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2019/12/26

紀元2600年のメリークリスマス

消費増税下のメリクリ

メリークリスマス。みんな、プレゼントはもらえましたか?
大企業の収益があまねく内部留保に回り、10月の実質賃金も下がった旨、厚労省の発表がありました。親御さんサンタの家計も厳しい中、消費税10%で迎えた聖夜。みんなの希望がかなったのかどうか、ちょっと心配です。
来年はもっと大変な年になるかもしれません。自衛隊が中東に出されるようです。国会を通さず閣議決定だけで送り出されるんだって。戦闘に巻き込まれたらえらいこっちゃ。また途中経過の文書がなくなって、責任の所在がどこにあるかはぐらかされちゃいかねません。

内務省の取り締まり

戦争になったら、クリスマスどころではなくなります。私たち日本人は、80年ほど前に苦い体験をしているんです。
今日は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争を契機として、クリスマスの娯楽が醜く変容していった様子を紹介します。
同年7月の盧溝橋事件以来、日本軍の中国侵略の戦線は、大陸の奥深くへ広がります。明治時代にやってきて、すでにどんちゃん騒ぎがつきものになっていたクリスマスに目をつけたのは、最低最悪の官庁だった内務省でした。
当時の朝日新聞によれば、客になりすました警視庁保安課の刑事が東京市下のカフェ、バー、ダンスホールなどに潜入、目に余ると判断すれば片っぱしからパリピ狩りを敢行、少なくない店を営業停止にしました。高級料理店などに卸されていた七面鳥の需要も激減しました。戦争と全体主義礼賛で部数を伸ばしてきた朝日新聞の筆はノリノリで、メディアが押し進める戦前の狂った道徳観がうかがえます。

1940年の三浦瑠麗

時はめぐって1940年。大日本帝国にとっては、紀元2600年を迎えたメモリアルイヤーですが、それに合わせたはずの東京万博は中止。夏季東京五輪も、冬季札幌五輪もなくなりました。日中戦争は完全に泥沼化していて、さらに日独伊三国同盟なんか結んだせいで、米国は鉄鋼・クズ鉄の対日輸出を禁止しました。
ここに至ると、七面鳥は需要減に関係なく、飼料不足で絶対数が足りなくなっており、統制経済下、クリスマス直前に政府が値上げを抑えるために公定価格を発表する有様でした。
社会が八方塞がりになれば、外国人やその文化たたきが行われるのは、古今を問わない日本メディアのお家芸です。週刊ポスト風に言えば「クリスマスなんて要らない」とばかりに、キリスト生誕祭への攻撃が強まります。世論を喚起せんと、新聞の読者投稿欄でも、ステロタイプの‘インテリ読者’が健筆を奮いました。1940年12月17日付の朝日新聞夕刊「鉄箒」から引用します。
今年も亦(また)クリスマスが近づいた。キリスト信者は無論のこと、キリストとは何の関り(ママ)もない都会のインテリ家庭や、カフェ、レストランさへ、わざわざクリスマス・ツリーを立てたりして、お祝をしようとするであらう。キリスト教徒が祝ふのは何の不思議もないが、降誕祭が何かさへ知るところなき徒輩までが祝ふのを見て、常ににがにがしさを感ずる。
◇これは明治の中葉、ミッション・スクールがまだ欧米家庭文化の輸入港であった時代、そこの卒業生や生徒逹が一つにはキリスト教の宣伝のため、一つには先進文化人としての誇りを示すために、祝って見せたのを見て、一般のインテリ夫人までがそれをしないと何か文化人で無くなるやうな、愚かな勘違ひと虚栄から争って模倣したためである。
◇或(あるい)は『サンタクロースが来るといへば子供が喜ぶから祝ふのだ』といふかもしれない。だが、煉瓦で築いた煙突を持つファイア・ブレースが冬中の一家団欒(いっかだんらん)の中心となる西洋の家庭においてこそ、あの童話は、生活に深く根ざした信仰に裏附けられて始めて(ママ)美しい詩となるのだ。それは雛祭(ひなまつり)や端午の節句が日本人にとって歴史的民族的裏附けを持つ美しい生活詩であるのと同じである。
◇この2600年を契機とし、この非常時局に省みて、このやうな愚かな西洋模倣は断然止めてもらひたい。(引用おしまい)
この投書を簡単に分析してみましょう。前半で自分はクリスマス輸入の歴史に通じた知識人である旨を開示して、新聞読者の信用を得ようとしていますね。クリスマスに夢中になる人間は俗化された、虚栄心にまみれたエスタブリッシュメントであり、家屋の造りからしてサンタクロースを迎えるに適さない日本にクリスマスはふさわしくなく、民族的裏付けのない模倣は日本精神にふさわしくない、というわけです。
ハナから何かをぶち上げるんだけれどソースが不詳不明、続く俗物批判、エスタブリッシュメントを撃つように見せて、実は権威・権力に追従している。
これ、何かに似ていませんか? 近年よくテレビに出てくる学者の三浦瑠麗さんの論法と同じじゃありませんか。税金の私物化が問題である「桜を見る会」への批判を「庶民の嫉妬」に矮小化したり(Twitter)、「1940年以前の日本は民主主義だった」(東京新聞)とすっとん狂な歴史修正主義を披歴したりする、あの‘官製広報装置’三浦瑠麗さんですよ。ワンパターンに過ぎて最近では、すぐに手口を読まれるポンコツ広報装置になってますけど。
1940年の世論形成の主体は新聞でした。現在のそれはテレビジョン。官製広報装置が暗躍するテレビです。来年も平和な世の中で、多少のバカ騒ぎをしたところで官憲がしゃしゃり出てくることもない、楽しいクリスマスを迎えたいものです。そのためには、みんなも審美眼を磨かなくちゃいけないってのは、面倒くさいんだけど大事なことなんですね。