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2015/01/10

爆笑問題と表現の自由を擁護する(1)

いやあ、笑った笑った。籾井勝人・NHK会長の記者会見の新聞記事。初笑いです。
おそらく制作局が三顧の礼をもって紅白中継にこぎ着けたであろうサザンオールスターズに対して、「そもそもワーワーワーワーって感じで、言葉よりリズムと激しい歌い方が持ち味」なんて放言しちゃう。担当者の面目丸つぶし。
爆笑問題の政治関連の漫才への自主規制には、「個人に打撃を与えるのは品がない」。この発言には、制作局だけではなく報道局も困ったでしょうね。政界スキャンダルを扱えない。つくづくメディアのトップ、というか企業・団体の経営者に向いてません。
爆笑問題の問題は、間も悪いです。フランスの新聞社テロで、表現の自由への連帯が世界中で巻き起こっている最中に自主規制を容認。つくづく経営者に向いていません。
爆笑問題の漫才の内容がいかな内容であったのか、もはや知る由もありませんが、今回の自主規制が、籾井会長と経営委員会のゆかいな仲間たちによって引き起こされた特殊で不幸なケースなのかを検証してみましょう。
1975年9月、NHKの労組「日本放送労働組合」が、組合員の分会から意見を求め、630ページにわたる「放送白書」を公表しました。公共放送が抱える問題点が顕著だと思われますので紹介します。同13日付の朝日新聞「NHKマンに無力感」から引用します。
(前略)放送白書がまず、指摘しているのは、「制作現場から自由なふん囲気が失われ、プロデューサーなど個々の制作者が深い無力感に襲われている」現実。
たとえば制作現場に関係する各分会からは、「番組の企画や内容に対する現場からの提案が目立って少なくなってきている」ことが報告され、制作現場の組合員の意識調査でも、「回答者の3分の2が以前と比べて提案を出さなくなり、その最大の理由としてやる気がないことをあげている」(青少年幼児分会)。「半数が現在の職場での自分の将来に希望を失っている」(ドラマ分会)などの例が示されている。白書はこれを「職場の荒廃、無気力は、いまNHK出働くだれしもが感じている」「番組制作現場は複合汚染にさらされている」と強い危機意識でとらえている。
多くの制作者が、とりあげたテーマや出演者がNHKに合わないなどの理由で提案をつぶされた経験を持ち、その結果、実際の番組の企画や制作にあたって、内容や出演者などについて、個々の制作者の間で広範な自主規制が行われていることも明らかにされている。
「プロデューサーの8割が意識的な自己規制をしている」(家庭教養分会)「テーマや出演者がNHKのタブーにふれたり、上司の好みに合わないため、自己規制で提案をやめた経験を半数以上が持っている」(青少年幼児分会)など。「現在のNHKでは通らないテーマ、人物」についての体験的アンケートを実施した分会もあり、それをもとに白書は「反権威主義、差別、公害運動について、番組になじまないとして切り捨てている現在のNHKは、言論機関としての役割を果たさず、公共放送としての社会的使命を自ら放棄したひん死の巨象にも似た姿になり果ててしまったと思わざるをえない」(青少年幼児分会)ときめつけている。(引用おしまい)
40年前にも自主規制をやっていたのですね。「複合汚染」は、今に至るまで進行を続けているのでしょうか?
当時ですら「ひん死」だったら、今ではとっくに死んでいてもおかしくないNHKですが、途中に映像メディアとしておよそ他局にマネのできないドキュメンタリーやドラマを輩出した時期もありました。
この白書が出された時を振り返ってみます。会長は小野吉郎。田中角栄の忠臣官僚として、郵政次官に上り詰め、論功行賞で会長職を得ました。1976年にロッキード事件が発覚すると、理事の責任で同事件の報道を規制します。本人が国会の逓信委員会でその事実を認めました。
挙げ句、小野は保釈された田中を自宅に見舞い、局内外から批判を浴びて辞職しました。
歴史は繰り返す。ロッキード事件と爆笑問題。小野という人と籾井なる御仁。
お笑いだって表現です。フランスのテロ事件を報道するたびに「表現の自由は守られなければなりません」と言ったところで、「お前が言うな」です。
この項、続きます