中園ミポリンへの不安
NHKの大河ドラマ「西郷どん」が始まりした。昨年の「おんな城主 直虎」は、とんでもなくつまらない作品になると初回に予想、そこでレビューを打ち切りました。残念ながらそれが的中してしまったのですが、「西郷どん」に対しても、期待よりも不安の方が先に立ちます。
懸念の元は脚本家中園ミホさんの歴史観の無さ。朝ドラ「花子とアン」で見せつけられた数々のクズエピ。9万人余が焼死したといわれる関東大震災下、焦熱地獄の東京に甲州ワインやほうとうなんかを救援物資と称して運び込み、その場で山梨物産展パーティーを始めた時には、開いた口がふさがりませんでした。
数年前、タモリさんのNHK正月番組に出演した際には、田中角栄顕彰ブーム(拙記事「田中角栄ブームと石原慎太郎、そして小池百合子への違和感」参照)に乗って「私、(角栄の)ファンなんですぅ」と批判精神ゼロのお花畑コメントを口にしてましたから、この人、筋金入りの歴史ミーハーですね。
「花子」ではネタ切れになると、犬の話で何回も引っ張る脱力展開もありました。愛犬家だった西郷隆盛だけに朝ドラの惨劇が繰り返される危ぐもあります。大河ドラマが志村どうぶつ園になっちゃう。
色メガネを外したくても外せない、もどかしい気持ちで、第1回「薩摩のやっせんぼ」を見ました。
本気のドラマづくり
初回限定で結論を言っちゃうと、けっこう良かったですね。つくり手が面白いドラマを視聴者の皆さんに届けようとした努力が茶の間に伝わってきました。のっけからサイレント映画のドタバタキャラのごときカッコで関西なまりの鹿児島弁をしゃべる西郷従道が出てきた時には、どうなることやらとハラハラしましたけど、ワンカットでスタジオを動き回るテレビドラマのスケールを超えたクレーン撮影、フィルム撮りかと見まがうほど屋外の風景に深味が出せる技研の新兵器だと思われるカメラを使いこなした、奇をてらわぬ画割り。背景のCGも含めて予算と技術、能力を駆使しての画面に、「これが大河ドラマだ」との主張が久方ぶりに見て取れます。
これだけの機材を使っているんだから、大河はロケ撮影をもっと増やした方がいいよ。近年は大河と言わず朝ドラだって、せせこましいスタジオ画ばっかり続いて、うんざりしていたからね。制作予算をスタジオ美術にかけすぎです。
年ごとに頻出化が進んでうるさいだけになっていた劇伴音楽も最小限だったし、テーマ曲にも雄大さとオリジナリティを感じます。過去作を今さら指弾してもしょうがないけれど、ストラビンスキーの改悪版みたいな主題曲を毎週聞かされるのは、視聴者にとって苦痛でしかなかったもの。
問題の脚本ですが、今回は大きな破たんなくセーフでした。石高に対する藩士の絶対数が他藩に比べて異常に多く、それだけに身分格差が大きかった島津藩、男尊女卑の風が他国より厳格化されていた薩摩の社会のゆがみを、1回目から提出できたのは大きい。おそらく物語上、これが西郷隆盛の倒幕革命に関するモチベーションになると思われます。2話以降も主人公の行動原理として、視聴者の鑑賞ガイドラインとなります。アヘン戦争と西郷の負傷の時系列が逆だとか、江戸の武家言葉が日常語だった島津斉彬が「じゃねえか」なんて関東の農民やごろつきが使う六方詞で話すのはおかしいとか、細かい違和感はあるけれど、作品世界全体を壊すものではない。
島津斉彬の国防論
とはいえ、懸念の方だって感じ取れました。例えば島津斉彬が「異国の天狗をやっつけられるか。強くなければやっつけられん!」と演説をかます下りです。後のアジア・太平洋戦争につながるような物言い。「かよわき者の声を聴き、民のために尽くせる者がこれからの真のサムライとなる」なんて明治政府のおためごかしスローガンもどきのセリフもありました。
斉彬は何を見て、何を知り、その結論に至ったのか。視聴者には動機が提出されていません。日本の西のはずれにある外様大名の御曹司が、藩のみにあらず“日本”という概念をもって安全保障政策に傾注するからには、斉彬なりの国家観が必要です。
さもなくば、具体的な外交努力なくして「北朝鮮が攻めてくるから米国から武器を買おう、自衛隊の飛行機に敵基地攻撃能力を持たせよう」と騒ぐ、アホなネトウヨだましの内閣とアタマの中身がおんなじになっちゃう。明治150年だ、強い国の再建だ、北朝鮮と戦争だ、中国倒せ、日清戦争だ、なんていうアジ番組じゃないよね。大河だもんね。
「西郷どん」には、近代日本のリーダーであった人物たちが大挙登場します。当然、彼らにはどのような日本を造るか、という国家観を視聴者に理解させる必要性が有ります。西郷と大久保の衝突、離別は双方の国家観の違いでした。西郷を描く上で避けては通れない士族反乱、征韓論、台湾出兵、明治天皇との関係等々は、主人公をはじめとする主要人物たちそれぞれの国家観がなければ描ききれません。村岡花子と柳原白蓮という好素材を、ただのウスい恋愛相関劇にしてしまったミポリンに、その覚悟があるのか不安です。
そこで、ひと言言いたいのですが、このドラマを見る者に求められるのは、おのおのの知識と過去と現在をつなぐ道筋を照らす光明、つまり歴史観だと思うのです。
鹿児島人に嫌われた西郷隆盛
歴史(通史)を作るのはその時代より後の人間です。権力者の利用もあります。時々の社会情勢が影響することも考えられます。死後、一貫して英雄扱いだったと思われがちな西郷隆盛ですが、お膝元の鹿児島県民にすら嫌われていた時期があったことは、存外知られていません。
日清のいくさ以来イケイケドンドンで戦争による国家進展を続けた大日本帝国の没落、つまり敗戦直後です。国威発揚、聖戦完遂のシンボルとして軍人のアイコンだった西郷の名声は、一転地に堕ちました。1952年11月22日付の朝日新聞「回り舞台④」より引用します。
上野公園に立つ兵児帯の西郷ドン、鹿児島市山下町に立つ陸軍大将姿の大西郷、どちらもギョロリと例の大目玉をむいて街を見下している。戦争中の「金属供出運動」もふたつの西郷銅像は避けて通ったほど目玉のニラミは威力があったわけだが、終戦とともに目玉の光り(ママ)はたちまち薄れた。小学生に史上人物の人気投票をさせると外国人ではナポレオン、日本人では西郷サンというのが大体ベストテンのトップだったのが、永年の人気も一朝に下落、蜷川新(注・法学者)法博によると鹿児島県の経済発展を阻んだのも西郷、との理屈は八つ当たりが過ぎると思いますけど、この記事からは歴史上の人物評価の難しさ、世人の身勝手さが伝わってきます。戦後新たに発掘、開発された“西郷南洲伝”もあるようですね。史実とは何なんでしょう?
「西郷は慶応3年の冬、軍用金調達と人心惑乱のため江戸に500人の強盗団を放って財物をかすめさせ、証拠隠滅のため強盗団の首をはねたりしている。上野の彰義隊を“不法砲撃”した罪は今日でもなお裁判さるべきものだ。かかる残虐不法な人物の銅像を山上に建てていることは、余りにも人民を侮辱するものではないか」「罪なき人民を苦しめ、なんの愛であろうか。なんの敬天であろうか。西郷は国民を欺き、天を欺ける悪人であった」と、手きびしい。
◯…そのころ、おヒザ元でさえ「鹿児島が日本一の貧乏県になったのは西郷ドンのせいだ」という声も起った(ママ)。日本最初の陸軍大将になった西郷ドンを目標にネコもシャクシも軍人になりたがり、実業家なんどをいやしめたからだ……という騒ぎ。かくてひところ上野公園の銅像は訪ねる人もなく、浮浪児が犬に乗ったり、西郷ドンに肩車したり、頭の上にまたがったり。一昨年など大きなムギワラ帽を西郷ドンの頭の上にのっけた商人があった。帽子屋の宣伝だが格好は珍無類、デカイ身体だけに悲喜劇の役者っぷりも中々よく、大目玉、口を結んで泣くかとも見え「おいたわしいことで……」と近くの茶屋の婆さんは同情したものだ。
鹿児島でも自刃の地城山をはじめ市内にウジャウジャあった遺跡もいっぺんに火が消え、南洲に因んだ土産ものも姿を消した。さすがの西郷ドンも腹を切る時のように「モウ、ヨカ」とネをあげるばかりの羽目だったが、ドッコイ最近また目玉をギョロつかせ始めたようだ。歴史は回るというところ。
◯…一体西郷ドンにどういう功績があったか、よくわからぬままにこのほど鹿児島で「西郷75周年祭」を戦後初めて行ったところが大当たりと来た。サムライ姿のサツマ健児が久方ぶりに肩で風を切ってヨカ気持(ママ)、奉賛会長をつとめた勝目(清)市長は「人間として出来上った面を見ずして西郷を論ずるはおかしい」と戦後の西郷批判に反バク、たちまち南洲熱が再燃しだした次第。
そこいらの南洲翁の筆になるものをカキ集め「人間味の探究」が大はやり。おかげで「農業に精通した西郷」「刑罰主義に反対した西郷」「禅に徹した西郷」新時代にふさわしいいろいろな西郷が再発見されたとあって探究グループは大喜び。気をよくした75周年奉賛会では例の肖像と「敬天愛人」の4文字の複製を県下の小、中、高全校に近く配布するそうだ。「夢よもう一度」というわけだが、さて以前のような西郷ドンにかえれるかどうか……。(引用おしまい)
ことほどさように、社会は、時に権力は歴史を操り、死人は浮沈を繰り返す。「西郷どん」の視聴者であるみんなは、だれかの都合による西郷像を受け入れるのではなく、自分の目と耳で知識を肥やして、テレビジョンが流す情報に向き合うのが肝要です。
国家観すら持たぬ西郷が登場するような事態になれば、自分の脳で補完する。補うのはドラマじゃないですよ、歴史です。
若いみんなが生きている今、この瞬間だって歴史になります。後世、ネトウヨと一緒くたにされて国を誤らせた一人だと後ろ指をさされるハメに陥らぬための自衛策、そして真のサムライの国防策です。