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2014/06/04

「花子とアン」の"主役"柳原白蓮の人生

NHKの朝ドラ「花子とアン」がちょっと変なことになっています。主人公のモデルは実在した作家の村岡花子なのですが、実質の主役が歌人の柳原白蓮の人生を下敷きにした女性になっちゃっています。花子より白蓮が大活躍。
制作現場の大人の事情なのか、リアル白蓮の人生のおもしろさが脚本家を魅了してしまったのかわかりませんが、たぶん後者なのでしょう。村岡花子も本当はつまんない人では決してありませんよ。
でも、今よりずっと女性の権利が制限されていた戦前の時代を、当時の常識を破壊する勢いで駆け抜けた白蓮の生きざまが現代の、特に女性にウケるのはしょうがないのかもしれないね。
夫を捨てての駆け落ちをメディアを巻き込んでの大騒動に仕立てて切り抜けた「白蓮事件」、売春をさせられていた女性の廃業援助などいろんなことをした人だけど、本日その辺はスルーします。興味がある人は調べてみてね。
1931年11月29日の朝日新聞投稿欄「鉄箒」への白蓮の寄稿を紹介します。この年の9月に中国で満州事変という日本と中国の軍事衝突が起きました。両国は本格的な戦争状態に突入、日本人の対中感情が悪化の一途をたどっていたころでした。
そのさなか、白蓮はチャイナドレスを着て回る快挙に出ました。以下に引用します。
私はまだ見ませんが、最近都下の某新聞に私共に対する何かの記事があったらしく、毎日それについての手紙や脅迫的な端書(はがき)が来ます。
その中(うち)には「新嘗祭(にいなめさい)に支那服を着てあるいたのはけしからん」とか「支那の国旗をだしたのはけしからん」とかいつたやうなことが書いてありまして、これに対する弁明を何かに書けとあります。
私が支那服を着る気になったのは支那服が洋服や日本服などと異つて(ちがって)非常に簡単で安価だからです。支那服は上着の長いのが一枚あれば、それでどこへでも行けます。礼装も普段着も同じです。日本の着物一枚分の布(きれ)で二枚の支那服が出来ます。帯も長じゆばんもいりません。全く経済的な服装です。貧乏で困る人々はむしろ支那服を着るがいいとまで思つてゐます。
日本と支那が戦争するから支那服を着てはいけないなら、西洋人の国と戦争する時は洋服を着てはならぬといふことになりはしませんか。西洋服だからいい、支那服だから悪いといふやうな西洋変調の弊はかへつて打破すべきではないでせうか。
私の家に支那の国旗を掲げたことは一度もない。私の家には支那の国旗一枚もありません。去年夏頃私の家に寄ぐうしてゐるインド人が私の家の庭の樹にインドの独立旗を掲げたことはありましたが、その外(ほか)に外国の旗をだしたことはありません。
ただ私共の家の北側に最近支那人の寄宿舎が出来ました。その寄宿舎の入口に青天白日のマークがつけてありますから、あるひはそのことをいつてるのかも知れません。その寄宿舎といふのは、私の宅とは全く関係のないものです。実はこの寄宿舎を私共の家の北側の空き地に建てさせろとの申出(もうしで)がありました時私共は絶対に拒絶したのですが、私共が支那旅行中に留守居の家人が承知して建てさせたものです。(柳原燁子寄)(引用おしまい)
「燁子」は百蓮の本名。「新嘗祭」は農作物豊穣をことほぐ天皇家の感謝祭です。そんなお祭りの日に対戦国の服を着て歩いたのが柳原百蓮。
白蓮はここでウソをついています。寄稿の直前に朝日新聞の家庭欄に顔写真入りで、でかでかと「支那服」を推奨しているのです。何が「私はまだ見ませんが」なんだか。いけしゃしゃあとごまかしにかかる百蓮がステキ。イデオロギーの問題じゃなくて、自分がやりたいことをやるために、ムキになる連中を華麗にかわすことで、反動的意見の無能をさらけ出してしまう百蓮がカッコ良くて仕方がありません。
中国の寄宿舎の件も、知らなかったというのはウソだと思います。木で鼻をくくったような物言いが、ベクトルを間違えた愛国心に発狂している輩を結果的に意図的に無視している。ああ、かっこいい。
みんなもおかしな人に絡まれたら、柳原百蓮を見習いましょう。特にネットではお互いの顔が見えないだけに、言い合いが熱くなりがちです。柳原百蓮の対応は炎上を防ぐ見本です。