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2015/09/14

「笑けずり」出演者よ、ダイラケを目指せ

NHK・BSプレミアムの「笑けずり」(毎週金曜)が、なかなか面白いです。
売れない若手芸人を本栖湖畔のペンションでカンヅメにしてネタを作らせ、各週の最下位組を退場させるドキュメンタリー風バラエティ。中川家、笑い飯といった人気漫才師たちの講座も見ごたえがあって、そこに若者たちの葛藤や恋愛といったアクションが入ってくる。いっこも笑えなんだ伝説のドスベリ事故「松本人志のコント MHK」みたいなのは困るけれど、テレビがネタ番組やそれにかかわるプログラムを提供することは大切なんだと思います。視聴者にとっても、芸事を見る目を肥やす機会が増えるのはありがたい。
落語が扇子と手ぬぐいだけでさまざまな所作を表現するように、漫才も本来は道具を使ってはいけません。そんなことも知らなかった若手が退場させられれば、それは若い視聴者の知識となります。撲滅されたと思われていたドツキ漫才が出てきたので気分が悪くなりました。これをやっちゃうのも経験値の低い若者だからで、いずれ間違いに気がつくことでしょう。視聴者だって、やっぱりドツキ漫才ってイヤなもんだねと認識できますしね。万引きのネタなんかも同様。
オーディションを勝ち残ったメンバーだけあって、見るに堪えないコンビはいません。しかしながら、ファミレスなど自分の生活圏から出られない設定、どこかでだれかが演じたのを見たことがあるようなネタが多いのが気になります。多くの漫才師が世間を広く見ようとせず、自家中毒に罹患しつつあるのではないか。
一流の芸人さんは、テレビの報道番組を見たり、新聞を読んだりして情報や知識を得るそうです。言葉の商売ですからね。劇場、ラジオ、テレビなどメディアによってネタを変えます。あるコンビがラジオ番組で、ハゲ自虐ネタをかけていたことがありました。そんなに顔が売れていないのに容姿の話をラジオでやっちゃダメですよね。同じく「笑けずり」に出ている若者たちは、自分がどう見られているのか、どう見せたいのかをまだ意識できないレベルなのでしょう。そのため、自家中毒に気づいていない。
今日は、空前絶後の名人と呼ばれた漫才コンビ・中田ダイマル・ラケットのメディア対策を紹介します。劇場、ラジオ、テレビで自在に爆笑を取った名コンビ。「◯◯の職業、やってみよか」という、現在も使われているパターンの元祖でもあります。1962年7月14日付の読売新聞夕刊「お顔拝借」から引用します。
「こいつとのコンビもあと4年で銀婚式や」とダイマル兄貴が度の強いメガネを弟のラケットに向ける。「そうでんなあ、デビュー当時はよう兄貴にどやされましたなあ」。ツーといえばカー。インタビューも、ダイ・ラケのコンビである。
デビュー当時は、吉本興業か新興演芸に席がないと芸能人ではないといわれた時代で、フリーだったふたりは端(は)席にしかでられず、ドサ回りの悲哀を味わった。お家芸のスポーツ漫才は、その間に練り上げたものだという。
戦後NHKラジオに出演したときは、その売り物の“動き”もマイクが相手とあって通用せず、つづいて民放ラジオが誕生し“これではあかん”と頭をしぼったのが「きいてみてみ」「かっわいそうに」など一連の“きまりことば”。そして「お笑い街頭録音」「スカタン社員」「当てまショー」でヒットした。テレビが現れると、こんどはまた動きで見せる芸に逆もどり。商才も一流である。
さいきん新鮮さがなくなったという声もあるが「テレビではわいらの持ち味をよう知ってはる作家がおまへん。アチャラカ(注・軽喜劇)では長つづきしよらんし、まじめな中に笑いを盛り込んだドラマやないとあきまへん」と、お得意のしかめっつらでダイマルが語ると、70キロ近いというラケット「兄貴のいう通りや。これからが勝負どころや。気持ちだけは20代やさかい、じみにならんよう気ィつけてゆきます」と腹をたたいた。(引用おしまい)
ダイラケという商品をいかに売るか。この観点を持っていたからこそ、2人はフリーのドサ回りからトップスターになれました。ラジオ、テレビといったメディア対策もしっかり。世間を広くして次の戦略を練る。芸に戦略がついてくるのか、機略が芸の肥やしになるのか。いずれにせよ、ダイラケがとんでもない努力家だったことは、短い記事からもうかがえます。
ダイラケと対照的に、「笑けずり」第4回の講師だった千鳥は甘ちゃんというか、世間が狭いなあ。「間違いないのは、コンビは仲がいい方がいい」なんて、世間知らずの若手にレクチャーしちゃいました。人それぞれでしょ。大漫才師の喜味こいしは「桂吉坊がきく  藝」(ちくま文庫)で、以下のように語っています。
こいし 僕の持論だけど、漫才の場合、あんまりコンビの仲良かったらいかんねん。
吉坊 そういうもんですか。
こいし 舞台では正反対のことだから、ツッコミとボケも。賢いのとアホやから。これが仲良くなったら、どっちがアホかどっちが賢いか分からんようになる。むちゃくちゃに仲良い今の漫才は、なあなあの漫才になってしまうんだね。ある程度反発するのがないと、相方に。(引用おしまい)
漫才に正解なんかあったらつまらない。漫才師に限らず将来ある若い人たちは、情報の取捨選択能力の向上がきっとステップアップの条件になりますよ。昔は千鳥だってド下手クソでした。梅田花月劇場閉館の大事なサヨナラ興行で客席凍りつかせてましたもん。出演者たちは、スタジオのタレント連中による上から目線の不愉快なコメントに惑わされることなく、いっそダイラケ目指して芸を磨いてほしいものです。