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2018/03/05

あなたも石牟礼道子になろう

新利根川から水俣へ

茨城・千葉県境の鹿島灘に注ぐ利根川は徳川家康入府の時代、東京湾に流れ込んでいました。
徳川幕府は水害から首府を守るため、利根川を現在の流路にする大工事を敢行。突然お上が川を連れて来たせいで先祖伝来の土地が水浸しになったり、村を追われたりした新流域の領民たちの一部が反抗、打ち首になったといいます。新利根川騒動と呼ばれています。
国家権力が自分たちの都合で民を踏みつけにする構図は、主権在民のはずの戦後日本でもさして変わりませんでした。化学工業会社チッソの企業城下町だった熊本県水俣市の人たちは、城主・チッソが有機水銀入りの未処理廃液を垂れ流し続けた故郷の海から採れた魚介を食べたことで深刻な病害に侵されました。教科書にも載っている水俣病ですね。
国の反応と対応は鈍いものでした。東京をはじめとする大都市圏には関係ないとばかりに、患者たちの窮状への関心も広がることなし。厚生省は、患者側と企業・県とのあっせん役だったにもかかわらず露骨に加害側に寄り立った裁定を行うなど、公僕にあらざる振る舞い。心ある現役官僚の中には省の玄関前で我が所属官庁非難のビラを配った人たちさえいたそうですから、いかにひどかったか想像にかたくありません。封建時代とおんなじ状況です。そんな時、水俣病問題を国民に文学として突きつけ、空気を激変させたのは地元の主婦作家、先月亡くなった石牟礼道子の「苦海浄土」です。
久しぶりに読み直しました。他人に読ませるために書いた文章じゃありません。ためにする文学ではなく刻み込まずにはいられないセンテンスが名文となり、地域の愛憎と、ヒトがただの動物ではない“人間”である根拠、つまりは個人と社会の尊厳が描かれた大傑作。本物の表現者は、ためにするのではなく自身に向かって芸術を為す。その典型でしょう。熊本出身の厚生大臣・園田直が現地を訪れた時、けいれん発作を起こした患者が「てんのうへいかばんざい」と絶叫し、調子はずれの君が代を歌い出す場面には、水俣の人たちにとっての主権在民なる言葉のむなしさに涙がこぼれました。
吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」がベストセラーになっていますが、若いみんなには「苦海浄土」もぜひ併せて読んでもらいたいものです。副題の「わが水俣病」は、今なお「私たちのミナマタビョウ」でもあるのだから。

裁量労働制と水俣病

「働き方改革」という耳ざわりの良い看板を付けて提出された法案が、国会で審議されています。裁量労働制は実際の労働時間に関係なく残業代を打ち切る、という乱暴な物で、高収入の専門職に同様の賃金カットを適用する高度プロフェッショナル制度も問題視されています。適用の収入基準なんて、いったん決めちゃえばその後にどうにでもなる危険なやり方ですよ。気がつけば年収200万円でも“高度プロフェッショナル”に認定されるかもしれない。逆進性の強い消費税が、はじめは3%だったのにもうすぐ10%になるのと同様。不平等・不均等な法律ほど危ないものはありません。
この法案の根拠となる厚生労働省のデータがデタラメだったことが分かりました。厚労省は、水俣病問題最盛期の厚生省です。原子力安全委員会が規制委員会と名を改めても中身に変わりがないように、厚労省も十年一日、いや五十年一日の行政にまい進しているわけです。
水俣病問題での厚生省の腰の引け方の根本は、重化学工業最重視で走り続けてきた戦後日本の経済体制維持にありました。国家がチッソの罪をやすやすと認めれば、新生経済大国“国体”の背骨が揺らぎかねません。厚生省は政界・財界の方を向いて働かざるを得なかったのでした。
今回のデータ問題で厚労省は、だれのために、どっちの方向を向いているのでしょう。若いみんなも興味を持って考えていかなければいけません。お父さんに過労死してほしくなければ、せっかく就職したあなたが疲れ切って自殺するようなはめになりたくなければね。日本や世界のできごとを自分自身のこととして考える、石牟礼道子の目を持つことが大切だと思うのです。

政財第一のチクロ問題

もうすぐホワイトデーですね。自分がこどものころにはそんな風習・流行はなかったけれど、甘いものはやはり大好きでしたよ。ところが、我らがジェネレーションは毒物入りの菓子を大量に食わされていました。チョコレート、キャラメル、ジュースなどなど、口にするおよそありとあらゆる嗜好食物に「チクロ」という人工甘味料が入っていました。
チクロはサッカリンと並んで、敗戦から立ち直っていく我が国のこどもたちの口を潤した化学のチカラが生んだ夢の物質。サトウキビやビーツのように農作物から育てる手間もなく、安価に大量生産ができます。生産企業はウハウハ。しかし、世の中そんなに甘くはありませんでした。
1969年、米国でチクロに発がん性や奇形児が産まれる危険性があると発表されました。欧州やアジア各国はこれを受けて、次々とチクロ使用の禁止を決めます、ある国を除いては。
1969年10月24日付の読売新聞「チクロの生産・販売中止 厚生省やっと要請」より引用します。
人口甘味料チクロの有毒性が問題になっているが、厚生省は23日午後、わが国でチクロを製造、販売している製薬メーカー8社(吉富製薬、第一製薬、昭和化工、三共化成、新日本理化工業、東洋化学薬品、武田薬品、田辺製薬)の代表者を呼び「チクロの自主的製造、販売中止」を要請した。これに対し、各社は「会社に帰ってから正式に態度を決める」と回答、すでに21日ごろから自主的に中止している会社を含め8社ともとりあえず同日の生産、販売を中止した。きょう24日、今後の方針を決めるが、各社とも全面生産中止を決定する。わが国のチクロ製造は、この8社で製造量は月産940トン、市場のほとんどを占めている。同省は、先にチクロの製造、販売禁止に踏み切ったアメリカの資料を早急に取り寄せ、これをもとに、来週早々にも食品衛生調査会、中央薬事審議会にはかり、チクロ対策の国の方針を決める予定だったが、その結論は待てない、として、暫定的に製造、販売の中止を求めたもの。現在出回っている“チクロ食品”も、メーカーの自主的回収を求める一方、近く審議会でも正式結論を出す方針である。(引用おしまい)
我が日本国の保健衛生を司る最高機関、厚生省はダラダラと使用中止を引き伸ばし、「業界の自主性による」製造・販売の中止を要請しました。国民の健康を第一と考えるならば、その行政権を存分に振るってメーカーに即刻中止を伝えれば済む話です。しかし、前例踏襲が習いの役所、かつ日本経済に混乱をきたさぬための逡巡が判断の遅れを呼びました。
米国の発表以後、世界の砂糖相場は上昇の一途でした。ここで日本政府までが業界に中止を勧告すれば経済が混乱します。霞が関の1官庁が、国民の生命より大切な政財界にご迷惑をかけるわけにはいきません。省のメンツを保ち、官僚の立場を守るには、業界の“自主判断”が不可欠でした。今回、引用はしませんが、当時の新聞紙面からは、お役所の“深慮遠謀”が伝わってきます。
果たして「働き方改革」とやらは、弱い立場にある主権者を守るための方策なのか、公僕たる厚労省は私たちの生活向上を願ってデータを作成したのか。裁量性を引っ込めて悔しがる内閣、歯噛みする財界代表の姿を新聞やテレビで見聞きする限り、私たちはお上の草履に足蹴にされて、新しい苦海浄土へ歩かされているような気がします。それとも、お江戸の幕府の狭苦しい了見でやって来た利根川のせいで首を打たれた封建時代の領民なのか。
ニュース報道や周りの出来事を我が事として考えて、それを語る。石牟礼道子の目を持ちませんか、私たち一人ひとりが幸せであるために。
あなたも石牟礼道子になろう。