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2016/09/26

「真田丸」第38回感想 「まさかの昌幸」


ガチガチ台本への不満


25日のNHK・FM「日曜喫茶室」は、永六輔出演時の名作選。そこで永と共演していたのが、大河ドラマ「太閤記」「源義経」「樅ノ木は残った」の演出を手がけた吉田直哉でした。
吉田はドキュメンタリー作家としても、「日本の素顔」「21世紀は警告する」といった話題作を撮っており、ジャンルを問わず「テレビの表現とは何か?」を追究し続けた演出家でした。このブログでも過去に取り上げています(ここや、これとか、これ)。
ラジオで流れた永との対話では、「プロジェクトX」に代表される台本ガチガチのテレビ的予定調和を嫌い、生放送では流れをブチ切ってあわててCMに走る民放は、視聴者と広告主のどちらを大事に番組を作っているのか、と問う。テレビを知り尽くした2人が語るテレビ論は、ハイカルチャーを標榜するNHK・FM放送にふさわしいものでした。
テレビ、特に地上波プログラムにカルチャーを求めるのが難しくなっている昨今、大河ドラマも“大河”ではない、なんだかよくわからないルーティーンワークに成り果てているわけですが、主人公がエリア九度山に事実上の軟禁状態にされ、政治に関わりを持つことがかなわなかった期間は、創作が自由にできる分、無味乾燥だった人間的な側面を描き出すチャンスだとも考えられます。期待を込めて、第38回「昌幸」を見ましょう。

とにかく映す死に際


今回で真田昌幸が退場するのは、タイトルからほぼ全視聴者が知っています。最後に何とかひと花咲かせてもらいたいと申しますか、全編で年寄りの冷や水を爆発させてもらいたいと思うのが人情といいますか、期待が高まるところなんですが、結局、何をするともなしにあの世行き。ホント、受刑者然として何もしないのな。模範囚。徳川家康には、再審請求のレベルまでにも行かない恩赦願いのお手紙書くだけでした。闘う姿勢ゼロ。
地元の衆からいくさ指南を求められると、口では何か言うけれど周りからたしなめられると、それも尻切れトンボ。孫に「ケンカに卑怯も何もあるか。勝った者勝ちだ」と語るシーンなんか、「今のお前が言うな」と、茶の間からツッコミが入るとこですよ。
将来、大坂で起きる東西決戦の戦略を次男に伝える場面も、そこへ固執する執念、動機が提出されないから、視聴者には何も伝わりません。まさかの凡夫逝きでした。
三谷幸喜さんは、自分が思っていることを他人に説明するのが苦手か、嫌いなのかわかりませんけど、そういった努めを一切しない人です。新聞のコラムでも、アメリカのテレビでやった生放送ミュージカル女優が根性があるとか、長谷川伸の「瞼(まぶた)の母」の脚本を書きたいだとか、唐突で説明責任を放棄した読者置いてけぼりの記述はしょっちゅう。私的にヒゲを伸ばしているだの、我が子と一緒に「サンダーバード」のDVDを見たという、その辺の育児パパブログと変わらぬ親バカ丸出しの、赤の他人にはまったく必要のない、ニーズ不明のエッセイだのも商業紙に載せてきました。「なぜ?」が解消されないのです。
だけど、豊臣秀頼の若武者ぶりに危機感を抱いた家康が豊家滅亡を決心する二条城会見、加藤清正暗殺説など、手垢の着いた中央政治のベタなシーンはやるのね。こうした社会的台本通りの作劇を「テレビ的」と呼ぶんでしょう。真田家を描くドラマにも、英傑物語は視聴者にとって不可欠なのか。関が原前後をあらすじにしたんだから、大坂の陣の前触れもあらすじで良かったんじゃないですか。
演出も引きずられて、何でもかんでも画面で説明しないと気が済まない状態に陥っています。昌幸絶命の場面、左横から撮ったアップの草刈正雄さんが、ゆっくりとフレームから外れて行きました。このショットのみで死亡の表現は十分に果たされたはずです。ところが、切り替わったカメラが右手前から草刈さんを映し直し、臨終の顔まで茶の間にご提供。余韻も何もあったもんじゃない。すべてをさらけ出さないと視聴者は理解できないと思っているんでしょうか。私たちもバカにされたものです。それとも、賢明な視聴者以外にアピールしたい偉い人でもいるのですか。草笛光子さん退場時のクドクドした編集と同じ手法。このテレビ番組は、誰の方を向いて制作されているんでしょうね。
ついでですが、いまわの床で肉親同士がつなぎ合う手をアップで撮るのも、手垢にまみれきったドラマ演出です。もうやめた方がいいよ。今日びのテレビでバナナの皮で滑って転ぶコント見せられたら、見てる方が恥ずかしいでしょ。

演出家の独自性


テレビにできる表現手法とは何か。テレビ少年時代の演出家は、皆そこに一家言ありました。NHKのドラマディレクターだった和田勉がクローズアップ演出にこだわったのは、今のような大画面など一般家庭には望めない、小さなブラウン管受像機への対処が理由でした。同期入局の吉田直哉がテレビに求めたのは、社会性です。安寧のホームドラマに複雑で醜い人間心理を持ち込んで、視聴者に我が事を、我が社会を考えさせました。
吉田がノンフィクションの畑からフィクションの映像劇制作に配置転換されて間もないころのインタビュー、1964年6月9日付の朝日新聞夕刊「ディレクター飛出す⑤ NHK吉田直哉」より引用します。
(前略)「日本の素顔」と「現代の記録」が発展解消して「現代の映像」になったとき、吉田さんは進んで「テレビ指定席」に移ったーー「長い間ノンフィクションをやってきて、つくづくこのアミではつかみとれないものがあることを感じました。そいつをフィクションでさぐってみようと考えたわけです。もともとテレビでは、この両者は車の両輪ではないかと思います。テレビの骨格はドキュメンタリーだという気持(ママ)は強いんですが、こんどフィクションをやることで、いわばその接点をみつけたいのです」。
吉田さんは“テレビ的”といったあいまいさにがまんできないという。「テレビ的とはテンポがいいとか、カット割りがどうとかいうことではないでしょう。あなたに似た人があなたと共通の問題を考え、行動している、そういう“同時性”ーーこれがまずテレビには必要なんじゃないですか。しあわせそうな人の心をチクチク刺す、そんなものも作りたいですね」。
(中略)「芝居で当った(ママ)からテレビへ、テレビの人気を映画へ、映画の名作をテレビにうつしかえる……一種のエコー現象みたいななかで、アミーバーのように実体のはっきりしないのがいまのテレビです。オリジナリティー(創造性)をもたなければいけません。演出者も演出だけやればいいというのでなく、オリジナルプランをぐいぐい通していく作家精神がないと……」(引用おしまい)
この時、吉田は30代前半。ですが、学生運動のはしかに罹患した青年のような理想論に燃えています。退職までこの火勢は衰えなかったようで、延焼をこうむった作家の司馬遼太郎、作曲家の冨田勲らも一緒になって燃え上がり、日本テレビ史に残る優れた作品群を残しました。
記事からまず読み取れるのは、吉田が第一に視聴者を意識して問題意識を抱き、視聴者のための番組を作ろうとした点。それも視聴者に媚びず、嫌がるような表現も辞さなかったところこそ、現在の映像作家たちが見習うべき精神ではないかと思います。
第二にオリジナリティの尊重が挙げられます。個の作家性を主張できる演出家は貴重です。吉田の時代と重ねるなら、むしろ希少だと言った方がいい。テレビドラマが、放送と同時に役目を終えた時代は今や、とうの昔話です。作品のDVD販売・レンタルというコンテンツ産業が放送局の巨大な第二次収入源となっている現在、連続ドラマは再び大々的に市場に出回ります。駄作続きの朝ドラでも、次々と堂々ツタヤの棚に並んでますね。
作品にかかわったスタッフの名前は永遠に残るし、それでも世間に覚えてももらえないのでは、何のための演出家であるか。創作に燃える気概あらば、その火は周囲に伝染し、結果、視聴者も同じく心を熱くすることでしょう。昨今、悪口でしかない「テレビ的」なる言葉に、作家性を持たせようとする試みがあってもいいのではないかと考えるのです。