コピー禁止

2019/09/26

Aマッソが知らない炎上の過度、内海桂子が知る演芸の「ほど」

エディ・マーフィーのアンチ差別コント

映画スターのエディ・マーフィーが、まだテレビコメディアンだった1980年代前半に出演していた人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)で、白人の‘Mr.White’に化けて(アフリカ系だと丸バレだけど)、ニューヨークの街を歩きまわり白人の反応を見るというコントがありました。
これは、白人が黒人など有色人種の格好をする「ミンストレルショー」(最近でもジャスティン・トルドー・カナダ首相が昔やった写真が流出し本人は謝罪)をはじめとする人種差別へのカウンターであって、その深い意味を感じるに、チビだデブだブスだ、といった個々人が持って生まれた特徴を笑いものにする日本のテレビとの文化格差を痛感したものでした。
それから30年近くが経って、Aマッソというお笑いコンビが、黒人の血が入ったプロテニスの大坂なおみ選手のことを「漂白剤が必要」だとバカにして炎上したと報道されました。やっぱり、やったか。
本ブログでは3年前、Aマッソに対して「現状の世間知らずのままではダメだ。インターネット時代にあって社会性のない芸人は芸以外の発言が命取りになるぞ」と、一般論を含めて言及しました(「若手芸人よ、『笑けずり』を捨てよ町へ出よう」参照)。残念ながら的中しました。
炎上後の所属事務所ワタナベエンターテインメントの対応も悪手です。ウェブサイトで何かについて謝っているのですが、何をやらかして、だれを傷つけて、どうしたいのか等々がまるで提示されていないので、何を伝えたいのかわかりません。ビジネス文書の基本である5W1Hが存在しないので謝罪文になっていないのです。文意不明。当事者の芸人による反省文も意図不明です。こんなんで公人として芸能活動続けられると思ってんでしょうか? 3年経っても、大事な社会性は備わらなかったんですかね。過度の炎上物件なんですけど。
ナベプロの大先輩いかりや長介が、草葉の陰で「ダメだこりゃ」と嘆いてますよ。

Aマッソの「イキる中二病」

このコンビの漫才の特徴は、全力でのイキリだと思います。不条理な言葉を言ってみる、有名人の悪口を叫んでみる。ウチらリスキーやろ。予想不能や。いちびってんねん。おもろいやろ、とアピールする。こういう人たちをネットスラングで中二病と呼びます。
近ごろは師匠に付いて芸を学ぶことが少なくなって、個性とセンスで勝負する芸人さんが増えました。促成栽培で独自の世界観を披露する漫才師が輩出するのは、とってもいいことですが、社会常識を身につける前にドカンと、またはAマッソのように中途半端に売れてしまってトラブルを起こし炎上するケースもあります。3年前の本ブログで危ぐしたポイントです。我を忘れるほど、自分が見えなくなるほどイキるな。
昔から寄席や演芸場の楽屋や目の肥えた客席では、「ほどがある芸」という言葉が交わされてきました。何事もやり過ぎないことです。まもなく100歳を迎えようという年齢でありながら現在も舞台に上がり続ける漫才師内海桂子さんは、数多くの先輩芸人から教えを受けてきたのでしょうが、その中の1人に戦前戦後のお笑いスーパースター、三味線漫談の柳家三亀松がいます。桂子さんは東京・新橋での初共演で「ほど」を教わったそうです。1985年9月18日付の朝日新聞夕刊への寄稿「新友旧友」から引用します。
(前略)当時、三亀松師匠は吉本興業のドル箱といわれ、一枚看板で全国知らぬ者はなく、飛ぶ鳥落とすとは、まさにあのことでしょう。
まだレコードが珍しい時代に「新婚箱根の一夜」の中のせりふ「ネェ、あなた、もう寝ましょうよ」が大流行しておりました。
バックは大川端。常夜灯が1基、枝垂れ柳が舞台の七三に、一本花道のかかりに黒板べいに天水おけ。
白革の鼻緒の突っかけばきで三味線片手に舞台から出ると大向こうから「待ってました大統領!!」。
大きな目玉をぐるっとひとわたり寄席へ。そして「やってもいいかしら」。
まるめて投げ込む 紙くずかごは ぐちや未練の捨てどころ
と都々逸
新内が売り物なのにあまり手数を入れず、前弾きぐらいで「蘭蝶」(引用者注・新内の曲)あり、間にヒグラシの声あり、当時流行の「支那の夜」などやっているうちに「ラ・クンパルシータ」を三味線1丁で弾きながら、三味をパートナーに踊りながら楽屋に入っていく、まったくもって見事なものでした。
(中略)後年、師匠に「どうしてもっと三味線を弾かないんですか」って聞きました。
「バカだなあ。三味を入れ過ぎれば野暮(やぼ)で、色っぽくなくなるぜ」といわれて、赤面したものでした。その時の話で、「三味線を荷物にするな。ネタの道具に使え」と弟子でもない私にありがたいお説教をいただきました。
いま、それが私たちの漫才の大きな力になっておりますのにお線香の1本もあげに行かない不届き者をお許し下さい。エエ、そんな色っぽくもないのいらねえ、そうですね、師匠。
閻魔(えんま)の在所に一升提げて 卒塔婆小町があいにいく 桂子(引用おしまい)
読んでいて気持ちが良くなる快文。江戸っ子のキップのよさとは、こんな文章なんでしょう。これも芸です。

「ほど」を知る 「ほど」が知れる

Aマッソの周りには、内海桂子さんみたいに「ほど」を教えてくれる先輩はいないんでしょうか? ことは彼女たちのみならず若手芸人みんなにかかわる問題なんですけどね。SNLでのエディ・マーフィーのコントに、すっからかんのアタマでアホみたいに笑って終わるのか、同業者の目で深意をかぎ取って感嘆できるか、我が芸能に活かせるか。
「ほど」を知るか知らぬかを見て、お客は芸人の「ほど」を探ります。