この駄作の駄作過ぎる生きのびようは、いったい何なのでありましょう。
はっ、私でありますか。ご安心あれ、警視総監殿。私は今、感想に火を着けようとしたところであります(つかこうへい「朝ドラ熱海殺人事件」より)
前項からの続きです。つかこうへいの娘さんの役名は「野々村由紀子」というのですね。関西喜劇を描くのであれば、大阪に「野々村友紀子」という作家さんがいるので、脚本家代えるなら、彼女がオススメ。眼から血ぃ出るくらい、笑いに真剣な人ですよ。
作家性はそれぞれなので、脚本家さんに無理強いする気はありませんが、一度は読んでほしい、つかこうへい。今日は、そのスピリットに欠ける「マッサン」を検証しています。
1986年3月3日付の朝日新聞夕刊「いじめの時代」から、引き続き引用します。
ぼくがもう日本もダメだと思ったのは、中学生が吹き矢で遊んでいて、猫や犬を射た上、とうとうサラリーマンの目にあてて、自転車で逃げた事件を知った時のことです。逃げる途中、その中学生は、疲れたといって自動販売機の製薬会社の子供用ドリンク剤を飲んでまた逃げた。このドリンク剤を飲んで逃げる余裕がこわいなぁと思った。子供用ドリンク剤をカネもうけのために販売するのもゲスな会社ですがね(引用おしまい)
子供用ドリンクを売る会社は、ドラマでいうなら、さしづめ「こひのぼり」ですかね。徳利から口飲みする無職のアル中にじゃんじゃん酒を提供しています。ゲスな店です。同記事からの引用を続けます。
子供同士もメンタルで陰湿ないじめ方をするようになってきた。子供のいじめのボキャブラリーもゆたかになって、ただひとつの言葉で相手を殺す残酷な言葉を使う。昔は“したたか”なんていう言葉は政治家しか使わなかったが、いまや子供たちが使う。いじめはストレス解消のための快感があるから、それだけ子供のストレスが高まっているんだと思うね(引用おしまい)
「マッサン」は、つかが嫌った残酷な言葉にあふれています。差別意識が満載された無神経なセリフがダラダラ。かつて、つかこうへい演劇を愛したファンにはたまらないつくりです。
同記事からの引用を続けます。
日本人は昔は毅然としていた。これからは繁栄で失った誇りや恥の文化を再び創造しなければならない。人間はどう生きていくのかをじっくりみつめ直したい。人間にとって確実な救いは、やさしさがあるということだと思う。これからの小説は、親孝行やモラルのテーマが受けるかもしれませんよ(引用おしまい)
つかの長女さえ出なければ、つかとの関連性なき朝ドラの駄作と比較することはなかったのに。思い入れとはこわいものですね。つかこうへいの言葉を借りれば、「これからのテレビ小説はモラルのテーマが受けるかもしれませんよ」。