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2014/05/31

集団的自衛権・井上ひさしと加藤周一の遺言(1)

連日のニュースを見たり読んだりしてると、集団的自衛権の国会論議は論旨がはちゃめちゃです。こんな低レベルの言い合いで、こどもたちみんなの未来が不自由になっていくのかと思うと、おじさんは暗たんとした気持ちになります。
社会を形成する根幹である憲法を、一個人の解釈で自由にできる国を「独裁国家」と言います。その政治体制は「ファシズム」と呼ばれます。集団的自衛権の行使が決まると、日本に野党は無いも同然ということが判明します。この国の仕組みが中国や北朝鮮と同じだということだよ。本来は国会で審議する以前の問題です。
どうして日本の政治家は議論が下手なのでしょう?今から11年前の1993年1月1日の朝日新聞での、作家の井上ひさしと評論家の加藤周一との対談が、現状を見事に言い当てています。以下に引用します(「井」は井上、「加」は加藤)。

井 「清々粛々」「万死に値する」など、政治家の言葉は、いかめしい割には中身がありませんね。だれに向かって話すかといえば、国民や憲法にではなく、派閥や党、選挙区など後ろに向かって話している。論敵ではなく、家の子郎党を納得させるための言葉、まるで「源平合戦」のようです(笑い)。(後略)

(注・安倍さんは野党の質問者が話すさなかに「わかってないんだから」と論敵に野次を飛ばしました。およそ総理大臣がやることではありませんけど、それ以前にこれだけ辛抱が利かない人に防衛に関する判断を任せてしまうシステムを作ってはいけないと思います)

加 言葉じりをとらえられないために、意図的に空虚でありたいという気持ちがまずある。具体的な内容はなくても、聞く者に一種の扇情的効果を与えたいという思いもあるでしょう。涙もろい文学をわざわざ慟哭(どうこく)の文学と呼んだりした日本浪漫(ろうまん)派的漢語の用法じゃないかな。「不退転の決意」とか「明鏡止水」とか、ふだん使わない漢語で、ある種の情緒を醸し出す。(中略)とにかく言葉で相手を説得しようとはしない。

(注・安倍さんは突然、紙芝居を持ち出して「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らの乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と、慟哭のおとぎ話をしていました。むろん憲法論議と何の関係もありません)

この項、続きます。