向側の国から金髪の娘が立って来て、視聴者の期待を落とした。娘は画面いっぱいに乗り出して、遠くも白けるように、
「マッさあん、マッサン」
原酒の瓶をさげて暴言を吐く男は、箸を振り回し、土下座する頭を垂れていた。
もうそんな寒々しさかと視聴者は画面を眺めると、捨てエピの残骸らしいドラマが脳裏に寒々と散らばっているだけで、作品の内容は底まで行かぬうちに闇に呑まれていた。(川端康成「雪国」より改作)
ガイジンさんが作った味噌汁をほめるのに「Unbelievable!」ってひどいね。「Incredible」とか言ってあげたら喜んだだろうに。日本と外国の文化の違いを扱うんだったら、脚本家はラジオの「基礎英語」を聴いて、イングリッシュを勉強しよう。
「マッサン」の脚本と演出が低レベル過ぎるせいか、芝居も荒れ放題。主役のお兄さんは演技プランが完全に破たんしています。キャストはスタッフ、特に脚本家と話し合って作品のテーマや人物造形の意図について話し合わないと、この先どこまで堕ちるかわかったものではありません。
俳優は役に臨むにあたり、どれだけ真摯になれるのか。来年90歳を迎える3代目水戸黄門、佐野浅夫さんの言から考えてみます。
1979年8月26日付の読売新聞「ちゃんねるゼロ」から引用します。年号は昭和です。
(前略)NHKのテレビ小説「藍より青く」で、九州・天草の漁師の役を演じたことがあった。役が決まると、彼は自費で天草に行き、しばらく生活している。
「いえね、長いこと芝居をやっていますが、漁師は初体験だったんです。だからといって気張って天草に出かけたわけではないんです。何となくなんなんですが、じっとしておれなかったんです」
このドラマで彼は、戦死した息子の一粒種を抱くシーンがあった。佐野には子供がいないが、メイの子供をスタジオに連れてきて、リハーサルをくりかえした。
「よそさまの赤ちゃんを、“道具”にしては申しわけないですから」
身内の赤ん坊ならば、より切実に愛情が表現できるだろうという、佐野らしい工夫だった。
きまじめさ。が、味気のない一直線型ではない。童話の語部(かたりべ)として、「お話出てこい」(NHKラジオ)は29年から延々と続いている。
ゲーム番組「ホントにホント」(NHKテレビ)では、ウソと本当をごちゃまぜにして出場者をまどわす。長門勇などコメディアンタイプの共演者がいるのに、「何で佐野ちゃんばかりおかしいの?」演劇評論家の尾崎宏次さんにいわれたことがあるそうだ。
「ちょっと細工しましてね。内容によって滝沢修調でしゃべろうとか、藤原義江調で歌っちゃおうとかーー役者の遊び。芝居する人間の欲なんでしょうかね」(引用おしまい)
佐野さんは戦時中、特攻隊に応召し劇団を離れました。劇団は公演先の広島市で被爆(詳しくはこちら)。決死の特攻隊に入ったおかげで皮肉にも命を拾った佐野さんは、生きている瞬間を無駄にできない質なのでしょう。
「芝居する人間の欲」。いい言葉です。そんな欲を戦争を知らない世代に求めるのは、もはやかなわぬことなのでしょうか。