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2014/08/20

忠犬ハチ公の憂鬱

おじさんが東京に出かけても、つい敬遠してしまうのが渋谷。スクランブル交差点の前に立つと、たくさんの大画面がそれぞれ何ごとかどなり散らしたり歌いまくっていたりでしょう。不協和音の洪水に、本気で吐き気がしてくるのです。
静寂をも幽玄の音(ね)ととらえたヤマトの文化と精神は、渋谷の街から霧消しました。忠犬ハチ公が生きていたら、主人ほったらかして二度とあんなうるさいとこに足を踏み入れないんじゃないかな。
今ではハチ公像のいわれを知らない若者もいるでしょうね。「えーと、何とかいうイヌの前で正午に待ち合わせね」とか実際に言ってそうだ。今日はハチ公の銅像のお話です。1961年1月11日の読売新聞夕刊「ちまたの美術」から引用します。
渋谷駅前のあまりに有名な像である。主人の上野英三郎東大教授が大正14年になくなったのちも、旧主を送迎ごとく朝夕駅にかよったー。この話がニュースになったのは昭和8年。帝展には安藤照氏の彫刻ハチ公が出品され、昭和9年4月にはこの作品を原型として、全国からの寄付をもとに銅像ができ、人気者になった。
満州事変で暗雲のきざしがみえたそのころ、無条件に明るい話題が迎えられたというのも真実だろうし、軍国主義の鼓吹につかわれたという説もまんざら誤ってもいまいが、戦後もハチ公の人気が衰えないところをみると、若い世代にも案外ウエットな、ヒューマニストは多いということか。
最初の銅像は20年に供出され、安藤照氏の子息士(たけし)氏が23年に復元した。この銅像をみて「若いときのハチ公は耳がピンとたっていて、威勢がよかった」という古老もいまは少なくなった。昭和10年3月に死んだほんものははく製にされ、上野の科学博物館で秋田犬の標本になっている。(引用おしまい)
ハチ公を愛する若者を「ウエットなヒューマニスト」 と断じる一文に、年配者のおごりを感じますが、まあいいや。軍国主義に利用され、戦争では献納され、戦後に造り直されて観光名物にされたハチ公像の受難は続きます。平成に入ると、像は都市計画によって長年の棲み家を「強制収用」され、現在の場所へ追われます。彼の人生、いや犬生は、人間様の勝手で飼われて捨てられるペットたちの悲哀を象徴しているかのようでもあります。
ハチ公の前で古老が昔話を語った50年ほど前の渋谷は、のどかで素敵な街だったんだろうね。今のシブヤの異常な喧騒に年寄り連れてったら、おっ死んじまうよ。