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2016/08/27

広島カープの敵は前近代的精神主義

デュプリーと飛田穂洲

1980年のプロ野球シーズン、広島カープにデュプリーという名の外国人外野手がいました。凡フライを一見無造作に片手で捕球するアクションが独特で、そのスタイルは巷間「デュプリー・キャッチ」と呼ばれたものです。
ところが、このパフォーマンスは世の野球評論家・解説者たちの不評を買いました。「グラブにもう片方の手を添えて体の中心で捕るのが基本」「こどもたちがマネをするからけしからん」
要は“野球道”にもとる、ということです。戦前野球が体に染みついていた評論家連からすれば、技術は球道精神とともに代々上意下達されるべきものであって、進取の気風は許されないといったところでしょうか。
この奇論の源流は、どうやら「学生野球の父」の称号を持つ朝日新聞の飛田穂洲(とびたすいしゅう)にあるようです。飛田の筆による1938年11月4日付の東京朝日新聞「秋季六大学リーグ戦総評 下」から引用します。
(前略)最も憂ふべきは片手捕りの流行である。(中略)無論片手捕りも必要に相違ない。しかし此れを濫用する事は邪道である。ゴロも直球もすべて片手でコナす。それに熟達して、むしろ両手よりも片手の方が巧(たくみ)に捕へ得たとしても、これを許容することは断じて出来ない。不合理な捕り方は如何に名人上手になっても許されない。
(中略)理論を度外視してはならぬ。球を身体の中心で捕れといふ言葉は、野球のある限り未来永劫の真理である。片手で捕った球をグラブぐるみ投げる芸当を必要としない限り、球は両手で捕る方が投げるのに便利であり、迅速であり、正確である。これを今日の監督者が注意せぬ筈がない。注意しても選手が聞き流して仕舞ふのであらう。然し監督者は内臣を整理し外的に当る(ママ)兵法の常道から、命に背くものを厳罰に処する覚悟がなくてはならぬ。そこに初めて内外に勇武を誇り得るチームが出現する。リーグ総員学生野球の真義を知り、日本の野球道を再び確立せよと熱叫する矣(かな)。(引用おしまい)
野球統制に走る軍国主義国家から競技を守るためにボール遊びを武道化、精神修行化せざるをえなかった当時の飛田の置かれた状況を考慮するとしても、戦後数十年もたってその言を墨守する必要はありません。シングルハンドキャッチを否定、罵倒した飛田穂洲の前近代的精神は、今ではめでたく忘れ去られ、プロ野球の外野手は片手捕りが当たり前となりました。
1980年のカープは日本一の栄冠に輝きましたけど、この年でデュプリーはお払い箱。快足強肩の好守備だった印象がありますが、片手捕りの悪評を球団がそんたくしたのではないでしょうな。

菊池涼介が体現した危険要素

今年の広島は優勝する。23日の対巨人3連戦の初戦を見て確信しました。ジャイアンツの救援マシソンへピッチャー返しの連打。実を結ばず敗戦となりましたが、各選手が攻略法を徹底して実践する意識の高さが光りました。けれど、2日後には一転、「このチーム、大丈夫か?」との不安にかられました。
第3戦9回2死から同点の内野安打を放った菊池涼介選手は、一塁へヘッドスライディング。三塁手の送球が右へそれたから良かったものの、左側に来るかクロスプレーになっていれば、菊池選手は一塁手との衝突で大けがをしていたかもしれません。菊池選手の将来のためにも、打者走者が頭から滑り込むプレイは、闘志や根性表現のはき違えだと強く非難します。
一塁へ頭から滑り込む行為は、到達時間の短縮を生むこともなく危険なだけです。本塁での事故を防ぐためのコリジョンルールが採用されて、プレイヤーの安全への配慮が具現化している2016年になっても、科学的に意味がないばかりか、選手生命にかかわる特攻まがいのプレイがプロ・アマ問わず跳梁跋扈している現状に首をひねります。一部のアホなメディアが、「気迫のヘッド」「執念のスライディング」などと余計な修辞をくっつけて、菊池選手らを戦前の新聞の特攻隊員賛美並みに持ち上げるから、ますますエスカレートしていきそうな気配すらあります。カープ満身創痍のクライマックスシリーズや日本シリーズなど見たくありませんし、高校生・少年野球選手も続きますよ。こどもがデュプリー・キャッチをマネても害はないけれど、ヘッドスライディングで脊椎傷めて野球をやめるどころか満足に歩けなくなったらどうする。特攻万歳のスポーツメディアは責任取れるのかよって話です。
かような前近代的精神主義がいまだまかり通る日本球界にあって、高校や社会人の大会を主催、特に影響力が大きい朝日・毎日には、一塁ヘッドスライディングの撲滅キャンペーンを求めます。飛田穂洲的球道論と決別する時です。
20年以上前にはこの傾向に苦言を呈する記者が、飛田の在籍した朝日新聞にもいたようです。第75回全国高校野球選手権でのコラム、1993年8月17日付の同紙「アルプス席」(岡田忠記者)より引用します。
ヘッドスライディングは勇ましくて、かっこいい。一生懸命さや、若さがはじける高校野球の代表的なプレーのひとつである。が、一塁へ頭から飛び込むのはいかがなものか。今大会、やたらと目につく。
(中略)一瞬でも早く、何とかセーフに、の気持ちはよく分かる。試合開始直後、一番打者に内野ゴロを打ったらヘッドでいけ、と指示した監督もいた。チームの士気を盛り上げるためだ。精神的効果に水を差すのは忍びないが、一塁へは、駆け抜けたほうが速いに決まっている。それに、指や肩、首などのけがが怖い。舞台は甲子園。若者の一途な気持ちからとはいえ、故障しなければ、といつもはらはらさせられる。タッチプレーが多い他の塁ならともかく、一塁へのダイビングを「元気印」と勘違いしないでほしい。(引用おしまい)
23年も前に語られた危険が、なぜプロの仕事場で慣例化しているのかについては、より深い分析と考察が必要なのかもしれません。事は日本文化論まで行き着くかもね。しかし、そんなに悠長に待っているわけにはいきませんね。カープはじめ全プロ野球選手には、罰金を課してでもこの因習を根絶してほしいものです。

カープはパ・リーグに学べ

日本ハムファイターズには、一塁へのヘッドスライディングを名物にしていた時期がありました。ファンにガッツをアピールする手段として、白井一幸、広瀬哲朗選手らが、東京ドームの硬い人工芝グラウンドで頭を先に一塁ベースに突っ込んでいったものです。大沢啓二親分の根性論の下に突撃を繰り返した彼らの体に蓄積したダメージはいかばかりだったことでしょう。
現在の北海道日ハムは、カルト信仰を捨て去ったみたいです。大谷翔平選手が一塁へ頭から滑り込んだ際、栗山英樹監督は危険プレイだと、若いスターを叱ったと報道されました。選手の安全をおもんぱかる姿勢が今年の快進撃を支えているのかもしれません。
25日のソフトバンクー楽天戦で果敢な捕球を試みたホークスの柳田悠岐外野手は、頭を前にして跳ぶのではなく足から滑っていきました。正解です。上体を前にしたダイビングは、ヘッドスライディング同様、大きな事故につながる危険を伴いますから。
広島カープには、日本シリーズでまみえるやもしれぬパ・リーグ2球団の戦力分析のみでなく、彼らの安全対策をも十分に研究した上で、万全のチーム状態で戦い続けてもらいたいものです。