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2014/08/06

ヒロシマの夏、世界の夏

広島の死没者慰霊碑の文言は何だ!「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」とは何事であるか!まるで日本国民が加害者のようではないか。悪いのは市民の頭上に原爆を落とした米国だけだ。広島市は対米追従だ、非国民だ。政府はなぜ広島を誅せぬのか。国辱である!売国奴だから反日だ!中国・朝鮮人の陰謀だ!ヒャッハー!

さすがにこんなのは最近いないようですが、碑文の修正を求めた人たちも、かつては少数ながら存在したようです。この一文に主語がないのはあいまいにしたのではなく、市民の平和への思いがあるからです。広島の父と呼ばれた浜井信三元市長の回想録を読めば一目瞭然。以下に引用します。
「人類の福祉に使われるべき科学の成果を殺害や破壊に用いたことは明らかに人間の大きな過ちであった。人類の一員として過失の責任の一端をにない、犠牲者にわびることのなかに反省と謙虚と寛容と堅い決意を見い出した」「碑前に立つのは日本人だけでない。また、世界平和の確立には全人類の努力が必要だ。すべての人に共通の祈りと誓い、平和への努力につながることばをと願った」(引用おしまい)
原爆投下の責任追及や恨み言なんか並べたてたら、死者はそれこそ浮かばれません。でも、やられたらやり返すのが戦争心理。日本だって原爆の開発に血道をあげていたことがわかっています。陸軍は、最近話題の理化学研究所の仁科芳雄を中心に研究を続けていました。
関係者の証言を1995年8月の朝日新聞が連載で伝えています。科学用語が多くて、おじさんには難しかったのですが、その報復心が露呈したくだりがありました。8月21日「幻の原爆開発1」から引用します。太字挿入はおじさんによります。
(前略)原爆開発のために陸軍から理研に派遣されていた鈴木辰三郎・前いわき明星大学長(83、注・肩書は当時)は13日に広島の惨状を見た。「こんなにひどい目に合わされて、我々も早く原爆をつくらねばと思った」と振り返る。
8月15日。終戦を告げる天皇の放送が終わった直後、理研の仁科研究所に、日本刀を手にした陸軍の中佐が訪ねてきた。
「日本でも原爆の完成が近いと聞いている。あと何カ月あったら完成するか教えてほしい。完成するまでは、どんなことがあっても我々は本土を守る覚悟だ」。応対に出た田島英三・立教大名誉教授(82、注・同上)に、中佐はこう言った。
田島さんが、日本の原爆は何年たったら完成するか予測さえ困難で、研究室は空襲で破壊されたことなどを説明すると、中佐は「どうしても原爆はできませんか」と涙をポロポロこぼした。「肩を落とし、頭をたれて階段を下りて行く姿は今でも覚えている」と田島さん。(引用おしまい)
天皇が戦争を終わらせると言ってるのに、戦争続けるから原爆造れ、なんて言い出す中佐は非国民だよ。陛下の詔勅に刃向かうとは国賊だ、売国奴だ、反日だ。戦争の価値基準のバカバカしさですね。
当時の日本に原爆造る科学力がなくて本当に良かったね!万一完成させていたら、あの軍隊のことです。アメリカ本土まで運ぶ能力はないにしても、中国に落とすとか特攻機に積んでさらに無駄死にを増やすとかやりかねなかった。
日本の核開発がつたなかったおかげで、やり返さずに済みました。今では核廃絶を訴える平和国家でいられます。
みんなが忘れちゃいけないのは、日本だって下手すれば一般市民に原爆を落とした、いわゆる「加害国」になりかねなかったということ。自分も造ってたんだから、被爆国だからといって、一方的に米国の行為を責め立てる権利はありません。反省なくして反戦なく、後悔なくして向後はない。
ヒロシマの碑文に主語がないのは、戦争に突き進んだ日本人の責任をも問うているからなんです。