69年前の明日、1945年9月14日は、日本公民権史にとって記念すべき日となりました。初の女性参政権が認められたのです。
ウソをつくな、男女平等の選挙権は同年12月17日交付の衆議院議員選挙法改正からだろう、と言われるかもしれませんが、事実、それより3カ月も早く婦人の投票権が認められた地域がありました。1945年9月21日の朝日新聞「沖縄で婦人参政 生活問題に平等の発言権」から引用します。仮名遣いや句読点は、おじさんが現代風に改めています。沖縄米軍長官代理チャールス・L・ムーレイ(注・ミドルネームは「I」の誤りではないかと思われる)大佐は14日沖縄島で初めて婦人参政制を実施する旨発表した。これにより米軍政機関の監理及び統治下に満25歳以上の男子及び女子が島民生活の諸問題に同等の発言権を有することになった。沖縄県公文書館のウェブサイトによれば、市議会議員選挙が同月20日に行われ、女性島民たちが投票したようです。
この問題は、純然たる島民の問題として処理するため、米軍の主催下に開催された島民の会議で島民により提案され、ムーレイ大佐が承認するに至ったものである。
島民の主張によれば、沖縄には投票年齢に達した男子のいない家族が多く、これらの家は島民会議に代表を送ることができない状況にあり、それ故婦人参政権を認めて貰いたいというのである。(引用おしまい)
普通ならば慶事と喜ぶべき歴史の一コマであるはずです。ところが、おじさんは先日まで全然知りませんでした。なぜ教科書に載せられることもなく、忘れ去られたのか?
女性参政権付与の理由が残念です。凄惨な沖縄の地上戦で県民は殺され過ぎました。青壮年男性は最前線に運ばれ、年寄りこどもは捕虜になるなと日本軍から自決を強いられた結果、沖縄では成人男性有権者のみでは選挙もできないほどの人口減少が生じたのでした。
父を、夫を、兄弟を失った女性たちは、いかな気持ちで投票所に向かったのでしょう? 候補者の名を書く時、彼らに何を託そうと思ったのでしょう?
我が国初の一般女性参政権のエピソードから、おじさんは二つの事実を痛感しました。一つは、我々本土人は沖縄の悲劇の歴史をあまりにも知らないこと。本土防衛の捨て石だった沖縄戦に思いをめぐらせば、辺野古への米軍基地移転問題をスルーしていいのか、逡巡するかもしれない。
二つ目は、民衆が何かの権利を得るためには膨大な数の犠牲を伴うことです。権利を自ら放棄して戦争を叫ぶのがカッコいいという人は、ぜひぜひ沖縄史をかじってみて下さい。おじさんのようなニワカでも、深く考え込んでしましたよ。