歴史は回るというところ。<br />
◯…一体西郷ドンにどういう功績があったか、よくわからぬままにこのほど鹿児島で「西郷75周年祭」を戦後初めて行ったところが大当たりと来た。サムライ姿のサツマ健児が久方ぶりに肩で風を切ってヨカ気持(ママ)、奉賛会長をつとめた勝目(清)市長は「人間として出来上った面を見ずして西郷を論ずるはおかしい」と戦後の西郷批判に反バク、たちまち南洲熱が再燃しだした次第。<br />
そこいらの南洲翁の筆になるものをカキ集め「人間味の探究」が大はやり。おかげで「農業に精通した西郷」「刑罰主義に反対した西郷」「禅に徹した西郷」新時代にふさわしいいろいろな西郷が再発見されたとあって探究グループは大喜び。気をよくした75周年奉賛会では例の肖像と「敬天愛人」の4文字の複製を県下の小、中、高全校に近く配布するそうだ。「夢よもう一度」というわけだが、さて以前のような西郷ドンにかえれるかどうか……。(引用おしまい)</blockquote>
鹿児島県の経済発展を阻んだのも西郷、との理屈は八つ当たりが過ぎると思いますけど、この記事からは歴史上の人物評価の難しさ、世人の身勝手さが伝わってきます。戦後新たに発掘、開発された“西郷南洲伝”もあるようですね。史実とは何なんでしょう?<br />
ことほどさように、社会は、時に権力は歴史を操り、死人は浮沈を繰り返す。「西郷どん」の視聴者であるみんなは、だれかの都合による西郷像を受け入れるのではなく、自分の目と耳で知識を肥やして、テレビジョンが流す情報に向き合うのが肝要です。<br />
国家観すら持たぬ西郷が登場するような事態になれば、自分の脳で補完する。補うのはドラマじゃないですよ、歴史です。<br />
若いみんなが生きている今、この瞬間だって歴史になります。後世、ネトウヨと一緒くたにされて国を誤らせた一人だと後ろ指をさされるハメに陥らぬための自衛策、そして真のサムライの国防策です。
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9033353054639499616.post-78082506993027657142017-12-18T00:25:00.002+09:002017-12-18T14:19:49.337+09:00ウーマンラッシュアワーのラッシュを支持する<h1>
ウーマンのネタは伝統芸</h1>
漫才コンビ・ウーマンラッシュアワーから目が離せなくなりました。<br />
「THE MANZAI 2017」での時事ネタは、原発の立地、沖縄の米軍基地、ないがしろにされている震災被災地の復興問題等々、社会の不平等やゆがみを笑いに包んで訴える芸。以前はただの早口だったボケの滑舌がだんだん良くなってきた。テレビの永田町に対する萎縮が顕著な風潮下、ツッコミも新しい試みによくついていく決意をしたものですよ。お子ちゃま狙いの漫才から、幅広い層の観客に笑いを届けると同時に脳みそを使わせる方向性に転換しました。ウーマンが到達したオンリーワンの芸風の今後を、お笑いファン、歴史好きとして注目していくつもりです。<br />
この笑いは、日本から絶えて久しいものです。その歯に衣着せぬ舌鋒が国民を熱狂させた三木鶏郎やコロムビア・トップ・ライトの後継者になれるか、期待しています。三木には、自民党の要職にあった佐藤栄作が激怒、番組が国会で審議されるところまで行きました。<br />
ウーマンもそこまで行け、行くんだ。ちょっと荒っぽい進行でしたけど、ネタも次第に洗練されていくでしょう。「これで笑わせたる」という使命感が伝わってくるのが清々しい。所属事務所の吉本興業も、何かあったら逃げずに守ったれや。<br />
彼らが先人の笑いの手法を知っていたとは思いづらいから、ドナルド・トランプ大統領を徹底的にコケにする米国のコメディアンらを参考にしたんでしょうか。ジョン・オリバー(John Oliver)とかね。<br />
ウーマンラッシュアワーのラッシュは、新しい漫才ジャンルの開拓であると同時に、表現の自由を保障した憲法下の我が国でしばらく継続された伝統の笑いの復活につながる可能性もあるのです。<br />
<h1>
「笑われる芸」のくだらなさ</h1>
今回のネタのつかみにあったように、お笑いを突き詰める仕事であるはずの芸人たちが、コメンテーターやキャスター、識者として良識を語るのが流行っています。そんなヒマあったら笑わせろや。先日のM-1グランプリでも、変なキャラを押し出して笑われることが、芸能だと勘違いしているコンビがぎょうさんいてましたな。<br />
テレビ黎明期から大活躍したコント作家・はかま満緒は、萩本欽一さんや脚本家の市川森一らを発掘したことでも有名ですが、それだけに笑いの質に厳しい眼を持っていました。1986年11月27日付の朝日新聞「お邪魔します」(山崎陽一記者)より引用します。<br />
<blockquote class="tr_bq">
(前略)「百年ほど前の、エジソン型蓄音機です。ゼンマイ式で、円筒形のレコードの上を針が走る。聞いてみます? トランペットのマーチ、大きな音が出るでしょ。雑音が入るけど、シャンソンなんかだと味わいがあると思うな。当時としては画期的な商品だったんでしょうね。ロンドンの知人に頼んで骨とう店で探してもらったんです」<br />
ーーわざわざ聞くために?<br />
「コンパクトディスクや、レーザーディスクで、いい音が当たり前になっちゃった。うちの娘たちにしても、その有り難みがわかんない」<br />
「……で、古きものに立ち返るのも今を知るうえで大切と思って、あえて聞き比べるんです」<br />
ーー古きものを見直す。笑いの世界でも?<br />
「チャプリンの笑い、その奥には良識と主張がありましたよね。最近のお笑いブームはギャグの羅列や、一部の人気タレントに支えられてるだけ。笑わせる人より笑われる人が多いですねえ。笑いは涙より難しいんです」(引用おしまい)</blockquote>
昨年亡くなったはかま満緒がウーマンの漫才を見たとしたら、何と言ったでしょう。安易なギャグの羅列、おのれの頭の悪さを売り物にしたひねりのない自称「自虐」に堕することのないチャレンジの感想を、テレビの笑いの一時代をつくった巨人から聞いてみたかったものです。<br />
国民の支持を受けてビッグバン級の大ブレイクを果たすか、権力とそんたくに潰されるか。<br />
NHKも取材に来るかもよ。「ニュースウォッチ9」みたいな政府広報番組は無理だろうけれど、いずれ“国営電波”でも堂々と漫才やってほしい。国営の放送局を嗤うネタなんかはいかが?<br />
死刑囚の息子を取材したドキュメンタリー放送に続く、社会性に目覚めた兆しのあるフジテレビ・ゴールデンタイムの放送枠ともども要注目です。
Tedおじさんhttp://www.blogger.com/profile/00512196504904516317noreply@blogger.com