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2015/02/04

熊倉一雄さんの米寿に思う(1)

俳優の大塚周夫さんの訃報に触れて、説明し難き軽い喪失感に襲われています。
こどものころ、テレビの洋画放送で初めてその声に触れ(R・ウィドマークの吹き替えだったと思う)、「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男、ブラック魔王、チャールズ・ブロンスン……。大塚さんの声聞きたさのあまり、とっくに大人になっていたのに、「おかあさんといっしょ」の着ぐるみ劇「ゴロンタ劇場」にチャンネルを合わせていたものです。
あの声を、セリフ回しを、もう二度と聞くことがかなわぬと思うと、少年期の大切な思い出の一部分を突然引きちぎられたような気分になるのです。
少年老い易く学成り難しを地で行くおじさんは自分が老いる分、俳優さん方も年をとるという、当然の事実に鈍感でした。近年、内海賢二、滝口順平、永井一郎らの物故に直面するにつけ、やっと思いを馳せたのです。
そういえば最近、「ヒッチコックおじさん」こと、熊倉一雄さんが88歳の誕生日を迎えました。米寿を迎え、なお第一線で活躍される元気を、40、50、60の若造どもも見習いたいものです。46年前の熊倉さんのコラムを見つけました。
1969年6月15日付の朝日新聞「アテレコ 仲間いまむかし」から引用します。
(前略)初期のころはばかな苦労をした。お互いに生まれて初めての仕事。翻訳も直訳に近かったから訳文が長過ぎてどんなに早くしゃべっても追いつかない。画面の紅毛人が口を閉じてしまっても、日本語の方は数行余ってしまう。はてどうしようと思案しているうちに、次のセリフが回ってくる。よくしたもので、カッカしながら合わせている当人より回りで(ママ)見ている仲間の法がよくわかる。そこの所で間をとっているとか、何字長いとかけんけんごうごう。フィルムがすり切れるほどけい古してさてナマ本番。ふだんアナウンサーの他せいぜい2人位が入る小さなアナウンスルームに十数人の強者どもが詰め込まれ、これまた小さなモニターテレビの前で、押し合い突き合い、一つのマイクを取りっこ。人の体のスキマから顔を出し、足の下からもぐり込み、熱気、緊張、冷汗、熱汗。その中で手の空いている者は効果音までやるという忙しさ。苦労してけい古したのにすっかりあがってしまって一語も発し得なかった者もあり、本番中耐えに耐えていた下痢の苦しさが爆発し、隣の男に台本を渡して「頼む」と一言、飛び出したやつもいる。この頼まれたのが「ポパイ」を好演した浦野光。頼まれた役は見事にこなしたが、自分の役はヨレヨレ。ディレクターからおこごとを食ったとか。(引用おしまい)
「アテレコ」は、もはや死語でしょうか。吹き替え黎明期の苦労がしのばれます。無理な台本、一発勝負の録音。マイナス要素が横溢する中で、それらを乗り越えられたのは、彼らが「俳優」だったからでしょう。「声優」とは何でしょう? 洋画の吹き替えは、海外の俳優の演技の日本語化です。「声だけの俳優」を職業とする人に、例えば動作とセリフが連動する見事なローレンス・オリビエのアテレコができるのか。大塚さんが愛し、苦労したチャールズ・ブロンスンのアクションのはざまの言葉や独特の間を表現できるのか。
ホントはおじさんは大きな口をきけません。最近の「声優」と呼ばれる方々の実力を知らないからね。
しかし、昨今流行のタレントや芸人さんを安易な吹き替えに起用する風潮には異を唱えたいのです。彼らの芸能は演技することではない。演技の、吹き替えの素人を話題性だけで使って傑作を駄作に、駄作をド駄作にしていませんか?
熊倉一雄さんが語る、プロの吹き替え師たちのお話は次項に続きます