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2015/01/15

テロの損得勘定

フランスの新聞「シャルリー・エブド」最新号が売れているようです。
表現の自由が暴力と恐怖によって脅かされることには絶対に反対ですが、今回のシャルリーの表紙にイスラムの預言者ムハンマドの戯画が描かれている点には疑問を覚えます。
イスラムの教えは偶像崇拝を厳しく禁じていますから、漫画の掲載はテロと関係のない一般教徒の心情を傷つけることになりませんか?
我が信じる神にあらずんば冒とくすれど主はお許しになる、っていう信仰なのかな? 思想信条の自由を盾に、近所迷惑を考えず靖国神社に参拝する総理大臣に似た身勝手さを感じてしまいます。パリジャンのエスプリって、その程度なの?
とはいえ、一番いけないのはテロリストです。問答無用にジャーナリストをぶっ殺した結果、ヨーロッパでは反イスラムの世論が巻き起こり、英BBCまでがムハンマドの偶像化禁止ガイドラインを見直そうとしている。危険な兆候です。暴発が、同じ神を信じる仲間たちを苦しめているのです。
テロにはリスクこそあれ、リターンなどあるのでしょうか? 今日は77年前に同じパリで起こった、ドイツ大使館員暗殺事件から、いろいろと考えてみます。
193811月8日付の東京朝日新聞「独外交官を狙撃、パリ独大使館に暴漢」から引用します。文頭に「同盟」とあるのは、戦前の通信社・同盟通信社のことです。仮名遣いなど、おじさんが現代風に改めています。
【パリ7日発同盟】7日午前、1名の暴漢が突如ドイツ大使館内に闖入して、居合わせたフォン・ラート書記官に向かって続けざまに拳銃弾2発を発射した。最初の一発は肩に、次の一発も腹部の肝臓付近に命中し、フォン・ラート書記官は重傷を負って、付近の療養所に担ぎ込まれた。犯人は駆けつけた警官によりただちに逮捕され、厳重な取り調べを受けている。(引用おしまい)
エルンスト・フォム・ラートがパリに勤務していた時代のドイツは、ヒトラー率いるナチス政権下にありました。ユダヤ人弾圧で有名ですね。
ここで困った事実が判明します。同日付同紙の「犯人はユダヤ人」から引用します。
【パリ7日発同盟】独大使館フォン・ラート書記官に重傷を負わせた犯人は、その後の取り調べの結果、ユダヤ系ポーランド人フカイベル・グリムスタン(17)と判明した。
凶行の理由は、ドイツからユダヤ人が放逐されたのに対して復讐せんとしたものだと係官に対して陳情している。(引用おしまい)
 現在では「ヘルシェル・グリュンシュパン」と表記されることが多いようです。ポーランド系ユダヤ人。当時はナチス同様の反ユダヤ主義国家だったポーランドは、彼らの再入国を完全拒否。帰属をめぐって、ドイツとモメにモメていました。
このテロを好機と、目ざといアドルフが見逃すはずがありません。フォム・ラートが死ぬと同時に行動を起こします。19381111日付の東京朝日新聞「独の反ユダヤ騒擾」から引用します。
【ベルリン10日発同盟】 ユダヤ系ポーランド青年に狙撃され、重傷を負った駐仏ドイツ大使館3等書記官フォン・ラート氏は9日午後、手当の甲斐なく遂に死去したが、この報がひとたびドイツに伝わるや、全国にたちまち反ユダヤ人の機運高まり、9日夜より10日午前にかけて首都ベルリンをはじめミュンヘン、ハンブルク、バイロイト、ケルン、フランクフルトその他の各地で打倒ユダヤ人のデモンストレーションが行われ、群衆はユダヤ教会を放火、焼却した。
ことにベルリンでは、激高した群衆はユダヤ人反対を高唱しながら街々を練り歩き、ユダヤ人商店及びビルディングで窓ガラスを破壊されぬ家とてなく、全部12のユダヤ教会のうち9つは放火され、現在なお盛んに燃えている。(引用おしまい)
欧州史に永遠に刻まれる「水晶の夜」と呼ばれる一夜です(朝日はベタ記事扱い)。
一見、ドイツ国民の自発的な暴動に見えますが、突撃隊や親衛隊といったナチスの組織が陰日向に動員された官製のテロでした。多くのユダヤ人が殺されました。
フォム・ラートはグリュンシュパンと顔見知りで、男色関係のもつれから殺された情死、テロではないという後年の研究もありますが、当時の扱いを基準に、かつシャルリー襲撃へのイスラムへの反響を考慮すれば、テロルは絶対に割に合わないと断言できます。ユダヤならユダヤ、イスラムならイスラム。それらを好まざる人たちは事件を利用するのです。結論、人殺しに益などない。
前述のごとく、おじさんは安倍首相の靖国参拝を愚かだと思います。一方で、伊藤博文を暗殺した安重根を英雄視する韓国の教育姿勢にも異議を唱えたい。
安重根の伊藤暗殺は、少なくとも日韓併合の行方に何の好影響ももたらしていません。韓国の未来を担うべきこどもたちに、テロリスト礼賛を強いる教育を施してどうするの? 彼ら彼女らにテロと縁のない幸福な人生を勧めるのが国家の務めだろうでしょうに。
テロリストを生むのは、上の連中の勝手な指図です。無知だったり、幼かったり、弱かったり、そんな人たちが使い捨てになる差別構造。
恥ずべきシステムですが、偶像禁止の預言者の戯画を発行したり、侵略戦争神社に参ったりといった挑発行為を控えるのも大人の振る舞いではないか、とも申し述べておきます。

2014/11/18

寝台列車事始

寝台列車という手段は、旅情を誘います。飛行機に新幹線が主役の効率優先の時代にあって、寝台車は旅の時間を存分に使いたい人のためのぜいたく品。JR九州の「ななつ星」のように高級志向になるのも当然です。
20世紀を目前にした1900年10月、東海道線の新橋ー神戸間に寝台車が導入されました。慣れない客が多くてトラブルが絶えなかったのか、寝台利用者へのガイドが新聞に乗ります。当時の寝台車の様子を伝える面白い史料なので紹介します。
19001017日付の東京朝日新聞「寝台車乗客の注意」から引用します。
本月1日より東海道線急行列車の内、午後6時10分新橋発同6時神戸発列車に寝台車を連結したるが、これに乗車せんとする旅客の心得置くべき事項、左のごとし。一、寝台車は寝台車用として、普通の一等車以外に連結し、1車5室にて1室4人分の寝台を有し、寝台ごとに番号ありて奇数は上段、偶数は下段とす。寝台の申し込みをなすときは望む場所を指定すれば、座席の余裕ある限り、その座席を占有することを得べし。一、寝台車には他の客車のごとく網棚なく、また腰掛の下に余地なきをもって、携帯する手荷物はかなり少量の物品にあらざれば、自他の不便、珍なしとせず。一、寝台車は車内の道路極めて狭隘(きょうあい)なるにより、見送り人または手荷物運搬人の車内に立ち入ることを禁止しているをもって、携帯する手荷物は列車給仕に命ずれば、給仕はその命じる車室に持ち運ぶべし。一、寝台車に毛布と枕は備え付けあり。冬季に至れば、スチームヒータ(ママ)をもって暖を取る装置故、旅客は別段防寒具を用意するの必要なし。一、寝室の貸し付けは、一昼夜と夜、または昼間の三通りに区別しありてその賃金もまた同一ならず。夜間とは、上りは神戸-御殿場間(11月1日よりは神戸-山北間)、下りは新橋-米原間(11月1日よりは新橋-草津間)にして、この終駅に着したるときは普通の一等車に転乗せざるを得ず。この場合に一等車に転乗せざるときは割高なる賃金を支払わざるを得ざるにつき、この面倒を避けんとせば自己の下車する着駅まで請求するを便利とす。(引用おしまい)
寝台は予約制だからみだりに席取りを争うな、大量の荷物を持ちこむな、乗客以外の人間を客車に入れるべからず、ポーターがいる、寝具の持ち込み不要、暖房付き、利用料金は3通り、終着駅で降りる際には車両を乗り換える。
以上を広報するのに、当時は新聞しか手段がなかったのですね。インターネットで予約できる現代と比較するといかにも不便ですが、空を飛んだり、時速300キロを超える弾丸特急で移動したりの平成の世では体験できない、蒸気機関車がゆっくり寝台車を引く明治の旅の趣を求める気持ちが日本人に残っている限り、寝台列車は死に絶えることなく走り続けるのでしょう。

2014/11/04

サントリー「山崎」がウィスキー世界一

サントリーのシングルモルトウイスキー「山崎」の限定版が、英国のウィスキーガイドブック「Jim Murray’s World Whisky Bible」で、並み居るスコティッシュ勢を抑えて最高の評価を得たそうです。日本だけじゃなくて海外メディアも大きく取り上げているので、かなりの栄誉なのでしょう。
日本人がウィスキーを造っている事実を知らない飲み助への親切からか、ジャパニーズウィスキーの歴史を簡単に紹介するメディア(Fox Newsなど)もあり、そこには「Masataka Taketsuru」の名が。あの駄作朝ドラって、海外でも流してるんですよね。外国の皆様、日本ウィスキーの父・竹鶴政孝は、あんな情緒不安定なスカタン野郎ではありませんよ。隔靴掻痒とはこのこと。
閑話休題。今回のウィナー「山崎」は1984年3月に発売されました。度数を下げたライトウィスキーがちまたにあふれる中、1万円もする、どっしりしたシングルモルトの登場は、時代に逆行する商品にも見えました。
もっとも、このころのサントリーは、当時の言葉で言えばイケイケの時代。大学生の人気企業ランキングでは男女ともトップ。サントリーの名を冠した書籍が書店に並び、年間売上高1兆円目前の超優良企業でした。
しかしこの年、同社を世相の波が襲いました。酒税の引き上げと、焼酎ブームです。特級ウィスキー、サントリーオールドは売価の半分以上が税金になり、焼酎に押されたウィスキーは、ビール、清酒に次ぐ第三のアルコールの座から転落します。
宣伝上手で知られたサントリーが広告費を削る緊急事態。普通の会社なら、「山崎」みたいな販売数の望めぬ高級品は生産打ち切りです。
でも、サントリーはそうしませんでした。198412月3日付の朝日新聞「サントリー帝国に異変」から引用します。
(前略)東京・銀座のネオンの下でいま、「山崎まつり」が繰り広げられている。山崎とは、サントリーがモルト100%を売り物に今春出した特級ウイスキー。同社のウイスキー発祥の地である大阪府北東の山崎にあるウイスキー工場、山崎ディスティラリーの名を冠したところに、力の入れようがうかがえる。サントリーは11月から、銀座地区を丁目で区切り、それぞれの区域に数人ずつの専従営業マンを投入した。バーやクラブなどの飲食店をしらみつぶしに回り、これは、という店に1本1万円の山崎を3本買ってもらう。ただし、あとでサントリー側が客として必ずボトルキープする。キープ代は1本が3万円はするので、これで店の負担はゼロ。残り2本は別の客にキープしてもらえば、その分は丸ごと店の収入になる勘定だ。つまり、サントリー側は、3万円の売り上げのために、3万円の経費をかける。採算度外視の、なり振りかまわぬ商法だ。巻き返しを図るためのとばっちりは内勤の社員にも及んだ。11月には、管理部門の男子社員延べ千人が動員され、全国の酒販店1万店を回ってオールドの売り込みに歩いた。今月には女性社員も一線に出て、延べ430人が主要百貨店での歳暮商戦を支援する。(引用おしまい)
「山崎」 が世界一のウィスキーの称号を得たことで、社長や工場関係者がマスコミの寵児に祭り上げられるかもしれません。でもね、「山崎」をここまで守り、育てた陰には、サントリーの一般社員たちの汗と涙があったという事実を忘れてはいけないと思います。

2014/06/25

日米開戦前に決まった沖縄の「捨て石」政策

「慰霊の日」が終わった途端、潮が引くように消え失せた沖縄関連のニュース。今朝はもうサッカー一色です。米軍基地問題はしばらく議論されることなく、だらだらと現状維持が続くのでしょうか?
沖縄を本土防衛の時間かせぎの捨て石にする方針は、太平洋戦争開戦以前から日本政府、少なくとも内務省では定まっていた模様です。
日米間の緊張の糸が張り詰め、もう後は音を立てて切れるのを待つだけだった1941年11月、東京を訪れた早川元・沖縄県知事が朝日新聞のインタビューに、つい本音を漏らしています。当時は知事は住民による選挙ではなく、中央での任命制で決められました。早川は内務省の官僚です。この月23日の朝日新聞から「知事に聴く地方民の決意」の一部を引用します。

一たび事態が急転せんか、元寇の役における対馬の決意で――これが沖縄60万県民の覚悟である。(後略、引用おしまい)

近い将来、起こりうる(起こすつもりの)太平洋戦争を、鎌倉時代の元寇に例えていますね。13世紀にモンゴル人が治めた大陸の巨大帝国をアメリカ合衆国とし、沖縄の役目を元寇時の対馬と同じだと言っています。さて、どういう意味かな?
朝鮮半島に近い対馬は、元寇で最初に襲われた日本の島です。本土から遠く、幕府の援軍など望むべくもないので、島民のほとんどが虐殺されるか奴隷として大陸に連れていかれました。
本土の武者は、対馬からの連絡船によって敵の襲来を知ることができたそうです。対馬は住民が皆殺しの目に遭うことで、敵軍の動きをとらえるアンテナとなり、戦の支度を整える時間かせぎの役割を見事に果たしました。
早川知事の短い言葉に、本土の中央政府が沖縄に何を期待していたかが如実に表れていて、おじさんはとても嫌な気持ちになりました。省略した後段では、食糧増産が進んでいるとか翼賛体制構築が順調だとか、大丈夫だから沖縄なんか気にするなと言わんばかりの言辞が並んでいます。
沖縄が安全保障の捨て石から脱却できるのは、いつになるんだろうね。

2014/06/24

眠りの森の美女は第三帝国の夢を見るか?

独裁または軍事国家は、時に失笑するほどの愚行をやらかします。もしそれが指を指して笑いたいぐらいの狂気の産物であっても、当事国の市民にとってはちっとも面白くないことがあるから難しいんだよね。
今日はナチス政権下のドイツが、いかにバカげたプロパガンダ(政治・思想宣伝)をやっていたかを検証します。1935年1月29日東京朝日新聞から「ナチスの童話」を以下に引用します。太字挿入はおじさんによります。

ナチス万歳のドイツでは、ナチスの宣伝が遂に幼年教育の域にまで迫ってきた。最近刊の「ナチス小学教員新報」を見ると、世界的に有名な童話をナチスのイデオロギイで解釈して、改作してゐる。
其一例だがペロオ(Charles Perrault)の童話「眠りの森のお姫様」はここではドイツ復活の比喩になってゐる。
魔女カラボツス(Carabosse)は美しいお姫様「ドイツ」を殺さうと謀るナチスの「敵」であり、姫を長い眠りによって死から救った善良な仙女は即ちドイツの民族意識に喩えられてゐる。
面白いのは、例の眠りの森の奥深くで、永久の眠りに陥ちたお姫様の目を覚まさせようと試みる諸々の王子達で、マルチン・ルーテル(Martin Luther)やフレデリック大王Frederick the Great)やら、さてはビスマーク(注・ビスマルク、Otto von Bismarck)までご苦労にも登場するのだが、いつかなお姫様はお目覚めにならない。
とど騎士ヒットラーAdolf Hitler)が出現して、眠れる姫の魂に接吻することによって、遂に姫「ドイツ」を覚ますことが出来たといふ。めでたき限りである。(引用おしまい)

もうね、アホ丸出しのおとぎ話なんですが、フランス民族大嫌いのナチスとしては、「ペロー原作」と取られるのは嫌だろうね。グリム童話集(Grimm's Fairy Tales)の「いばら姫」からの翻案とせよ、ってところかな。
朝日新聞の記者はナチスの姿勢を半分バカにしていますが、数年後には日本国内も、防諜童話やら防空童話やらでお腹いっぱいになるんです。めでたき限りになります。
ドイツ人にとってのナチスのユダヤ人虐殺、日本人にとっての原爆投下。独裁政治や戦争になると、笑えないお話がたくさん生まれます。みんなで戦争のできない国になって、ドイツ人、アメリカ人、中国人や朝鮮半島の人たちとも、お互いに気軽なジョークを言い合える時が訪れたらいいな。

追記:このブログは、なぜか日本より海外からのアクセスの方が多いので、外国人の固有名詞には、アルファベットを振ってあります。

沖縄サベツ、オキナワ差別

昨日は沖縄の「慰霊の日」でした。日米両軍による、県民を巻き込んでの地獄の地上戦が69年前に終わったとされる日です。
沖縄の人たちは、日本本土からの偏見や差別に苦しんできました。近代から思うだけでも、明治政府による軍事力をちらつかせての併合(琉球処分)以来、本土の人たちの都合に振り回されてきました。その一つが標準語使用の徹底です。
今日は無知、無理解がつくりあげた典型的なサンプルとして、1940年5月22日の東京朝日新聞「琉球の標準語」を取り上げます。筆者は杉山平助。毒舌で人気者になった、当時の朝日新聞御用達の評論家です。
民芸協会という団体が沖縄の標準語教育がやり過ぎじゃないか、と言って県ともめていた前提を覚えておいてね。
とてもおぞましい内容です。おじさん、メモしながら図書館で吐きそうになりましたけど、みんなに知ってほしいからがんばりました。以下に引用します。太字挿入はおじさんによります。


曽て(かつて)雑誌「民芸」から、琉球における地方語の保存といふ問題について回答を求められたことがある。沖縄県当局が標準語の徹底的普及をはかるため、地方語を圧迫しつつあることの不当を、文化的見地から論難し、我々の賛否を問うたのであった。
その当時、私は、いはゆる琉球における表現について何等(なんら)の知識も持ちあはせないので、賛否の判断を下すことができず、従って回答することが出来なかった。ところが、今度、那覇に滞在すること2、3日にして、私の判断は決定した。
標準語を徹底的に普及せしめ、地方語を圧迫しつつある当局の判断は全く正しい。沖縄県人は、何よりあの古い言葉から解放されなければならぬ。日本人としてあんな言葉を使って、将来生きてゆくことは、恐るべきハンデイ・キャップである。
たとへば新聞記者のようなインテリ階級さへ、アクセントは支那人の日本語に近く、そのためわれわれとの接触に、れきれきとヒケメを感じていることが看取される。いはんや一般民衆の会話など、チンプンカンプンで秋田や青森等と比較されるべきものではない。
琉球は、ただでさへ生産力に乏しく民度低く見るからに痛ましい島である。その上あんな言葉の重荷を背負ってゐたのでは、その意図する県外発展の領域でも、深刻に不利たることを免れまい。
琉球文化の愛好者は、今のうちに自らの負担において、琉球方言の文献を完成せしめておく熱誠があってほしい。(引用おしまい)

一地方の文化を愚ろうして踏みにじり、民度が低いとまで言い切る。こんなふざけた論陣を張る評論が新聞の紙面を飾り、全国で読まれていたんです。とどめに、琉球文化はくだらないから、好きな人はせいぜい自分でお金を出してまとめろと上から目線。やな時代だね。
でもね、沖縄への差別は今も続いているんです。米軍基地が集中していて、県民は騒音公害や飛行機が落ちる危険と隣り合わせ。米兵による事件も起きます。いつでも戦争に行く気持ちでいると心がすさむからね。
今の日本人だって再び戦争になれば、第二第三の杉山平助が論壇を席巻するかもしれません。戦争には絶対参加しちゃダメ。それを止めるチカラは、こどもだって持っています。
「慰霊の日」追悼式での増田健琉君(8歳)のつくった詩は、60歳手前の総理大臣による「能うる(あたうる)限り」固有名詞をはずした空念仏より、よっぽど説得力があったよ。増田君、お疲れさま。

2014/06/21

勝海舟は殺人狂?

インターネットには、たくさんの情報がはんらんしています。正しいもの、間違ったもの、わざと誤ったことを書いているものもあります。歴史のブログを書いているおじさんは、なるべく情報の出どころ(source)を明記して、内容の信ぴょう性を高めるように努めていますが、歴史の記録の中には出どころ自体が大変怪しいものが、いっぱい存在しています。
1907年に剣客の千葉一胤(ちば・かずたね)が、幕末に勤皇の志士たちをかくまった功績により、正五位の栄典を授与されました。「千葉重太郎」の名前で司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」にも登場する有名人です。この年の6月15日の東京朝日新聞に、授与に関連して一胤のエピソードが並べられていますが、にわかに信じがたい物件が交じっていました。「海舟の短慮を諫む(いさむ)」から引用します。


文久元年も一日となりし除夜の12時頃、海舟は大声(注・声を挙げつつ)門前より氏(注・一胤)を訪れ来たりて曰く、今岡本太郎方を訪れたら岡本夫婦は余に対して、先生の今の境遇は翌日の雑煮の支度も如何(いかん)と思ふ。失礼であるが、御不自由なら餅を分与すると云ふから、実はまだ的(あて)がないからと露骨に云つたら、そんなら差し上げやうと、餅と里芋を風呂敷に包んでくれたのは好い(いい)が、歩き出すとコトンコトンと音がするので気をつけて見ると、風呂敷の破れから芋が転げ出るのである。此所(ここ)に来るまでに殆ど(ほとんど)落としてしまつた。同じくれるなら、穴のあかぬ風呂敷をくれたら好からうに(よかろうに)、畢竟(ひっきょう、注・結局)僕の落魄(らくはく、注・落ちぶれること)を侮つた仕打(ママ)と思ふと憤懣に堪へぬから、寧そ(いっそ)彼ら夫婦を斬つてやらうと引返して(ママ)見たが、又取直して先生に相談に来た、と聞きたる一胤氏は、大に(おおいに)短慮を諫め、岡本夫婦の心切(しんせつ)なるを諭し、兎に角(とにかく)之れにて元日の祝(いわい)を済ませと懇々(こんこん)の諭しに、海舟も怒りを解きて帰れりと云ふ。(引用おしまい)

餅と芋をくれた親切な夫婦を逆恨みした勝海舟が、恩人を斬殺しに行くのを千葉が止めた、というお話。人斬り以蔵ならぬ、人斬り海舟。中身が怪しくて仕方がないので、調べてみました。
文久元年、勝は幕府の講武所砲術師範に任じられています。今でいえば、防衛大学校の教授が「正月だし、これから二人ばかりぶっ殺してくるわ」と放言するようなもの。前年米国に渡り米国文化を見ている勝が、皇女和宮が江戸入りしたばかりの激動期につまらない刃傷沙汰を起こそうはずがありません。だれが言ったのか、新聞記事には説明がありません。
千葉と勝が不仲であり千葉側が故意に創作した、生前の勝をよく思わぬ新聞記者がねつ造した等々、推測できますが、掲載時には千葉・勝ともに亡く結果、非常にうさんくさい記事に仕上がってしまいました。後世の歴史検証におけるノイズの一例です。
みんなもネット情報を扱う時には、十分に気をつけてください。特に情報の出どころが書いてないお話は、うそである可能性が高いです。おじさんも、誤りを書かないように注意します。

2014/06/04

「花子とアン」の"主役"柳原白蓮の人生

NHKの朝ドラ「花子とアン」がちょっと変なことになっています。主人公のモデルは実在した作家の村岡花子なのですが、実質の主役が歌人の柳原白蓮の人生を下敷きにした女性になっちゃっています。花子より白蓮が大活躍。
制作現場の大人の事情なのか、リアル白蓮の人生のおもしろさが脚本家を魅了してしまったのかわかりませんが、たぶん後者なのでしょう。村岡花子も本当はつまんない人では決してありませんよ。
でも、今よりずっと女性の権利が制限されていた戦前の時代を、当時の常識を破壊する勢いで駆け抜けた白蓮の生きざまが現代の、特に女性にウケるのはしょうがないのかもしれないね。
夫を捨てての駆け落ちをメディアを巻き込んでの大騒動に仕立てて切り抜けた「白蓮事件」、売春をさせられていた女性の廃業援助などいろんなことをした人だけど、本日その辺はスルーします。興味がある人は調べてみてね。
1931年11月29日の朝日新聞投稿欄「鉄箒」への白蓮の寄稿を紹介します。この年の9月に中国で満州事変という日本と中国の軍事衝突が起きました。両国は本格的な戦争状態に突入、日本人の対中感情が悪化の一途をたどっていたころでした。
そのさなか、白蓮はチャイナドレスを着て回る快挙に出ました。以下に引用します。
私はまだ見ませんが、最近都下の某新聞に私共に対する何かの記事があったらしく、毎日それについての手紙や脅迫的な端書(はがき)が来ます。
その中(うち)には「新嘗祭(にいなめさい)に支那服を着てあるいたのはけしからん」とか「支那の国旗をだしたのはけしからん」とかいつたやうなことが書いてありまして、これに対する弁明を何かに書けとあります。
私が支那服を着る気になったのは支那服が洋服や日本服などと異つて(ちがって)非常に簡単で安価だからです。支那服は上着の長いのが一枚あれば、それでどこへでも行けます。礼装も普段着も同じです。日本の着物一枚分の布(きれ)で二枚の支那服が出来ます。帯も長じゆばんもいりません。全く経済的な服装です。貧乏で困る人々はむしろ支那服を着るがいいとまで思つてゐます。
日本と支那が戦争するから支那服を着てはいけないなら、西洋人の国と戦争する時は洋服を着てはならぬといふことになりはしませんか。西洋服だからいい、支那服だから悪いといふやうな西洋変調の弊はかへつて打破すべきではないでせうか。
私の家に支那の国旗を掲げたことは一度もない。私の家には支那の国旗一枚もありません。去年夏頃私の家に寄ぐうしてゐるインド人が私の家の庭の樹にインドの独立旗を掲げたことはありましたが、その外(ほか)に外国の旗をだしたことはありません。
ただ私共の家の北側に最近支那人の寄宿舎が出来ました。その寄宿舎の入口に青天白日のマークがつけてありますから、あるひはそのことをいつてるのかも知れません。その寄宿舎といふのは、私の宅とは全く関係のないものです。実はこの寄宿舎を私共の家の北側の空き地に建てさせろとの申出(もうしで)がありました時私共は絶対に拒絶したのですが、私共が支那旅行中に留守居の家人が承知して建てさせたものです。(柳原燁子寄)(引用おしまい)
「燁子」は百蓮の本名。「新嘗祭」は農作物豊穣をことほぐ天皇家の感謝祭です。そんなお祭りの日に対戦国の服を着て歩いたのが柳原百蓮。
白蓮はここでウソをついています。寄稿の直前に朝日新聞の家庭欄に顔写真入りで、でかでかと「支那服」を推奨しているのです。何が「私はまだ見ませんが」なんだか。いけしゃしゃあとごまかしにかかる百蓮がステキ。イデオロギーの問題じゃなくて、自分がやりたいことをやるために、ムキになる連中を華麗にかわすことで、反動的意見の無能をさらけ出してしまう百蓮がカッコ良くて仕方がありません。
中国の寄宿舎の件も、知らなかったというのはウソだと思います。木で鼻をくくったような物言いが、ベクトルを間違えた愛国心に発狂している輩を結果的に意図的に無視している。ああ、かっこいい。
みんなもおかしな人に絡まれたら、柳原百蓮を見習いましょう。特にネットではお互いの顔が見えないだけに、言い合いが熱くなりがちです。柳原百蓮の対応は炎上を防ぐ見本です。

2014/05/24

「戦争先進国」アメリカから学ぶこと

22日の毎日新聞夕刊に作家高村薫さんのインタビューが掲載されていました。安倍晋三総理大臣が推進する集団的自衛権は「妄想」だから、国民は「妄想」を見抜く知恵を磨いて、社会と自分の未来を守ろうという趣旨です。一部を引用します。

(前略)「最悪の想定ですが、集団的自衛権が必要という妄想から覚める劇薬はある」という。
集団的自衛権行使が認められれば、米国の戦争に日本がコミットする(注・深くかかわる)機会が必ず来る。そうなれば自衛隊員に戦死者が出る。あるいは自衛隊員が他国の兵士らを殺害する。戦後初の事態に多くの日本人から拒否反応が出るだろう。「ここでやっと妄想から覚める。集団的自衛権で得たものは何もない、戦死者を生んだだけだ、と」(引用おしまい)

おじさんは疑り深い人間に育ったものだから、もっともっとひどいことになると心配しています。殺すか殺されるかの戦場での誤爆、誤射。日本人が日本人を殺すはめになると思います。第二次世界大戦以降、日本よりはるかに戦争慣れしているアメリカ軍の同士討ちのごく一部を紹介します。
1966年6月13日朝日新聞朝刊から「米軍砲兵が味方を誤射」。ベトナムでの戦争に米国がコミットしていたころです。以下、引用します。

【サイゴン12日発ロイター】米軍スポークスマンが12日もらしたところによると、10日コンツム省で米101降下師団が北ベトナム軍と交戦中、米軍砲兵が誤って米軍を砲撃した。このため米兵5人が死亡、5人が負傷した。原因は調査中。(引用おしまい)

調査結果の続報は見つかりませんでした。次は1967年1月14日朝刊から。見出しは「同士打ちで42人死傷」

【サイゴン13日発AP】米軍スポークスマンが13日発表したところによると、(中略)米第一歩兵師団第三旅団の一個中隊が味方の支援砲火を浴び、兵士8人が死に、34人が負傷した。(引用おしまい)

1983年6月24日朝刊「味方を殺すと心配」。

(前略)米陸軍の報告書は、砂漠地帯にある陸軍陸軍全国訓練センターにおける2年間の軍事演習の結果を分析した。
(中略)ある演習では、発射した弾丸682発のうち62発しか目標に当たらなかった。また兵士の中には、秘密をもらし、地図を読み取れない者も多く、報告書は「もし演習に実弾を使っていたら、味方の多数を殺していただろう」と述べている。(引用おしまい)

みんなはどう思いますか?太平洋戦争では、戦死する以前に病気や飢えで亡くなった兵隊さんが大勢いました。国を守るって何なんだろうね?お父さんやお母さんが税金を払って国をつくっているのだから、国が国民一人ひとりを守るのが最初の最初だと、おじさんは考えます。

2014/05/21

1942 米国本土攻撃

日本の社会すべての在り方の基本になる法律があります。日本国憲法といいます。憲法に違反する法律は作れません。その理念に合わない政治や行政をやってもいけません。
九条という項目があって、日本は軍備を持たないし外国とは戦争をしませんってうたっています。自衛隊は国民を守るために戦闘機や戦車を持っているのであって、外国まで人殺しには行きませんと決められています。憲法ができて以来70年近く、政府はそれを守ってきました。
ところが近ごろ、「憲法は戦争してはいけないなんて言ってない。友達のアメリカが困っていたら戦争に参加してもいいよ」と言い出す人たちが現れました。敵ができて攻撃する以上、敵が日本にいる君たち僕たちを攻撃することも考えなきゃいけません。
1942年6月24日の新聞各紙は、日本軍の潜水艦がアメリカ西海岸を三度にわたり砲撃したニュースをこぞって書き立てました。「我が潜艦、米大陸を連日砲撃 オレゴン州西海岸を夜襲」って感じ。
船や飛行機をたくさん沈めて、敵の力をすっかり弱めたミッドウェイ(Midway)海戦の後でも、技術の遅れた敵潜水艦が網をすり抜ける程度のことはできるんです。戦争するならどんなに弱小な相手でも、日本の海岸が攻撃される覚悟でやらなければいけません。
さて、日本人が壊されて一番困る施設は50個以上、全部海岸にあります。原子力発電所ですね。原発は海水を使って冷やすから海沿いでなくちゃいけないんだ。
日本軍の潜水艦攻撃の記事を読んだおじさんは、即時に日本は絶対に戦争なんかしちゃダメだと思いました。原発を持ってる国は、外国といがみ合ったり戦ったりする資格がありません。国土が汚れ放題になって国がなくなっちゃいます。
おじさんでもわかることですから、頭がいい政治家の先生たちはもっとよく理解しているはずなんだけどね。よく考えたら憲法以前の問題だったね。

2014/05/20

自衛権くんと平和主義ちゃん

こないだ集団的自衛権のお話をしました。安倍総理大臣が行使する方針を発表した時に、「積極的平和主義」という言葉を持ち出しましたけど、これは何なのでしょう?
外務省のウェブサイトに説明がありました。日本を代表して外国とのお付き合いをするお役所だから、これが国の公式見解だよ。

(前略)日本として、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら、地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していかなければならないとの国家安全保障の基本理念考えに基づくものです。

同盟国とは、軍事で同じ利害関係に成り立つ国同士の結びつきがある相手です。米国はお友達です。積極的平和主義では、中国や北朝鮮は友人ではありませんから連携することはありません。「安全保障」というのは、友達じゃない連中から国を守るためのやり方です。平和主義は日本と日本の友達のための平和であって、交友があんまりうまくいっていない国は除外されています。「関係国」という言葉は、その国々とも仲良くしたいんだよって言うために付け加えたごまかしのたわ言だと、おじさんは思います。
戦争する支度をする人たちは、どうして必ず平和主義を付け加えて語るのでしょう。政治家の言葉ではしょっちゅう、自衛権くんと平和主義ちゃんが仲良しです。
1941年2月21日の朝日新聞に、インドシナ半島に日本軍が進出したことを気にしているイギリスに対して、ドイツ・イタリアとの三国軍事同盟を主導した松岡洋右外務大臣外務大臣が出した声明がありました。引用します。丸カッコ内はおじさんの口語訳です。

一、帝国の念願とするところは世界平和の回復であり、三国同盟の主なる目的の一つは欧州戦争に新たな第三国の参戦することを予防するとともに、可及的速やかに終熄せしめんとするものである。
(日本は平和第一。そのためにドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニと同盟を結んだ。ヨーロッパでの戦争を早く終わらせたいんだ)
二、従って全世界を禍乱から救ひ、現代文明の崩壊を防止するためには、帝国はいづれの国たりとも平和回復を願うものあらば進んで調停のため労をとる用意がある。

(日本は世界の救世主。対話のドアは開かれている)
三、かくの如く帝国政府の意図するところはあくまで平和的のもので、泰・仏印の紛争調停も一つの現れであり、他国民の運命を支配せんとするが如き意思は毛頭なく、平和と恵沢と互助による新時代を招来せんとするものである。
(平和主義の日本が軍隊を東南アジアに進駐させたのは、タイとフランス植民地インドシナのもめ事を仲介するため。あくまで積極的平和主義なんだよ)
四、かるが故に最近の「極東の危機説」のごとく最近東亜の情勢に関して英国が異常の憂慮抱くはむしろ諒解に苦しむところである。
(イギリスは日本軍が東南アジアに入り込んだことをなぜ心配するの?)
五、しかし英国政府が太平洋及び南洋方面においていかにも緊急事態あるかの如き予想の下にこれに対慮する軍備を整え又これがため各般の工作をなす時は日本としても自然これに備えるの策を必要とするに至るわけでありむしろ英国政府の慎重なる態度こそ望ましい。
(英国が日本軍を気にして介入してきたら許さないぞ。自衛権を行使するからな。よく考えろ)

声明には朝日新聞記者の解説が付いています。「右の如く松岡外相のメッセーヂは日本の平和的意図を明か(ママ)にするとともにわが自衛権については帝国政府の毅然たる態度を含蓄せしめたものである」

戦争できる「自衛権」をアピールする時は、平和主義が背景にあった方が格好がつくのかもね。安倍さんは演説が上手なので、「わが自衛権については政府の毅然たる態度を明らかにするとともに平和的意図を含蓄せしめた」ように聞こえました。

飛行機と森鷗外とWikipedia

インターネットは便利ですね。知らないことを検索すると、いっぱい情報が出てきます。無料のウェブ辞書「Wikipedia(ウィキペディア)」が便利だから宿題をやっつけるのにしょっちゅう使っていませんか?タダだもんね、うれしいよね。パソコンやスマホ見るだけで頭も体も使わずに答えが得られるもんね、ラクだよね。
おじさんもWikipediaで「飛行機」の項目を見てみました。すると、「飛行機」という表現は、1901年に森鷗外が「小倉日記」に書いたのが日本で最初とされる、ということがわかりました。森鷗外という人は日本文学の歴史でも数えるほどしかいない「文豪」と呼ばれる、小説の名人です。「飛行機」という日本語を初めて使ったのかあ。さすが森鷗外!さすがWikipedia!
おじさんは図書館に行って、新聞の縮刷版を見てみました。今の縮刷版はデジタル化されていて、グーグルのように検索語を入れるだけで関連記事が古い順に出てきます。「飛行機」と入力します。
出てくる出てくる。1888年5月5日の朝日新聞に「飛行機」という記事がありました。「ひぎゃうき」と読みがなが振ってあります。「ひぎょうき」と読んだんだね。人間がコウモリみたいな羽根を背負ったイラストが描かれています。ライト兄弟が人類初の機械を使った飛行に成功する15年前だから、人間の筋力のみで鳥のように空が飛べると考える人たちがたくさんいたんだね。以下に引用します。

左に出すところの図は近頃独逸にてヴォン・ウェチマーと云へる人の改良せし飛行機なりとて近到の紐育(New York)ハーパース(注・雑誌)に掲げたるを描写したものなるが、此内(このうち)新発明とも云ふべき處(ところ)は両腕を働かす同時に両足を働かす装置になり居る點(てん)に在りと云ふ(後略、引用おしまい)。

森鷗外が「小倉日記」に書くより13年も昔の新聞に「飛行機」は登場してました。新聞で使われる用語なので、当時からみんなが使っていたと考えた方がいいでしょう。
おじさんがちょっと調べただけで、Wikipediaの間違いが見つかりました。お金のやり取りが発生しない情報には、提供する人たちに真実を書く経済的な責任がありません。「タダほど怖いものはない」という言葉があります。森鷗外という有名ブランドに引っ張られて、ついホントに思えちゃう。ワナだよね。
知りたいことは手間をかけて、自分で調べるのが大切です。おじさんも、ここで誤りを書いているかもしれません。