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2015/02/09

イタリア人の言論の自由、日本人の不自由

民主主義国家の絶対条件の一つは、言いたいことが言えることです。はき違えるとヘイトスピーチになっちゃうけど、そんな連中はどしどし裁判にかけてお金を取ればよろしい。
戦後70年、当然の権利だと一億皆が信じる言論の自由ですが、実は結構もろいものです。妨害手段はいくらでもある。
フランスの新聞社「シャルリー・エブド」が流血のテロに見舞われて1ヶ月。あんなひどいことをしなくても、言葉を封じる手段はいくらでもあるのです。
今日は40年以上前に、シャルリーと同じヨーロッパはイタリアの新聞社「ラ・スタンパ(La Stampa)」がリビアの独裁者カダフィ大佐とアラブ諸国からイチャモンをつけられた時のお話をします。
1974年1月7日付の毎日新聞夕刊「カダフィ議長“ユーモア”記事に激怒」から引用します。
(前略)問題となったのはトリノで発行されているイタリアの代表的新聞の一つラ・スタンパの「FとLの備忘録」というユーモアコラム。12月6日付のコラムは「ウワサによれば」と断ってカダフィ・リビア革命評議会議長のゴシップをあれこれおかしく紹介したが、その中に「どうも彼はCIAの一員くさい……決して妄信的回教徒ではない。現にチトー・ユーゴ大統領の家ではイノシシの肉を食べた……寝る時はタバコの葉でつくったマットを使用……スイスにハレムがある」とあったのが、厳格、かつ謹厳実直で聞こえるカダフィ議長の目にとまってしまった。
イタリアの週刊誌エスプレッソ最近号の伝えるところによると、この記事の出た2日後、リビア政府はトリポリのイタリア大使を通じて抗議の覚書を送り、議長を中傷した2人のコラムニスト、フルッテロ、ルセンチニ両記者の辞任を要求、ラ・スタンパ社が聞き入れないときはイタリアとの外交関係を断絶すると通告した。
フィアット社長を兼ねるアニェリ・ラ・スタンパ会長はアリゴ・レビ社長を呼んで善後策を検討したが、レビ社長は2人の辞職は問題外とつっぱねた。そこでアニェリ会長はローマのリビア大使館を出かけ大使に面会を申し入れたが、フィアットのパトロンとして官庁木戸御免のさすがのアニェリ氏も面会を断られ、玄関先に1時間あまり待たされたあげくやっと参事官に会えたが、参事官も本国政府の要求を繰り返すだけ。
その数日後、ベイルートにあるアラブの対イスラエルボイコット委員会はアニェリ会長に対し、2人のコラムニストばかりでなく、レビ社長をも併せて辞任させよと要求、さもなくば、アラブへのフィアット車輸入は一台もまかりならぬ。またアラブにあるフィアット社の資産はすべて国有化すると通告してきた。レビ氏はユダヤ人で、第一次中東戦争の際はイスラエル側に加わって従軍、かねてアラブから目をつけられていた人物だが、イタリアの代表的ジャーナリストとして国際的に定評がある。ラ・スタンパの記者は「この考えられぬ、ばからしい言いがかり」に反対声明を出したが、フィアットはエジプト、レバノンに組立工場を持ち、アラブ各国にある資産は巨額なものだといわれ「ばかばかしい」とばかり片付けられない。“友好国”の仲間入りをさせてもらえぬイタリア政府としても今後のアラブ外交からいって深刻な問題。
石油と言論の自由の板ばさみになったイタリア外務省は4日、アラブの辞任要求を退け「適当なチャンネルを通じ、友好の精神に立って解決さるべきである」と声明した。また日ごろ親アラブのイタリア共産党機関紙ウニタも「許されぬ内政干渉であり、言論の自由に対する侵害である」とはっきり批判側に回り、イタリア新聞協会も「全ジャーナリストの自由に対する威かく」と抗議声明を発表、イタリアは石油より言論の自由擁護を選ぼうとしている。冗談を冗談とカダフィ議長が受け取らなかったのが騒ぎの原因だが、アラブの強硬な石油外交がついに新聞にまで及ぼうとしていると欧州言論界はこの事件に深い関心を寄せている。(引用おしまい)
新聞の風刺はステレオタイプのムスリム批判に思えますが、当時は斬新だったのかな?  シャルリーが一般ムスリムも嫌がる預言者の偶像化をやらかしたのに比べたら、カダフィ大佐という公人の風刺ですからね。大した話ではない。
それより問題にしたいのは、その言論弾圧手段。外交の断絶に始まり、新聞の親会社のクルマ禁輸、海外資産の没収の脅迫です。しかも、新聞社の社長はイスラエルに付いてアラブと戦った猛者。最悪のパターンですよ。
これがアメリカンだったら、自国資産を国有化なんかされた暁には、逆ギレして軍隊を送り込む(キューバでのピッグス湾事件)ところですが、イタリア人とフィアットは我慢強い。さすがは冷戦の真っただ中、ソ連に自社車をライセンス生産させる連中ですね。
当時は状況も最悪。前年の秋に始まった第四次中東戦争をきっかけに世界中を襲った原油価格の高騰です。第一次オイルショックの最中でした。それでもイタリア国民は、経済より言論の自由を優先したのでした。
思い返せば先の大戦、ナチ野郎どもに抑圧されたドイツ国民、国体護持なるスローガンにただただ従った我ら大日本帝国皇民を尻目に、自ら蜂起して独裁者を倒したのは権利意識の高いイタリアーノでした。
言論の自由とは、いろんな攻撃自由の要素がある取り扱い注意、案外にもろい権利だと思います。特定秘密保護法万歳のジャポネーゼは経済とか資本主義とかの名の下には、そんなものを平気で売りがち。絶対にそうです。