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2014/05/30

阪神ファン暴発史(下)史上最大の祭り編

一般に阪神ファンによるお祭り騒ぎの頂点は、1985年の優勝時だと考えられています。しかし史料をたどると、甲子園球場がマンガ「北斗の拳」の修羅の国と化した1973年10月22日の甲子園球場のゲームほど、阪神ファンが日本中を震え上がらせた事件はなかったのではないでしょうか。翌23日の朝日新聞大阪版から引用します。6人の負傷者が出ていますが、おじさんの判断で婦警さんの名前を外しています。

(前略)9-0。試合終了。守りについていた巨人ナインは逃げるように三塁側ベンチへ。そのあとを追うようにグラウンドになだれ込んだファンは約3千人。「王をいてまえ」。先頭の数十人が逃げ遅れた王、森選手らになぐりかかった。選手たちはふりほどいて通路からバスに逃げ込んだ。そのころ三塁側からも巨人ファンがグラウンドに飛び込んできて、ファン同士のなぐり合いが続く。制止する警官も身をかわすのに精いっぱい。砂やビールの空きかん、座ぶとんが飛びかった。
騒ぎはバックネット裏に。テレビのアナウンサー、解説者に向かって怒声を浴びせる。机をひっくり返したり、放送用の機材を手当たり次第に投げつけたり、けとばした。
騒ぎがおさまらないため、午後6時、警察側の要請で金田監督が三塁側内野席入り口に姿を見せた。約500人のファンの「負け方にもほどがある。責任をとれ!」のバ声を受けて、同監督は「誠に情けない試合をして申し訳ありません。わたしの責任です。いまの気持ちは皆さんと同じくらい泣きたいのです」。
球場から出ても「戸沢(阪神球団代表)を出せ」「カネを返せ」。だれかが叫んだのをきっかけに、止まっていた乗用車をたたき、けとばす。警官が制止に飛び出すと、甲子園署警備本部に石や空きかんを投げる。新聞紙が燃え上がった。
この投石騒ぎで同警備本部の窓がこなごなにこわれ、中にいた婦人警官(21)がガラスの破片で左足に3週間のけが。(引用おしまい)

もはや犯罪者の群れですね、阪神ファン。言ってること、やってること、メチャメチャです。大阪版では名前がありませんが、東京の紙面を見ると、朝日放送、読売テレビなどの放送機器が破壊されたようです。
ここまで極端だと、教訓を得ろと言うのも難しい乱痴気騒ぎですが、王さんみたいに立派な人を「いてまえ(直訳すると殺してしまえ)」とぬかしてしまう群集心理の怖さを覚えておいてほしいと思います。
熱狂に流されてイベントに参加した結果、みんなの身に辛い結果が訪れないように、おじさんは願います。狂乱に巻き込まれて、「犯人」にならないように気をつけて下さいね。