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2016/02/28

「真田丸」第5回感想 「軽率が生む窮地」

藤沢周平はエッセイ「信長ぎらい」で、第六天魔王の性酷薄な皆殺し政策を批判しています。隆慶一郎は、随筆「織田信長」で、その嗜虐性の根本を“侍の美意識”から解こうと試みました。
作家たちの興味を引いてやまない織田信長の女こどもに至るまでの根切り。話がややこしくなるし、当人も本能寺で死んじゃったから、「真田丸」ではスルーしちゃえば良かったんですよ。ところが、出してきやがった。上記の小説家らが行った論考のカケラもなく、おそらく作者も意図しない形で。
滝川一益と真田昌幸の対話で、「信長が求めたのは平和の創造」なんて、最近の大河のテンプレセリフが一益の口から語られました。これでドラマは台無し。大魔王シャザーンみたいなメイクで伊賀にて大暴れの本多忠勝も、斬り合いの最中に“すんなり入れた”安土城の人質救出劇も吹っ飛びました。
他に比類なき武力を誇れば平和が保たれる、という思い上がりは、アフガニスタンやイラクに殴りこんだ世界の警察気取りの米国的思考です。下駄の雪である我が国の集団的自衛権を、公共放送的にそんたくしたわけではないでしょうが、結果、滝川君は馬鹿丸出しとなりました。感化される昌幸も、ずいぶんと視聴者の株を下げたものです。信長にすれば言うことを聞かない百姓征伐でも、一揆衆から見れば自分たちの自治を侵したのが信長。抵抗勢力なら容赦なく斬り、刺し、焼き、あるいは溺死させた魔王の平和主義者像を創り出すのであれば、そこで視聴者をだますための汗をかくのが脚本家の仕事でしょう。平等への希求なき“平和の実現者”は、あまねくインチキ野郎です。
滝川一益は、長島・越前の一向一揆掃討現場の武将でありました。水も漏らさぬ包囲戦、山中に散り散りに逃げた女性や小児らも山狩りの手間をかけてなで斬りです。その当事者が、「平和のため」とぬかすは、ベトナム・ソンミ村で惨殺をやらかした現場指揮官が、「平和の実現作戦だった」と強弁するに等しい。歴史好きにも訴える大河なら、そこは大事にしてもらいたいものです。
よく使われる「当時の価値観は現代と違うから仕方がない」といった意見には与しません。「近代日本政治史」(坂野潤治著、岩波書店)で著者は、「歴史学者は対象とする時代の精神に批判的でなければならないとしても、その時代精神に全く感応するものがなければ、その時代を描くことはできない」と記しています。脚本家なら「対象とする時代精神に感応するとしても、全く批判的でなければ、その時代を描くことはできない」といったところですか。今制作されるドラマを400年前の価値観で見る視聴者はいません。今の審美眼で臨みます。作品の「重厚」や「軽量」など知ったこっちゃありませんが、「軽率」は困ります。
信長を語るのであれば、虐殺を完全スルーするか、徹底的に描き通すかの覚悟が必要でしょう。前者の策を取ったつもりが、滝川一益を使ったことで、視聴者に一揆を想起させてしまいました。三谷さん、浅いよ。
昔の一揆を想像するのは難しいかもしれないので、今日は戦後に起きた事実上の漁民一揆「水俣病闘争」を取り上げます。権力者の視点のみでの作劇の愚について、若いみんなも考えてみてください。九州地方の奇病扱いだった公害病を世界に知らせたのは、水俣の詩人石牟礼道子さんの著書「苦海浄土」でした。石牟礼さんは水俣一揆のジャンヌ・ダルクとして各メディアに取り上げられます。
1972年2月6日付の読売新聞「わたしのドラマ 12 『往生できない魂の証人』」(谷川俊記者)から引用します。
(前略)症状を訴えても「保証金ほしさの仮病じゃ」「公害貴族」と周囲からののしられ続けた人たち。環境庁認定で新たに患者に認定されると、こんどは、水俣の恥部をさらけ出す「非市民」のレッテルを張られ、いやがらせを受ける自主交渉派の患者。水俣病の告発を続ける石牟礼さんも例外ではなく、「とんでもない文化人」「アカ」「神経どん(気違い)」ときめつけられる。
「水俣市はねえ、チッソと共に育ってきた町なんですよ。チッソがつぶれると、水俣もつぶれる、と信じている市民も多いんです。だからチッソにタテつく者はとんでもない無法者……」と石牟礼さんは説明する。
川本さん(注・輝夫。未認定患者救済運動指導者)らが、本社前のすわり込みを通じてチッソにいどんだ戦いは、追いつめられ、迫害され続けた弱者が、最後にあげた抗議の絶叫だといえる。
(中略)昨年暮れ、社長室前の廊下にすわり込んでいた石牟礼さんは、ひざを机がわりに、すわり込みの状況を「まぼろしの舟のために」と題した一文にまとめた。

朝は、たとえばナマコとりの話から始まるのです。
「いや、たしか、ありゃ、どうも明神の鼻の崎の方の海じゃったな……いやもうのぞく先々にボロボロ、居るもんなあ。……黒ナマコのな、黒々とシコシコしてうまかったろうて……いや、惜しいことをした。夢じゃった……」
もと漁師であるがゆえに、未来永劫(えいごう)漁師であるひとたち。水俣病も、いろいろに病み方があり、それを病みとおすにも漁師である以外にはない彼ら。
そもそも<チッソ東京本社すわり込み決行>などと名づけても、この人たちにとっては、茫々(ぼうぼう)たる漂流記の中の一節ではありますまいか。
どこに漂流するのか。
もとの不知火海の、わが家の庭先に帰りつくためにみえない舟が出る。帆布より舵(かじ)より、機関より先に故障した人間たちが、みえない舟をあやつって東京にくる。……。(引用おしまい)
沖縄の庶民たちによる反基地闘争、未認定患者も含め現在も続く水俣病訴訟……。比類なき力を有する者に対する名も無き弱者たちの一揆は、決して歴史の遺物ではありません。視聴者は、そこを忘れてはいけないし、放送局が忘却してしまえば、そこは御用放送局とそしられても仕方ありますまいさ。
冒頭に挙げた藤沢周平「信長ぎらい」は、その点に言及しています。今に生きるみんなにとって大事なことだと思いますから、以下に引用します。
こうした殺戮を、戦国という時代のせいにすることは出来ないだろう。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺、カンボジアにおける自国民大虐殺。殺す者は、時代を問わずいつでも殺すのである。しかも信長にしろ、ヒットラーにしろ、あるいはカンボジア政府にしろ、無力な者を殺す行為をささえる理想、あるいは使命感といったものを持っていたと思われるところが厄介なところである。権力者にこういう出方をされては、庶民はたまったものではない。
(中略)われわれは、民意を汲むことにつとめ、無力な者を虐げたりしない、われわれよりは少し賢い政府、指導者の舵取りで暮らしたいものである。安易にこわもての英雄をもとめたりすると、とんでもないババを引きあてる可能性がある。(引用おしまい)
普遍的な価値観ですが、大河ドラマにはあてはまらないようです。