コピー禁止

2014/07/10

黒柳徹子が裸で走り回るドラマ撮影

ユニセフ大使の黒柳徹子さんが就任30周年を迎えたそうです。タレントが海外の貧困やこどもたちを扱うと、売名、偽善のニオイがするものですが、黒柳さんは80歳を迎えてなお献身しています。この人は本物でしょうね。
黒柳さんは最初、文学座の女優でした。テレビの創世記から活躍していました。当時は録画技術が未発達で、ドラマも生放送。場面が変わる度に衣装をチェンジしなければならない俳優は、苦労が絶えなかったようです。往時を振り返る黒柳さんのコラムを紹介します。1971年1月23日「昔むかしテレビはネ…」から引用します。

(前略)昔むかし、テレビの始った(ママ)ころ、一番頭を悩ませたのが、この着替え、ということでした。脚本家の中には、それを考慮に入れないでお書きになるかたもあり、随分、スリルを味わいました。スリルを具体的に書いてみますと、こうなります。ドラマの筋は娘の私が恋人とデートを楽しみ、家に帰って来る。次の瞬間、パジャマで彼を想い、日記をつけて寝る。次はもう翌朝で、仕事場の同僚にデートの報告をしている…。ほんの一部ですがこんなあんばいです。こうなると、着てては間に合いませんから、脱ぐ、ということになるわけで、そのためには初めから全部着込んでおく、というご苦労なことになるのです。(中略)さて、スリルは家に帰ってから始ります(ママ)。ポンと日記帳が写っている間に死にもの狂いでデート用を脱ぎ、パジャマの上を着る。これで、パジャマの上下がそろったわけ。これで日記をつけ、ベッドに入り、恋人を想ってるうっとりとした顔のクローズアップの間に、ふとんの中ではパジャマのズボンをぬぎ、スカートをはく。朝になった!仕事場のドアが写っている間にベッドからとび起き、ドアめがけて走る。衣装さんが私のあとからやっぱり走りながら、パジャマの上をはぐ。ドアに到着。開けて、「お早よう!」。(引用おしまい)

改行が少なくって、黒柳さんのしゃべりそのままのスピードの文章です。かえって当時の制作現場(たぶんNHK)の修羅場の雰囲気が出ていて、これはこれでおもしろい一文だと思います。テレビの脚本家がテレビをわかっていない。すべてが手さぐりで進められた時代のテレビマンの緊張感が伝わってきます。
この撮影で、黒柳さんは着替えに失敗します。恋人と会うシーンで、スカートの下にたくし上げておいたパジャマのズボンが、本番中にずり落ちてカメラに映ってしまったそうです。続きを引用します。太字挿入はおじさんによります。

(中略)そんなわけで、当時は、裸でスタジオの中を走っている光景などはザラでした。「恥ずかしがっていて間に合わないほうが恥ずかしいんだから」と衣装の小母さんにしかられたこともあります。中にはスカートを脱がされるとき一番下の下着まで間違っていっしょに脱がされて、スタジオの真中で泣いた女優さんもいましたし、あまり下に何枚も着こんだので、わからなくなり、まだあると思って脱いだら、もう何もなかった、なんて恐ろしい話もありました。(引用おしまい)
うら若き乙女だった黒柳さんも泣いたのでしょうか?今の技術水準と比べれば、稚拙でドタバタしたドラマづくり。おじさんは笑うことができません。ドラマばかりでなくドキュメンタリーさえも、下請け孫請けの制作会社に丸投げして、予算の計算ばかりしていると言われる、今の電波利権の上にあぐらをかいたテレビ局よりよほど健全で真摯な姿勢が、黒柳さんの筆から伝わってくるからです。続きを引用します。
今では録画で、もうスタジオを裸で走る人はいなくなりました……と思っていたら、このごろは、また裸で走ったり踊ったり、だんだん脱いでいく人を見かけるようになりました。ただし私たちは、テレビに写らないところでやったのですが、このごろのは、写るためにやっているのですね。テレビも変った(ママ)ものです。(引用おしまい)
コント55号の野球拳などへの皮肉でしょうか。テレビの低俗化・エログロ化が進むのが徹子さんは嫌いだったのかもしれませんね。