丹波哲郎のメチャクチャ丹下左膳
俳優・丹波哲郎の自伝「丹波哲郎の好きなヤツ嫌いなヤツ」(キネマ旬報社)は、この怪優のハチャメチャな撮影現場譚が満載された抱腹絶倒の一冊です。生放送時代劇「丹下左膳」では、無いはずの右腕で刀を振るったり、ひどい時には両手で剣を握って暴れまわる。ネット全盛の現代ならこんな映像は、確実に炎上の餌食になるところでしょうが、迫力ある殺陣のせいか、視聴者からの苦情はなかったそうです。昔の話だといえ、破天荒な唯一無二の無頼漢タンバならではの語り口には、哄笑しながら引き込まれてしまいます。
個性ある俳優が大勢出演しているはずの「真田丸」ですが、そんな役者個人の持つ面白さがドラマへ反映されるに至らず、制作のルーティンワークが優先されている、と感じるのは気のせいでしょうか?
第23回「攻略」が放送されました。漢字2文字のタイトルに、もはや意味を感じることができませんね。まあ、やっつけ仕事はここくらいにして、それが劇の中身に及ばなければいいわけですが。
無気力チャンバラ、ここにあり
北条攻めが始まりました。石田三成は徳川家康を信用していないと、大事な政治の話を馬廻衆の若造風情にぺらぺらしゃべります。豊臣秀吉は、家康を遠ざけようと関東転封を申し渡すのですが、両者ともに家康の脅威、またはその人格に思うところ、含む考えをここまで視聴者に提出していません。唐突感が否めない。脚本が上手い下手以前に、十分な思考の上で執筆され、現場に渡っているのかとの疑念がわきます。北条氏政は家臣を心配させまいと、蹴鞠にふけり、化粧をし、アロマで体臭を隠す気配りを見せているんですけど、基本が徹底抗戦を叫ぶろくでなしですから、共感を覚えることなき尺のムダ遣いと映ります。何かと菓子をあさりまくっていた設定もなくなりました。汚く汁飯をかきこむ姿も消えてキャラは薄くなり、目がギラギラしてるだけのただの愚かな小皇帝にしか見えないんですよ。息子も家臣も芯のない弱虫として描かれています。北条家の描写が甘々すぎて、陣羽織の家紋が明治屋のロゴに見えました。明治屋の甘いジャムをパンに塗りたくって、北条氏政の代わりに汚くむさぼり食ってみたくなります。
小田原のロケには期待していました。小田原城公園はきれいだし、街並みもゴミゴミしていない。いい意味での田舎のコンパクトさを感じます。食事もおいしいですよ。余裕があれば漁港まで足を伸ばし、魚料理を堪能するのがオススメです。
でも、「真田丸」は全部スタジオで済ませやがった。景観を遠望できる丘陵をスタジオ撮影でやられると、うんざりします。どうせ遠景はCGで古びさせるにしても、本物の地面に生えている植生と、美術がこしらえた植木とは別物。予算の問題か、力を持つ人間の中に生理的ロケ嫌いがいるのか、台本の上がりが遅くて余裕が無いのか。いずれにせよ、前向きな姿勢での解決を求めます。
信繁が周囲に持ち上げられて大役を果たすというのが、この作品のお約束というか、さしたる実績のない人物が歴史に巻き込まれて出世するのが、もはやテーマではないかとも思わせる展開が続いていますが、今回はとうとう豊臣と北条の仲裁などというふざけた役が回ってきました。ドラマ相手に史実がどうこうとクソ真面目にモノ申す気はさらさらありませんが、主人公にそこまでやらせるのであれば、選出の根拠を事前の作劇で示しておかなければ、視聴者はついていけません。前週の生煮え法廷劇をテコに、板部岡江雪斎が信繁を持ち上げ、「しがらみのない者の言葉にこそ、人は心を動かす」と、苦しい設定の説明セリフを口にします。忍城を落とさんと北条と戦っている男の息子で、今は豊臣の禄を食んでるシガラミまみれの坊やなのにね。嘘つき坊主め。
ちなみに板部岡、「火に油を注ぐ」と言っていましたが、この慣用句は古代ローマの歴史家リヴィウスが、自著「ローマ建国史」で使ったもの(Add fuel to the flame)です。この時代の東洋人でリヴィウスを知っていたとすれば、世界的知識人だったと認定できるでしょう。前週の「二枚舌」に続く南蛮渡来の言葉を乱用します。ホントはこいつ、仏教僧じゃなくてバテレンか? 言葉を練らずに手抜きでセリフを書くから、歴史好きな大勢の視聴者にいんちきを見透かされるんですよ。
今回最大の問題シーンはここからです。チャンバラ、ひっでえ。視聴者には間取りすら知れぬ暗がりの狭い廊下での斬り合い。なんやようわからん影がもみ合う、大学の映画サークル映像みたいなカットから、主人公が庭へ逃げ出したら佐助の爆弾が転がってきて窮地脱出。その窮地も信繁絶体絶命とは言えないヌルい時点だし、なぜ前のシーンで佐助の存在をわざわざ視聴者に記憶させる演出をするのよ? おかげでボール爆弾が出てきた瞬間、「ああ、佐助に助けられるんだな」と、緊張感を得ることなく後の展開が丸わかり。その爆発も、CG出現以前の二重露光にも劣るお粗末な落書きで済ませやがった。火薬使え、火薬。消防署にスタジオでの火気使用の届出すのが面倒くさかったんですか? 脚本といい監督といい、視聴者をナメすぎです。
鬼平・長七郎・桃太郎たちの斬人術
時代劇の面白さの一つが殺陣にあるのは言うまでもありません。敵味方が大刀振るって殺し合うファンタジーは、時代劇だからこそなせる業です。だからこそ、我が国唯一の本格時代劇である大河ドラマが、こんなていたらくで良いはずがありません。今日は、往年の剣劇スターたちのチャンバラ稼業を紹介、現場の意欲について考えてみます。1980年9月5日付の朝日新聞夕刊「殺陣迫力にあの手この手」から引用します。
(前略)「鬼平犯科帳」(朝日)の萬屋錦之介にしても、きれいに見せる殺陣から脱却して、本当に切る演技を心がけている。居合を習い、刀の重さや本当の刀の使い方を習得した。普通、立回りの場合は、木刀に銀紙を張った“竹光”を使う。真剣に比べて、重さも約3分の1だし、危険が少ない。クローズアップの場面だけは迫力を出すため、ほとんどの俳優が真剣を使うのだが、錦之助は、立回りの最中でも真剣を使うことが多い。刀の扱いによほどの自信があるのだろうが、それでも一瞬の間合いが狂って相手の着物を切り裂いてしまったことがあり、「さすがにあの時はひやっとしました」という。この記事は、スターは天分だけではスターたり得ない証左だと言えるでしょう。たゆまぬ努力と学習。熱くなって両腕で刀を振り回した、一見でたらめな丹波哲郎の丹下左膳にしたって、その熱が視聴者を満足させたのではないのか。
昔の剣劇スターに最も近いのは「長七郎天下ご免!」(朝日)の里見浩太朗と「桃太郎侍」の高橋英樹か。里見は二刀流を使うが、その“タネ本”は戦前に出版された吉田精顕著「二刀流師範」。かつての殺陣師・林徳三郎が所有していたもので、多くの構えが図解されており、そこに林の覚書がびっしり書き込まれている。たとえば番組のポスターにも使用されている「鷹羽の構え」には「此れわ阪東妻三郎氏に使ったが、此の俳優よりつかわづ……」とある。この構えは、阪妻以来ともいえそうだが、里見は「構えはこの本を参考にしていますが、立ち回りは里見二刀流です」と笑う。だが、刀の重さを出すのに苦労しているようだ。
(市川)右太衛門の華麗さと阪妻の力強さを取り入れているというのが高橋。昔の剣豪スターの多くが実際に剣道の有段者だったのに対し、「剣の名人を演じなければならないのに、剣道を習うと、剣道4段なら4段より上の剣は使えないような気がする。だから剣道は習わない」という。高橋も、刃渡り2尺6寸5分(約79センチ)の大ぶりの真剣を多く使う。「もう1万人も切ったでしょうか。刃こぼれがひどくなって、研ぐたびに細くなり、そろそろ取り換えようと思ってます」
剣とは違うが十手の世界で活躍する「銭形平次」(フジ)の大川橋蔵と「新五捕物帳」(日本)の杉良太郎。この2人の十手に対する考え方は対照的だ。大川は武器として使うが、杉は「十手はいまの警察手帳」という。銭形平次はかつての長谷川一夫の当たり役だっただけに、大川は長谷川にはなかった2丁十手を考案した。「どうしても大先輩の型から脱却するのが難しくて……」と、苦労を語る。杉は合気道2段の腕前を生かして、十手術というよりは格闘技で迫力を出す。(引用おしまい)
「真田丸」のチャンバラには、剣劇のレベルが地に落ちた、テレビ時代劇というジャンル自体の死期が近いとの危ぐを覚えます。民放が軒並み制作から手を引いた現在、我が国の「医療機関」で、延命治療の実現可能性があるのは残念ながら大河ドラマしかありません。そこにも、技術と経験のあるドクターの存在が確認できないのが歯がゆいのです。