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2016/01/31

「真田丸」第3回感想 「現代語の策略」

わははははははは。三谷幸喜さんが、「真田丸」への批判にブチキレています。あちこちで現代語セリフの多用をディスられている件について、28日付の朝日新聞夕刊連載「三谷幸喜のありふれた生活」で反撃
(前略)僕の書く台詞は、特に時代物の時は、軽いと言われる。「新選組!」でもさんざん叩かれた。「軽い」=「時代劇っぽくない」ということなのだろう。「っぽくない」が既に現代劇っぽいですが。
(中略)戦国時代の人たちがどんな風に喋っていたのか、誰にも分からないのに、「台詞が現代的すぎる」という批判が出るのは、どういうことか。なにと比較しているかといえば、それは「これまでの時代劇と違う」ということではないか。自分が観てきた重厚な時代劇では、こんなしゃべり方はしなかった、と。(引用おしまい)
反現代語派は真っ赤に燃えることでしょう。ネットでいう「燃料投下」という奴ですね。おじさんは三谷ファンではなく、その不愉快な作劇が出演者と観客を皆殺しにした駄作映画「ギャラクシー街道」なんか、むしろ題名を口にするのもイヤなほどですが、「真田丸」の言葉遣いへの最近のアホなメディア論評に立腹していたので、今回は義により助太刀いたす。
おじさん自身も含めた好き勝手なことを書いている素人雀ならともかく、ライター・評論家といった、レビューで飯を食っているプロが、「重厚な大河ではない」のが批判の根拠だとは何事か。作家性は十人十色です。和食の職人にバターとトリュフをバカスカ使ってヘビーなフレンチ作れ、と注文しているようなもの。だいたい“重厚”って何だよ。どの作品の、いかなる重みを指すのか、意味がわからん。「大河の重厚」「朝ドラの王道」といった、すべての視聴者が絶対的価値観として共有しているかに思わせる耳ざわりの良さだけで片足立ちしている言葉の幻想を、カネをもらって書いたりしゃべったりする人間がまき散らすな、と言いたい。
とまれ、昨年の大河総括をした際に言及したように、作り手が他メディアを通じて自分の意見を述べるのは、とても建設的なことだと思いますよ。
さて、第3回「策略」を見ましょう。人物紹介に違和感を覚えます。長澤まさみさんの初登場とともに、「高梨内記の娘 きり」との紹介文が画面に出ました。視聴者は「タカナシ、だれ?」。“織田信長の妹”や“山内一豊の妻”あたりなら説明不要ですけど、顔見せもしていない真田の家臣の名前を急に出されたら茶の間は混乱します。後の碁を打つ場面でタカナシ登場。少しは考えてもらいたいものです。
今回一番の見どころは、高遠城の徳川ファミリー。コメディで押しているから、映るだけで笑いが取れる本多忠勝のキャスティングはベストですね。出オチに終わるのではないか不安でしたが、セリフのたびに哄笑。伊賀越えでは、いっそ蜻蛉切の槍など使わず、ライダーキックで敵の戦闘員を始末して下さい。
脚本家は家康が好きなんですねえ。ノリノリです。内野聖陽さんも楽しそうに演じています。テレビ的オーバーアクトでも、これなら銀幕で見ても大いに映えると、このシークエンスはホメにホメたい。対照的に表情を抑え、トボけた近藤正臣さんが効いています。
真田から見下ろす16世紀末の上田は一面の里山だったんですねえ。上田市は歴史を感じることができる、大好きな街。「真田太平記」の取材で訪れた池波正太郎も絶賛した「刀屋」の太打ち田舎蕎麦の味が思い出されます。満開の桜咲く丘陵から、美しく実る棚田を眺める信繁。おい、ちょっと待て。舞台は今何月だ? 真田の里では二期作でもやってたのか。前回はロケ撮影だったから、田んぼに稲が植わってても許容しましたが、CGでやるか、これ?
きりとの現代語学園ラブコメが始まります。プレゼントをめぐる小芝居を見るのが辛いなあ。現代語の問題ではなく、ここまでさしたる人物造形がなされてこなかった信繁が、いよいよそのキャラクターを視聴者に提供する場面が、いきなりのラブコメという流れが辛いわ。初回から続いた主役放置プレイのツケか。
三角関係シーンの感想はスルーしますが、贈り物をもらった場面での黒木華さんのセリフ「お心遣い、すみません」には一言。日本社会ではいつの間にか、人に感謝の意を述べる時の言葉として「すみません」が主流になりつつあります。礼の本旨である「ありがとうございます」が言えなくなっている。コンビニで精算する時に、店員から「すみません」って言われる、現代の流行にうんざりしてるんですよ。信繁の気遣いに対して「すみません」と断ったからいいじゃないか、なんて話じゃありません。物をもらったら「ありがとう」と言え、という論旨。
この乱れはテレビドラマも同じ。朝ドラ「あさが来た」でも、維新の三傑大久保利通に別れを告げる主人公が、「大久保様、おおきに」言うてましたな。無礼なヒロインです。NHKには放送劇を通じ、「ありがとうございます」を復権させるべく求めます。戦国期の風潮まで現代調にしなくてもいいのにさ。放送局関係各位におかれては、「テレビの日本語」(加藤昌男著、岩波新書)の一読を勧めます。OB加藤さんの話し言葉への思いに耳を傾けてみよう。
チャンバラでは、今回もスローモーション撮影が頻出。3話目にして飽きてきました。ワンカットばっかしでスロー流すの、やめてくれないかな。映画「マトリックス」以来、高速度撮影を同じ画で流し続けるのが流行っていますけど、テレビの活劇で毎週同じパターンだと、げんなりします。この道の大家サム・ペキンパーはハイスピード撮影に際しては、たいてい細かいカットをつないでいました。大きなお世話は承知ですが、制作費は腐るほどあるんだろうから、カメラを同時にたくさん使って、画を編集する工夫があってもいいんじゃないかな。
もう一つ、げんなりといえば、重病人吉田羊さんが咳き込む場面をかぶせてきたとこ。高齢視聴者向けの「シャボン玉ホリデー」のパロディだったのかもしれませんが、ありゃハナ肇がやったから面白かったんであって、こちらは吉田さんの熱演もあって、笑えない不愉快さが残りました。公共放送で「ギャラクシー街道」の続きを強制視聴させられた気分。
3話まで鑑賞した印象では、話し言葉を現代語にした策略の本意は、コメディと恋愛劇のタッチを活かす点にあると思われます。ここまで徳川家康とゆかいな仲間たちについては成功しているようです。一方で、堺・長澤の色恋沙汰描写となると、“平成に過ぎる”感がありますね。作家自身が現代語の慣用で突き進むと宣言した「真田丸」の進路に注目です。
大河ドラマの現代語使用が話題になったのは、本作が初めてではありません。1979年の「草燃える」でも、その大胆な現代語に開始早々から視聴者は反応しました。同年1月22日付の読売新聞夕刊「“現代語時代劇”評判は?」より引用します。
「おや、源頼朝や北条政子が現代調のセリフをしゃべってる!」7日から始まったNHKの大河ドラマ「草燃える」(日曜=後8・00)をご覧になった方は、大河ドラマ17作目で起きた“異変”にお気付きになったはず。時代劇は現代調のセリフでいいのかーーNHKには早速、約30通の投書が舞い込んだ。担当の斎藤暁プロデューサーは「20通対10通で現在では現代調反対の意見が多い」という。
反対意見の主なものは、「800年も前のことだから時代感覚を出すためにも違和感がある」(大垣市のKさん)、「家族一同おかしいと叫んだ。衣装、小道具とチグハグだからだ」(岡山県玉野市のTさん)、「時代劇の格調、重みがない」(杉並区のMさん)という意見に集約できる。一方、賛成意見は「わかりやすく、テンポがある」(三鷹市のTさん)、「人間が生き生きしている」(静岡県のYさん)。
しかし、NHKの社内モニターは5対1で現代調を支持しており、視聴率は第1週が27.9%、2週が30.5%。最近の大河ドラマではヒット作となった昨年の「黄金の日々」が32%、28%だったから、視聴率としては拒否反応は出ていない、というのが製作側の見方。
斎藤プロデューサーは「民放の時代劇では現代調のセリフの方がむしろ多いのです。ただこの時間ワクは16年間続いている視聴習慣、イメージがあるからでしょう。慣れてしまえば現代調の利点をご理解いただけるはず」と語っている。
脚本担当の中島丈晴氏は「わたしは、いままでの大河ドラマの持つ武ばった芝居、重圧感、重々しさを一度ぶちこわしてみたかったのです。まだ放送されていませんが“なんちゃって”という流行語も、盗賊の会話に使っています」という。(引用おしまい)
中島丈晴さんは、「草燃える」以降も3本の大河脚本を書いています。おそらく、この実験は成功裏に終わったのでしょう。無論、現代語の話し言葉のみがその要因であったはずはなく、その言葉遣いがもたらした効果、そこからドラマを成立させた力量がものを言ったと、想像するに難くありません。三谷さんはいかが? 現代口調に「時代劇っぽくない」と言われ、重厚を試みれば、ラブコメパートが浮き上がって「三谷っぽくない」と言われかねない。作家とは割にあわない商売なのかもしれません。
同時に、脚本の作家性は尊重されるべきですが、時代ドラマである以上、歯止めが必要であるのももちろんのこと。三谷さんも、「同じ轍を踏む」の表現を、近代の言葉であるゆえ変更された旨、コラムで告白しています。また、ここが機能しないと作劇考証が破壊されるのは、“高梨内記の娘”ならぬ“吉田松陰の妹”に、視聴者が1年間にわたり地獄を見せられた昨年の例に明らかです。
「草燃える」は、どうだったのでしょう。引き続き同記事から引用します。
斎藤プロデューサーは「現代調にすると台本が従来より10ページから15ページ多くなります。これは放送時間にすると約5分に相当し、それだけ内容を煮詰めることになります。また、それだけテンポも早くなって人間の心理のヒダを描きこめるし、ニュアンスも伝えることができます」と凝縮度の高さを強調する。
格調か、人間描写かーーやはりこれからも意見が分かれるところだろうが、このドラマの監修を担当している国学院大・鈴木敬三教授は「私個人の意見では程度の問題でしょう。流行語、外来語はやはりきびしくチェックします」と語っている。(引用おしまい)
毎回、エピソードはふんだんにあって、テンポは早い本作。あとは人間の心理のヒダの描き込みが気にかかります。主人公がまだ少年期とはいえ、ラブラブだけで次回を過ごすか否か。視聴者は現代調のセリフを聞きながら、その意図の成就の成否を見つめています。