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2015/02/11

錯乱大河はどこへ行く?

大河ドラマ「花燃ゆ」第6話鑑賞。井川遥さん、グラビアやってたころより色っぽいの〜。本田博太郎さん、クセ者の芝居はさすがやの〜。
川島海荷さんに華が出てきました。演技も面白くなってきている様子。現代語で進行するダメ時代劇にあって、ちゃんと武家娘に見えたもの。「文」を完全に食ってました。このまま天狗にならず成長すれば、演技派に化けるかも。吉田松陰の妹から、高須久子の娘にヒロイン交代した方が人気出るんじゃないの?
巷間言われているように、井上真央さんの演技力だけが悪いのではありません。「文」を高須家に粘着する善意のストーカーのごとく描く展開、カメラや照明もぺたーっと平板な中、時折現れるナゾのサイコホラー画面。問題山積ですが、いよいよ何をしたいのかわからなくなってきた脚本がぐちゃぐちゃ過ぎて、物語の感想を述べるのが難しいですね。
出入り自由な独房から庭先に出て、桜舞い散る春の日差しを浴びながらお勉強会を開く野山獄は、個室付きのオリエンテーリング施設に見えます。
今回の大河はアレ過ぎるゆえ、勤皇志士ブームが起こりそうにありませんが、社会がキナ臭くなった時には決まって彼らが持ち上げられます。
戦時中にも「国士」伝出版の一大ムーブメントがありました。吉田松陰、佐久間象山、高杉晋作に藤田東湖や武市半平太ら有名どころの他、佐久良東雄、高島秋帆、宇都宮默霖、林子平といった、ちょいとマイナー烈士群まで書籍化されて、1億火の玉の皇民化教育に献身しました。
その中に違和感バリバリの「偉人」が交じっています。1943年2月21日付の朝日新聞「勤王志士の伝記 執筆の動機について」から引用します。
「吉田松陰の母」吉川綾子
松陰の母滝子は極貧の家に嫁し、身をもって多くの子女を育て上げ、模範的に婦人の任務を果たしたが、別に高い教養があったわけではなく、至誠と努力と深い愛情で一貫している。今日われわれ母親はその心に学びたい。(B6、211頁、1円30銭、泰山房)(引用おしまい)
来たよ、杉滝。檀ふみさんが意味不明の不気味な笑顔演技を強要されている、あのスギタキです。銃後の帝国婦女も戦時下の経済窮乏にめげることなく、ビンボー人の家にありながら、松陰らを一人前(?)にした滝を見習えという話でしょう。立派に育てたら、鬼畜米英にぶつけるから身柄をお国に差し出せと。
吉田松陰やその一党が世情にマッチしたのは乱世です。外国の脅威を声高に叫ぶに攘夷は有効。団結のシンボルづくりに勤王思想は利用されがちです。要注意です
「花燃ゆ」が今後いかなる物語になっていくのか、だれにも想像できません。吉田松陰を語る上で尊王攘夷を出さざるを得ないことも容易に想像できます。大河はどんな覚悟で提出してくるのでしょうか?
ズサンな理屈がまかり通る今の政権運営に合わせたような、唐突で中身のない尊攘にならぬことを願います。