でも、負かした相手が優勝した自分より劣った人間だという思い込みにはまってしまうことがままあります。おじさんを加えた大人にもあります。他人を差別しちゃうのは、恥ずかしいけど、簡単におちいりがちなワナです。
今日は1925年に朝鮮半島で起きた大水害に関係する新聞記事を紹介します。朝鮮に行った作家の中西伊之助が、東京朝日新聞に投稿したものです(8月24日朝刊)。「同情」という言葉が出てきますが、大正時代には災害被災者などへの寄付や救済活動を指しました。「内地人」とは、仕事や移住で日本から朝鮮半島に移り住んだ人たちです。以下に引用します。
(前略)その当時の救済は遺憾ながら内地人に篤く、朝鮮人に薄いのであります。一例を挙げますと水災当時の如きは、とく島危し(ママ)と見た時、東洋拓殖会社は、幾多の救助船を出して島民を救ふたのでありますがそれは、内地人の移民ばかりで、鮮人たちが目前に水に溺れているのを見ても知らぬ顔をしていたのでした。そして内地移民全部が助かると救助を中止したのです。内地人は何等の同情も救いを求める鮮人に施さなかったのです。
そのために、折角助かるものも内地人の優越感の為に、多くの鮮人は救はれなかったのです。
一般人の如きは、東拓社員の冷酷を面罵して却って殴打されたと云っています。すべては内地人本位の救済だったのです。今回の同情金についても尚当局者において十分に公平にしてもらひたい。内鮮人の区分なく十分に公平にしてもらひたいと、鮮人たちは望んでいます。事実にも内地人は既に十分救済せられているのに、鮮人はまだ路傍で困窮しているものが多いのです。
これは、鮮人が数が多いからだと云ふばかりではありません。名ばかりの鮮人救済、同情であってはなりません。名があって実が備はらなければ鮮人は却って反感を持つことになります。(中略)
何事も内地人が先き(ママ)と云ふ迷もうを打破してもらひたいと鮮人は叫んでいます。ーこの事を同情して下すった内地人諸君へお伝へ下さいと云ふことでした。(引用おしまい)
長文でした。お疲れさま。当時、朝鮮半島は日本に併合されていて、その出身の人たちは日本国民だったんだけど、人命救助や救済金はみんな今の日本から渡った人が優先されたというお話です。差別って醜いね。この投稿を読んで、おじさんはよその国の人たちを悪く言ってはいけないと改めて思いました。
中国も韓国も、もちろん米国も、言葉も政治も文化も違うよね。そこを理解する努力をしないで、外国の人たちを悪く悪く言うのはよくないとおじさんは考えます。日本語や日本の社会に慣れていない人たちにこそやさしく接するのが、素敵なことだと思いませんか?