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2015/02/04

熊倉一雄さんの米寿に思う(2)

熊倉一雄さんの米寿は、喜ばしいことです。熊倉さん、茶の間ではヒッチコックはじめ、声の印象が強い方ですが、売り出し中だった井上ひさしの小劇場時代には、名コンビぶりを発揮して、数々の舞台を作ってきた演劇人です。
吹き替え創成期は、そんな食えない舞台俳優たちが、テレビのおすそ分けで糊口をしのいだ時代だったのでしょう。無名のプロフェッショナルが、安いギャラで己が芸能の全力をテレビジョンに注いだ時代だと言い換えることもできます。
前項からの続きです。熊倉一雄さんがアテレコの歴史を振り返るコラムから、吹き替えの歴史を紹介しています。引き続き1969年6月15日付の朝日新聞「アテレコ 仲間いまむかし」から引用します。
フィルムと完全に同調する16ミリテープの普及とともに、俳優たちが各自イヤホンをつけて、フィルムの原音を聞きながら録音する今日のスタイルが、昭和32年夏には確立。ただ合わせることから、ドラマとしての完成度、日本語独自の面白味が追求されるようになり「このごろの外人は日本語がうまくなったね」と好評を博したが、何せ暗いスタジオで、イヤホンの音をきく、手にした台本を読む、長い間チラチラ動く画面を見る。目を悪くした諏訪孝二、眼科医にみてもらうと医者のいわく「君の商売当ててみよう、溶接工だろう」とは、いやはや。
「ローハイド」のメンバーが来日して、それぞれの声の役者と対面した時、ぜひアテレコのテストが見たいというので、小林修、山田康雄、永井一郎、藤岡琢也といったそうそうたる面々、とりあえずリハーサルをして見せたところ、どのくらいけい古したのであるかという。これが初めてであると答えると、あちらさん一同舌を巻いて、何たる器用、お前たちは最高の技術者。さぞ高いお給料をいただくであろうといわれて一同妙な気持ちになったそうな。
やがて「バークにまかせろ」で若山玄蔵のやわらかいバスがご婦人方をしびれさせ、「ナポレオンソロ」のスタジオへ、矢島正明、野沢那智をお目当てにファンの女の子がドッと押しかけるという黄金の一時期も現出した。
わけもわからずガムシャラに苦労した時代からの仲間は、所属の如何を問わず奇妙に親愛の情が通うもの。「スーパーマン」の大平透は実業家としても活躍。「ソニー号空とぶ冒険」の城達也、小林恭二(ママ、小林恭治)、「地方検事」の中村正は、いずれも相変わらずのダンディーな紳士。「アニーよ銃をとれ」の来宮良子は容姿少しも劣えずえん然と牌(ぱい)を握り、マンガのクマゴローやナマエワナイガのCMで名をとどろかせた滝口順平は、スタジオのすみで帳面をひろげ、何やらソロバンをはじくくせも影をひそめ、今や船橋市の名士。
「マイク・ハマー」の納谷悟朗はいまだに独身、せっせとバーのつけをためることにいそしんでいる。「サンセット77」の黒沢良はヒマのないところにヒマを作って釣りと馬に専念。「ルート66」の愛川欽也はおはようこどもショーのロバ君で早寝早起きの健康な生活を強いられているし、いやもう数えだしたらキリがない。
ディズニーの小山田宗徳、「拳銃無宿」の宮部昭夫、「カメラマン・コバック」の佐藤敬(ママ、佐藤慶)、「ペリー・メイスン」の佐藤英夫、「名犬ラッシー」の北条みちる、「アンタッチャブル」の日下武史、「パパは何でも知っている」の小池朝雄、武藤礼子、八代駿、「ララミー牧場」の久松保夫、村瀬正彦。中でも草分け的な存在だった笠間雪雄氏が、病に倒れて以来アテレコをやめてしまわれたのがさびしい。(引用おしまい)
故人が多いことにがく然とします。おじさんも年をとるはずだ。
こうした記事を目にすると、何かと軽視されがちな声優の努力と重要性が理解できます。発声もおぼつかない促成栽培の素人タレントが立ち入られる世界ではない。
一流俳優の演技は、海外俳優の茶の間キャラクターさえも決定させます。小池朝雄の刑事コロンボ、武藤礼子のエリザベス・テイラー。何と素晴らしかったことか。
コラムに取り上げられた俳優たちには、いちいち思い出があります。早逝した小山田宗徳の太平洋戦争ドキュメンタリーのナレーション。クリント・イーストウッドやジャン・ポール・ベルモンドにルパン三世は、とうに故人になってしまった山田康雄。同じくアラン・ドロンが健在にもかかわらず鬼籍に入ってしまった野沢那智等々。
山田康雄風、滝口順平式のイミテーションが蔓延する昨今、演劇経験のないアイドルが事務所の力でアテレコに放り込まれる(つまり俳優が押し出される)現在、声の芸能が消えつつあるような気がします。失われた既製品のコピーを要求し、あるいは声でなく名前で商売したがる、メディア側の問題もあります。それらを恥ずかしいと感じながら見聞きしている人もいることをわかっていただきたい。