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2018/04/17

国会議員罵倒自衛官と五・一五事件

防衛省の統合幕僚監部所属の3佐が、民進党の小西洋之参院議員に面と向かって「お前は国民の敵だ」などの罵倒を繰り返したと報道されています。これが本当なら辞めていただきましょう、自衛官。
昨今の森友・加計問題での民進党の追及能力のなさ、ふがいなさ、存在感のなさ等々が相変わらずのていたらくだとはいえ、実力組織である自衛隊のエリート幹部が自分と異なる意見を許容できず、国民に選ばれた人物を攻撃することほど恐ろしいことはありません。辞めて下さい。関連団体や防衛産業への再就職あっせんも無しね。防衛省とは一切関係のないところで新しい人生をスタートさせて下さい。
そのぐらいやってくれないと、国民は不安で仕方がありません。なまじ甘い処分に終われば、ああ、この程度で済むんなら俺もやろうっと、なんて考えるバカが続くでしょう。それがエスカレートしたのが、戦前の五・一五事件であり、二・二六事件でした。
五・一五事件は1932年、海軍の青年将校たちが内閣総理大臣・犬養毅を射殺したテロです。自分たちと考えの異なる人間を抹殺したわけです。裁判所の判決が甘々だったため、4年後の政府転覆クーデター二・二六事件につながりました。首謀者たちは五・一五の結果から自らの量刑が軽くなると思い込んで行動に及んだことが証言から分かっています。日報問題一つ取っても、ガタガタにタガが外れている防衛省から、跳ね返りの鉄砲玉がぼろぼろ飛び出す可能性は十分にあると、国民は疑っています。
現在の政府の説明では、南スーダンの日報隠蔽は防衛相をはじめとする内閣に無断で役人の独断でやらかしたことになっています。集団的自衛権についても、政治家を飛び越えて日米の制服組が先に事を進めた件が取りざたされていました。文民統制が効かない実力組織ほど、国民の生命と安全を脅かす存在は他にありません
自衛隊の活躍を、この目で見て感動を覚えた経験があります。阪神大震災の時でした。あちこちでぺしゃんこに潰れた建物をとめどない余震が揺さぶる神戸の修羅場で、全壊家屋の要所を手際よくロープで固定すると、きしみ音など聞こえないかのように躊躇なく中へ向かう隊員たち。やがて遺体を抱えて出てくると、悲しみに暮れる家族に対面させるまでの終始きりっとした姿に、国民を守る仕事とはこうしたものなんだ、と感じ入ったものでした。
現在、非戦闘地域ではないらしい“被戦闘地域”への派遣やら北朝鮮問題やらで、ドンパチ準備組織としての側面ばかりが強調される自衛隊ですが、発足以来数々の災害救援で数多くの国民に感謝され、尊敬される存在でもあります。
1959年9月、日本列島に上陸した伊勢湾台風は約4千700人の死者、400人の行方不明者を出す大災害となりました。出動した自衛隊の活躍を1959年10月6日付の読売新聞夕刊「よみうり寸評」が伝えています。同記事から引用します。
(前略)あれだけの装備と、しかも訓練と規律を持つ労働力はほかには求められない。〝急迫不正〟はいわゆる侵略だけではない。いや“アテのない”侵略より、台風の方がはるかに現実的で定期的な侵略だ。国会で「自衛隊の救援活動が遅い」と非難されたが、これは自衛隊にとってアルバイトでなくレッキとした本業だ。◆現地からの報告によると自衛隊員は実によく働いている。救援物資を積んで町から村へ孤立した人々に配って歩くと、早朝から深夜までかかる。軍衣はドロと死臭と潮でベトベトだが、それを洗うのは夜中の1時過ぎだ。そんな生活をもう10日以上も続けている。救援の遅さに悲憤する被災者もこういう自衛隊員にはご苦労さんと声をかけるだろう◆自衛隊員にとって「愛国心」は大きな課題だろうが、こういう生きた行動が答(ママ)だ。石橋(湛山)首相のころ自衛隊を本格的な国土建設部隊にするという構想があった。お茶をひいている芸者より、現実に仕事をする女中さんの方が尊敬されることもちろんだ。(引用おしまい)
石橋湛山時代に議論された「国土建設部隊」こそ、国民に寄り添う実力行政組織として理想のあり方ではないでしょうか。敵基地攻撃能力を備えた戦闘機で、国境を越えて朝鮮人を殺しに行くための納税など、だれもしたくありませんからね。国民から愛される自衛隊とは災害救援、そして専守防衛に徹して国民の生命と安全を守ってくれる頼もしい存在であってほしいものです。
自衛隊に救われた市民の声も紹介しておきましょう。1963年に北陸地方を中心とした日本海沿岸地域は、驚異的な大雪害に襲われました。昭和38年だったことから、一般に「三八豪雪」と呼ばれています。
この際にも自衛隊は大勢の人員を被災地に送り込み、補給やインフラ再開に尽力しました。1963年2月16日付の読売新聞読者投稿欄「気流」に掲載された新潟県加茂市の男性の一文「自衛隊員に感謝する雪害地」より引用します。
(前略)私の県では新聞社、放送局を通じ義援金を募集しておりその金で隊員に暖かい毛布や下着を供与しております。またあるメーカーは隊員の皆さんにとテレビ10台を贈ってくれ、また細かいことですが、新潟市のあるまんじゅう屋さんがまんじゅう4千個を隊員の方にと寄贈したり、三条市では理容院や洗たく屋さんが無料奉仕を申し出るなど、その他かぎりなく自衛隊との間に美談が生まれております。
▽私の町では「自衛隊の皆さんご苦労さまです」という紙の小旗がいたるところで見られ、隊員の除雪するところは町内各家1人ずつ出て一致協力して働いております。同じ苦労を共にし、同じ銭湯で湯にひたっていると、隊員と町民というよりか、人間対人間としての心の交流を感じております。(引用おしまい)
いい話じゃありませんか。同じような感情を持った人たちは、近年の東北にも、ちょうど2年前の熊本にもたくさんいるはずです。現場の自衛官らが築いてきた信頼を、本省のお偉いさんたちが無に帰そうとしているんですよ。それどころか、“青年将校”が意に沿わぬ国会議員を罵倒恫喝して、組織の戦前回帰か、五・一五事件が起きるか、と国民を不安に陥れているのが現在の防衛省。
罵倒3佐を辞めさせましょう。愛される自衛隊復権への第一歩です。