上手にうそを計算して、膨らませて、あるいは削って組み合わせていけば、石くれの集まりだって加藤清正が築く強固な城郭の石垣たりえる。
一方、何の思慮も計算もないまま、思いつきのうそを手当たり次第にデタラメに積み上げる作業は、賽(さい)の河原の石積みに過ぎません。いくつ積もうが、風が吹けば倒壊します。壊れ散った石の小塔はかえりみられたり、再建されたりすることなく忘れ去られ、その傍らに繰り返し新しい石積みができますが、それもまた、時を待たずと倒れてしまうのでした。
何を言いたいのかご理解いただけたと思いますので、「
キャスト欄はスカスカです。本作の役回りからいって、江口のりこさん、雛形あきこさん、鈴木杏さん、高杉晋作の嫁役の人らがピンでクレジットされてもいいのか。大河ドラマ出演価値のデフレがえらいことになっています。
かと思えば、どどっと束ねて出てくる聞いたことがない人名群。きっと話題の乃木坂46なんでしょうね。おじさん、アイドルにはまったく不案内だけれど、いいお芝居をしてね。一橋慶喜や島津久光のような素人キャスティング惨劇は論外ですが、歴史や物語に直接干渉しないチョイ役なら、娯楽作品にアイドルくらい出てきてもいいんじゃないでしょうか……、なんて優しい気持ちで見ていたら、それがとんでもないゲス配役だったことが後に判明しましたけどね。
乃木坂より、「白石加代子」ってクレジットにぶっ飛びました。出していいのか。出てもらっていいのか。この人、どんなスカタンな役柄であっても、役に成りきっちゃいますよ。完全燃焼するよ。今回は絶対に「加代子燃ゆ」で終わるな。「期待と不安で胸いっぱい」とは、こんな心理状態なのか。
例によって花燃ゆクオリティですから、奥の言葉遣いなんか無視。お姫様だって、長州の田舎侍よろしく「じゃが、じゃが」をジャガジャガ連発します。ええと、今回の花燃ゆ劇場は何のお話でしたっけ。バイトから正社員になったばかりの新人が、総務部長から余剰人員の首切り担当を命じられて先輩のリストラに走る、と。今回はコメディですね。わかりました。そのつもりで見ます。
藩庁機能移転問題で、さっそく本作名物オウム返しのイライラセリフが出てきます。「幕府をなだめるためじゃろな」(姫)、「幕府をなだめる?」(主人公)。カメラは主役の顔を映さず、演技を制約しています。これは、次に主人公のどうでもいいセリフが控えていて、そこをアップで撮る際の花燃ゆルール。見てたら、ほらその通り。画割りもワンパターンなんです。
女中連は労働組合を結成しました。高橋由美子さんが委員長。労使交渉の窓口になるようですね。労務担当役員がだれなのか不明なまま、首切りの権力を一身に与えられた主人公。どこまで笑わせてくれる喜劇に仕上がるのか。舞台は整いました。
「国島様」を訪ねるヒロインは「こちらに国島様と仰せのお方が」。この言い方は非常に失礼ですから、日常生活で使ってはいけません。“私はあなたのことは知らないが用があるから来た”と言っています。目上の相手に無礼千万。本作の国語はホント駄目です。
「国島様」が白石加代子さんでした。ほらね、キャラに成りきって出てきたでしょ。主役と交互に映す編集、やめれ。格の違いがありすぎて、井上真央さんがかわいそうです。その大女優に、いきなり真横へぶっ倒れる江頭2:50芝居をさせる演出家。目にしたものが信じられへん……。
病臥した国島を手前に、美和を後ろに配した画ヅラで展開するお芝居。カメラのピントは主役に合わせてあるのに視聴者の視線は、ぼやけた白石さんに釘付けです。「花燃ゆ」にもかかわらず、ええもん見せてもらいました。宝物蔵での白石さんの長ゼリフがまたすごいの。宝物を映す画面に国島はいないし、さしたる言葉の中身もないのに、その演技の力にだまされて、ちょろっと涙ぐまされてしまいました。大河関係者は、白石加代子に足を向けて寝ちゃいけません。
石丸幹二さんもお疲れさまでした。今回は周布政之助と小田村伊之助が、軒先で酒を酌み交わす場面がありました。カメラは座敷側から2人の背をとらえています。周布の右肩が一瞬ガクッと落ちます。それは酔いすぎたがゆえか、藩の大事の最中に自死を選ぶ無念か。地味だけど見事な背中での芝居。庭からのショットに切り替わると、大きな目を輝かせる周布の達観の表情。大沢たかおさんには悪いんですが、ここで視聴者は石丸さんしか目に入りません。終始グラグラのキャラで、終いには泥酔して刀まで振り回した周布政之助は、なんとか成仏できました。「花燃ゆ」ファミリーは石丸幹二に不義理しちゃいけません。
2人の俳優の力によって支えられた「花燃ゆ」第29回ですが、他のシーンは相も変わらずめちゃくちゃでした。袖解橋の変で襲われた井上聞多(馨)は、長州忍軍(?)の大刀の刃を両手でババつかみ。相当なナマクラでもなければ、指が何本か落ちます。主人公の同僚「鞠」役の人はお芝居がまだまだなので、白石加代子さんと共演させてはいけないのに、同じフレームに収めたもんだから、未熟さが激バレしてしまいました。
最悪だったのがその展開。人件費削減に動くはずだった主人公は、余剰資産の売却により組合との交渉を一度も行うこともなく、
列強相手に完膚なきまでに敗れ、幕軍の総攻撃への備えに緊迫する長州藩の政策アドバンテージが、東映映画「徳川セックス禁止令」ならぬ、「毛利セックス推奨令」だってさ。松坂慶子さんの奥方も、ずいぶん女性層の株を下げたのではないでしょうか。これはコメディではなく、放送局の悲喜劇。
出産を済ませた京の芸妓も、「久坂と縁がつながっているから、不倫で産んだ子を萩に連れていく」など、正気の沙汰とは思えぬ言動です。公共放送の性に対する倫理観のハードルが下がっているんでしょうか。いずれにせよ現状は、チーフプロデューサーが言う「家族全員で見られる大河」ではなく、こどもには見せられないドラマとなっています。山口県萩市は今後、「安産の街」としての観光振興でも行うしかないのでしょうか。
今日は「名優は自然にでき上がるものではない」というお話について考えてみます。白石加代子さんだって、最初っから現在の水準であったはずがありません。役や舞台や周囲の人間関係といった環境に恵まれたればこそ、職業に関係なく人間は成長するのでしょう。
1973年、それまで脇役ばかりだった女優の浜木綿子さんが、芸術座の舞台で初の主演を任されます。スター浜木綿子飛躍の直前の姿を知るための貴重な記録として、同年12月15日付の毎日新聞夕刊「いま 私は」より引用します。
(前略)舞台女優で、ワキ役から主役へーーというコースはあまり例がない。近くは森光子くらいか。たいてい、かつての映画スターが起用されてしまう。しかも、東宝現代劇を上演している東京・日比谷の芸術座は、舞台女優にとって“あこがれ”の場所。「とても、ことばではいい表せないくらい、うれしかった」「主演女優・浜木綿子」の成長と自信が、徐々に深まっている様子がわかります。小沢栄太郎・三益愛子ら名優のフォローも温かい。
(中略)評判は上々、お客もうんとつめかけ「いま、私、役者になってホントによかったと思っているの」
公演は11月と12月の2カ月間。ちょうど峠をこしたところ。はじめのころは緊張していたせいか、毎日くたくたになったが、さいきん、やっと落ち着いてきた。
「上手な人は、イキの抜き方がうまいのね、きっと。私なんにも知らないから、それができなくって……」と、笑い出すのは、多少なりともイキ抜きのコツを知ったということか。
楽屋の壁には、お祝いの電報や花束のメッセージ・カードがたくさんはってある。その一つーー「おめでとう。主役ってのは大体よく書いてあるから、かえって楽。気楽におやりなさい」(小沢栄太郎)
「うれしいわね、こんなふうに心配して下さるなんて。ええ、そういうものかなあと思って、私、つとめて気楽にやろうと心がけました」
(中略)東宝入りしたその年の芸術座「悲しき玩具」公演で、石川啄木の愛人・田舎芸者の小奴(こやっこ)を演じ“名ワキ役”として頭角を現した。あれから13年。今度の役は故・菊田一夫氏の起用によるものだが、ワキ役で蓄えた実力を十二分に発揮した彼女の舞台を、菊田“名伯楽”は地下でどう思っているだろう。
「浜さんの実力なら、今度の出来は当然よ。あの人、うまい役者ですもの。私は少しも不思議に思わないね」と、これは共演している三益愛子さんの感想だ。
(中略)早くも来年、芸術座でまた主演する話がもち上がっているが、今度は「ふつうの女が、だんだんくずれていくような役をしたい」という。主演女優になると、みんな次第に欲が深くなっていく。(引用おしまい)
さてと、「花燃ゆ」は、だれぞ俳優を成長させることができたでしょうか? 今後も成長株を踏みつぶさずに、知名度の向上など他力本願の要素以外に、若い役者たちの実になる何かを与えることができるでしょうか? そのつもりがあるのでしょうか?
井上真央さんをはじめ、役者のやりがい、欲を減退させては、視聴者はなおさらついてきませんがね。