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2019/08/24

柳田国男が見た「嫌韓」

視聴者は「韓国が大嫌い」

テレビジョン各放送局の報道番組は、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄問題一色。何しろテレビですから、帝国臣民の視聴率につながらずカネにならない、問題解決への提言なんて薬にもならないテーマなんか持ち出すはずがありません。ボケーっとしたまま上に言われたであろう内容のみをくっちゃべってるようにしか見えない、イタいアナのソウル街頭インタビューや、俺様何様メンタリティで韓国の悪口をまき散らすコメンテーターが幅を利かせる金曜日の「報道ステーション」(テレビ朝日系)は、幼稚化がますます進行。ここ1局にとどまらず、国民の財産である各局の電波からは、ただひたすら憎い、憎い、憎んでも憎み足りない韓国政府と韓民族をディスりまくる悪口雑言が吐き出されています。
GSOMIA破棄は、貿易問題の安全保障へのイシューすり替えだ、と。皇国が旧植民地への工業製品材料輸出規制を敢行した理由は安全保障上の問題だが、韓国が同じ論法を使うのはけしからん。日本政府様の猿マネではないか、と。
すべてにおいて日本人よりはるかに劣る“下等民族”が、日出ずる神国に歯向かうなど百万年早い。下等民族が日本に逆らうな。下等なんだからな。優秀なる日本人は「反韓」などとは言ってやらないよ。「嫌韓」で十分である。「反対」などカウンターを標榜すれば、韓国人と同じ土俵に上がることになろう。下等な奴らには「嫌韓」で十分だ。ヒトラーがユダヤ人を嫌悪したように、白人至上主義者が黒人やアジア系のカラードをののしると同じく韓国人が嫌いだ。だから「嫌韓」なのだ。ヘイトの根っこなんて、どうせそんなところでしょう。

国粋カルトが主流派に

ここまで、嘔吐をもよおしつつ、世間様の嫌韓に対する脳内分析をつづっていて、「前にだれかが似たようなこと言ってたよな」と、本棚を探索して引っ張り出したのが、単行本「憎悪の広告」(能川元一・早川タダノリ著、合同出版)。いわゆる右派系オピニオン雑誌の新聞広告群をサンプルに、他国・他民族をおとしめることで、日本の戦争・賠償責任をワヤにしてまでも、満天下に不二のスゴイ皇国を讃えようとする近年の愛国カルトを分析した好著です。
広告からはっきりと感じとれるのは「韓国は本来格下の国」と言う意識です。右派論壇の怒りは格下の韓国が「つけ上がる」ところに向けられているわけです。だから対等な関係をイメージさせる「反日反韓」より「反日嫌韓」が受容されたのではないでしょうか。日本には「反韓」になるほどの動機はないよ、せいぜい「嫌韓」だよ、と言うわけです。(同書172ページより引用おしまい)
奥付によると2015年秋の初版本だから、4年前には一部カルト思想として批判されていたシロモノが、いまや東京の各キー局の報道セクションを支配しているのか。令和の世では、もうカルトじゃないです。テレビがそうしちゃいました。挙国一致のヘイト同調・ヘイト承認欲求によって視聴率を稼ぐテレビ局、それらにむさぼるように乗っかって吸収する視聴者があふれる社会に住んでいると、「嫌日」になりそうなんだけれど、きっと周りはそう認識してくれはせず、「非国民」と呼ばれるのであろうな。
「憎悪の広告」p.151より転載。2012年10月1日付産経新聞の「正論」同年11月号広告

東アジア差別の源流

日本の庶民レベルでのアジア人蔑視・嫌悪の感情は、いつごろから発生したのでしょうか。文字をはじめとする諸文化を教えてくれた点で、永らく尊敬・畏敬の念を抱かれていた中国人については、1894年の日清戦争の前から嘲笑・揶揄するような錦絵が巷に現れ始めました。官製の差別誘導の匂いがします。
同時期の1895年、日本の軍人・武装警察官らが宮廷に乱入、あろうことか李氏朝鮮王朝の王妃を暗殺する事件(乙未事変)を引き起こしていますから、日本政府(この事件では長州閥)が半島民への格下意識を持っていたのは間違いありませんが、決定的になったのは1910年の日韓併合。植民地となった朝鮮半島には、本国では生活できない食い詰め野郎やならず者を含む日本人が大量に押し寄せ、地元民への差別丸出しに重労働や搾取を引き起こしました。
日本領外地へ積極的に足を運んでいた民俗学者の柳田国男は、そんな日本人たちを強く批判する一文を残しています。1924年10月9日付の東京朝日新聞への寄稿「国際労働問題の一面(5)」より引用します。
(前略)米国の開祖と称せられるメーフラワー号(ママ)の移民のやうに、純然たる筋肉労働者が、宗教の圧迫等の特殊の事情の下に移住した例も稀(まれ)にはある。阿弗利加(アフリカ)大陸の南端に於て(おいて)、一旦矛を執って英国と戦ひ、後(のち)降伏して其(その)保護の下に特殊の1連邦を作った人民なども、元は和蘭(オランダ)からの労働移民であって、ブーアと謂(い)ふのは和蘭語で小農のことである。而も(しかも)彼等は植民土着すれば、久しく其(その)旧地位に甘んずること無く、南亞に於てはあらゆる方法を以て、土人を畏服し懐柔し、其(その)硬骨なる者は放逐し又(また)は除き去り、今日尚(なお)彼等が服従を利用して、之(これ)を使役しつゝ一種独特の農業を行って居る。
此(かく)の如き制度は、何れ(いずれ)も所謂(いわゆる)植民国の政権保護の下に於て、初めて望むを得べき便宜であって、之に利用せらるゝ原住民の立場から言へば、誠に忍ぶ可らざる(べからざる)迷惑である。日本近年の朝鮮植民なども、幾分か此(この)嫌ひがある。内地から出掛けて往った(いった)植民者は、多くは其(その)郷里に在ってはそれだけの人を左右し得る資格の無い農夫であるが朝鮮に行ってはゴボゴボと謂って在来の住民を追回し(ママ)、彼等を下に見て手前勝手を敢て(あえて)し、自分の辛労を軽くする考(かんがえ)をする。凡そ(およそ)人を使ったことの無い此(この)階級の小事業家が母国人たる威力を挟み、或は(あるいは)本国から来た役人の尻押を憑んで(たのんで)、少しでもうまい事をしようとする態度ほど、無理なるものは無い。南亞共和国では其上に(その上に)、此(この)種の白人の小農場主に、政治上の勢力があり、且つ(かつ)黒き土人は圧迫せられても理屈も言へない程、無教育である為に、我々有色人種の眼に余るほどの無理が有るのである。
米国などは早くから土人を征伐し、其(その)一半を殺し他の一半を追ひのけた為に開拓に使役したくても土人が其(その)辺に居なかった。其(その)代り(ママ)としては黒奴を貨物の如く輸入し、或は悪い労働条件を辛抱する他の国の移民を呼でくる(ママ)ことになったのである。
働くつもりで入込んで(ママ)来た出稼人ならば、相対づくで之を安く使ふのも仕方が無い。又(また)原住民が朝鮮人ほどの教育知識のある者ならば、最初の暫く(しばらく)は忍耐して黙従するも、やがて負けては居らず起って理屈を言ふであらう。従って此等(これら)は大なる弊を生ずる迄に永く続けて行くことはあるまい。(引用おしまい)
柳田の目に映った朝鮮半島の日本人は、大した実績もない無教育な凡夫どもが、無教養と差別感情に任せて朝鮮人を理不尽に使役するものでした。米国に渡ったメイフラワー号の乗客乗員が、元々は迫害を受けた宗教的弱者であり、社会的地位の低い肉体労働者であったにもかかわらず、先住民を放逐、アフリカから黒人奴隷を集めたり、低賃金でも働くアジア移民(日系を含む)に重労働を課して開拓を進めた事実、南アフリカに渡ったオランダの小作人(ボーア人)が地元民を働かせて大きな収益を上げている歴史を踏まえて、日本人の朝鮮人蔑視社会を撃っています。また、これらの搾取は、現地政府の植民地政策があって初めて成立することも指摘しています。朝鮮の場合はもちろん日本政府ですね。
「日本人とは何か」を問い続けた歴史に残る大民俗学者・柳田国男が批判した嫌韓の源流思考がこれです。よその人たちを下に見て、露骨な差別感情とともにディスる所業は、もっとも日本人らしくないということですね。あの柳田国男がそう言っています。それとも、現在の日本政府ならびにテレビを含む日本スゴイ論壇サイドから見れば、柳田が反日分子になるのでしょうか。「柳田国男は非国民だ!」なんてね。
若いみんなは、テレビが垂れ流す隣国国民への差別感覚に左右されることなく、個人レベルでもお互いが仲良くなるように努めて考えていけば、他国の人たちに対しても少しは自慢してもいいニッポンになると思いますけど。