コピー禁止

2017/08/15

自衛隊日報問題にインパール作戦を見る

稲田朋美と有働由美子のまつ毛の差

稲田朋美前防衛大臣のつけまつ毛(まつエク)が、ちょっと前に週刊誌で話題になっていました。あのミニーマウスもどき、またはファンタジーRPGのコスプレみたいな浮世離れ極まりないマンガじみた、あのまつエクですね。日々お化粧に努める関西のおばちゃんに感想を求めると、興味深い意見が聞かれました。
「あれ、自分をどう見せるか、どう見られるかを分かってはらへん人のメイクやわ」
国会でも防衛省の離任式でも、あそこまで露骨なフェイクまつ毛を装着するのは、TPOに反する、女性からすれば笑い者になる、グッドルッキングな女性像のデフォルメにしか見えないそうです。
なるほどね。どう見られるかの観点がないから、解任同然の“追い出し会”に儀仗兵を整列させたり、「風通しの良い組織文化を醸成しろ」「がんばりましょう」なんて言えるんだ。
関西レディに言わせると、まつエクで自分をいかに見せるかの気配り代表はNHKの有働由美子アナウンサーなんだとか。つけまつ毛も真贋ギリギリの長さを選んでいるから生本番中のエクステ脱落事件が起きるまでは、あのアイラッシュを地毛だと信じ込まされていたおばちゃんたちも少くなかったんですと。放送局で重宝されるだけあって、お化粧にも頭を使っているんですね。

引くも地獄、進むも地獄

稲田議員の後任の大臣は小野寺五典氏です。森友・加計問題で揺れる閉会中審査での安倍晋三首相へのヌル過ぎる質問とコメツキバッタのような態度から推し量るに、この人の就任もかなり心配。敗戦の日を迎えたせいか、東条英機にべったり追従し続けた戦時中の無能海軍大臣・嶋田繁太郎がカブリます。
自衛隊の日報問題が焦点の閉会中審査にも「もう辞めた人だから」稲田さんの出席を拒否したんですよね。それを参考にしたのか、茨城県取手市では、自殺した中学生の両親宅に謝罪に来た市教育委員会の当時の担当者は母親の質問に答えませんでした。テレビカメラには「担当者が代わったから」と言い訳していました。
これは立派な小野寺論法。市教委を指導した文科省だって、多くの専門家が疑問を唱える加計学園の獣医学部認可問題を納得づくの理由なく先送りです。行政官の上から下までことごとくが納税者・主権者への説明責任という言葉を知らない国ってどうよ?
小野寺大臣のノン稲田の閉会中審査判断は、転げ落ちる内閣支持率の主な原因である「安倍さんの人柄が信用できない」を助長するだけだと思えますが、ひょっとして内閣つぶそうとしてるんでしょうか。どう見られているのかを意識できない病がここでも。まあ、現時点での稲田国会登場は、引くも地獄・進むも地獄のインパール作戦再来だとは思いますが。

南スーダンとインパール

インパール作戦は、日本軍の戦いがにっちもさっちも行かなくなっていた1944年、陸軍がインドのインパール攻略を目指して敢行した大愚策です。特に兵站を無視したため、増援・弾薬・食糧すべての補給が滞り、戦死者・餓死者が続出。3万人余が犬死にした世界戦史に残る負け戦でした。
立案したのは第15軍司令官牟田口廉也。戦後もウソにまみれた言い訳ばっかりしていたボンクラ中将として記憶されています。戦いに負けた後ですら自分をどう見せるかが理解できなかった男ですね。作戦中止が決まって以降も、「強靭なる我が補給」などと新聞発表をやって現場の将兵の実情をごまかしていたところが、こたびの自衛隊日報問題と重なります。
日報には南スーダンでの戦闘が記録されているのに、組織のトップは「衝突」だと国民を言いくるめ続けたわけです。隊員たちの立場では、さぞ無責任な大将に思えたことでしょう。稲田さんが牟田口廉也に見えても仕方がありません。閉会中審査の場で「日報問題の報告は受けていない。こちらから聞いてもいない」と放言した安倍さんには、牟田口を甘やかして死体の山を築いた南方軍総司令官の寺内寿一が重なったかもしれません。彼は寺内正毅元首相の息子で、陸軍士官学校を劣等の成績で卒業しながら大将に上り詰め、作戦の失敗を繰り返しながら赴任地ではお友達と豪遊を欠かさなかった、親の七光りのみでキャリアを築いたスカタン野郎です。寺内の話ですよ。安倍さんのことではありませんからね、念のため。
15日のNHKスペシャル戦後特集(17時30分、総合テレビ)は、そのインパール作戦が主題。愚将どもの言い訳録音が放送されるそうです。2017年の夏に生きる私たちは、その言を今の権力者たちにかぶらせて視聴することが肝要でしょう。大笑いできるか、背筋が寒くなるのか。NHKでは久しぶりに放送前から待ちきれない番組です。おっと、有働アナの「あさイチ」も楽しみに視聴していますよ。

自覚なき文民統制

戦前の軍部暴走に懲りた日本では、政治家が実力組織である自衛隊の制服組を統率する決まりになっています。文民統制(シビリアンコントロール)といいます。だから、政治家が自衛隊制服組寄りになってはいけないんです。
ところが、稲田さんは軍服(自衛隊は軍ではないので厳密には「作業服」)着てニコニコしながら戦車に乗ってました。安倍さんも同様の服装で戦闘機のコクピットに座った写真が全世界に配信されましたね。シビリアンコントロールの前提があって、文民が制服を着用するのは、自民党の女性議員や売れっ子芸人の不倫騒動で流行っている言葉で言えば、一線を越えた行為です。日本の安全保障の親方である米国でも以前、イラク戦争終結宣言時のブッシュ大統領の軍服姿が物議をかもしました。やってはいけないことをするのは、国民の目に配慮できない愚者の行いですよ。自分がどう見られるかを意識しない人に文民統制はできない。
実際、一昨年には背広の文民の権限を制服の統幕に大幅移譲する改正防衛省設置法が安倍内閣下で成立しちゃいました。文民政治家が軍政復活の可能性がある施策を行う意味が理解できません。従うべき政治家が無責任なボンクラだと思われた結果が二・二六事件であり五・一五事件でした。さらには軍部の暴走が招いた太平洋戦争が多数の民間人を焼き殺し、満州・中国移民も様々な形で大陸から追われ、惨死するに至っています。
彼らがどう見られているのか自覚させるためには、私たちも言うことしっかり言わなきゃいけません。日本中にこんな人たちがあふれているってことをね。

海軍の軍令部と開戦

日本が中国侵略に始まって太平洋戦争〜ポツダム宣言に至った地獄の道程の重要な分かれ道は1933年にあります。満州事変で暴走した陸軍には、参謀本部という強い権限を持つ戦争をするために運営される組織がありました。同様のシステムが海軍にも誕生したのがこの年です。海軍軍令部の権限が拡大、自分の頭で戦争を推進する機関と化したのです。
陸海全軍の行政組織から統帥組織への変更の完成。陸軍が戦争をしたくても海軍が協力を断れば戦えなかったバランスが崩れ去り、軍人指導国家が生まれた記憶すべき年でした。
同年8月23日付の東京朝日新聞夕刊の「軍令部条例改正」より引用します。
21日の非公式軍事参議官会議において原則的決定を見た海軍軍令部条例改正案については法文の整備を待って数日中に大角(岑生)海相より上奏御裁可を仰ぎ施行されることゝなったが右改正の最高指標は憲法11条の統帥大権と12条の編成大権の関連性につき従来兎角(とかく)の疑義を生じた事項に関して明細的的確なる解釈を下したものであって要するに海軍軍令部の組織並(ならび)に権能を参謀本部と対等のものに改めたもので主要点は左の如くである。
一、兵力量の決定に関しては用兵作戦の中枢機関である軍令部長が発意し(イニシアチーヴを取る)これを海軍大臣に移牒(いちょう・文書で通知すること)して国策遂行の基礎とすることを明瞭に規定した、従来の軍令部条例においては第3条に単に「海軍軍令部長は国防用兵に関することを参画し」とあるだけで編成大権たる兵力量決定に関しては明瞭な規定がないので用兵作戦の見地に基く(ママ)兵力量決定決定の発意を軍令部長の権限としたものである。
一、要するに改正の眼目は軍令部の用兵作戦の中枢機関としての独立性を一層明確にしその機能は参謀本部と相対立するものたらしめたものであり、この目的より「海軍軍令部」の名称を変更し「軍令本部」といふが如くこれを改めることゝなった。これと同時に軍令部の内部的機構組織にも相当広範囲の変更が加へられることゝなった。
しかして右軍令部条例の改正に伴ひ戦時は大本営条例、海軍省部互渉規定、業務分担規定等に対しても関連的に一斉的改正が加へられ従来兎角解釈上の疑義を帯びてゐた事項を一目瞭然に諒解し得るやうになった。(引用おしまい)
システムがいざ暴走してしまえば万事後の祭りとなることを、72年前に私たちは身にしみて学んだはずです。でも、このところ学ぶべき歴史から学べない本末転倒の話が続いていますよね。
東京オリンピックをまたやるから財政を無視してカネを湯水のごとく使うので国民は協力しろ、とりあえず依存症対策もやるがカジノは絶対に造る、外国人観光客が来るからザル規制の民泊をじゃんじゃん作っても構わない、復興大臣が辞めたから政府の自主避難者対策の基本姿勢の是非はチャラになる……。稲田前大臣逃亡の一件は、自衛隊問題だけにとどまりません。
気がつけば、日本人全員が国際社会からどう見られているのか配慮できない、自覚できない愚かな国民に成り下がるのを防ぐためにも、8月15日は稲田問題を真剣に考える日にしたいですね。