ほとんどの男子生徒がこっそり学校にエロ本を持って来ていて、ある男子のエロ本だけみんなにばれて、その男子が女子もいる前で「エロ本を持ってきてすいま せんでした」と謝らされ、その次の日も謝らされ、また次の日も謝らされ、エロビデオまで持って来てたことにされたら、その男子はどうするだろう。(哲夫さんのTwitterより転載。現在は削除)
国民のみなさん、日本はもう二度と謝らないことを覚えておいてください。(同Twitterより転載)最初は何のことかわからず静観していたら、従軍慰安婦問題での日韓合意についてらしいと、辺りから火が着き始めました。もし、慰安婦問題をエロ本に例えたのであれば、程度が低すぎます。笑い飯の単独ライブには毎回足を運び、今年はコンビそれぞれのソロ公演まで見に行った人間としては、そうではないと思いたかった。
しかし……。
いろんな文献を研究して様々な観点を理解してたんですが、怒られ始めたんで、朝入れたやつ消しますね。蒸し返さない努力をしたいです。被害者の方々には日本人の子孫として本当に申し訳なく思うし、もし強制が本当にあったなら、直接でも頭を下げたいし、個人で謝罪のお金をいつか払いたいです。(同Twitterより転載)これで慰安婦問題Tweet確定です。ガッカリ。やっぱり女性の人権問題がエロ本かよ。内容がアホ丸出しやわ。しかも論旨は、「人殺しは世界中にいるのに、自分だけ責められるのは理不尽だ」と、殺人鬼が強弁しているも同然です。筋が悪すぎる。
おじさんと基本的な意見の合わない右翼、左翼と呼ばれる、もしくはそう自称する人たちにも、共感できる言葉を持つ人はたくさんいます。彼らがその辺のネトウヨやブサヨとは違うのは、ちゃんと勉強したり、他人の発言の内容をそしゃくしたりして話していること。哲夫さんには、影響力のある売れっ子芸能人として、ネトウヨを押し通すなり、削除でなく文章で発言を取り消して全面謝罪するなりの態度が求められます。Tweetを削除した後に意味不明の言葉を並べて逃げまわるのが、一番みっともない。
ここまで言うのは、笑い飯の漫才が面白いからです。第三者の演出が入るテレビよりも、素の漫才の方が楽しめる数少ない漫才師に逃亡は似合いません。
そんな劇場型プロコンビの一つ、海原やすよ・ともこの祖母海原小浜が死去しました。戦後、海原お浜とのコンビで大活躍した、上方漫才史に名を残す人です。今日は、彼女の育ての親、漫才作家の秋田實が、戦後の漫才師たちとの交流を語った朝日新聞への寄稿を紹介します。1969年ごろ、秋田は孫の年ごろの若手漫才師グループ「うぶ毛の会」との交流が盛んでした。同年6月22日付の「仲間いまむかしー秋田実」より引用します。
(前略)思い出すと、もう二十何年前、戦後間なし(ママ)のころは、毎日毎日(ミヤコ)蝶々・(南都)雄二、(夢路)いとし・(喜味)こいし、(秋田)Aスケ・Bスケなどと会わない日はなかった。お昼前、喫茶店で集り(ママ)、それから夜はまた喫茶店で落合った(ママ)。一日中一緒に暮している(ママ)と言ってもよかった。文字通り楽しい仲間であった。漫才にかかわる人間であれば年齢にこだわらず付き合った秋田實のような人が、現在いるのでしょうか。上の世代と話し合い、異なる世代の知識や未知の技術を磨く芸人は? 秋田の薫陶を受けた海原小浜は、若手の芸に目を配り、不出来には厳しく接した人だったそうです。
そのころは皆まだ20歳前後で、さらにいとし・こいし、Aスケ・Bスケなどを中心に「MZの会」という漫才の会があり、二十何人の仲間がそこに集っていた。
そのころは、私もまだ40歳を過ぎたばかりで、気持(ママ)の上では自分を皆の兄だと思っていたが、年齢的には皆の父親で、皆もかげではそのように扱っていた。今でも蝶々さんは、父の日には、忘れずに「老いたる娘より」として贈り物をくれる。こそばいような、うれしい感じである。
考えると、この二十何年、いつも私は漫才さんといっしょに暮して来た。
(中略)戦後の最初のころは、いとし・こいし、Aスケ・Bスケらであったが、もう皆は当時の私の年齢近くに達している。その次には(若井)はんじ・けんじ、お浜・小浜らであるが、今ではお浜・小浜の子どもと会う方が多くなって来ている。「うぶ毛の会」の海原かける・めぐるのかけるは、小浜の長男で20歳である。
相手かわれど主かわらずという言葉がある。私の場合がそれで、漫才あって私は楽しい。孫のような漫才を相手に、その時だけは自分を年寄りだとは思わないし、若い漫才も私を年寄り扱いをしない。お互いに年を忘れて漫才の話に夢中になる。あとで、考えて、ふとおかしくなる時がある。(引用おしまい)
哲夫さんのような熟達した漫才師にあっても、今回のような誤った、浅い思い込みが発生するのはなぜなのでしょう。同性カップルの宣誓書を自治体が発行する時代に、大喜利で「ホモ」なんてオチが頻出する劇場の客席に座っているとヒヤヒヤします。以前に指摘した「自家中毒」が、一人前の芸人たちにまでまん延しているのではないか。
哲夫さんの炎上を、個人の問題で片付けてはいけないと、あえて訴えます。