コピー禁止

2015/02/03

節分の日、ムスリム差別を考える


今日は節分です。豆まき行事をやった全国のお寺や神社は、さぞにぎわったことでしょう。豆まきがトップニュースになるほど日本が平和であれば、とてもいいことだと思いますが、現実は中東の過激派グループに2人の日本人が虐殺されたとされるテロ関連のお話ばかりです。
この件には後藤健二さんと湯川遥菜さんがかかわっているのに、後藤さんにのみ世論が収れんしているように見えるのは、世間の忘却の早さだけでは説明できないのが気持ち悪いんです。後藤さんは、不屈のジャーナリスト(称賛)、または政府の言うことを聞かない無謀な男(批判)。一方の湯川さんは何とも表現し難い被害者であったゆえのスルーなんでしょうか。話題の中心人物をアイコン化して扱う病が進行しているようで、何だか怖いです。
さらに残念なのは、インターネットなど一部でイスラム教徒(ムスリム)への無知から、中傷や差別的な言辞が出始めている様子。ムスリムに関して、おじさんには何の知識もありません。学校ではスンニ派とシーア派なる宗派があると習いましたけど、何がどう違うのか理解していません。さらに、シリア内戦のニュースでアラウィ派というのがあると知りました。他にもいろいろあるみたい。全然わかりません。ホント無知です。無学の徒。
だから語りません。無知は必ずしも罪だと思いませんが、我が無知を計らずして異文化・文明をどうこうバカにすれば、それは無知蒙昧という罪です。
「イスラム国」と称する狂信者集団の所業だけで、ムスリム全体のイメージを固定するような日本国民ばかりであれば、「仏教ってオウム真理教だよね」などと外国の人から言われても反論できませんよ。
今日は排除の論理について考えてみたく、明治時代が始まって干支が一回りした1880年、節分の日の風景を取り上げた、18802月5日付の大阪朝日新聞より引用します。仮名遣いなど、おじさんが現代風に改めています。
一昨夜の節分に各神社へ参る娘連を見るに、1213歳の女子(こども)までが、東京風の丸髷を結い、中には鉄漿(おはぐろ)を塗るもあり。その新奇の流行を追って誇り顔を見せ、歩く様は実に困った御幣担ぎの嬢公(おいらん)たちならずや。(引用おしまい)
 当時は節分に神社に行く際には、おめかししてたんでしょう。寺社仏閣は信仰の場であったとともに、どデカい建物があるテーマパークみたいな気分で出かけたと思われます。
関西でも丸髷が流行していたことが記事からわかります。東京発の文化が上方を浸食しつつあったんですね。武州の流行に捕らわれた少女たちに、大阪の朝日新聞記者が文句を垂れていますが、若者のセンスなど、いつの時代も年寄りには理解が及ばないもの。ミニスカートやルーズソックスが流行ったのと状況は同じです。ほっとけ。
上記記事の主張のくだらなさを読み取るのは簡単ですが、問題はこの後。大阪ミナミの色街が、なじみ客のオッサンたちの評判を気にしたものか、丸髷の追放運動を始めてしまいました。
1880年3月16日付の大阪朝日新聞から引用します。仮名遣いなど、おじさんが現代風に改めています。
南地五花街(注・九郎右衛門町・櫓町・阪町・難波新地・宗右衛門町)の芸妓社会は、断然東京風の卑しい丸髷を廃し、以来古風な髷に改めんとの事を議するがため、婦会と歟妓会(かぶきかい)とかを開きしという。(引用おしまい)
理由なき東京排撃キャンペーン。はたから見るとバカげた運動ですが、これと同じ事象は現在も起こりがちだと言えるんです。
隣の国々での暴力を伴う排日デモ、安重根が我が国の現職総理大臣を狙撃する小説なんてのは、やり過ぎだと思います。一方、身近なところでは韓流ドラマ排斥運動、新大久保とか鶴橋でのヘイトスピーチなんかがあります。いずれも嫌悪感を誘う愚行です。
もうお腹いっぱい。とりあえず最近までは、中東諸国に嫌われずに友好関係を築いてきた日本国民が、イスラム教徒まで憎悪の連鎖に強制参加させる意義も権利もありません。
ムスリム差別の問題は世界的に深刻なので、あえてライトに伝えたいと思ったのですが、難しいですね。一方的な異文化の排除、中傷というのはホント、汚くて嫌な行為ですから、絶対に差し控えたいものです。
今回の事件を受け、政府は国内テロの防止に努める旨、菅官房長官が語りました。テロリストとは何の関係もないムスリムの監視や迫害に進まぬよう願います。
池上彰さんみたいな人が、イスラム教とムスリムについて、しつこいくらいに教えてくれれば、若いみんなが偏見を持たない社会の方向性が見えるのかもしれません。人権より視聴率大事のテレビ局だと、難しいのかな。