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2014/08/18

銀輪は嘆くよ

世界の自転車史上、もっとも過酷な戦いを経験したチームは、と問われれば、それは間違いなく大日本帝国陸軍銀輪部隊です。
機甲部隊が貧弱な陸軍は、機動力補強のため、南方の歩兵に自転車を与えジャングルを突っ切らせます。もちろん現在あるようなオフロード車ではなく、青物市場を走っているような頑丈第一の重い鉄の塊。兵士があまりに哀れなので取り上げることにしました。マレーシア・ジョホールバル攻略に従軍した朝日新聞特派員の筆による1942年1月28日の「敵脅かす“銀輪戦車” タイヤ揃わず金輪だけの進撃」を引用します。仮名遣いや句読点は、読みやすいようにおじさんが直しています。
(前略)マレーの自転車部隊は敵前上陸直後から、まず暑さに苦しめられた。パンクがやたらに多かった。1台の自転車が1日に2回も3回もパンクする日が度々あった。貼り付けた糊が暑さに溶けるのである。
○隊(注・○は軍事秘)ごとに2名ぐらいの自転車修理班がいて、1日20台の自転車を修理する。路傍に壊れた自転車が転がっていると、使えそうなペダルとかチェーンなどを外して他日の用意に持って行く。荷物が膨大な物になっても、修理班の任務を完全に果たすためには重いなどとはいっていられない。こうしてあちらこちらからバラバラの部分品を集めた、継ぎはぎだらけの自転車が随分たくさん戦線を走っている。
急追撃戦で修理の暇のない時は、勇士たちは面倒臭いとばかりタイヤを外してしまって、金輪だけでがらがらと走った。これは以外にも舗装路では戦車のキャタピラの響きによく似ていた。早速夜襲戦に利用してわざわざ4、5台のタイヤなし自転車を先頭に敵陣を奇襲したら、敵は「戦車だ、戦車だ」とあわてて逃げたという、噓のような挿話もあった。(引用おしまい)
レースに勝つなら戦場に合わせた装備を支度するのが戦略チームの仕事。日本仕様のチューブ糊をそのまま持ち込むのが、いかにも行き当たりばったりの皇軍らしい。
 食料ですら現地調達(略奪)の我が帝国ですから、パーツも当然戦場で間に合わせます。タイヤなしで走ればホイールはすぐに廃品になりますが、精神力で乗り切るのが帝国流戦陣訓。マレーの英軍も敵がここまでプリミティブな軍隊だとは思ってないから、面食らったんですね。引き続き記事を引用します。
困るのはジャングルや湿地帯の戦闘である。いざ戦闘という場合、自転車を置いて前進する。百台、二百台の自転車をまとめて5、6名の監視兵が残る。
(中略)マレーは道路がよい。だが、坦々たる舗装路を鼻歌交じりに快走することはできなかった。作戦の場合はたいがいゴム林やジャングルのなかを迂回したからである。雨のあと泥濘地帯では、泥がタイヤにくっついて車輪が回らなくなり、押しても突いても動かず、担いで歩くこともあったが、足は滑る、湿地へ落ちると泣きも笑いもできなかった。
熱地の皇軍勇士の装具の重さは8貫から10貫(注・30キロ〜40キロ弱)ぐらいあり、それを自転車の後ろに縛りつけ、銃を肩にクアラルンプールからゲマス(注・120キロぐらい、ゲマスは山岳地帯)まで夜通し30時間を走ったときには、さすがの勇士も尻が痛く、足があがらなくなったと語った。(引用おしまい)
重装備の歩兵になお重い自転車をかつがせ、酷暑の中、長距離ジャングルや山中を進軍。物量に勝る敵を、リスクの高い作戦と兵の犠牲をもって制する。一の谷の合戦「ひよどり越の逆落とし」ですか?用兵思想が平安時代から進歩していない。
開戦直後にして、消耗戦で雑兵を使い捨てる帝国の平民奴隷制システムが全開。日本軍の戦病死率の高さの原因は、兵站の拙さのみにあらず。こうした兵卒の「強制労働」がより多くの病人をつくり出したことは想像に難くありません。
同じアタマの連中が、やがて特攻を思いつき、女子供の竹やりが完全装備の上陸米軍を制すると、狂気を増していくのでした。

2014/08/12

ツール・ド・フランスと愛国

国際自転車ロードレース、ツール・ド・フランスが今年も終わりました。今日は1975年7月22日の朝日新聞「自転車愛国主義 仏一周競技 地元優勝に熱狂」から、地元フランス人のナショナリズムを紹介します。以下に引用します。
20日、パリのシャンゼリゼ通りで「フランス一周」自転車競争の最終レースがおこなわれた。コースにあたる凱旋門からシャンゼリゼ、テュイルリー公園を結ぶ目抜き通りは、この日早朝から完全に交通をシャットアウト。周辺は熱狂的な35万人の大群衆でうずまり、ジスカールデスタン(Valéry Marie René Georges Giscard d'Estaing)大統領も特別席のヒナ壇からフランス人テブネ(Bernard Thévenet)、ベルギー人メルクス(Eddy Merckx)が栄冠を競うこのレースを熱心に見守った。動員された警官7千人、沿道に並べられた鉄サク延べ12キロ。(中略)
レースの結果は、8年ぶりにフランスの優勝。大統領手ずから優勝者を象徴する「黄色のアンダーシャツ」をテブネ選手に着せると群衆の興奮は最高潮、「フランス万歳」の連呼が果てしなく繰り返された。
(中略)無敵といわれた難敵のベルギー人メルクスを破ったテブネの勝利に、フランス人は久しぶりに愛国心の陶酔を覚え、労働者から知識人まで幅広い層がわれを忘れる興奮ぶりを示した。(中略)「フランス一周」で示された国民の熱狂ぶりは排外主義(ショービニズム・chauvinism)と誤解されかねぬすさまじいものだった。テブネの優勝はまた、フランスに潜在する根強い経済的ショービニズムをむき出しにした。テブネが乗った自転車はプジョー製。同社のおえら方はさっそく「細かい部品の一つ一つまでがフランス製、テブネの勝利で国産の優秀性が証明された。これで日本製の自転車輸出の大攻勢を撃退できる自信がついた」と胸を張った(パリ=根本特派員、引用おしまい)
実はメルクス選手は、レース途中で見物のフランス人からいきなり腹を殴られる「愛国テロ」を受けています。以後体調を崩し落車、骨折までしながらの2位。熱狂するパリジャンには悪いけど、おじさんが仏国民なら赤面もの。本当のヒーローはメルクス選手です。
さて、日本人として興味深いのは、当時は日本製の自転車がヨーロッパを席巻していたこと。プジョー幹部の言から、大陸の自転車メーカーが我が国からの銀輪輸出攻勢にタジタジだったことがわかります。
日本のカメラや自動車、時計産業等の攻勢が海外産業を圧迫、時には名門企業を廃業に追い込んだ歴史を思えば、自転車だって完全日本製が大手を振ってツール・ド・フランスで勝ちまくっていてもおかしくない。でもそうはなりませんでした。
現在、生産数ナンバーワンメーカーは台湾だったり、製造元一位は中国だったりします。グローバル化ってやつです。かつてプジョーのおえらいさんが自慢した「細かい部品の一つ一つがフランス製」なんて商売をすれば、企業の存続が危うくなる時代の到来です。排外主義より儲けです。営利の追求です。
EU統合が進んで、過激な排外主義が選手に牙をむく場面がなくなったのはいいことです。お互い大人でなければやっていけないのがグローバリズム。どこかの地域の国民たちもそろそろ理解しようよ。愛国無罪にヘイトスピーチ。小さい海挟んでみんなで何やってんだか。
一方で、日本製化学繊維のフレームに、ほんの数社しか選択肢のないメーカーの部品を横並びで組み込んでヨーイドンする現在の競技と、車両にまで国民が愛国心を持った時代のレースを比べると、昔の経済排外主義に魅力を感じてしまうのです。各国の個性が顕著な多士済々の自転車が並んだ1970年代のツールは、さぞ面白かっただろうなあ。

2014/08/06

自転車ヘルメットの是非

みんな、楽しい自転車ライフを送っていますか?
おじさんがこどものころは、中学・高校生は自転車に乗る時はみんな、ヘルメットをかぶっていました。貧相な発泡スチロールを薄いプラスティックで包んだだけで、人工皮革の耳あてが付いていて、ダサいことこの上なし、夏は暑くてしょうがない。
そんな代物でも、おじさんの命を救ってくれました。
中学生だったおじさんはある晩、自慢のスポーツサイクル、ブリヂストンのロードマンで疾走していました。灯火は大きな懐中電灯を前輪の横にくくりつけ、視認性は抜群です。車道の左側を交通ルールに則って快走するロードマン、信頼性の高いロードマン。それでも事故は起きました。
歩道から飛んできた黒い塊がおじさんの自転車に激突。車道に倒れたまま、しばらく息ができませんでした。
泥酔した男性が居酒屋から走り出してきたのです。ヘルメットは傷だらけで割れていました。壊れたプラスティックが頭蓋骨の身代わりです。へこんだ発泡スチロールが脳を守ってくれたんだと思います。
今日は国際ロードレースでノーヘルの選手が亡くなったニュースを紹介します。1995年7月19日の朝日新聞「自転車のツール・ド・フランスで転倒死亡事故」を引用します。ベタ記事ですが、おじさんが調べたところ、大きな新聞で記事にしたのは朝日新聞だけのようです。当時の日本人の自転車競技への興味の薄さがわかります。
18日行われた自転車レースのツール・ド・フランス第15ステージで数人が転倒する事故が起き、バルセロナ五輪個人ロードレースに優勝したファビオ・カサルテリ(イタリア、Fabio Casartelli)が死亡した。
事故はスタートのサンジロンから約30キロ地点のカーブで発生。数人が転倒し、カサルテリはコンクリートブロックに激突した。間もなく意識を失い、ヘリコプターで近くの病院に運ばれていた。
同レースで死者が出たのは1967年以来。(AP、引用おしまい)
 今では選手全員がヘルメットをかぶっていますね。最近のヘルメットは穴が空いていて夏でも蒸れないし、軽くて運転にもまったく支障がありません。
公道はレース以上に思いもしない事故のキケンがいっぱいです。もしまだ自転車専用ヘルメットを持っていなかったら、さっそく親御さんにねだってみよう。我が子の安全を願わぬ親はいないからね。買ってくれるよ。
人の死に価値を見出すことは難しいですが、みんながヘルメットをかぶることに決めたら、カサルテリ選手も少しは浮かばれるかもしれません。

2014/08/02

自転車はなぜ歩道を走るのか(3)

前項からの続きです
自転車行政の旧態依然とした状況があぶり出されています。引き続き1988年6月23日の朝日新聞「自転車はなぜ歩道を走るのか」から引用します。文中の年号は昭和です。
自転車道路はどうなっているのか。財団法人・自転車道路協会に聞いた。61年の自転車道は全国で、4万8900キロ。しかし、うち4万5200キロ(92.4%)は自転車道が歩道から独立していない自転車歩行者道。自転車専用の道路はごくわずかだ。48年には国が音頭をとって全国に64の自転車安全モデル市を指定しましたが、計画倒れになったところもある。自転車は車道から追い出され、歩道でも歩行者に遠慮しなければならない」と渡辺保三郎業務部長。自転車側は、「日本ではまだ自転車の市民権が認められていない」と肩身の狭い思いを強調する。その自転車に、ひやひやしながら、歩道を通らなければならない歩行者の立場はどうなるのか。交通問題に詳しい都市問題評論家岡並木さんは、指摘する。「自転車の歩道通行を認めるのは、明らかに歩行者の権利を侵している。当初、国は緊急避難的な措置と言っていたが、それなら自転車道の本格的な整備にすぐにかからねばならない。ところが警察庁も建設省にもその気はない。結局、歩道で、自転車はより横暴になり、自転車が入ってはいけない商店街でも乗り回し、夜の無灯火運転も多い。警察は道路での自転車の現場指導もほとんどしていない」。そして、「警察は30年代から、歩行者保護を言っているが、どうなったのか、と問いたい」。(引用おしまい)
 昭和30年代から半世紀一日の自転車行政、ほとんど改善されていません。自転車の市民権は、いつ、どうすれば獲得できるのでしょう?
ママチャリ等も含むサイクリストの責任自覚と、専用道整備を両輪にした「自転車車両税」を徴収するのはいかが?年間1台500円から1000円ぐらいでいいや。車両登録証を発行、使用者に自転車がクルマと同じ車両だと認知させることが重要です。歩道走行、無灯火、放置、逆走、飲酒などなどの諸問題への意識が変わるかも。
借金漬けと不景気税収でカネのない国・地方自治体財政には、現状せっせと自転車道なんか造る余裕がない。ましてや、トヨタや日産の法人税を減らして自動車工業振興に前のめりになっている安倍政権が、基盤産業でも何でもない、チャリンコの安全ごときに力を注ぐ道理がない。そこへ財源を投げ込んでやるのです。利権を求めて国会議員と官僚、企業が推進ますよ。これも国土強靱化計画。
安倍さんも「まさに事故から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない。彼らが乗っている自転車を今、私たちは守ることができない」と言って道路整備訴えた方が、集団的自衛権なんかよりよほど国民のためになるのにね。
国税なのか、地方税にするのか難しいところですが、運輸・警察・自転車利用者・歩行者、皆の得になると、おじさんは思いますけどね。

2014/08/01

自転車はなぜ歩道を走るのか(2)

前項からの続きです。
引き続き1988年6月23日の朝日新聞「自転車はなぜ歩道を走るのか」から引用します。年号は昭和です。
東京都内でも62年中、自転車と通行人の事故は、警察が処理したものだけで26件あった。自転車の取り締まりはどうなっているのか。警視庁交通部に行くと、応接した警部は「自転車が歩行者の安全を脅かすような走り方をしている場合は、取り締まりの対象となる」という。
しかし、自転車には、自動車のように免許はないから違反しても、免許停止などの処理が出来ない。「自転車には道交法の反則規定が適用されないので、自転車の違反を取り締まろうとすれば、青キップ扱いではなく、すぐに罰金になる。厳しすぎるので、実際上は自転車の違反を取り締まることはほとんどない」と付け加えた。(引用おしまい)
取り締まってほしいです。おじさんは クルマの運転で左折する時、まず巻き込み事故防止のため左後方をチェック(ミラー見てから後方目視)して、車両を左に寄せます。次に歩道を見て歩行者の有無を確認してからハンドルを切ります。そこへ暴走自転車が歩道から乱入してきたら、おじさんの安全対策は水の泡。最近は車道の右側に大きくふくらんでから左折するクルマをよく見かけるので、自転車の事故リスクは高まっているようです。
さて、財団法人・自転車普及協会の見解です。引き続き記事を引用します。
「確かに自転車運転者のマナーに問題もあるが、自転車利用者にとっても歩道通行は困ったことなのです」と主張する。「走りにくいし、歩行者からはいやな目で見られる。自転車を車道から歩道に上げても、そのために歩道を広くしたわけではない。邪魔だからと車道から自転車を追い出しただけでは、自転車対策ではなく、本当は自動車対策ですよ」 さらに続けて、「ひがみではないが、産業中心の考え方をすれば、日本では、基幹産業の自動車に、自転車は太刀打ちできない。自転車道がちゃんと整備されている欧米では、自転車に対する国民的理解があります。日本でも国民全体で、自動車中心の道路の再配分を考える時期ではないでしょうか」という。(引用おしまい)
自転車で普通に車道左端を走行中、邪魔者扱いされてクラクションを鳴らされたり幅寄せされたり怒鳴られたりした経験がおじさんにはあります。ドライバーも自転車を車両だと認識していない。国交省と経産省の連携は、どうなってるんだろうね?縦割り行政で没交渉かな。
この項、さらに続きます

自転車はなぜ歩道を走るのか(1)

みんな、楽しい自転車ライフを送っていますか?
おじさんは自転車に乗りますが、歩行者でもあります。そんな時、一番怖いのが歩道を猛スピードで走る、かの自転車。歩いている脇を後ろからいきなりすり抜けられると肝を冷やします。片手運転の女性の日傘が顔面直撃して、1センチ違えば失明するかという体験も。勘弁してほしいです。
自転車の歩道暴走を問題化した新聞記事がないか、調べてみました。1988年6月23日の朝日新聞「自転車はなぜ歩道を走るのか」から引用します。記事中の年号は昭和です。
(前略)歩道で通行人の間をすり抜けて走る自転車は、お年寄りや妊婦にとっても危ない。歩道は歩行者が安心して歩けるのが第一なのに、なぜ、自転車がわがもの顔で走っているのか。道路交通法では、どんな定めになっているのか。警察庁交通企画課に聞いてみた。「自転車は法律上は軽車両で、車道を走るのが原則だが、40年代に自転車の事故が増えたため歩道通行が認められた」という。53年の道交法の改正で、その通行の仕方が決まり、全国的に「自転車歩行者道」の標識が増えた。それにしても、自転車が歩道を走るのを制度化までしているのは、日本独特らしい。歩行者の安全はどうなるのか。それについては、「道交法では、自転車は車道よりの部分を通行し、徐行しなければならないことになっている。あくまでも歩行者優先」と同課。しかし、警察庁のまとめでも、61年には自転車と歩行者の交通事故が、全国で336件に達している。すべてが歩道上とは限らないが、歩行者の危険が増えたのは事実だ。(引用おしまい)
近年改正されたとはいえ、長年にわたり培われた 悪弊は簡単に直りません。おじさんの住まいの近所には、大人の背丈ほどの幅しかない歩道に「歩行者自転車道」の標識が撤去されることなく立っています。歩道を走る自転車のお巡りさん(徐行ではない)も見かけます。自転車蛮国ですね。
道交法の「徐行」がどの程度の速度なのか認識している運転者が何人いるのか?そもそも徐行の法定速度とは?歩行者が大勢いても徐行すればそれでいいのか?自転車には目安になるスピードメーターが付いているのか?
この項、続きます

2014/07/17

飲酒運転の季節

みんな、楽しい自転車ライフを送っていますか?
蒸し暑くなってくると毎年、「ビール飲んでチャリ乗って気持ちいい」なんてブログが出てきて、おじさんはビックリします。
道路交通法では自転車はクルマと同じ車両なので、お酒を飲んで運転したら罰せられます(5年以下の懲役、または100万円以下の罰金)。それをネットで公開する人たちは、いわゆる犯罪自慢をしたいのかと思っていましたが、ブログを読む限りそんな輩に見えない紳士淑女も多い。本当に知らないんだ。
おじさんにとって、自転車の運転は緊張の連続。適切な速度と車間距離を判断して走らないと死にます。少しでも位置を変える時は後ろを確認してクルマの有無を確認、手信号を出してゆっくりと方向を変更します。酔っ払ってたら絶対に白木のお棺に入って帰宅するはめになります。
今日は自転車の飲酒運転が引き起こしたみじめな死に様と、人様を無残に殺した二つのケースを紹介します。まずは1931年9月17日東京朝日新聞夕刊「酔払ひ自転車」から引用します。当事者の住所・実名はおじさんの判断で省略しています。
15日午後7時半頃、市内蒲田町女塚323わき溝の中に自転車もろ共墜落、頭を下水道に突き差して(ママ)死んでいる男を通行人が発見。蒲田署で検屍の結果、右は市外矢口町(中略、31歳男性)と判明。泥酔して自転車に乗っての過失と判る。(引用おしまい)
ドブに頭から突っ込んでの最期。家族は浮かばれません。アルコールは気を大きくします。メートルもスピードもずいぶん上がっていたのでしょう。
でもこれは単独事故。他人を巻き込むと、もっとひどいことになります。1963年1月25日の朝日新聞夕刊「自転車ではね殺す 酔っぱらい」から引用します。当事者の住所・実名は省いていますが、現実では容赦なく掲載されてしまいます。

横浜・伊勢佐木署は25日、38歳男を重過失致死の疑いで逮捕した。
調べでは24日夜、酔ってサイクリング用自転車を乗り回し、同夜8時50分ごろ、同市中区日ノ出町の交差点近くを友だちと歩いていた仕事帰りの男性に激突、男性は近くの病院に収容されたが、頭を強く打って25日朝6時すぎに死んだ。(中略)男は酔っていたうえ、近くの急な野毛坂から前もよく見ないで猛スピードで下って来たことがわかったため同署で重過失と判定したもの。(引用おしまい)
殺してしまいました。飲酒運転で他人に危害を加えたら、100万円以下の罰金 では済みません。任意保険に入っていても、法を犯している以上、適用除外になります。稼ぎの大半を遺族に渡すために、一生休まず働かなければなりませんね。
この他、飲酒運転にはクルマにひかれて自分が事故死するリスクももれなく付いてきます。みんなの周囲の大人が自転車に乗ってお酒を飲みに行こうとしたら、絶対に止めて下さいね。

無謀自転車と民主主義

みんな、楽しい自転車ライフを送っていますか?
結構なスピードで歩行者の間をすり抜けていく自転車がいまだに多くて、おじさんは怖い思いをすることがままあります。中にはベルを鳴らして歩いている人をどかそうとする不届き者さえいる始末。
そんな奴らはじゃんじゃん取り締まっちゃえ、という声も聞きます。一聴、もっともですが、果たしてそれが根本的な解決策なのか。今日は百年ほど前の大正時代、1919年3月5日の東京朝日新聞の投稿欄「鉄箒」から、自転車の歩道走行問題を考えてみます。以下に引用します。
銀座界隈、殊(こと)にこの朝日新聞の近辺では、自転車や人力車を歩道に乗り入れることがほとんど公然と行われている。甚だしいのになると、後ろからベルを鳴らして傲然と前なる忠君愛国者に道を譲らせて行くのがある。所管警察署ではこれを知らないのだろうか。知っていながら黙過しているのだろうか。前者としたら迂闊であって、後者ならば無能である、と僕は決して言わない。
もし人民の方では免れて恥なしと考えていたら、もし警察の方ではどこまでも人民なるものをすべて刑事被告人のように心得ていたら、そしてもし双方が協力どころか睨み合い(にらみあい)ばかりしていたら、おそらく、半丁(注・約50メートル)おきに交通巡査を立たせておく位にしなければ、この自転車の歩道乗り入れは跡を絶つまい。迂闊でも無能でも何でもない。
しかし、もし力の及ばざるを無能というなら、無能は築地警察署ばかりでない、警視庁も無能なり、政府も無能である。人民の戮力(りくりょく、注・力を合わせること)を無視して唯権柄づくの取り締まりで万事を律しようとする時、すべての警察、すべての政府、いずれかが無能を嘆ぜざらんやである。
人民に自制心が出来て、共同生活の意義が分かって、政府と人民とは協力互助すべきものと悟って来たら、警察の指図を待つ迄もなく、自転車は自然に車道ばかりを通るようになる。デモクラシーというは即ちこれだ。
デモクラシーを危かるものは、歩道に自転車を乗り入るることの更に一層危ないものなる事を知らぬ徒である。(引用おしまい)
乱暴者はいつの世にも一定数存在するのですね。投稿者は取り締まりに触れていますが、あちこちで交通捜査官が眼を光らせる、およそバカバカしい 権力の介入にはクギを刺しています。ほっとくとやりたい放題やりやがるのが公権力。公共ルールの順守は本来、市民の手に委ねられるべきものです。
行政の過度の口出しを嫌う大正デモクラシーには、市民モラルの向上意識が伴っていたことがよくわかる一文です。自転車を歩道に乗り上げる行為一つの先に、おかしな取り締まりや厳罰化が待っているかもしれません。ルールを守って市民生活を守ろうね。

2014/05/28

自転車で人をはねることとは

先日床屋さんに行ったおじさんは、あやうく大けがをするか、下手したら死ぬかという怖い思いをしました。
散髪が終わってお店から一歩踏み出そうとした途端、目の前40センチぐらいの距離の歩道を猛スピードの自転車が走り抜けていったのです。あの速度でぶつかられたら、おじさんは頭を打ったり首が折れたりしたかもしれません。刈ったばかりの髪の毛は総毛立って、しばらく心臓の激しい動悸が止まりませんでした。
自転車でも歩行者を死亡させる事故は簡単に起きます。今回は、1952年11月14日の朝日新聞記事「自転車にあたり老婆死亡」から、みんなといろいろ考えてみたいと思います。以下に引用します。記事にある自転車運転者の勤め先や名前、現場の固有名詞は、おじさんの判断で外してあります。

13日午後2時半ごろ東京都杉並区西荻窪店員は自転車に乗り、65歳ぐらいの老婆にぶつかった。老婆は同7時半頭部内出血で死亡した。(後略、引用おしまい)

事故現場が歩道なのか車道なのか、どんな状況で事故が起こったのか不明ですが、一つだけはっきりしているのは、自転車は歩行者を殺すことができるという事実です。
君たちの誰かが乱暴な運転をして床屋さんから出てきたおじさんにぶつかり、おじさんは死んじゃったとします。おじさんの家族は、慰謝料と生活費を、あなたに対して責任があるあなたのお父さんやお母さんに請求します。お父さんは仕事を辞めてお金をつくらなければいけなくなる可能性があります。お母さんが主婦だったら、家事を諦めて働きに行かなくちゃならなくなります。でも、そうして稼いだお金のほとんどは、おじさんの家族に渡されます。家の収入がなくなっちゃうので、あなたも上の学校に進んで勉強ができなくなる。そんなの絶対に嫌だよね。
自転車は原則車道を走るんだけど、歩道に上がる時は徐行しながらでも車道側を進行すること。どれだけ気をつけていても事故に遭うキケンは排除できないから、親に頼んで任意保険に加入すること。
保険に入っていても、乱暴な運転で他人にけがを負わせたら、保険会社はお金を払ってくれないことも忘れずに、運転は慎重にね。快適で安全なバイク生活を楽しもう。

大正2年の自転車死亡事故

みんな楽しい自転車ライフを送っていますか?今日は大正時代初めの新聞記事から、どうしたら少しでも事故を防ぐことができるかを一緒に考えてみたいと思います。1913年5月11日の朝日新聞から引用します。古い出来事なので、今回は実名を表記します。

10日午後1時半、芝区桜川町4菓子商山本正直(26)は同区葺手町なる江戸見坂を自転車にて下り電柱に衝(き)当り(ママ)大負傷を為して東京病院に入院せしも死亡せり。(引用おしまい)

事故現場は、今の東京都港区虎ノ門。「江戸見坂」の名は現在も残っています。昔はてっぺんから東京の街が見渡せたんだろうね。
さて、お菓子屋の山本さんの事故原因を推察してみましょう。
まず考えられるのがスピードの出し過ぎ。お菓子の配達で急いでいたのかもしれませんが、荷車や人馬がいつ飛び出してくるかわからない往来の、ましてや下り坂で速度を上げるのは自殺行為です。
次はブレーキが故障していた可能性。昔のブレーキは今の物より利きにくかったでしょうけど、山本さんはその能力を知っていたはずです。でも不調をそのままにしていたら、いざという時に働いてくれません。自分の自転車の制動を普段からチェックして、ちょっとでもおかしいと思ったら自転車屋さんへ持っていって下さい。お母さんのママチャリのブレーキが変な音を立てていたら注意してあげよう。
みっつ目は荷物の積み過ぎ、過積載を疑ってみます。大口の注文が入った山本さんが、ホクホク顔でいっぺんにたくさんのお菓子を運ぼうとした場合、人間一人分の荷重を前提につくられているブレーキは役に立ちません。学校で物理を習うようになると、「慣性の法則」という言葉が出てきます。自転車に乗る時は「動いている物体は重いほど止まりにくい」ということだけでも覚えておいて下さい。学校の先生やお巡りさんが、二人乗りを厳しく叱るのはそのためです。
快適で安全なバイク生活を楽しもうね。

2014/05/24

左折事故から身を守ろう

楽しい自転車ライフを送っていますか?自転車は車両だと法律で決められているから、基本的には車道を走らなければいけません。歩道に上がる時は、スピード出しちゃダメだよ。徐行運転といって、いつでもすぐに止まれるゆっくりの速度でペダルをこぎます。
おじさんは、徐行しながらでも歩行者を追い抜く際には、手前から「すみません。右(または左)通ります」と声をかけるようにしています。お互いがけがをしないための用心です。
車道を走るということは、自動車との事故に遭う危険と隣り合わせだけど原則、自転車は車道走行と決められています。今日は悲惨なバイク事故の新聞記事を紹介します。暗いニュースだけど、自分を守るためだと思って読んでほしいです。
1981年7月15日の朝日新聞朝刊です。見出しは「左折巻き込み死亡事故二件」。以下に引用します。事故現場と個々人の名前は、おじさんの判断で省略しています。近ごろはニュースが多すぎて、交通での注意を喚起する報道は少ないよね。

14日、東京都内で交差点を左折する大型車に自転車が巻き込まれ、乗っていた人が死亡する事故が2件あった。
北区で8歳の小学校三年生が大型ダンプに巻き込まれ、即死した。
警察署の調べでは、運転手が左後方をよく注意しないで左折しようとしたため。
板橋区の交差点では、26歳の主婦が大型タンクローリーに巻き込まれ、間もなく死んだ。

大きな車は視界が狭く、後ろが見にくいです。運転手さんの質も千差万別です。何より人間は必ずミスを犯します。おじさんは運転免許証を取るための講習で、「左折する時には左ミラーを見て、二輪車などがいないことを確認、後から二輪車が入ってこられないように車を左に寄せてから曲がる準備をしなさい」と習いました。でも、それが守られていると思えません。多くの車が逆に右へ大きくふくらんでから曲がっている場面をたくさん見ます。方向指示器を使わずいきなり曲がるクルマもいます。そんな事故のキケンから、どうすれば自分を守れるかな?
おじさんはクルマに近づきすぎないようにしています。トラックやバスはもちろん、普通の乗用車にも、万一の危険回避ができる距離をつくることにしています。そうすれば信号機はじめ先の交通状況がわかるし、急ブレーキにも対応できるよ。
自動車には近寄らないのが一番。見た目がカッコいいせいか近年はやっているSUVなんかも、重心が高くて車重があるせいか、おじさんの体験ではブレーキ操作をなるべくサボる、乱暴な運転をしているドライバーをたまに見かけます。
自転車に乗ってる時は決して周りのクルマを信用しちゃいけません。みんなで安全で快適なバイシクル生活を送ろう。

2014/05/21

明治時代の無灯火バイク

みんなは自転車に乗っているかな?晴れた日に遠くに出かけるには気持ちがいい季節になりました。おじさんも細いタイヤを着けたロードバイクに乗るのが好きです。
でも、交通ルールは守らなくちゃね。暗くなってもライトを点けずに街中を自転車で走り回る人が最近目立ちます。おじさんはハラハラしています。自分も歩行者もけがをするよ。
今日は1879年3月9日の朝日新聞朝刊から、自転車の記事を紹介します。

夜中無提灯にて自転車に乗り往来する者は以来詿違罪目(かいいざいもく)第一条に依りて処分せらるると云ふ(引用おしまい)

夜に自転車を運転する時は、必ず提灯を携行して下さい。そうしないと罰せられますよ、と言っています。「詿違罪目」というのは、当時比較的軽い犯罪に適用された、今の軽犯罪法みたいなものだね。
人通りも少なくて自動車なんてまだ無い明治時代に、無灯火運転を取り締まっていたんだから、ライトを点けない自転車はやっぱり相当危険なんだ。
けがをしない、させないことを意識して、楽しく乗ろう。