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2015/01/27

「花燃ゆ」と陰謀論

大河ドラマ「花燃ゆ」に対する不安が止まりません。
作品の出来には、朝ドラ「マッサン」同様にもう見切りをつけているから良いのですよ。確たる根拠なく、国防の必要性を暴走の根拠とする吉田松陰の描かれ方が、現在の集団的自衛権に似ていて、後々何が持ち出されるものか、小市民は気持ちが悪くて仕方ないんです。
東北同行の宮部鼎蔵も、黒船乗船仲間の金子重之輔も、自らの行動に動機なきモブとして扱われています。松陰の思考が意味不明。師たる佐久間象山に至っては、その存在自体が消されています。
母親が死んだのに、笑顔で弟を迎える小田村伊之助の兄、息子が厳罰に処せられんかという時に微笑みを絶やさぬ松陰の母。不気味です。
ヒロインはときたら、手紙の盗み読みやのぞき見、盗み聞きの諜報能力の高さと、入手情報を元にした工作活動だけが突出しています。
これらの状況から、今日は吉田松陰とその周辺とは何であったのか、推理しましょう。
イケメン松下村塾はスパイ養成機関、長州藩の陸軍中野学校だったのではないかと仮定してみます。ドラマの展開から一番しっくりくると、おじさんは思います。
井伊直弼が大老の座に就くと、孝明天皇の身を自領である彦根に移す試みが論議されました。「彦根遷幸」と呼ばれます。
吉田松陰と長州藩は、この動きに激しく反発したようです。非常にうさん臭い内容ですが、そう述べた史料がありました。
190911月4日付の東京朝日新聞「伊藤公の前半生(9)」から引用します。仮名遣いや句読点、改行など、おじさんがあたう限り現代風に直していますが、一文がとにかく長い。我慢願います。
(前略)松陰の同志にて京都に在る中谷正亮(松下村塾の運営支援者)、これを松陰に知らせしかば、松陰いかで躊躇すべき、直に書を藩の直目付清水図書に寄せ、この風聞、果たして事実と相ならば、幕府の処置、全く承久延元の隠岐遷幸(注・過去の戦乱で上皇・天皇が隠岐に配流された先例)を倣う者なり。藩祖以来の長藩が捨て置くはずの者にあらずと注意せしかば、やがて君侯御前協議となり、いろいろ議論ありしが、ともかくも事の実否をただせし上にてとの評議一決し、心利きたる(注・機転が利く)者数人を京都に差し遣わし、秘密探偵をなさしむる事なりしが、通常(なみなみ)の盗賊、放火犯(ひつけ)を捜索するとは事かわり、いわば高等探偵に類する者にて、並々の目明かし、隠密にて思慮深く、胆太く、時勢も多少分かりおる者ならではと、諸役人評議の上、ついに軽輩卒族(身分が軽かったり、士族ではない者)の中より、志の確かなる者を選り抜き、この大役を勤めさす段取りとなりぬ。
員数は6人にて、伊藤伝之助、杉山松助、山縣小輔(有朋)及び公(伊藤博文)にして、ほか2人は記者ここにつまびらかにせず。
(中略)いずれも軽輩ながら、一騎当千の者どもなりしに相違なく、現に伊藤伝之輔、杉山松助は、この後も時々松陰より大事を託されし事あり。(引用おしまい)
年端のいかない松下村塾の若僧どもを、藩が間者として京へ送ることは通常ではあり得ない。しかも、師の松陰は囚人です。おそらく、維新後に伊藤博文ら長州閥の連中が広めた創作でしょう。
でも、「花燃ゆ」を見ていると、この史観しかないのかな。松陰の幽閉は幕府に対する長州のカムフラージュ、ヒロイン「文」は間諜活動の教師、塾生の女傑インストラクターだと設定すれば1年間持つかもしれない。こんな陰謀論に持っていかないと、ドラマのナゾが解けないのです。
伊之助の兄、松陰の母も、感情を殺す訓練を受けた長藩工作員だと仮定すれば、あの笑顔の異常性も腑に落ちます(落ちるか!)。彦根遷幸を推進した佐久間象山が出てこないのも、吉田松陰の思想に齟齬を生じさせないための措置だと思えば納得できます(できるか!)。
伊藤博文も山縣有朋も、松下村塾絡みのメンバーは皆が諜者だった。スパイだった。こんなムチャな論考をせざるを得ない脚本と演出とは何なんだ。
主人公である「文」も現場でスパイ活動をしないと、劇が盛り上がりませんよ。幕臣相手にハニートラップの一つもかましてもらいましょうか。ああ、井上真央さんでしたね。ホントに可愛らしいけど、色仕掛けはムリかな。「花燃ゆ」にヒロインの見せ場はあるのか?
ドラマの見せ場? 居並ぶイケメンを眺め、鼻でもホジりながら、これから探してみましょ。