新潮新書の「なぜ時代劇は滅びるのか」(春日太一著)にハマっています。
制作者、監督、脚本、スタッフ、スポンサーから視聴者(映画なら観客)まで、時代劇をダメにした責任と要因を分析し提示しています。自らが愛してやまない時代劇を「介錯する」と言い切るだけあって、筆に迷いがない。岡本喜八版の映画「大菩薩峠」のラストで、一心不乱に剣を振るう仲代達矢さんのような鬼気を感じます。斬る太刀筋も大方正しい(スーパー駄作「ごちそうさん」が内容的にも人気的にも朝ドラ復活という言及には絶対に同意できませんが)。まあ、ドラマ好き必読です。
撮影所の育成システムの崩壊によって、次代を担うスタッフが現れない、との指摘が刊中にありました。実は30年近く前に同様の危惧を表した人がいました。先月亡くなった、TBS「岸辺のアルバム」などで知られる大山勝美・元プロデューサーです。
1987年10月21日付の朝日新聞「論壇・映像ソフトつくり手の育成を」から引用します。
(前略)日本でも、映画会社が自社作品をつくっていたころは、つくり手を養成する仕組みが撮影所のなかにあった。マンツーマンの徒弟制度という形で、継続的に人材は現場で鍛えられ育っていった。映画会社が自社作品をほとんどつくらなくなって、この土壌は喪失した。独立プロの一回きりの座組みでは、若手人材を継続的に育成する余裕は生まれてこない。
この状況は、テレビの世界でも同様である。ほとんどの民放局が、テレビドラマを外注化しつつある。その外部プロダクションでは、つくり手スタッフの養成までは、とても手が回らない。ほとんどが使いすてに近い形で、若手スタッフがせわしなく入れ替わっている。継続的にパワフルなつくり手が育ってゆく環境とは、およそほど遠い。(引用おしまい)
大山の言によれば、欧米には映画スタッフ養成の学校があり、フィルムライブラリーも敷居が低いために過去の名作も気軽に見られるそうです。
日本映像劇の惨状は、時代劇にとどまらぬようですね。この項、続きます。