NHKの朝の連続テレビ小説「花子とアン」の視聴率がよろしいようで、まことに慶賀の至りでございます。
何をしたいのか読めぬ主体性のないヒロインの全然進まぬあなたの物語、かと思えば急に時間軸を大幅変更してベテランのナレーションで補完する、主役ならびにその周辺のお芝居と滑舌がアレなのを年長の芸達者が必死こいて補う等々。前作「ごちそうさん」にソックリではありませんか。主人公にタカるガキども(ごちそうさん・戦争ー食い物、花子・震災ーお話)から、変てこりんな挿話で我が子の死を克服できる母の形而上学的心理も同じ。取るに足りない設定のはずだった仇役(キムラ緑子さん、吉田鋼太郎さん)が主役以上の人気を得る副産物までそのままというのがすごい。コピペですか?ヒットの黄金律と呼ぶには、随分視聴者を小馬鹿にした中身ですが。
NHKだけが悪いのではありません。赤信号もみんなで渡れば怖くないのです。歴史を振り返りましょう。
今日は、崩壊した平成バブルの浮かれ気分がまだ巷に残る1991年10月3日の朝日新聞「まねせずにいられない!? 日テレ新番組、フジのドラマと主演同じ」から引用します。
16日から日本テレビ系で連続ドラマ「愛さずにいられない」が始まる。ときいてすぐ思い浮かぶのは、今春話題を呼んだフジテレビ系の連続ドラマ「もう誰も愛さない」だ。そのうえ、吉田栄作主演、アベクカンパニー制作まで同じとなると、テレビ業界内でも「パロディーかと思った」「ここまでやるとは……」との声も。ここまで露骨に言える心臓が、ある意味うらやましいです。確かにテレビは見ていただいてナンボ。 ギョーカイの理屈では、絶対的正義かもしれません。しかし、自信を持って面白い商品を届けたいとの思いは不要なのか?プロデューサー、ディレクター、脚本家もろもろ、コピペを続ければいずれ視聴者の鉄槌を食らいます。視聴者様をバカにしているのですからね。
アベクカンパニーの楠田泰之プロデューサーは「まねだって何だっていいんじゃないですか」と切り返す。というのも、ドラマに限らず、クイズでもバラエティーでもひとつヒットするとどの局も同じような番組を作るという中でテレビ局間の競争が繰り返されてきたから。「視聴率を追っている以上、当たったら同じようなものを作ろうと考えるのは当然。視聴者はおもしろければ、どのテレビ局でもいいし、局独自のカラーなんか期待してないと思いますよ」というわけだ。
アベクカンパニーの主なメンバーは、TBSのドラマを多く手がけ、「金曜日の妻たちへ」など話題作を作ってきた。「もう誰も愛さない」では、物語の山場が何度もくる速いテンポで「ジェットコースタードラマ」という新しい名前も生んだ。今回もその手法は変えない。
日本テレビの水田伸生プロデューサーは「前作は復しゅうや嫉妬、さい疑心など、人間の暗い部分を主に出していた。が、今回はストレートに、素直に、若さを出したい」という。題名についても、「受けを狙ったんじゃありませんよ。感情のこもったタイトルがいいと判断しただけ」。
この背景には、日本テレビ側の事情もある。秋の改編で4年ぶりに9時からの2時間ドラマをやめて、とんねるずの1時間のバラエティーと吉田主演のドラマにする。これまで弱かった若い視聴者をつかむのが目的で、同局の改編の「目玉」だけに、何としても成功させたかった。
9月末まで広報局長だった萩原敏雄さんも「ドラマこそ各局独自の路線がなくてはならないし、フジとは違う方法でというのは正論だが、今回は若い視聴者をつかみ定着させるのが第一。これを契機に自局の若者ドラマ路線を切り開きたい」と話す。
一方、フジテレビの村上光一編成局長は「まねしていただくのは元祖としては光栄です」とした上で、「題名まで似ていてあまりに極端。一番そつなく得点する戦術としてはひとつのやり方で、ある程度の視聴率は取ると思うが、局のイメージとしては損したのではないか」と指摘する。(引用おしまい)
ここまで書いていて、「コピペ」とはよそ様の物を盗む行為だと気がつきました。朝ドラの中だけの再生産ですから、NHKの場合はコピペではないですね。
「自家中毒」に訂正させていただきます。