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2017/12/04

M-1グランプリと藤山寛美の芸

たった1世代の漫才断絶

先日、BS朝日の演芸番組に元漫画トリオの青芝フックさんが出演していました。漫画トリオは1960年代に文字通り一世を風靡(ふうび)した漫才ユニットです。青芝さん、お元気そうで何より。この番組でちょっとした放送事故がありました。
司会者に青芝さんの名前を振られた若手漫才コンビが、それがだれだか瞬時に理解できずにきょとんとしてたんです。お前ら、青芝さんの元相方の甥っ子いうのんがウリ違うかったんかい!? 同席していたザ・ぼんちが思わず助け舟を出しました。おさむちゃん、ナイスフォロー。
人を笑わせる芸には、芸としての歴史があります。歴史がないがしろにされている状況下、テレビ出演のために寄せ集められたそんな若手たちが易々として電波で漫才を披露する。唐突に筋と関係ない素っ頓狂な単語やリアクションを奇声とともに次々と並べ、散漫で安易な笑いをその場しのぎに取りにいくのがおもろい思てたら、とんだ勘違いやぞ。逸脱はあってもいいけど、筋の限界を超えない節度が保持されたその上に、演者の妙芸が伴っての漫才やんか。
歴史好き、お笑いファンとして看過できません。その点に主眼を置いて、2017年のM-1グランプリ(朝日放送制作)を視聴しました。

とろサーモンは正統派

とろサーモン、優勝おめでとう。
面白い漫才づくりはネタと話芸を高めるのが王道であって、キャラが立つかどうかは二の次だと普段から考えていますが、とろサーモンに関しては、素で人間のクズだと長い時間をかけて世間に認知されてきた久保田和靖さんの正味のクズっぷりがうまく表されたキャラが生きました。相方が食うために受けるナレーションの仕事を辞めさせようとしたねたみ深さは有名です。M-1用に突貫工事でこしらえた、オードリー春日の二番煎じで〜す的なコンビとは、キャラクターの腐れっぷりの安定感が違います。クズに歴史ありです。
ツッコミの村田秀亮さんも抑揚の付け方が上手でしたねえ。抜群の受けで相方のクズ加減を引き出すことに成功。声がいいからとナレもできる重宝な芸人扱いからついに卒業おめでとう。これで関西のみならず全国でも、100%漫才師として肩で風切って歩けます。
本命視されてきた和牛は残念でした。全国的には無名だったころから、このブログでは毎年毎年イチオシでしたが、2本目のネタ選びからして今年は優勝する気、あれへんかったやろ? 2人がやりたいネタをやったんですね。伝説のネタ「鳥人」の後に下ネタを投げ込んで優勝を放棄した笑い飯を思い出しました。
とはいえ、マイクを離れてギャグに走った昨年よりは、ずっと良かった。今年は転売屋が買い占めた単独ライブの切符が、チケットサイトに法外な価格で並んだせいで、初めて行けなかったから心配していたけれど、人気者になってキャーキャー言われながらもサボっていない和牛にひと安心です。
この2組は、ストーリーを守り、そこに磨いた芸をかぶせる一線を守っています。安易にギャグに走って流れを壊すことなく、一方でボケ=アホ、ツッコミ=かしこ、という古い差別の図式にもとらわれていない。自分たちの生活圏以外にも興味を示し、題材を求める。歴史を積み重ねた芸人たちの型を覚え込んだ上に、自分たちの革新を加えた形です。お笑い芸人に限らず、世間で職人の世界に生きる人たちは、仕事の歴史を頭に刻んで日々研さんしているのでしょう。

藤山寛美と松竹新喜劇

若いみんなは知らないかもしれないけれど、客を笑わせて泣かせた松竹新喜劇といえば、お笑い好きが最初に思い浮かべるのは藤山寛美という名人でした。藤山や松竹の役者たちの先人たちの芸や姿勢への敬意、そしてそこから先への革新の努力が記された、1969年1月14日付の朝日新聞夕刊「伝承⑧」から引用します。
「歩き方、しゃべり方、ぼけ方……、ところどころに十吾(曾我廼家)先生やおやじ(渋谷天外)、花柳(章太郎)先生のくせがはいっている、いわれますねん」と話すのは新喜劇の藤山寛美である。
「役者はえらい先輩の演技を盗むものです。とってとってとりまくって、自分のものにしたらよい。そのうち自分のものが出てくると思うてます」。喜劇に型はない。ただ先輩の舞台だけが手本である。若い人たちに教えているのは、盗め、盗め。
もともと松竹新喜劇は曾我廼家劇の、さらにそれ以前は、にわかの系譜をひいている。にわかは、笑わせるだけの即興喜劇。笑いに新派的な涙をプラスしたのが明治37年2月、大阪・浪花座で旗あげした曾我廼家劇である。
「いたずらに、バナナの皮を置いといた男が、うっかりして自分がバナナの皮を踏んでころんでしまう。これはファルス(笑劇)ですわな。もうひとつひねって、せっかく、だれかすべるやろか思うて待ってるのに、だれもすべらなかったら気の毒だと、別の男が知らん顔してわざとすべってやる。これが喜劇だすな」。天外はこう話す。
笑劇で笑っていたお客が、それだけでは満足しなくなった。1本の芝居で笑ったり、泣いたり。すると、涙も笑いもかえって深くなる。文学からも盗んだ。「桂春団治」「花粉」「新・三等重役」「馬喰一代」から、果ては「細雪」までもが新喜劇の狂言になった。とてもなりそうにないものだ。文学をなぞり、筋を借る(ママ)のではなく、自分たちの伝えて来たものの中へ、すっぽりと取入れて(ママ)しまうのである。
「喜劇はいつも世の中について行くもんや、いうてますねん。奈良朝時代のオニの絵はツノがないけど、平安朝になったら1本はえてます。伝承といえば、とにかく世の中、人の世につれてその時々の絵をかいていく。これだけだすな」と天外。大阪の喜劇は欲張りである。(引用おしまい)
当時の松竹新喜劇が面白い舞台を作らんと努めた伝承と新感覚の両立はきっと、そっくり漫才にも当てはまります。限られた芸人同士の交流と生活半径からしか提供できない自家中毒の笑いは、観客には無用です。迷惑です。
古臭い笑劇から新しい喜劇への転換に向け、文学にも目を転じた渋谷天外が掘った運河の水を自分も飲んでいる自覚を持って、新しい水路を拓く若手芸人をもっともっと見たいものです。