コピー禁止

2014/11/01

駄作「マッサン」と「ゴンドラの唄」(2)

前項からの続きです。「ゴンドラの唄」は、黒澤明監督の映画「生きる」で効果的に使われていました。がんに侵され余命いくばくもない、志村喬演じる役所の市民課長の愛唱歌。ブランコに揺られながらこの歌をうたう場面が有名です。
「マッサン」のヒロインにしつように「ゴンドラの唄」を歌わせる連続テレビ小説は、まさかエリーの人生を、小雪舞い散る余市の公園のブランコでの絶唱で終わらせるつもりではあるまいな。
「マッサン」が会社を辞めたころの世相と「ゴンドラの唄」との関係を検証しています。引き続き1968年1月12日付の朝日新聞「東京のうた『カチューシャの唄』」から引用します。
歌詞は抱月、相馬御風の合作。作曲は当時島村家の書生をしていた26歳の新人中山(晋平)。中山はこの曲の成功で抱月から20円の月給のほかに同額の特別手当をもらって大喜びだった。ときに、松井の月給は300円。
カチューシャの成功に気をよくした芸術座はその後、劇中に次々と歌をおりこんだ。「その前夜」のゴンドラの唄(吉井勇・詩)、「生ける屍」(北原白秋・詩)など。時代は第一次大戦の好況期。東京は空前の消費景気に恵まれ、金と暇のある有閑階級は先を争い、劇場、デパートに殺到した。「今日は帝劇、明日は三越」が流行語になり帝劇の3円の特別席も飛ぶように売れた。
日本人の心の底にねむる美しい旋律を西洋音楽の技法で歌いあげる――。中山の新しい歌が晋平節の名で、インテリ、大衆の別なく広く全国民から愛されたナゾはそこにあった。カチューシャの唄は中山のそうした意図が実を結んだ最初の曲。はやり歌の世界に新しい時代、大正の訪れを告げる歌だった。(引用おしまい)
「ゴンドラの唄」をはじめとする中山晋平のブレイクは、第一次世界大戦による好況、戦争バブルゆえのヒット曲でした。「マッサン」では折々の経済状態がまったく示されませんが、ワインの下請け製造再開が決まり、会社の経営状況に不安がないにも関わらず、会社のカネで留学に出した社員のクビを意味不明に切って捨てるということは、住吉酒造がブラック企業である可能性を差し引いても、舞台は「ゴンドラの唄」に代表される時代にふさわしくない大正の反動不況の下なのでしょう。なぜ、これ歌わせる?
エリーに「ゴンドラ」を歌わせるのは、デフレ不景気の日本に嫁入りした外国人女性が、バブル時代に肩パッドを入れた衣装を着ていたころの吉川晃司さんの歌を口ずさみつつ、傷心の夫を励ます程度の時代考証の結果ではないでしょうか。