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2017/07/24

前川喜平問題における読売新聞の「挙証責任」

前川・前次官を24時間テレビで走らせろ

24、25日の衆参予算委員会に前川喜平・前文部科学省事務次官が参考人として招致されます。
 以前の記者会見では、腰の引けた大手メディアに、加計学園の理事長を(取材で)つかまえろ、なんてハッパをかけるところなんかシビレちゃいました。記者連は後に引けませんね。理事長に突撃だ。副官房長官に食らいつけ。今治まで行って地元の中小土建の社長に飲ませ食わせて面白い話を取ってこい。
 出会い系バー通いの件だって、本人の弁の通りであれば、それは非難されるべきものではなく、むしろ賞賛に値するでしょう。こどもの貧困、女性の困窮を、風俗店で働く当事者からリサーチする。霞が関のトップにはなかなかできるこっちゃありません。
英国の作家ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」を思い出しました。ごうつくな守銭奴が、貧困の現場を現認して人生観を変える名作です。人の営みは美しいものばかりではないよ。赤貧の娼窟も、日雇いの仕事にあぶれたおっさんがさまようドヤ街も、PTSDもLGBT差別も出てこない、わたせせいぞうの漫画みたいな一億総クリーン・総ハッピーな社会など実在しません。
日本テレビは前川さんを24時間テレビのマラソンランナーに起用すればよろしい。こんな美談を備えた感動物件、10年に1度とないぞ。毎年毎年、目の不自由な人をキリマンジャロに登らせたり、車椅子の若者を泳がせたりして、障がい者を食い物にイイ話撒き散らして散々飯食って感動を提供してきたじゃないか。加計問題が来月まで尾を引くようなら、国会前をゴールにして「サライ」を大合唱、そのまま証言に送り出せ。

読売とNHKの新聞協会賞候補

以上に述べたような中身は詮索されるべき国民の関心事ではありません。前川さんが聖人君子だろうが極悪非道であろうが、本来はどっちでもいいんですよ。要は、言っていることが正しいのかウソっぱちか。
ところが、読売新聞が前川さんの出会い系バー通いを「公共の関心事で公益にかなう」と報道、人格問題をこしらえたから話がややこしくなっちゃいました。世間では、この報道が「政権および経営のトップレベルのご意向」なのか、読売の存在意義についても心配しているわけです。先日の閉会中審査でも前川さん自身が「この国の国家権力とメディアの関係は非常に問題がある」と指摘しています。国会の場ですよ。
読売新聞には、そうではない、公共の福祉に基づいた報道である旨を、読者と国民に示す、流行りの言葉でいえば挙証責任があるのですから、続報ならびに編集の信念を改めて紙面で訴えてもらいたいものです。
この「特ダネ」が絶対の物であれば、新聞協会賞の候補に自薦してるんじゃないかと、同協会のウェブサイトをのぞいてみました。
違った。読売新聞社の新聞協会賞ニュース部門候補は「『憲法改正2020年施行 9条に自衛隊明記 安倍首相インタビュー』のスクープ」だそうです。安倍さんが熟読しろと言って、自民党の石破茂議員が「熟読したけど全然わからない」と延べた、難解なヤツですね。なんじゃ、そりゃ。
 ちなみにNHKは、「『安倍首相 真珠湾 慰霊訪問へ』のスクープ 報道局政治部副部長兼解説委員 岩田明子」。こっちはプロパガンダの構図がわかりやす過ぎて大爆笑。現場の放送記者たちが不憫でなりません。

美しい新聞・読売を取り戻す

メディアの役割とは何でしょう? 読売新聞就職希望者向けに書かれた書籍「ジャーナリストという仕事」(同東京本社教育支援部編・中央公論新社)によれば、「真実を追求し、不正と戦う」「物事を正確にできるだけ多くの人に伝える」「国の将来を憂い、あるべき姿を提言していく」とあります。
2008年に出されたこの本、今となってはツッコミどころ満載のトンデモ本扱いですが、実践はともかく、主張しているポイントは間違っていないでしょう。 今日は、その素晴らしい読売新聞が、不正を正し、物事を正確に伝え、国の将来のあるべき姿を提言した素晴らしい記事を紹介します。
 1975年、四国電力の山口恒則社長は、経済専門誌「国際経済」のインタビューにこたえました。この中で「我が国の原発の建設は相対的に早過ぎた」「安全審査にも問題がある」と話したそうです。山口は通産省から四電へ天下った元官僚でした。官民の原発行政・ビジネス双方の表裏を知り尽くしたエリートによる、「原発は危ない」発言。大事件です。 科学技術庁は激怒、佐々木義武長官、生田豊朗原子力局長らが山口を呼びつけてどう喝します。この問題が衆院科学技術特別委員会で取り上げられました。同年6月26日付の読売新聞「『原発批判取り消せ』 科技庁、電力社長しかる」より引用します。
(前略)生田局長は「あの記事を見て怒りを覚えた。四国電力には原発を建設する資格がないと思った」と答え「ただちに山口社長を呼んで真偽をただし、しかりつけた」と語った。 湯山(勇・社会党衆院議員)氏はこの答弁に、「政府の欠点を正しく批判したのにしかるとは筋違いだ」と再答弁を求めた。しかし、生田局長は「山口社長の釈明を一応は了解した。私だけがわかっても活字になったものを読んだ多くの人の理解は得られないのでマスコミを通じて取り消すよう求めた」と強気で、同局長は、これは、原発の監督官庁とそれを受ける立場の電力会社という公的な関係での発言訂正要求であり、この要求が入れられなければ行政上の措置を取ることを明らかにした。また佐々木同庁長官も「山口社長は通産省から四国電力に出た官僚出身で、よく知っているので呼んだうえ、“山口君の失言だ”ときつくしかった」と答えた。(引用おしまい)
 政治家と役人のむき出しの思い上がりが表れた一件です。自分たちのやること、思うことは絶対に正しい、下々は従え、異論は認めない、と国会で宣言しているわけです。「四国電力には原発を建設する資格がない」との、自分が神であるかのごとき一言には身がすくみます。フクシマは起こるべくして起きたのですね。 そんな権力の横暴を正すのがメディアのお仕事。この傲慢を読売は徹底的にコケにします。同27日付の「編集手帳」から引用します。
(前略)この社長さん、経済専門誌でインタビューに答え、わが国の原子力発電所の建設は相対的に早過ぎた、安全審査にも問題があると話したという。まことにもっともな発言で、一点の非の打ちどころもないように思えるが、どういうわけか、科学技術庁という役所のえらい人たちはこの記事を読んで「怒りを覚えた」のだそうだ。 まあ、人間だれしも人に触れられたくないところがあるもので、そこをつつかれると毛を逆立てて、怒り出す。役所も似たところがあって、幹部連中、腹の底では原発はどうも早過ぎた、安全審査にもっと力を入れればよかったと、くやんでいるのに違いない。怒ったのはそこをつかれたせいだろう。 だから、ただ怒るだけならそれは自由だが、この局長氏、社長を呼んでしかりつけ、取り消さなければ行政上の措置をとるといきまいた。はてさて、四国電力というのは、確か純粋に民間の会社だったと記憶しているが、思い違いであったか。一体いつから科学技術庁にアゴで使われる下部機関に、改組されてしまったのか。 それとも、言論の自由が保証(ママ)されているはずのわが国で、みんなが知らないうちに科学技術庁設置法が改正され、所管事務に「原子力行政に関する批判をしかりつけ、取り消させること」といった条項が、追加されたのだろうか。余計な口をきくなと言わんばかり、まるでそのへんの全体主義国家を思わせる、言論の圧伏だ。 原発に都合が悪いことは、口が裂けても言えない仕組みなら、電力会社の結構ずくめの話を住民が疑ってかかるのも当然だ。「むつ」(注・放射線漏れを起こした原子力船)がきらわれ、原発反対運動が起きるのも無理はなかろう。ほかならぬ原子力行政自身が、原子力開発の足を引っ張っていることがおわかりか。(引用おしまい) 
40年以上前の記事でありながら、現在にも通じる立派なものです。福島第一原発事故問題のここまでの迷走はもちろん、先日の原子力機構の被爆事故で露呈したように、現在も原子力行政のひずみは、福島のデブリのごとくダラダラと表出しています。
メディアは同時代史ともいうべき、“歴史”を日々刻むべきもので、その報道は史料として時の風雪に耐えねばなりません。1975年の読売新聞の原子力行政批判は、その典型例だと思います。読売は 前川問題の挙証責任を果たした上で、不正と戦い国民のための国の将来を提言する新聞社の姿に立ち返ってもらいたいものです。