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2014/11/01

駄作「マッサン」と「ゴンドラの唄」(1)

議長、住吉酒造株主会議における脚本家解任の審議を提案します。以下に理由を述べます。
亀山政春の同社からの理不尽な放逐は、個人的怨恨に基づく長期事業計画の妨害にあたります。同社経営への損害を意図したものであり、会社法上の背任、いや特別背任罪に該当します。企業犯罪を犯罪とせず、ストーリー展開に我田引水する行為は、世間の道徳観をおとしめるものであり、犯罪的であります。
次に、専務の「お前は生まれてくる国と時代を間違うたんや」というセリフは、一般社会では部下へのパワーハラスメントであるのみならず、個人の存在の全否定であります。小中学校で流行すれば、いじめに使われる危険性があります。優子の母親による「運が悪なる。手ぇ離し」も同根の危険性を秘めています。
さらには、ネイティブに「これから、たくさんたくさんHAPPYがありますように」などとデタラメイングリッシュ発言をさせたことも、解任に値すると考えます。この場合、形容詞「HAPPY」ではなく、名詞「HAPPINESS」を使用すべきであり、我が国における英語教育の阻害と、東京オリンピックを控えた将来の国際交流に懸念をもたらすものであります。脚本家解任の審議をお願いいたします。

以上の動議は無論冗談です。どんなに出来の悪い「マッサン」でも、たとえその元ネタである「ごちそうさん」であっても、表現の自由はだれにでもあるのですから、書くのをやめろと言うわけにはいかない。ライターを替えなきゃ絶対に面白くならないと断言するのも、もちろん表現の自由。
1回15分しかない放送枠の中に、やたら歌唱コーナーがあるのは、たいてい書く中身が思いつかないから。次週はエリーが「焼き氷の歌」でも歌うのかと思ってたら、予告ではチンドン屋をやらせてました。路上広告パフォーマーを差別するつもりは毛頭ないけど、モデルである竹鶴リタの人生を思えば、こういう場面の収録・放映は疑問です。
エリーが歌う「ゴンドラの唄」は、1915(大正4)年に日本初の「歌うスター女優」といわれた松井須磨子が歌ってヒットしました。では時代の整合性を見てみましょう。前年の1914年に「ゴンドラ」と同じ中山晋平が作曲、松井が歌って大流行させた「カチューシャの唄」から、当時の世相を検証します。1968年1月12日付の朝日新聞「東京のうた『カチューシャの唄』」から引用します。
「ひどい声でしたね。親父の佐藤紅緑(注・作家)が帝劇に作品を出していた関係で、お須磨さんの舞台はほとんど見ましたがね。まるで歌にもなんにもなっていない」――サトウハチロー氏(注・作詞家)。
「まるっきり落第です。お須磨さんという人は一種のオンチじゃなかったかと思うんです」――時雨音羽氏(注・作詞家)。悪評さくさくである。
数年前、NHKが松井須磨子の古いレコードを放送したことがあるが、電波から流れてきたのは念仏とも子守歌ともつかないキテレツな声。ノド自慢ならカネ一つはうけあいと思えた。温厚な人柄で知られた中山晋平も晩年、オンチの彼女に歌を仕込む苦心の思い出を親しい人々に語ったという。
だが、当時は新しずくめの超ハイカラな歌として人気を独占した観があった。大正3年3月、開業4年目を迎えた日比谷の帝劇。出しものは芸術座の「復活」。主演女優は前年、島村抱月との恋愛問題で、抱月とともに文芸協会を退会した松井須磨子。カチューシャの唄はその一幕と四幕で歌われた。
わかりやすい口語体の歌詞と淡い慕情をうたいあげた美しいメロディー。演歌と学校唱歌しか知らない大衆の心をみずみずしい新鮮さでとらえた。音階のよめない野生派の女優にうまい歌を要求するのは、どだい無理な相談だが、歌詞と曲の魅力にとりつかれた当時の民衆は少々のオンチなど、まるで気にしなかった。人気は爆発、歌はレコードと楽譜で全国に広まった。文部省からは「小学生は歌ってはならぬ」と、おふれがでたほど。須磨子は、その後4年間に444回もこの劇を上演、新劇の栄誉をひとり占めにした。(引用おしまい)
下手な歌でも大人気。朝ドラの脚本もかくあればいいですが。松井の歌唱作品は商品クオリティが非常に低かったことがわかりました。流行の背景には世相があるはずです。この項、続きます。