コピー禁止

2014/06/24

沖縄サベツ、オキナワ差別

昨日は沖縄の「慰霊の日」でした。日米両軍による、県民を巻き込んでの地獄の地上戦が69年前に終わったとされる日です。
沖縄の人たちは、日本本土からの偏見や差別に苦しんできました。近代から思うだけでも、明治政府による軍事力をちらつかせての併合(琉球処分)以来、本土の人たちの都合に振り回されてきました。その一つが標準語使用の徹底です。
今日は無知、無理解がつくりあげた典型的なサンプルとして、1940年5月22日の東京朝日新聞「琉球の標準語」を取り上げます。筆者は杉山平助。毒舌で人気者になった、当時の朝日新聞御用達の評論家です。
民芸協会という団体が沖縄の標準語教育がやり過ぎじゃないか、と言って県ともめていた前提を覚えておいてね。
とてもおぞましい内容です。おじさん、メモしながら図書館で吐きそうになりましたけど、みんなに知ってほしいからがんばりました。以下に引用します。太字挿入はおじさんによります。


曽て(かつて)雑誌「民芸」から、琉球における地方語の保存といふ問題について回答を求められたことがある。沖縄県当局が標準語の徹底的普及をはかるため、地方語を圧迫しつつあることの不当を、文化的見地から論難し、我々の賛否を問うたのであった。
その当時、私は、いはゆる琉球における表現について何等(なんら)の知識も持ちあはせないので、賛否の判断を下すことができず、従って回答することが出来なかった。ところが、今度、那覇に滞在すること2、3日にして、私の判断は決定した。
標準語を徹底的に普及せしめ、地方語を圧迫しつつある当局の判断は全く正しい。沖縄県人は、何よりあの古い言葉から解放されなければならぬ。日本人としてあんな言葉を使って、将来生きてゆくことは、恐るべきハンデイ・キャップである。
たとへば新聞記者のようなインテリ階級さへ、アクセントは支那人の日本語に近く、そのためわれわれとの接触に、れきれきとヒケメを感じていることが看取される。いはんや一般民衆の会話など、チンプンカンプンで秋田や青森等と比較されるべきものではない。
琉球は、ただでさへ生産力に乏しく民度低く見るからに痛ましい島である。その上あんな言葉の重荷を背負ってゐたのでは、その意図する県外発展の領域でも、深刻に不利たることを免れまい。
琉球文化の愛好者は、今のうちに自らの負担において、琉球方言の文献を完成せしめておく熱誠があってほしい。(引用おしまい)

一地方の文化を愚ろうして踏みにじり、民度が低いとまで言い切る。こんなふざけた論陣を張る評論が新聞の紙面を飾り、全国で読まれていたんです。とどめに、琉球文化はくだらないから、好きな人はせいぜい自分でお金を出してまとめろと上から目線。やな時代だね。
でもね、沖縄への差別は今も続いているんです。米軍基地が集中していて、県民は騒音公害や飛行機が落ちる危険と隣り合わせ。米兵による事件も起きます。いつでも戦争に行く気持ちでいると心がすさむからね。
今の日本人だって再び戦争になれば、第二第三の杉山平助が論壇を席巻するかもしれません。戦争には絶対参加しちゃダメ。それを止めるチカラは、こどもだって持っています。
「慰霊の日」追悼式での増田健琉君(8歳)のつくった詩は、60歳手前の総理大臣による「能うる(あたうる)限り」固有名詞をはずした空念仏より、よっぽど説得力があったよ。増田君、お疲れさま。