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2016/06/06

「真田丸」第22回感想 「最低の裁定」

キャラクターという横軸

テレビドラマ「重版出来!」(TBS系)を鑑賞。朝日放送のアナウンサーだった赤江珠緒さんが女優デビューしたというので、完全に面白半分でチャンネルを合わせました。
兵庫県のローカル局サンテレビのマスコット「サンテレビガールズ」時代からなんとなく顔は見知ってました。大阪準キー局に入社して、フリーになったと聞いていましたが、女優さんになってたんですか。サンテレビガールからドラマ俳優か。すごいな。
いや、サンテレビガールズをバカにしているんじゃありませんよ。知人の美女が、かつて面接で落とされたことをグチってた難関。兵庫県女子の憧れ、神戸ボーイズ高嶺の花とはサンテレビガールズのことです。
とはいえ、ド素人には簡単に門戸が開かれるはずもない演技の世界。兵庫県産の大根に、おそらく完膚なきまでにドラマ世界をぶち壊すであろう醜態を見せてもらって、思いくそ笑かしてもらおうと期待していたんですが、作品自体が存外に面白かったんですよ。
週刊漫画雑誌編集部の話なんだけど、編集長役の松重豊さんは、視聴者にわかりやすい芝居を求められています。ところが、ズルいんだ、この人。決めの泣かせシーンになると安い芝居を捨てて、東宝・社長シリーズの小林桂樹をほうふつとさせる細かいまばたきをもってていねいな演技を見せてくる。小日向文世さんは演技らしい演技を殺して、長ゼリフとなればどこかの方言らしいイントネーションも入れてきて、市井の人らしく振る舞う。コント前提のオーバーアクト大河の豊臣秀吉より、よほど見ごたえある表情と声です。クローズアップといえば、瞳をばっかーんと開けっ放しにしているヒロインの黒木華さんは見習おう。
若手編集者を演じる黒木さんにも見せ場がありました。新人漫画家にアドバイスする場面です。
「足りないものがあるんです。各キャラクターの魅力です。登場人物の一人ひとり、別の人間としての魅力が必要なんです。ストーリーとしての縦軸だけではなく、キャラクターという横軸もしっかり面白くないと、連載は取れません」
黒木さん、「真田丸」の脚本家にも、これ言ってやって下さい。上田城合戦で戦場往来のママゴンというムチャクチャなキャラにされたあげくに惨殺された真田信繁の妻の醜態を全国に放送された役者として、主張する権利は十二分にありますよ。
その「真田丸」第22回「裁定」は果たして、人物造形に成功したのでしょうか。

漂うやっつけ感

前週から始まった沼田城の帰属をめぐる民事裁判が今回の見どころです。理詰めの法廷劇になれば上出来でしたが、細かい構成が苦手なのか、プロットを考えるのが面倒くさいのか、やっぱり脚本が逃げを打ちました。
クライマックスとなった信繁の窮地が、城の所有権問題とは無関係な徳川家康の人格攻撃問題にすり替えられました。展開に無理があるから、そこへ派手に劇伴音楽を流して視聴者の思考力を削ごうとします。「重版出来!」もそうでしたけど、最近のテレビドラマって、どうして音楽を山盛りにして緊迫感や感動をつくり出そうとするのでしょうか。「重版……」の方は人件費削減で、弦楽奏はコンピューターで制作した擬似演奏でした。「TBS交響楽団」なんてありませんからね。N響使い放題の大河ドラマはコストの問題が深刻でないにせよ、明らかに使いすぎです。家系図のチャートをぶら下げるアホみたいなコントでも、ちゃんとプロの人間が奏でるハープの音色が茶の間に届けられました。ホントにムダ。音が逐一素晴らしいだけに、その乱用が演奏家の徒労感を伝えてきます。
人間ドラマ部分には、例によって薄っぺらく「いい人」攻勢がかけられます。板部岡江雪斎が反戦主義者になり、本多正信は主人公の応援団として見せ場を作ります。常識で考えれば、正信の立場は城を北条に渡した方が主君の思いに沿うわけですよね。殿様ときたら前週、わざわざ北条氏政を訪ねて助命工作までやっています。前に作った設定を1話で忘れる鳥頭構成。前回の感想で指摘した、“発端”と“葛藤”をネグって“終結”のみで話を流す脚本の悪癖のせいです。室賀正武が、殺される回だけ突然善人化したパターンが繰り返されています。「重版……」で言う、「キャラクターという横軸」がありません。
判決の決め手となった起請文の文言も、前回までに提出することなくいきなり放り込んでくるから、視聴者はやっつけ感にガッカリします。これが連載漫画だったら、松重編集長のカミナリが落ちるとこですね。
カミナリと言えば、北条攻めが決まった直後に激しい雷雨の描写がありました。秀吉の北条宣戦布告状は天正17年11月24日付。グレゴリオ暦だと大晦日です。こんな天気になる季節か? アリスのヒット曲「冬の稲妻」のタイトルは、矛盾した事象を言葉にした面白さをねらったものです。「あなた(秀吉)は稲妻のように、私(氏政)の心を引き裂いた♪」とのメタファーだったんですか。前回、本欄でほめた季節感描写はダメダメに逆戻り。
現代語時代劇を錦の御旗に仕立てたからといって、どんな単語を使っても良いというわけではありません。江戸期以降の言葉「頑張った」(昌幸)は、まあ許せるとしても、「二枚舌」(板部岡)はヨーロッパ語源(英語の場合はforked tongue=ヘビのように割れている舌)だし、「ド肝を抜く」(秀吉)の「ド」は、この時代よりずっと後の関西方言です。「ド真ん中」と言いますね。東京言葉だと「まん真ん中」。現代語の使用が、作劇のねらいではなく調べたくない作家のエクスキューズに思えます。調べて書いているようには見えない。

「おしん」の現実感

全編に嘘が散りばめられることが前提である映像劇には、綿密に取材した事実の裏打ちが必要です。嘘だから、テレビだから、ドラマだから、想像のみでこしらえて構わないというものではないでしょう。史実・人物・言葉遣いを確認した上での嘘であるからこそ説得力を得ることができます。
1983年4月からの1年間にわたる放送で日本中に大ブームを巻き起こし、海外でも大人気となった朝ドラ「おしん」の脚本家橋田壽賀子さんは、明治時代の設定であっても調査・取材を忘れない作家でした。そのおかげで、視聴者が「貧乏なおしんに渡せ」と、大金を放送局に送ってくるほどのリアリティを持つことができました。
1983年5月27日付の毎日新聞への橋田さんの寄稿「心模様《19》」から引用します。
テレビドラマ「おしん」をみて下さっているかたからNHKへ10万円が送られてきた。「おしんが餘り(あまり)可哀想だからやって欲しい」とおっしゃるのである。スタッフはあわててお返しした。かと思うと、元地主というかたから、「あの頃の小作人はみな痩せこけていた」という抗議の電話があったという。これは批評家のかたにも指摘された。ドラマと現実が、ごっちゃになってしまっている二つの例である。
明治30年代の東北の寒村で、収穫の5割という年貢米を地主に納め、残りの乏しい米を何人もの家族で食いつなぐ為に、米に大根をまぜて量をふやした大根飯を、それも腹一杯は食べられない小作にしては、おしん役の小林綾子ちゃんも、両親役の泉ピン子さんと伊東四朗さんも、なるほどふっくらしておいでになった。が、これには、私は私なりに反論がある。
テレビの画面というのは、カメラの所為なのだろう、4畳半の部屋でも8畳くらいの広さに見えてしまう。以前、狭い家で大家族がひしめき合って暮らしているという設定のドラマで、現にセットは小さい部屋なのに、狭い感じが出ず、やはり視聴者のかたから、おかしいと投書をいただいたことがあった。
それと似て、人物も実際より肥ってみえる。泉ピン子さんなんて、お顔も小さいし、忙し過ぎるんじゃないの、と心配するくらい、痩せていらっしゃる。だのに、丸顔がわざわい(?)して、テレビでは痩せているという印象が、全くない。
(中略)まもなくドラマのおしんは、髪結いの修業に奉公する。脚本を書く前に、同じ頃、同じ体験をなさったという御老齢の髪結いさんにお話をうかがった。今では想像も出来ないようなきびしい修業に、耳を疑ったほどであった。
お師匠さんの家と店の掃除から、洗濯、食事の支度、お師匠さんの髪結いの手伝い、やっと店が終わると夜は夜で髪結いの練習が待っている。朝から晩迄坐る暇もない。食事は御飯とタクアンだけ、それもゆっくり食べてなどいられない。
早飯は奉公人の条件で、「客は逃げても飯は逃げない」と追い立てられ、「寝たい、食べたい」というのが、当時唯一の願望だったと述懐していらした。「でも、不思議に痩せた人はいなかった」そうである。やっぱり食べものが悪くても少なくても、肥る人は肥っているので、小作人だから痩せていなければならないという法はないのである。
たかがドラマの中の人物のことで、こんなにムキになるなんてつまらない時間つぶしかも知れない。が、ドラマを現実と重ね合わせて見ていらっしゃるかたには、ドラマの嘘も許しては下さらないことが多いので、無理に理由づけをしてみる気にもなってしまう。
真冬に、夏のシーンのロケをしなければならないときもある。勿論、ひとの息が白くうつってしまう。と、早晩、投書や電話が殺到する。なかには、真冬の寒いときに大変でしたねと、理解のある言葉を下さるかたもいる。そんなに熱心にみて下さっているのかと思うと、ありがたい。が、それだけに、細かいところ迄気を使わなければならないスタッフの苦労は、なみたいていではないのである。(引用おしまい)
創作物に自信を持つための裏取りは必須。それがなければ、事実と創作の妥協点、一線を画す基準すらわからなくなります。「真田丸」には、その一線を墨痕鮮やかに見せてもらいたい。細心のフェイクが見たい。ミスをミスとも思わぬ作劇など視聴者は求めていません。
「重版……」で、フェイク大根として期待していた赤江珠緒さんは、予想を裏切る好演でした。このぶんなら、アラフォー女優が十代を演じているコント大河のオファーが、アラフォー新人アクトレスにやって来ても大丈夫。視聴者にそう思わせる水準を、大河ドラマには超えてもらいたいものです。