このところのバラエティ番組のつまらなさときたら、いったいどうしたものか。何のひねりもないクイズ、グルメ、旅行にトークの無難路線を続ければ、情報の絶対量に勝るインターネットの優位は揺るぎようがありません。お笑い番組で、楽屋オチの話題にスタジオのスタッフがゲラゲラ笑う画を見せられた日には、上野や大阪城公園の花見で撮られた、見知らぬ酔っぱらいのホームムービーの視聴を強制されているような、ざわざわした気持ちにさせられませんか。
そんなお寒いバラエティ状況に希望の灯がともっています。NHKのこども番組「ワラッチャオ!」(BSプレミアム)がそれです。ベースは、着ぐるみやお姉さんがコントをしたり、歌やアニメを流したりする、よくありそうなキッズプログラムですが、中身が新しい。4ー6歳のこどもを笑わせることをテーマにつくられているそうですけど、大人の鑑賞に十分堪える笑いが詰まっています。
昨年末に放送された、ゆるキャラの祭典「世界キャラクターさみっと」にて番組の新レギュラーを探すオーディション企画では、お姉さんが「天下のNHKに出られるなら何でもする、との熱いメッセージをいただきました」との台本を読み上げて、視聴者爆笑。「天下のNHK」なんて、普通は第三者が権威をアイロニカルに評する時に使うもんでしょ。放送局、テレビに出る人、出たい人への見事な諧謔(かいぎゃく)でした。
娯楽番組は新しくなきゃいけません。以下に「ワラッチャオ!」の新しさを分析してみます。
①視聴者を限定しない
リスの着ぐるみが金縛りに遭うコントがありました。「こども番組で“金縛り”って、あなた」と驚いていると、呪縛を解くために面白いことを言うと決心したリス(なんで?)。次の瞬間、「AKBの新メンバーに池上彰! AKBの新メンバーに池上彰!」と連呼するリス。リンゴの顔をしたキャラに、スティーブ・ジョブズからお中元(お歳暮だったかも)が届くというシュールギャグもありました。
こども番組だから犬猫出して済ませばいい、と考えるのは視聴者をナメる傲慢、あるいは視聴者への媚びです。日曜日の午前中、父母もこどもと一緒に番組を見ます。大人がこどものために番組に付き合うのでなく、積極的に視聴する。大事なことです。
「いけがみあきらってだあれ?」「ジョブズなにそれ、おいしいの?」なこどもたちにとっても、パパママにそれらを尋ねれば親子の会話も増えるでしょう。お父さんは、よりニュースに興味を持つようになるかもしれません。
「F1」だ「C1」だと、視聴者層マーケティングをしてから番組を決めるのではなく、制作サイドが作りたいものを作る。作り手が面白いと思わなければ茶の間が楽しめるはずはありません。本作には、この太い背骨が通っています。
②お姉さんの立ち位置が特殊
こども番組には、お兄さんやお姉さんが付き物です。歌が上手で踊りもきっちり。やんちゃな着ぐるみキャラをたしなめる道徳伝道師的な役目を担うこともしばしばあります。「ワラッチャオ!」にもお姉さんが配置されていますが、ちょっと頼りない。リスやネコの着ぐるみの方が大人で、しょっちゅう説教されたりいじられたりしています。
お姉さんが名探偵コナンのコスプレで現れると、着ぐるみから「大木凡人?」とつっこまれ、子役から「お姉さん、かわいい」とほめられれば「こどもに気を遣わせるな」と注意される、お笑いならばおいしい役どころ。「ひろみちお兄さん」のごとき下の名前でなく、名字の「くわこおねえさん」(初代)、「てらさきおねえさん」(2代目)と、こどもたちに距離を置いた呼び方にされている点も、お姉さんのこどもへの媚びを禁じる一事であるように思えます。この番組は、視聴者にへつらいません。
③身内に厳しい
民放でよくやるNG特集は、さっさと撲滅してほしいものです。失敗したから没にしたんでしょ。本来なら俳優やタレントにとっては恥です。でも、画ヅラが面白ければ本編で流せばいいんです。編集権は制作者にある。使えばその画は失敗になりません。
「ワラッチャオ!」では、お姉さん(NHKアナウンサー)がかみ倒しても、笑えるとなれば放送する。お姉さん(同)がコントの最中に足をつらせて悶絶した場面だってNGにしない。いずれも爆笑しました。
着ぐるみの声優さんたちも大変だと思いますよ。台本は相当なスペースでアドリブを許して(または求めて)いるようです。アクターたちは、一流芸人並みの反射神経をもって、面白い言葉を要求されているかに見えます。公開収録の放送から伝わる真剣勝負の緊張感。
子役にも容赦がありません。年端もいかないこどもにガチの大喜利をやらせます。幼くともギャラが発生する出演者には、プロの仕事を求めてきます。甘やかすことは差別すること。面白い番組は、現場が妥協なく厳しくあるからこそ出来が良いのかもしれません。
今日は、娯楽番組には新しい視点や問題意識が必要である旨を広報すべく、我が国テレビバラエティ番組の嚆矢と言われる「光子の窓」(1958年、日本テレビ系)の制作を、ホステスだった草笛光子さんらが振り返った1982年12月2日付の朝日新聞夕刊「テレビを変えた」より引用します。草笛さんの談話は引用者による太字、年号は昭和です。
(前略)番組の制作、ディレクターだった井原高忠氏(現・フリー演出家)は「当時は、歌って踊れて芝居ができるタレントは少なかったし、それに草笛さんは“人畜無害”の優等生だった」と、起用のいきさつを話す。歌・芝居・トークを合わせたバラエティの原型をつくった「光子の窓」には、新しいテレビ番組を提出する意気込みがありました。趣味の世界にすぎない音楽番組を大衆化するビジョン、そのための新企画と演出が歴史に残る名番組を生みました。
(中略)「つくる方も見る側も、当時は趣味の領域に過ぎなかった音楽番組を、だれにでも親しまれて面白がられる内容にしたいと願った」と。
そのころはほとんどナマ放送だったので、大変な緊張感よ。それに、リハーサルも本番通りの秒合わせできちっとやるし。まるで“闘秒生活”ね。
34年、井原氏は初めて渡米して本場のショービジネスに肌でふれる。セットにクルマをつけたり、カーテンを利用した早い場面転換など、斬新(ざんしん)な演出方法をとり入れる。
ある時、北海道のろうあ学校の生徒さんから手紙をもらった。「わたしには、草笛さんの歌声は聞こえないけど、なにを歌っているのか、表情や動きを見ていればよく分かります」と、書いてあるの。歌を全身で表現するミュージカル女優にとって、これほどうれしい励ましはなかったわ。それに、この番組では先代の(中村)富十郎さん(故人)と歌舞伎の「勧進帳」を和洋合奏でやったり、藤原義江さん(故人)とオペラの「蝶々夫人」「カルメン」「椿姫」をやったり、いろんなことを体験したわ。(引用おしまい)
真剣に笑いと対峙するビジョンを持つ「ワラッチャオ!」は、低迷する21世紀バラエティの光明。妙な自主規制など入れることなく、「光子の窓」のごとく突っ走り続けてもらいたいものです。
追記:初代お姉さんだった桑子真帆アナウンサーは、現在「ニュース7」に出演していますけど、番組中でのうなづき癖がひどい。北朝鮮の核実験について識者が解説してる間、不自然にガンガン首を振るもんだから、アナがニュースを理解していないように見えます。リスとネコは、アナウンス室に出かけて説教してやって下さい。