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2014/07/07

ゴジラ誕生前史

今年は日本映画の傑作「ゴジラ」公開60周年。米国で新作がつくられたり、NHKが特集番組を流したりして盛り上がっていますね。
ゴジラが生まれる約20年前の1935年は、この大怪獣にとって大事な年でした。成瀬巳喜男が撮ったトーキー作品「乙女ごころ三人姉妹」が公開。ほぼ新人助監督として名匠の薫陶を受けたのが本多猪四郎。「ゴジラ」の監督です。
この年、一人のカメラマンが軍艦に乗ってハワイやシャム(現・タイ王国)を回る航海に出ます。国策ドキュメンタリー撮影のため、海軍からふんだんにフィルムを渡された彼は、海外各地で撮影技術を存分に磨いたに違いありません。プロパガンダ作品「赤道越えて」監督、円谷英二。後年、特撮の神となります。
1935年は、ゴジラを語るのに欠かせない、もう一人の男の人生を変えました。12月18日の東京朝日新聞「『日本狂詩曲』 世界一流名家の審査に無名青年の作品選ばる」から引用します。
(前略)ロシヤ生まれの若き作曲家チェレプニン(Alexander Tcherepnin)氏が(中略)日本国民性にふさはしい日本人の作曲家を募集し、世界一流の作曲家に審査を依頼し当選曲に対し賞金を贈ることになってゐたが、この第1回賞金(300円)はこの程パリにおいて(中略)厳選の結果、札幌市南13条西13丁目の五百旗頭昭(いふくべあきら)君の交響曲「日本狂詩曲」に与えられる事に決定した。なほ二等賞は東京の松平頼則(まつだいらよりつね)君の「パストラール」である。五百旗頭君は日本作曲家仲間には未だ知られてゐないらしいがその作品が純日本的である点が認められたもので、この曲は来年パリで演奏される筈である。これで日本の無名作曲家の世界進出の道が開けたわけである。(引用おしまい)
有名なゴジラのテーマ曲を書いた伊福部昭。記事では誤記で「イオキベ」 にされてしまっていますが、まごうことなき伊福部昭です。その後も「五福部」と表記された記事があって、伊福部昭の扱いはかなりかわいそう。また、記者は作品を「交響曲」としていますが、三部構成の「狂詩曲」。橋本国彦の「光華門」を「交響曲」にした件といい、戦前の日本人のクラシック音楽の認識はこの程度だったんですね。
北海道の営林署員だった伊福部は、これを機にプロの作曲家となります。余談ですが、二等の松平頼則もビッグネーム。レベルの高い賞レースだったんだね。
3人の運命を変えた1935年は、満州国皇帝溥儀が来日したりドイツがベルサイユ条約を破棄したりと、世界が戦争への歩度を早めた時代。暗い世相だけれど、この年はゴジラの萌芽期でもあります。パンドラの箱にだって希望が交じっていました。歴史の不思議ですね。