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2014/06/06

サッカー日本代表・チューリッヒの悲劇

サッカーのワールドカップブラジル大会が、もうすぐ始まります。日本代表はどこまで行けるかな?
今回は、日本サッカー史上最悪の一大事件のひとつでありながら、ほとんど振り返られることのない、「チューリッヒの悲劇」について考えてみたいと思います。
1945年11月16日の朝日新聞朝刊の下の方に、目立たぬように小さなベタ見出しが立ちました。「国際蹴球日本を除名」。日本は国際サッカー連盟(FIFA)から除名を言い渡されたのです。以下に引用します。


チューリッヒにある国際蹴球連盟では13日日本を連盟より除外し、同時に連盟加盟国に対して日独両国との国際試合を禁止する旨発表した(星条旗紙チューリッヒ電)(以上、引用おしまい)

日本とドイツは敗戦国です。イタリアを加えた三国軍事同盟を結んで、アメリカやイギリスと戦いました。イタリアは戦争の途中で政治の体制が代わって、勝った方の陣営に付いたおかげで仲間はずれにされずに済みました。当時の日本は、道ばたに浮浪者や餓死者があふれる超貧乏国だったから、連盟に払うお金もなかっただろうけどね。
戦争という殺し合いの前では、スポーツの「フェアプレイ精神」なんてきれいごとに過ぎないことがよくわかります。日本を二度と戦争のできない国として継続させるために何ができるか、みんなもおじさんといっしょに考えてみて下さい。
連盟が許してくれないので、日本代表はおろか学生チームすら外国のチームとの試合ができません。たまにイギリスとの試合があるという報道があっても、在日英軍艦の乗員が相手です。一度、戦時中に中立国だったスウェーデン代表が、来日して日本と試合をしてもいいよって手を差し伸べてくれましたが、FIFAの許可がおりずに話は立ち消えになったようです。
日独両国は、1947年のロンドンオリンピックへの参加も認可されませんでした(イタリアは参加)。繰り返すけどスポーツマンシップなんて、殺し合いを経験した後にはただの幻想なんだよ。
FIFAの除名処分は1950年まで続きます。ワールドカップどころか強化試合すらできないこの5年間、投げ出さずにサッカーを続けた選手や裏方さんたちがいたからこそ、本田や香川、遠藤たちが地球の裏側のブラジルまで行けるのです。いじめに等しい国際的無視に歯を食いしばって耐えて、日本サッカーの伝統と技術をつないだ無名の人たちの思いを、おじさんは考えてしまいます。
だけど、武器を持った日本人が地球の裏側に行くことになれば、日本代表が再び、もしくは敵側に立った国の選手たちが、世界から仲間はずれにされる事態になりかねないのが嫌です。集団的自衛権って、やっぱりロクでもないね。