コピー禁止

2014/06/25

日米開戦前に決まった沖縄の「捨て石」政策

「慰霊の日」が終わった途端、潮が引くように消え失せた沖縄関連のニュース。今朝はもうサッカー一色です。米軍基地問題はしばらく議論されることなく、だらだらと現状維持が続くのでしょうか?
沖縄を本土防衛の時間かせぎの捨て石にする方針は、太平洋戦争開戦以前から日本政府、少なくとも内務省では定まっていた模様です。
日米間の緊張の糸が張り詰め、もう後は音を立てて切れるのを待つだけだった1941年11月、東京を訪れた早川元・沖縄県知事が朝日新聞のインタビューに、つい本音を漏らしています。当時は知事は住民による選挙ではなく、中央での任命制で決められました。早川は内務省の官僚です。この月23日の朝日新聞から「知事に聴く地方民の決意」の一部を引用します。

一たび事態が急転せんか、元寇の役における対馬の決意で――これが沖縄60万県民の覚悟である。(後略、引用おしまい)

近い将来、起こりうる(起こすつもりの)太平洋戦争を、鎌倉時代の元寇に例えていますね。13世紀にモンゴル人が治めた大陸の巨大帝国をアメリカ合衆国とし、沖縄の役目を元寇時の対馬と同じだと言っています。さて、どういう意味かな?
朝鮮半島に近い対馬は、元寇で最初に襲われた日本の島です。本土から遠く、幕府の援軍など望むべくもないので、島民のほとんどが虐殺されるか奴隷として大陸に連れていかれました。
本土の武者は、対馬からの連絡船によって敵の襲来を知ることができたそうです。対馬は住民が皆殺しの目に遭うことで、敵軍の動きをとらえるアンテナとなり、戦の支度を整える時間かせぎの役割を見事に果たしました。
早川知事の短い言葉に、本土の中央政府が沖縄に何を期待していたかが如実に表れていて、おじさんはとても嫌な気持ちになりました。省略した後段では、食糧増産が進んでいるとか翼賛体制構築が順調だとか、大丈夫だから沖縄なんか気にするなと言わんばかりの言辞が並んでいます。
沖縄が安全保障の捨て石から脱却できるのは、いつになるんだろうね。