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2015/03/05

「マッサン」終了

NHK朝のテレビ小説「マッサン」、終わりました。えっ、まだ続いてる? おじさんの心の中では、とっくに終わっています。ネットで言うところの「マッサン、終了〜!」ってヤツですね。
始まる前に大いなる期待を述べ、始まれば不安を覚えつつも良い部分をほめちぎりましたが、やがて良心の呵責に耐えかね駄作認定大阪編だけで十分つまらなかったのに、北海道に行ったら正味のゴミクズになっちゃいました。何が「カズマさんが好き」だ。ウィスキーが好きって話作れ。
大阪局の前作「ごちそうさん」が、バブル時代の合コンのノリで、実際には辛いはずの混乱の時代をハッピーに冒とくした駄作だとすると、「マッサン」は勉強のできない中学生が書き散らした台本を、疑義を呈することなく忠実に再現した愚作として、「ごちそうさん」を超える朝ドラの汚点金字塔を打ち立てました。下には下があるんですね。堤真一さんが玉山鉄二さんに渡した金で会社起こすって何だよ。サントリー出資でニッカが出来たなんて、絶対やっちゃいかん話でしょ。
海軍指定ウィスキー工場になった主人公の周囲に暗躍する特高警察の影。特高は内務省の管轄ですから、同省と海軍省のあつれきが描かれるのかと思えば、海軍の制服が出てきた途端に尻尾巻きやんの。官僚組織とはそんなヤワなもんじゃないでしょうが。知識がないんだったら、最初っから妙な設定こしらえるな。
今週は、新兵をいきなり「出征」させようとするしね。出征は戦地に出ること。まずは国内で「入営」。部隊で鉄砲の撃ち方や軍規を学ばせます。歴史を調べる基本的姿勢も見受けられません。
万座で解雇する従業員を発表する場面など、嫌悪感を覚えましたよ。思いついた展開さまざまを吟味して削っていく作業を怠って、足し算で場面を作ろうとするから、このザマです。
脚本を書いているのが中学生ですから、酒への興味もありませんしね。ブレンダーが時折ニオイをかげば、ウィスキーができるものだと思い込んでいます。だから酒造の工程が描けない。うまい酒を飲む消費者の気持ちを理解していないし、だからこそ、そこに賭ける酒造業者の根性に対する想像力もないのでしょう。
一言で語れば敬意がないのです。ニッカウ㐄スキー創業者竹鶴政孝、その妻リタ、そして彼らが生きた時代への敬意が皆無なのです。
「人情喜劇」を標榜する本作のもう一つ、いや、どうしようもない脚本最大の欠点は、コメディをなめきっている点です。喜劇をものする覚悟、そこに至る教養やセンスを磨いた形跡がない。
かつて山本嘉次郎という映画監督がいました。黒澤明の師匠筋にあたる人ですが、物知りかつ洒脱で、「活動写真」を「映画」にしようと芸術性を追い求めた銀幕の功労者です。銀座生まれの坊ちゃん育ちですが、育ちが良いせいか、遊びが好きでコメディのセンスにも長けていました。
今日は山本嘉次郎による喜劇論、脚本家論を紹介します。「マッサン」の脚本家は、地に落ちた評価を取り戻すためにも、ぜひ参考にしてもらいたい一文です。1927年1月14日付の東京朝日新聞「脚本家の苦しみ」から引用します。
私は、同じシナリオ・ライタアでも一寸(ちょっと)他の人と、その苦しさが違ふだらうと思はれる。私は他の人と違って、新劇の活劇と喜劇を専門に書いているので、それだけまた人の知らない苦労がある。
根が、監督出なだけに、その上また、なまじっか役者や、技師や、現像場の真似をしただけに、一つのシナリオを書くにしても、ここは役者がやりにくいとか、彼処(かしこ)は技師が困るだらうとか、領分以外の取り越し苦労が起こって途方に暮れることがある。
それに、さうした経験を持った以上、少しでもそれが役に立つやうにと、いたづらに芸術的良心がむちうって、さて、かへって筆がはかどらなくなるのだ。
私が、喜劇と活劇を専門に書くといふのも、かうした経験があるので、もっとも撮影技巧を要し、もっとも映画的な手際を尊ぶ活劇、喜劇を書くのに適していると考えたからだ。
一体、活劇喜劇は、私の考へでは、どちらかといへば筋とか、内容とかいふ本質的な土台になるものより、それを仕生かす、思ひつき(ギャッグ、注・ギャグ)、段取り、組み立てといふやうな、表面的な技巧的なものが、もっと重要にその劇の効果を支配すると思ふ。
その表面的な技巧的なものは、映画の撮影の実際に通暁していないと、なかなか書けるものではない。私が、勇敢にも、さうした難事(恐らくこれは映画製作の上では、監督と一、二を争ふ程の困難さだらう)それにぶつかって行ったのも、前に述べたやうな、なまじいかじり散らした経験があるからだ。
さてそこで、私が仕事をするに当たって、一番苦心することは、筋も立った、場面割も出来た、とお膳立てが整っても、他の社会劇とか悲劇とかいふものは、これで大半は出来上がっているのだが、喜劇活劇になると、これからが大仕事なのだ。
喜劇ならば、一場面毎に笑はせなくてはならない。笑はして行くうちにどんどん筋を運ばして、最後の段取りに持ってゆく。
活劇ならば、活劇らしく、最初から活劇にふさはしい気分を一場面毎に吹き込み、次第にたたみ込んで行って最後のクライマックスにぶつける。
お膳立てが出来たものへ、かうした点せい(注・最後の大事な仕上げ)をしなければならないので、何日も何週間も、ある時は、何ケ月も紙とにらめっこで、笑はせる思ひつきや、格闘の段取りをひねりださうと苦心していることがある。これは正しく生命が縮まる位の苦労だ。一度使った技巧は二度と使へないし、有り来り(ママ)のものでは駄目だし――観客が活劇喜劇から、絶えず生々しい新しい刺激を求めている以上、一本の脚本に少なくとも二、三十の思ひつきを発明しなければならないのだから、実際人間の仕事ぢゃないと思ふ位、疲労困ぱいする時があるのだ。(引用おしまい)
これは昭和の初めに書かれています。しかし、現在に通じる脚本家論だと思えませんか? 山本嘉次郎の洒脱、「マッサン」の脱力。このブログの主題は「過去から学ぶ」なんです。NHK制作局にも過去に学んでほしいと願います。