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2014/06/24

第一次世界大戦の掃海艇受難(2)

前項からの続きです。
第一次世界大戦対独戦での機雷除去では、日本船がばんばん沈みます。防諜その他の御為ごかしな理由で自軍の損害を伏せた太平洋戦争と違い、このころはまだまじめに発表していましたから、掃海作業の危険を了解してもらおうと、海軍省はマスコミを通じて国民に訴えます。
1914年10月3日の東京朝日新聞「掃海の危険と苦痛 谷口(注・尚真)海軍省副官談」から引用します。太字挿入はおじさんによります。

今回、膠州湾(こうしゅうわん)攻撃に於て(おいて)は、我(わが)掃海船の1、2隻を失ひ、若干の殉難者を出したるは誠に遺憾の至りであるが、掃海事業の為め(ママ)に掃海船の損傷を被るは事業の性質上、到底避くべからざる義務であつて、此(この)犠牲あるが為めに我艦隊は敵塁に接近して、有効なる砲撃を加へる事が出来るのである。而して斯く(しかしてかく)の如きは、独り我国(わがくに)のみでなく、日露戦争の際、我機械水雷の為めに沈没したる露国の掃海船は其数、少なくとも10隻に達したのであらうと思はれる。兎に角、死傷者に対しては誠に同情の至りであるが、一旦戦争を開始した以上は相当の犠牲を払ふべき事は実際已むを得ぬ(やむをえない)次第で、よく掃海の危険と苦痛を承知せられたいものである。

戦争を遂行するためには、相当の犠牲が出るのは仕方がない。軍人の職業意識がよく表れていますね。戦争とはそういうもの。かつての交戦国ロシアまで引き合いに出して世論の沈静化を図ったわけです。
しかし、その翌日の同紙に、まさに悲壮な見出しが躍りました。「又も機雷にて沈没 悲壮なる掃海艇の最期」より引用します。太字挿入はおじさんによります。

先に労山湾外の掃海中、暴風雨の為め(ママ)暗礁に打付けられ(ママ)沈没したる掃海船第六長門丸の補充として9月18日午後、佐世保を発し戦地に向ひたるトロール船弘養丸は2日払暁(注・明け方)、董家湾外にて夥しく(おびただしく)残存せる敵の機械水雷を括りつつ僚艦と共に掃海作業に従事中、又敵の機械水雷に触れ、恐ろしき爆音と共に立騰る(たちのぼる)水煙の裡(うち)に船体を没したり
僚艇らはそれを見て、直に(ただちに)救助に赴きたるが、船体は瞬間に沈没して遺憾にも3名の戦死者と2名の重傷者と9名の軽傷者を出すに居たりたり。掃海隊の勇士は何れ(いずれ)も各艦より選抜したる決死の士のみにて、一人だに生還を期せる者無く、壮烈なる戦死は素より(もとより)覚悟の前にて、勇士も本懐とする所ならんも、続け様に斯く有望なる士卒を失ひたるは、我海軍の為め返すがえすも遺憾至極なり。以て掃海作業の如何に艱苦(かんく)多きかを察するに足らん。(後略、引用おしまい)

相次ぐ沈没で掃海作業が困難になりました。民間船を徴発したんですが、これも爆沈。7等だの8等だのといった勲章が、さぞいっぱい授与されたんだろうね。引用から省略した後半部分には、戦死と重傷者の名前が並んでいます。今になってそんな新聞、改めて読みたくないよね。
みんなは今のところ戦争しちゃいけない国に住んでいます。そのありがたさと、それを失うこわさについて考えてみてほしいな。